2020年09月10日

ラジオ番組にでていた「みんなで筋肉体操」の村雨辰剛さん

運転中にラジオをきいていたら、
「みんなで筋肉体操」の村雨辰剛さんが
ゲストによばれてはなしをしていた。
筋肉体操の「スクワット1」では、
白人のおおきな男性がお手本をしめしている。

講師の谷本さんが、
「2秒でおろし、2秒でたつ。
 これをくりかえし、できなくなったら、
 さらにできるだけはやいスピードで
 数回 反復し、限界までおいこみます。」
とメニューのポイントを説明するとき、
カメラのまんなかにたってスクワットをつづけ、
発達したふとももをみせているのが村雨さんだ。

日本人の名がふってあり、かたがきは「庭師」となっている。
日本人名なのに、外国人だ。
でも職業が「庭師」って、どんなひとなのだろう。
ラジオ番組でのはなしをきいていると、
村雨さんはスウェーデン出身で、日本に帰化したという。
高校生のときに日本でのホームステイを経験し、
高校を卒業するとすぐに日本にやってきている。
ふるくからの日本の文化に関心があり、
日本庭園やお寺の庭のうつくしさにひかれている。
これまでつたわってきたもののよさに
おおくのひとが気づいてほしい、という気もちから
筋肉体操に参加しているそうだ。
筋肉をみせたいのではなく、日本文化をまもり、
うけついでいくのが村雨さんのねがいだという。

村雨さんはとてもじょうずな日本語をはなされる。
はじめは、日本人どうしの会話だとばかりおもっていた。
これだけの日本語を身につけるのは、
そして きびしい庭師の修行をつづけるのは、
たいへんな努力が必要だったろうに、
村雨さんはさらりとたのしそうにはなす。
日本のなにがそんなに
村雨さんのこころをとらえたのだろう。

とはいえ、すこしまじめすぎないか。
「バカボンのパパにあこがれて庭師に」
くらいをいってほしかった。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月09日

ネコのプリンは左ききです

すこしまえの「デイリーポータルZ」にのった、
「自分だけ あるある」がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/kekka-jibun-dake-aruaru
「美容室でシャンプーされると腰が痒くなる」、「指を挟んだとき、頭の中でGLAYのhoweverが流れる」など、どれもまったく共感できない素晴らしいものばかり。

すこしは「あるかも」とおもえる「あるある」もあるし、
「しらんがな!」とつきはなすしかないのもある。

エアコンの温度は偶数じゃないと落ち着かない(AOKIさん)

飲み物をコップや水筒に注ぐとき、秒数をカウントする(さくれさん)

食べすぎると左肩が痛くなるので、食べ放題に行くと肩を押さえて帰ります。(白いパンさん) 

それぞれが、きわめて個人的な「あるある」をうちにひめている。
自分だけの現象だろうと、ふつう遠慮してくちにださないけど、
こうやって「自分だけ あるある」を募集されると
ほとんど共感できない 個人のクセみたいな例があつまった。
わたしについていえば、漢字で「積極的」とかくときに、
「極」か「局」かがいつもわからなくなり、辞書をひく。
「歯医者さん」も、歯医者に「さん」をつけるのは、
なんだかおかしいような気がするので辞書でたしかめる。
なんで歯科医だけ「歯医者さん」とよぶのだろう。
もうひとつは、朝日新聞の「街のB級言葉図鑑」で
さいきんおしえられたマツガイで、
「完売」を、ずっと「完販」とかいてきた。

このまえおもいついた究極の「しらんがな」は、
「うちのネコは左ききです」だ。
ネコの左ききが、めずらしいかどうかしらないけど、
だからどうした、というはなしでしかない。

posted by カルピス at 21:08 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月08日

元気でかえってきてよかった!

職場からのかえり道、わたしのまえを
小学校5、6年生にみえる女の子があるいていた。
その子は、庭木に水をやっていた近所のおじさんに
「こんにちは」と自分から挨拶をした。
おじさんは、すぐに「おかえり」とかえす。
いい子だなーとおもって感心していたら、
そのちょっとあとで、女の子が、
自分の家についたときのやりとりがきこえてきた。
どこかへいこうとしていたお父さんと、
玄関でばったりであったようで、
「あーびっくりした」というお父さんの声がする。
そのあと
「おかえり!」
「元気でかえってきてよかった!」
と、お父さんははじけるようなあかるい声で
むすめが無事にかえってきたことをよろこんでいた。

「ただいま」というあいさつにたいし、
「おかえり」くらいはだれでもいうだろう。
でも「元気でかえってきてよかった!」はすごい。
そんなふうに、よろこびをくちにできるお父さんがすてきだ。
ひきこもりのむすめが、数ヶ月ぶりに学校へいけた、
あるいは、むすめが1週間ほどの旅行からかえってきた、
とう状況ならわかるけど、
おそらくまいにちくりかえされている
学校へのいき・かえりにともなう 一場面にすぎない。
それを、「元気でかえってきてよかった!」
と 手ばなしでよろこべるなんてすばらしい。
かえってきただけでもうれしいけど、
そのうえ「元気」なのだから、もういうことはない、
というお父さんのよろこびが 自然とことばにあらわれている。
親にとっての最高のしあわせは、よくかんがえてみると、
げんきに子どもがかえってくることかもしれない。
「元気でかえってきてよかった!」
といわれた女の子は どんなにうれしいだろう。
きっとすてきな子にそだつ、いや、
もういい子にそだっているのだろう。
そんな家族だからこそうまれた
「元気でかえってきてよかった!」のやりとりだ。
きいているだけで胸がいっぱいになる、あたたかな会話だった。

posted by カルピス at 21:08 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月07日

わたし流しあわせの方程式

あくまでもわたしの場合でしかないけど、
夏のおわりごろになって、
ようやく しあわせの方程式がととのいつつある。
プロ野球で、よく「なんとかの方程式」
とかいって、かちパターンにもっていく、アレだ。

まず、仕事がおわるとすぐに家にもどり、
でむかえてくれたココにブラシをかける。
いつもでむかえてくれるとはかぎらないので、
ココが家にいることが、まずもっての条件だ。
つぎに、夕ごはんをつくっている配偶者と、
ひえたビールで「とりあえず」の乾杯をする。
それだと、まるでまいにちみたいだけど、
2/3の日は、わたしが夕ごはんをつくるので、
こうした日は基本的に1/3しかおとずれない。

夕ごはんを7時からたべはじめる。
そのときにみるのは、録画しておいた
「ヒロシの迷宮グルメ」だったり、
「Jリーグタイム」だったり、
「クールジャパン」のことがおおい。
ニュースやバラエティはみない。
「迷宮グルメ」のオープニングの音楽がはじまると、
しあわせな1日に おおきくちかづいた気がしてくる。
番組の内容をたのしむというよりも、
しあわせの方程式をなりたたせるために、
この番組をあきもせずにみているようなものだ。

お風呂では、半身浴で30分ほど本をよむ。
はやくつづきがしりたくなるような おもしろ本があると、
冗談みたいにたくさんでてくる汗と、
本をよむたのしさをいっしょに味わえる。

さいごに、ねるまえのお酒がかかせない。
夏のあつい時期は、ひやした白ワインと、
さらにキンキンにひやしたジン・トニックにとどめをさす。
本をよみながらの白ワインで すこしよいがまわってきて、
ジン・トニックにうつるころは、
よっぱらった頭をたのしむ状況にはいっている。
もうややこしい本はうけつけないので、
かるい本か、すきな本のよみかえしとなる。
ちかくにネコたちがいるとなおよい。

村上春樹さんがいうところの「小確幸」は、
それひとつがあればしあわせな「なにか」だけど、
わたしがここでいう「しあわせの方程式」は、
ひとつではだめで、いちれんのながれによって成立する。
ここであげたぜんぶが かかせないわけではないけど、
ココへのブラシ→ビールで乾杯→夕ごはんをみながら録画番組
→半身浴での読書→ねるまえのお酒(できればネコたちと)
がそろえば鉄板だ。もう、死んでもいい、とおもうくらい。

あまりにも小市民的な「しあわせ」で、
ふかみのない生き方の典型みたいだけど、
それでなにがわるいとひらきなおっている。
きょうもだいたい いいいちにちだった。

posted by カルピス at 18:47 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月06日

『フットボールクラブ哲学図鑑』(西部謙司)

『フットボールクラブ哲学図鑑』
(西部謙司・株式会社カンゼン)

税別1900円は、けしてやすくないけど、
西部さんの本なので興味をひかれる。
めくっていると、
 アスレティックだけでなく、マルセイユやリーズもフットボールへの情熱がとぐろを巻いているような街だ。クラブへのありあまる愛情を注ぎながら、何ら見返りを得られず、それでも無償の愛を捧げる人々がいる街。

という文章をみかける。
「フットボールへの情熱がとぐろを巻いているような街」。
なんてすてきな文章だろう。
西部さんの本をよむよろこびは、
こうした文章にあちこちでふれられるところにある。
こんな表現をみかけたら、もうかうしかない。

この本は、世界の強豪クラブについて、
それぞれの哲学という視点からまとめてある。
強豪クラブを、まずは7つに分類してみせ、
そのあとひとつひとつのクラブについて分析していく。
「図鑑」というほど図はおおくないけど、
「いったものがち」なにおいをかんじる。
サッカーは、ただしさよりも、結果がおもんじられる競技だ。

・常勝クラブ
・”ザ哲学”クラブ
・港町クラブ
・ライバルクラブ
・成金クラブ
・小さな街の大きなクラブ
・名将クラブ
 1人の選手、1人の監督、1人のオーナーがクラブの歴史を変え、そこからクラブの性格が定まるという場合が意外と多いようです。一方で、そのクラブのある地域、文化、宗教に影響を受けていることもあります。それぞれのクラブには歴史があり、香りがあるのです。

西部さんの本は、単純によみものとしてもおもしろい。
これまでなんどもかいてきたけど、膨大なサッカー世界が、
西部さんの頭のなかでよく整理されているからだろう。
そしてなによりも、文章がこなれていて、
西部さんならではのことばづかいがさえている。
こういう本についてかくときは、
感想よりも、いい文章の引用におわりがちだ。
(レアル・マドリーは)次々とスター選手を獲得していきます。ポジションや役割の重複もお構いなし、その時の旬な選手をどんどん補強しました。戦術やバランスはほとんど考えていないので、補強というよりコレクションです。しかし結果的に5連覇を達成した。理屈からすると間違っているようでも結果が出ていました。(中略)よくわからないけれども、これで勝てるということはわかったわけです。

「よくわからないけれども、
 これで勝てるということはわかったわけです。」
ずいぶんとぼけたいいまわしで、
そんないいかげんさがまかりとおるのが、
サッカー業界の不思議だ。

才能あふれるメッシに依存せざるをえないバルセロナは、
バルセロナらしくパスをつなぎ、メッシがとどめをさすうちに、
育成からたたきこむクラブのスタイルが しだいにこわれていく。
 メッシは歴代スターのようなエゴの衝突ではなく、あまりにも存在感が大きくなりすぎたためにバルサが培ってきた哲学が侵食され、危機に直面しているという、どうしようもない種類の問題なのだ。
 勝つためにはメッシシステムを作ってしまうのが合理的だ。しかし、そうするとどんどんバルサスタイルから離れてしまう。

ジダンは除外するには大きすぎる才能で、同時に好きにやらせるほか使いようのないタイプだった。

チャヴィ、イニエスタ、リオネル・メッシは決して網に捕獲されない小魚のようだった。

7つに分類したからといって、
それでなにがどうなるわけではない。
でも、これまでにない視点からの分類は、
まったくあたらしいきりくちであり、
よみものとして じゅうぶんたのしめた。
クラブの歴史について、こまかくふれてあるので、
どんななりたちなのかを理解するにもたすけとなる。
趣味と実用をかねた一冊としておすすめしたい。
とはいえ、このような本に興味をひかれるのは、
かなりマニアックで、ニッチなひとかもしれない。
わざわざそんなタイプのひとにむけ、
あえて本書にとりくんだ西部さんは、
サッカーをとりまく世界がおもしろくてたまらないのだろう。

posted by カルピス at 22:19 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

うちのまわりにあらわれるノラネコはなにをかんがえていrのか

先週からうちのまわりにノラネコがあらわれるようになり、
家をまもるココ(2歳・オス)は
おちつかない日々をすごしている。
ノラネコの姿がみえると ココはそとにでておいまわす。
威嚇の声をあげ、にらみあい、じっさいにケンカもして、
足から血をだしてかえってきたこともある。
ノラネコはキジトラで、しっぽがみじかめだ。
右目が白くにごっていて、もうみえないのでは。
このネコは、3ヶ月くらいまえに、
いちどうちにきている。まだ子ネコだった。
玄関さきにだしてあったもえるゴミの袋をやぶり、
たべものをさがしていた。
わたしがあらわれると、すぐににげだしたので、
かくれた家のちかくにカンヅメをおいてみたけど、たべてない。
このときも、右目はすでに白くなっていた。

あれから3ヶ月、どうやって生きぬいてきたのだろう。
そんなにやせてないし、ネコごはんをあたえてもなべないので、
どこかのおうちでごはんをもらっているのかもしれない。
きょうあらわれたキジトラは、
庭から部屋のなかをじっとうかがっている。
ココはうなり声をあげておこっているけど、
キジトラは不思議そうにココをみるだけだ。
のっそりとガラス戸にちかづいてきて、
興奮するココとむかいあう場面もあった。
声をあげるのはココだけで、キジトラはおちついている。
わたしの存在をこわがらず、ちかよってもにげない。

ネコ第一主義のわたしとしては、ココがいやがるからといって、
キジトラをおいはらいたくはない。
でも、ネコごはんをあげてもたべなかった。
いったいなにをかんがえているのだろう。
部屋にあげてほしいのだろうか、
わたしになでてほしいのだろうか。
ココはなかよくするつもりがないようなので、
とてもいっしょにすごすわけにはいかないけど、
ごはんぐらいはたべていってくれてもいいのに。

その場その場のうごきを、ネコはかんがえたりしない。
自分がなにをすればいいのか よくわかっている。
ネコの野性にしたがい、ココとキジトラはうごいている。
ココは、1ヶ月まえにきた子ネコ(プリン)を
すぐにうけいれてくれたけど、
おとなになっているキジトラとはなかよくできない。
キジトラは、部屋のなかをうかがい なにをもとめているのだろう。
なぜココを挑発するように、ちかづいてくるのだろう。
シンプルなわたしの人生とちがい、
ネコの世界はずっと謎につつまれている。

posted by カルピス at 16:18 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月04日

「幼稚園でさえ、この采配」伊藤理佐さんのコラムがさえてる

いつもながら伊藤理佐さんのコラムはうまい
(朝日新聞:「オトナになった女子たちへ」)。
こんかいは、保育園のチョー(まとめ役)をきめるはなし。
伊藤さんのしりあいがかよう幼稚園は、推薦でもアミダでもなく、
「園長のご指名」でチョーがきまるのだという。
ことしは
「いちばん若〜い、しかもやさしそーーーなママがご指名をうけて。しかも2人目がおなかに」(中略)
「んで、数人で、ダイジョウブデスカ?って、園長に話に行ったの」
そうしたら、園長先生がこう言ったのだそうだ。
「しかりした人がなると、みんなが意見を言いづらい。やさしい年上の人がなっても気を遣う。若くて妊娠中だと、みんなお手伝いをしてくれる、助けあう、協力する。だから、年少はこれでいいのです」
と。ハハーッ、となった、と。年中さん、年長さんは、違う理由で、ぜんぜん別タイプの人がご指名をうけたのだそうだ。(中略)
 近所の幼稚園でさえこの采配。近所の幼稚園さえ、ですよ。国は・・・・・

うまいのはここでかたられているところの園長先生なのだけど、
はなしのエッセンスのとりだし方が伊藤さんはたくみだ。
ほんとに、幼稚園でさえ、この采配なのに、国は・・・。

ヤフーのポータルサイトに、
ヒロシさんへのインタビューがのっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd02ebc0b505a0acec611bdafcf5bc8a8b6747b9
ヒロシさんの月収は最高で4000万円のときもあり、
はじめはよろこんでいたけど、そのうち
お金の価値がわからなくなった、とヒロシさんはかたっている。
お金への執着をなくすにはどうすればいいかをたずねられると、
ヒロシさんは、ユーチューブをつよくすすめている。
ヒロシさん: たとえニッチでも好きなことだったら、苦にならないし楽しいですよ。それに、 絶対コアなファンがいるはずです。 僕は「アルバイトするくらいだったら、毎日YouTubeを更新しなさい」って言います。 アルバイトは時間の切り売りでしかないけど、YouTubeはその先に広がる可能性がたくさんあるんだから! これが僕の実体験から答えられる、“お金への執着から抜け出す方法”です!

いちど有名人になったヒロシさんでさえ、
毎週の視聴者が3人、という時期もあったそうで、
だれもみてないからこそ、それでいいのであり、
配信の反応を気にする必要はない、という。

わたしのこのブログは、きょうでまる9年つづいている。
反応を気にせずにかいていたら、
ほとんど反応がないまま9年がすぎた。
10年連続をめざしているけど、10年つづけたところで
なにかがかわるわけではなさそうだ。
それでも、たのしい9年だった。
表記法は自分のこのみでとおせるし、
なにをかくかも自由にえらべる。
「好きなことだったら、苦にならないし楽しい」とわたしもおもう。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月03日

岡田メソッドによるFC今治の進化がたのしみ

元日本代表監督の岡田武史さんによる
「岡田メソッド」がなにかと話題をよんでいる。
本にのっているコピーによると
「自立する選手、自立する組織をつくる16歳までのサッカー指導体系」
なのだそうだ。

新聞の記事でも岡田メソッドが紹介されていた。
「16歳」というのは、スペインのサッカーがモデルになっている。
FCバルセロナの指導者とはなしたとき、
日本にはプレーモデルがないのに おどろかれたという。
「スペインにはプレーモデルというものがある。その型を選手が16歳になるまでに身につけさせる。その後は、選手の自由にさせる。日本には型がないのか?」

日本は伝統的に和を尊び、同調圧力が働く。コーチに従順な上意下達も根強い。だからこそ、早く原則を習得させ、その後の創造性、主体的な判断を促す。日本人にこそ必要な指導理論という確信に至った。

(19年10月の)U-17ワールドカップ(W杯)の映像を見せてもらったんだよ。その中に、準決勝のブラジル対フランスがあったんだけど、フランスが地元のブラジルを圧倒して前半15分で2-0とリードした。ブラジルはなんとかハーフタイムを迎えるんだけど、そこで控えの選手も混じって選手全員がグラウンドの中でウワーッと言い合いを始めたんだ。そこには監督もコーチもいないよ。選手だけ。そうしたら後半に入って逆転しちゃった。
 これなんだよ。日本の場合、淡々としていて、どこか冷めていて、「何を修正してくれるんだろう」という感じでロッカールームに戻っていく。

せんじつよんだ『平畠啓史 Jリーグ56クラブ巡礼2020』では、
岡田さんがオーナーをつとめるFC今治もとりあげられている。
2014年、オーナーになった岡田武史氏は、2025年にはJ1で常時優勝争いをするチームとなり、ACLで優勝を目指すと目標を掲げた。

FC今治には、2019年から元日本代表の駒野友一選手がくわわっている。
駒野さんというと、オシムさんが代表監督をしていたときに、
サイドバックとして よく出場していた。
はげしく上下動をくりかえす姿が印象にのこっている。
はでさはないけど、一生懸命なプレーぶりがわたしはすきだった。
あの駒野さんがFC今治にいて、J3への昇格に貢献したとは。

いまJ3のFC今治が、2025年を目標に
J1で優勝をあらそうチームになるには、
J3・J2を、1、2年ずつでかけぬけるのだろう。
監督からの指示まちではなく、自分たちでかんがえ、
判断できるチームがあらわれるのをたのしみにまちたい。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

妄想旅行

新型コロナウイルスがおちつかないため、
このごろはなんでもリモートや妄想で
「いったつもり」「やったつもり」がはやっている。
海外旅行も状況はきびしく、タイくらいなら、
すぐにいけるかとおもっていたのに、
どうもそれほどかんたんではなさそうだ。
しばらく海外旅行にはいけそうもないので、
おもいきって、ながめの旅行を妄想してみたい。

わたしがちかい将来にいこうとしているのは、
サンチャゴ=デ=コンポステーラへの巡礼の旅だ。
フランスのル=ピュイからのコースをえらぶと、
フランスを900キロ、スペインを900キロあるいて
目的地のコンポステーラにたどりつく(らしい)。
いちにちに20キロあるいても、3ヶ月かかる。

あるくのにてきしているのは4月から6月だろう。
妄想旅行なので、うんとよくばって計画してみよう。
せっかくフランスへいくのだから、
そのまえにモロッコとチュニジアへいかない手はない。
フランスのまえに、2カ国を1ヶ月でまわるとして、
3月に旅行をスタートさせる。
3月のモロッコなら、もうそんなにさむくはないはずだ。

予算はいちにち3000円でいけるのではないか。
4ヶ月は120日なので、36万円が最小限準備するお金となる。
ギリギリではたのしめないので、余裕をもたせ、
50万円あれば こころぼそいおもいをせずにまわれるだろう。
このうえに、飛行機代と保険代で、さらに20万円が必要だ。
リュックは30リットルのおおきさにとどめよう。
寝袋とMacBook Air、それにキンドルはかかせない。
10キロはとても背おえないので、
その意味からも30リットルがわたしにはてきしている。
巡礼宿でのワインがいまからたのしみだ。

せっかくだから、かえりはタイでからだをやすめたい。
7月のタイは雨期にはいっているけど、
巡礼のごほうびとして、「やすむ」イメージがたいせつだ。
もちろん目的はタイマッサージで、
北部のすずしい町に滞在し、マッサージざんまいの日々をすごす。
何年かまえにいった、ラオスのシーパンドンもよかったけど、
そこまでよくばると、いくら「妄想」とはいえ
リアリティがとぼしくなる。
タイからさきは、またつぎの旅行としよう。
問題は、2匹のネコたちだ。
家5ヶ月もるすにするのはなかなかむつかしい。
妄想力をたかめ、不可能をクリアーしていきたい。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月01日

はでなドラマなしでしあわせをえがく「夜廻り猫」

いつもチェックしている深谷かほるさんの「夜廻り猫」。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco
今回は、ラミーの様子を遠藤さんがみにいくはなしだ。
ラミーは、お姉ちゃんとお父さんが散歩にでかけてるすのとき、
お母さんが料理しているところにつきそうのだという。
お母さんは時々話しながらお料理する
ラミーは黙っている
安心で 楽しいから

そういうラミーのはなしを、
遠藤さんと重朗が「そうか そうか」ときいている。
ただそれだけ。

ストーリーはない。
でも、日常の一コマをじょうずにきりとっているので、
ラミーの幸福感にこちらまでうれしくなる。
なぜラミーがたのしくかんじるかの、こまかな説明はない。
よむ側が想像をふくらませ、
ラミーのしあわせに共感できるかどうか。

前回のはなしもまた、とくに「ものがたり」はなかった。
わかものが2匹の犬の散歩であるいている。
1匹の犬は、あつさにばててへたりこんでしまった。
でも、自分に関心をしめしてくれるひとがとおりがかると
「大好きです!大好きです!」
と げんきになってじゃれつく。
そのひとがいなくなると、またあつさでバテバテにもどり、
地面に四肢をなげだして へたれこむ。
かいぬしのわかい男性が、
「てめーら・・・ざけんなよ」
とおこりながらも、犬をだっこしてあるきだす。
つれの犬も、だかれた犬も、
「わーい わーい」
とよろこんでいる。
ほんとに、「ただそれだけ」だ。

「夜廻り猫」は、起承転結のはなしもあるけど、
このように ささやかなしあわせをあつかう回もおおい。
日常生活をおくるうえで、イベントやサプライズはとくに必要なく、
しあわせとかんじるのは、自分のこころのもちかただ。
毎日あたりまえにすごしている日常のなかにこそ、
しあわせの種があるのをおしえてくれる。
すべては気もちのもち方、なんていうと、
精神論的でいやなのだけど、
「夜廻り猫」は、「〜でなければいけない」
という、おしつけがましいところがない。

わたしが仕事の送迎でおとずれる家の玄関に
しあわせは
いつもじぶんのこころが
きめる

とかいたお習字がはってあった。家族の方にたずねると、
利用者の方が、じぶんでかいた「書」だといわれる。
いいことばだなー、とおもってメモしていたら、
こんかいとりあげた「夜廻り猫」のはなしは、
まさしく「しあわせは いつも じぶんのこころが きめる」
そのものだとおもった。

50代も後半となり、初老ともいえるわたしは、
こうしたささやかなしあわせが、
このごろとくに胸にしみるようになった。
仕事にあつくもえるでもなく、最善をつくしながらも
淡々と8時半から5時半までの仕事をおえ、
おつかれさまをつたえて家にもどる。
玄関にでむかえてくれたココにブラシをあて、
きょういちにちのすごし方をたずねる。
自分ひとりで完結するのではなく、
だれかがいてみたされる感覚が、しあわせだとかんじる。
夕ごはんをたべながら、録画しておいた
「迷宮グルメ」や「Jリーグタイム」をみて、
ポツリポツリとおしゃべりをする。
ささやかなこうした時間が、いまのわたしには
かけがえのないしあわせとなっている。
なにかをなしとげたわけではないけど、
こころおだやかにすごせる毎日がありがたい。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする