2020年09月24日

映画『イエスタデイ』ビートルズの曲がない世界は、こんなにも退屈

『イエスタデイ』(ダニー=ボイル:監督・2019年・イギリス)

ネタバレあり。

ジャックはうれないシンガーソングライターで、
ちいさな会場でうたいながら、ヒットをねらってきた。
でも、いつまでたっても彼のうたは評価されない。
自分の才能のなさに みきりをつけたジャックは、
もう歌手をやめると友だちや家族に宣言する。
そんなときに、世界じゅうが12秒のあいだ停電し、
ジャックはバスとの事故にまきこまれる。
世界がふたたびあかりをとりもどすと、
ジョンのまわりで いくつかの存在がすっぽりぬけていた。
コカ=コーラ、ハリー=ポッター、シガレットのない世界。
そしてビートルズも。
ひとびとの記憶からきえた、というよりも、
ビートルズのいないパラレルワールドにジョンは はいりこんだ。

ジョンがビートルズの曲をうたうと、
それまではしょぼいシンガソングライターだったのに、
すぐにきくもののこころをとらえる。
ビートルズの曲なのだから、人気がでてあたりまえで、
ジョンはあっという間に世界的な歌手になっていく。

ある日、黄色の潜水艦のおもちゃにメッセージをたくし、
ふたりの男女がジャックにあいたいとたずねてきた。
このふたりは、ジャックとおなじように、
ビートルズがいた世界をしっていた。
ふたりは、ジャックを告発するためにたずねてきたのではない。
ビートルズの存在をとりもどしてくれたと感謝しにきたのだ。
ビートルズがいない世界、彼らの曲をきけない世界は、
どんなに退屈かをえがいたのがこの作品だ。
ビートルズの曲なしで わたしたちの生活はなりたつだろうか。
もちろん、ごはんをたべて、仕事をして、家にかえってねるぶんには、
ビートルズの曲はさほど必要ない。
でも、さみしいとき、うれしいとき、かなしいとき、
なにかにつけ、あたりまえにきこえてくるのがビートルズの曲だ。
「Let It Be」・「In My Life」・「Help!」。
わたしはさほど熱心なファンではないけれど、
それでもビートルズの曲がない世界は退屈、というのはよくわかる。

うまかったのが、エド=シーラン。
ジャックの歌をいちばんはやく評価して、世界へとつなげた。
ジャックのつきびととなるロッキーも いい味をだしている。
調子がよくて、いいかげんで、スケベそうな下品な目つき。
でも、悪質な腹ぐろさはなく、
はなしがややこしくなるのを おもしろがっているだけだ。
主人公のジャックも、いかにもさえないわかものぶりがリアルだ。
あのままうたいつづけても、ヒット曲はうまれそうにないのがわかる。
ビートルズの曲をうたって人気がでても、
ファッションや髪型はもとのままだ。
ラストでは、自分がうたってきたのは
ビートルズというグループの曲であることをステージであかし、
すべての権利をなげだして、愛するエリーへ告白する。
ビートルズがいない世界では、有名にならなかった
ジョン=レノンがころされず生きている。
愛するもののために生きるよう、
ジョン=レノンはジャックにアドバイスしてくれた。
そのおしえにそって、ジャックはエリーとの
ささやかで平凡な人生をえらんだ。
あたたかなものに こころがみたされていく作品だ。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする