よみおえたとき、うっとりするほどおもしろかった。
こんなすごい小説を、なぜわたしはしらなかったのだろう。
たしょうややこしいはなしの展開でも、
佐藤正午なのだから、とよみすすめるうちに、
作品の世界にどっぷりつかっていた。
本をよみおえると、じょうずにあそばせてもらったたのしさが
からだぜんたいをつつんでいる。
ほかの小説とは、ひと味ちがう満足感にひたる。
小説家をこころざすひとがこの小説をよんだら、
あまりのたくみさに絶望するのではないか。
でだしは、いつもながらなんのことだかわからない。
筋をおっているうちに、おもしろさからのがれられなくなっていた。
佐藤正午的な会話がたのしい。
無駄話が、ぜんぶあとで回収される。
作者のこまかなコントロールのもとに、
登場人物はすきかってをする。
佐藤正午以外にこんな作品はかけない。
ちりばめられた小道具がじょうずにいかされ、
あちこちで「事件」をちらつかせながら、
さいごまでよまないとわからないしかけになっている。
この本では、英語の慣用句と、
スクラブル(英単語づくりのゲーム)が効果的につかわれていた。
日本語にしろ英語にしろ、ことばあそびが佐藤さんはじょうずだ。
会話のなかになにげなくとりこんであり、
とぼけた雰囲気が自然にでてくる。
ひとつだけ会話を引用しておく。
「ごめんなさい」
とテレジアは謝った。それから彼の手を自分の手から引きはがすようにして、言い訳をした。
「今夜はうちにいとこが泊まりに来てるの、帰って夜食をつくってあげないと」
ほんの一秒ほど車内が静まりかえった。前で運転手が身じろぎをした。見るからに居心地が悪そうだった。
「夜食って?」往生際の悪い男が尋ねた。「そのいとこは受験生なの?」
「そうよ」
「ふうん。でもいまは夏休みだろ」
「夏休みだから泊まりに来てるんじゃない」
「どんないとこ?」
「いとこはいとこよ、何を言ってるの」彼女は堂々と、正統的な言い訳をつらぬいた。
主人公の鮎川英雄は女性にもてまくるタイプの男で、
なにもしなくても、むこうからかってにちかづいてくる。
もてるからといって、うぬぼれるいやみな男ではなく、
自分なりに方針をさだめ、その線にそって忠実に生きようとしている。
女をだまそうとか、みつがせようとかのダメ男ではない。
ダメ男なのは、鮎川のおじさんのほうで、
まともに仕事をする人間ではなく、
わかいころから一貫してあそびつづけている。
あろうことか、このおじさんが鮎川に、銀行強盗をもちかける。
ちょっとかんがえただけでも実現不可能なので、
鮎川は相手にしなかったけど、
だんだんと強盗する対象がさがり、
パチンコ店のうりあげをねらうことになった。
鮎川にちかづいてくる女性、
おじさんと、そのあいての中学生。
おちついてはじまった小説が、
まんなかへんからは、ドタバタ劇に一直線だ。
ありえないはなしなのにリアリティがある。
まさかこんなてんこもりの喜劇になるとは。
ドラマにしたらきっとあたるとおもうけど。
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