梅雨にはいったころ、いまでもマスクをしているとくるしいのに、
これが夏になったら、どんなにたいへんだろう、とはなしていた。
気温がたかくなくても、マスクをして散歩したら息ぐるしくなる。
夏のあつさの中、マスクなんてできるのだろうか、
という心配どおり、くるしみながら8月の下旬をむかえている。
夏というだけでたいへんなのに、そのうえマスクでさらにあつくなる。
マスクになれたのではなく、ひとの目がないところ、
ひととの距離をとれるところではマスクをはずしてすごした。
冷房のきいた部屋のなかならまだしも、
外でのマスクは、熱がこもってとても不快だ。
新型コロナウイルスの感染は、
7月にはいると第二波というべき状況になってきて、
マスクはますます手ばなせない。
ウイルスを予防するという本来の意味よりも、
マスクをしてます、という、メッセージをおくるための、
なんちゃってマスクだけど、
まわりとあわせてしまいがちな日本人は、
あつくなってもマスクをつけつづけるひとがおおい。
とはいえ、あつさのなかでは熱中症の心配もでてくるので、
夏は積極的にマスクをはずす場面をかんがえたほうがいいのでは。
まわりとの距離がとれるのであれば、マスクをはずしましょうと、
信頼できるひとがいってくれたら、どれだけ楽になるだろう。
車ですれちがうひとをみていて いちばんかっこわるいのは、
マスクをアゴまでひきさげたつけ方だとおもっている。
男だけでなく、女性でもそうやっているひとをみかけるけど、
これをやると、いっきょにおっさん度がたかまる。
いちいちマスクをはずすより、アゴまでさげるほうが
めんどくさくないので ついやりがちだけど、
だれがやってもかっこわるくみえるので注意したほうがいい。
片方の耳だけのゴムをのこし、
耳にマスクをひっかけるやり方のひともおおい。
片方だけからマスクがたれさがっているのだから、
おかしそうだけど、あんがいまともにみえる。
アゴマスクより、こちらのほうが、はるかに知的な印象をうける。
マスクを顔からはずすより、清潔にたもてるので、
衛生を気にしながら楽な姿勢をとるのにむいている。
ジョギングのときにもマスクがもとめられる雰囲気があり、
はしっていて ひととすれちがうときには気をつかう。
プールではマスクをつけなくていいので、
ことしの夏は、ジョギングをやめて水泳だけにした。
なんだかんだいって、わたしがマスクをつけてる時間は、
客観的にみれば そんなにながくない。
ひとりであるくときはマスクをつけない。
マスクをとりだすのは、お店にはいるときだけだ。
新型コロナウイルスとマスクの関係があきらかになり、
本来的な意味をはなれたマスクの使用がなくなれば、
息ぐるしさはずいぶんすくなくなるのに。
予想していたとおり、あつさとマスクの両方にくるしむ夏となった。