2020年11月10日

『三四郎』にでてきたサンドイッチ

NHKラジオで夏目漱石の『三四郎』を
まいにち15分ずつ朗読しており、
このまえの放送は サンドイッチをたべる場面だった。
「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」
二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃(バスケット)が据えてある。蓋(ふた)が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。

三四郎がかかれた時代1908年(明治41年)に、
サンドイッチをあたりまえにたべていたとは。
サンドイッチのすこしまえでは、
「ライスカレー」をたべたはなしもでている。
いまとかわらないくらしではないか。
三四郎たちがたべたサンドイッチは、
どんな材料がつかってあったのだろう。
広田先生の学識のひろさ・ふかさは、
わたしなどとてもついていけないので、
関心をひかれるのは、どうしてもたべものの場面となる。
バター・マヨネーズ・ハム・チーズが、
あの時代の日本で手にはいったのだろうか。
そもそも、サンドイッチには食パンがいる。
フランスやスペインのサンドイッチは、
バケットをひらいてなかにハムやチーズを
つめこめばいいのでかんたんそうだけど、
イギリス式のサンドイッチを正式につくるのは、
もうすこしハードルがたかくなる。
美禰子さんはそれだけの教養をすでに身につけていた。

『おもひでぽろぽろ』では、
お父さんがもちかえったパイナップルを、
家族全員でありがたくいただく場面がある。
たのしみにしていたパイナップルは、
でもたいしておいしくなかった。
あの回想場面は1966年ということで、敗戦から20年もたつのに、
ひとびとはパイナップルをたべるのに まだなれていない。
三四郎の時代から60年ちかくたつのに、
ひとびとの食生活はかえって後退してようにみえる。
三四郎のまわりは、当時として特別な階級にぞくしており、
だれもがあたりまえにサンドイッチをたべていた、
というわけではないのだろう。

村上春樹さんの短編『納屋を焼く』にもサンドイッチがでてくる。
 我々は家の中に入って、テーブルの上に食料品を広げた。なかなか立派な品揃えだった。質の良い白ワインとロースト・ビーフ・サンドウィッチとサラダとスモーク・サーモンとブルーベリー・アイスクリーム、量もたっぷりある。ロースト・ビーフのサンドウィッチにはちゃんとクレソンも入っていた。カラシも本物だった。料理を皿に移しかえてワインの栓を抜くと、ちょっとしたパーティーみたいになった。

この作品がかかれたのは1983年で、いまより37年もまえなのに、
わたしの食生活よりはるかにゆたかだ。
「ちょっとしたパーティー」みたいなサンドイッチとつけあわせは、
いまのわたしにとって最高にぜいたくな食事にうつる。
「質のよい白ワイン」も、クレソンのはいった
ロースト・ビーフ・サンドウィッチも、
わたしの食生活からはるかとおくに位置する。
『三四郎』よりも質素になっている『おもひでぽろぽろ』の食事と、
『納屋を焼く』といまのわたしは、にたような関係にある。
時代がどうこうよりも、そうしたスタイルを
身につけているかどうかのちがいなのだろう。

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2020年11月09日

『スウィート・ノベンバー』つっこみどころは シャーリーズ=セロンの魅力で なかったことに

『スウィート・ノベンバー』
(パット=オコナー:監督・2001年・アメリカ)

広告会社につとめるネルソン(キアヌ=リーブス)は、
目のまえの仕事に没頭し、生活をたのしむ気もちのゆとりがない。
運転免許を更新するためにおとずれた試験場で、
ぐうぜんサラ(シャーリーズ=セロン)とであい、
彼女に自分の孤独なくらしをみぬかれる。

あなたのちからになるから、1ヶ月だけ恋人になろう、
とサラがネルソンにもちかけてきた。
あなたとは、11月だけの関係だと。
ただし、そのあいだは自分といっしょにくらし、
仕事をしてはいけない、という条件つきだった。
はじめは、なにかもくろみがあって
自分にちかづいてきたのかとネルソンはおもっていたけど、
のびのびとたのしそうに生きるサラをみているうちに、
だんだん彼女の魅力にひかれていった。
ふたりとも、はじめての恋におち、
なんとかハッピーエンドにおわらないかと、
わたしはいのるようにラストをみつめる。

自由奔放に生きるサラがたのしくて、
とちゅうにながれるエンヤの曲もうつくしく、
いいかんじで作品にひたる。
あとからふたりの会話をおもいだしながら、
ゆっくり散歩をしたくなる映画だった。
なんてしっとりした気分になって、
あとからウィキペディアをのぞいてみると、
なんと、この作品は第22回ゴールデンラズベリー賞の
最低主演男優賞・最低主演女優賞・最低リメイク賞に
ノミネートされていたのだった
(受賞ではなく、ノミネートだけらしい)。
そういわれると、あれだけいい印象をもってたくせに、
けっこうつこみどころのおおい作品だった気がしてきた。

・ふたりのであいに無理がある。
 運転免許の試験場で、エリートのネルソンが
 ひとにこたえをおしえて、というわけがない。
・ありえない偶然
 まえの月の恋人は、サラのアパートの隣人だった。
 そして、彼は広告業界のひとで、その会社は、
 ネルソンがつとめていた会社と、ライバル関係にあった。
・サラの性格に矛盾
 自由をうばうからと、携帯電話や時計をきらうサラなのに、
 ネルソンから食器洗機をおくられると すんなりよろこぶ。
・サラはじつは難病にくるしんでいると、
 ストーリーが唐突に展開する。

映画にリアリティーをもとめるわたしなのに、
まるでリアリティーのない典型のような作品だ。
でも、だからといって、つまらなかったわけではない。
つっこみどころのマイナスをさしひいても、
サラをえんじたシャーリーズ=セロンの魅力はおおきい。
とちゅうでながれるエンヤの「Only Time」もぴったりだった。
もっとも、エンヤの曲は、どんな作品につかわれても、
しっとりしたムードをつくってくれる万能薬だ。
ゴールデンラズベリー賞のノミネートだって
気にすることはない。
サラが恋人との関係を、1ヶ月にかぎるのは
彼女ならきっとそうするだろう、と
シャーリーズ=セロンはおもわせてくれた。
こんな調子のいいストーリーでも、
さいごまでひっぱってくれたのだから、
ふうがわりな女性が自由に生きる作品に
わたしはよわいみたいだ。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月08日

なにも演奏しない ジョン=ケージの「4分33秒」におどろく

西村朗さんの「現代の音楽」(NHK-FM)をきいていたら、
アメリカの作曲家、ジョン=ケージについてはなしていた。
いろいろ革新的な曲をつくったひとなのだという。
鈴木大拙さんの講義をコロンビア大学できき、
禅のかんがえ方にふかい感銘をうけたらしい。
人間がああだこうだかんがえて曲をつくるのではなく、
作曲や演奏の過程に偶然性をいれこみ、
どんな曲になるか、つくるひとも、演奏するひとも、
きくひとも、まったくわからない曲を
「偶然の音楽」としてつくった。
そのなかでも有名なのが「4分33秒」という曲で、
第1楽章も、第2楽章も、第3楽章も、
すべて楽譜は「TACET(休み)」となっているそうだ。
「TACET(タセット)」とは、音楽用語で「比較的長い間の休み」を意味しますが、それが3楽章全ての楽器の譜面に書き込まれおり、楽譜が意味するところは“休み”だけと言う事になります。
 しかし、「“休み”だけ」と言っても、聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り、演奏者はしっかりとステージに出て演奏姿勢へと移ります。
 ところが、楽譜に書かれているのは“休み”のみですので、結局、「4分33秒」の間、全く演奏する事無く曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対して一礼し、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送ります。
ー薮田翔一氏のサイトよりー
https://shoichi-yabuta.jp/beginners/contemporary/john-cage-433.html

楽譜には「休み」とあるだけ。
指揮者と演奏者がいるのに、なにも演奏しないなんて。
ユーチューブで、じっさいの「演奏」をみた。
大オーケストラが舞台にあがってきて、
はじめに女性のバイオリン奏者がかるく音あわせをした。
それだけ。
あとは、指揮者のうごきがすこしあるけど、
演奏はおこなわれない。楽譜になにもないのだからそれが正解だ。
そのまま なんの演奏もなく4分33秒がすぎ、
指揮者が女性バイオリニストと握手をかわすと、
聴衆から拍手がおくられる。
オーケストラ全員がたちあがり、客席にむかって礼をした。
ものすごく不思議な「演奏」だ。
「4分33秒」は、楽譜もCDも販売されているというからすごい。
クラシック音楽への強烈なアンチテーゼなのだろう。

人間の知恵などに、たいして価値をおかず、
完璧をめざさず、不完全でも不自然でもいいじゃないか、
みたいなかんがえ方にわたしはひかれやすい。
モーツァルトやベートーヴェンとはまったくちがう方向性だけど、
ジョン=ケージもまた天才というべきだろう。
ジョン=ケージの曲は、一般的にいう音楽からおおきくはなれている。
世のなかに、こんな作曲家がいたなんて、おどろくしかない。

posted by カルピス at 20:55 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月07日

土曜日の午後は、ひるねのあとをたのしむ

1時間ほどひるねをする。
ひるねはみじかい時間できりあげないと、
すっきりおきれなくなるそうで、
15分から、ながくても30分がすすめられている。
そもそも1時間もひるねをできる職場などないから、
平日は、どうしても15分ていどできりあげることになる。
わたしの場合、やすみの日のひるねがだいすきなので、
目ざまし時計をかけず1時間くらいねてしまう。
たしかにながい時間のひるねは目ざめがわるく、
しばらくボーッとしたまま意識がはっきりするのをまつ。

わたがはじめて仕事をしたのは、
地元にできたスイミングスクールで、
そこの主任コーチがひるねの信奉者だった。
ひとりでねるのではなく、若手の男性コーチをさそい
プールでつかうマットのうえに、なんにんかでねそべる。
午後からの仕事まで、15分しかなく、
そんなみじかいひるねなんて めんどくさくおもわれたけど、
いざやってみると、効果はてきめんだった。
おこされたときは、べつの世界にほうりこまれたみたいに
頭とからだが混乱している。
こりゃとても仕事なんかできない、とおもうけど、
しばらくすると意識がもどり、こんどはすっきりする。
それまでひるねなんて、子どもと老人がするものだと
バカにしてたけど、たった15分の劇的な効果におどろいた。

土曜日のひるねは、そのあとだらだらすごす時間とセットだ。
午前のうちにジョギングをすませているので、
午後はまるごとなにもしなくていい「予定」になっている。
ベッドのなかで本をよんだりラジオをきいたり。
土曜日の午後をたのしみに、一週間すごしてるようなものかも。
きょうは、子ネコのプリンが「昼寝後」につきあってくれた。
そういえば、ネコにはひるねという意識があるのだろうか。
ひとといっしょにくらしているネコは、
夜行性ではなく、夜になるとねる。
ネコにとって、どのねむりが本格的な睡眠で、
どれがひるねなのか謎だ。

posted by カルピス at 16:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月06日

正義をまもる組織にもいろいろある『キングスマン:ゴールデン・サークル』

『キングスマン:ゴールデン・サークル』をとちゅうまでみた。
「キングスマン」はどの国にもぞくさない諜報機関で、
国の予算はつかないけど、膨大な資産をかかえており、
組織をなりたたせるしくみや、車や武器の装備には
いくらでもお金をつぎこんでいる。
イギリスに、もうひとつ国があるようなもので、
国の機関であるMI6よりも、はるかにお金をつかえる秘密組織だ。

『キングスマン』の次作としてつくられたのが、
『キングスマン:ゴールデン・サークル』で、
あまりにも荒唐無稽がすぎて、リアリティーはうすれてしまった。
この作品には、アメリカ版の「キングスマン」みたいな
「ステイツマン」という組織がでてくる。
こちらもお金もちなのは「キングスマン」とおなじで、
事件がおきてなくても 日ごろから犯罪防止のために
ゴテゴテとお金をかけながら、地道な活動をつづけている。

『キングスマン』とはべつに、
『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』をみた。
うっかり続編のほうをさきにみてしまったわけだけど、
本質的なストーリーは、1作めの『キック・アス』とおなじようだ。
バットマンなどの、ヒーローものにあこがれたわかものが、
自分たちで自警団をつくって町をまもろうとする。
こちらは、「キングスマン」とちがってお金がない。
装備も、手づくりのマスクやコスチュームであり、
気のきいた武器はもってないし、かうお金もなさそうだ。
おおざっぱにいえば、バッドマンを
ぐっとショボくしたのが「キック・アス」で、
もっとゴージャスにしたのが「キングスマン」となる。
バッドマンのブルース家だってすごい金もちとはいえ、
「キングスマン」の資金力は、もうひとけたうえをゆく。

わたしがすきな「鷹の爪団」も悪の秘密結社であり、
世界征服をねらっているけど、あまりにも貧乏な組織なので、
いっしょに活動したら、いろいろつらいことがありそうだ。
「キック・アス」のこころざしはすばらしいけど、
わたしは格闘技などできないし、もう年をとりすぎた。
なにかでおやくにたてるとしたら「キングスマン」となる。
2作目となり、いちじるしくリアリティーがとぼしくなっているので、
かえってわたしがでる幕もありそうな気がする。
こんな組織が日本にもあれば、わたしをやとってくれないか、
なんてことをぼんやりおもいながら、
どんどんけたたましくなっていく画面をながめた。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月05日

「性スペクトラム」というとらえ方におどろく

『キリン解剖記』をかいた郡司芽久さんが、
朝日新聞に「キリン解体新書」という連載コラムをもっていた。
前回の記事は「解剖の苦労は、性差にはない」という内容だった。
郡司さんがキリンの解剖を専門にしているのをしると、
「女性がキリンの解剖なんて大変ですね」
とよくいわれるそうだ。
キリンは体重が1トンをこえるので、
たとえ筋骨隆々の男性であっても、もちあげたりはできない。
それなりのやり方があり、それを熟知している郡司さんなので
「あまりに巨大な動物の場合、
 解剖の大変さに性差を感じることはありませんよ」
とこたえるらしい。
「女性なのに大変ですね」には、「男ならこれくらいできるでしょう」が対になっているような気がする。

ひとりの科学者としてみるまえに、
女性であることをことさら意識するひとがいると、
郡司さんはイラッとされるのではないか。

すこしまえにみたテレビ番組で
「性スペクトラム」のはなしがでていた。
「オトコ」と「オンナ」の2つと思われてきた性が、実はグラデーションのようになっていて、2つに分けられないことがわかってきた。

典型的な男性と、典型的な女性のあいだに、
おおくの中間層がつらなっており、きわめて多様な男女がいる。
自閉症も、こうした特徴があればかならず自閉症、
というはっきりしたわけかたはできず、
一連の連続体(スペクトラム)としてとらえられている。
発達障害の特性をすこしはもちながら、
あまりこまらずに社会生活をおくっているひともいれば、
いろんな障害特性から、こだわりがきわめてつよいひともいる。
くっきりと自閉症の特徴がでるひともいれば、
ぼんやりした特徴しかみられないひともいるけど、
いずれも自閉症としての連続体のなかにいちづけられる。
そうしたスペクトラムとしてのとらえ方が、
性差においてもされている、というのにおどろいた。

番組では、グーグルの履歴書には、性別をかきいれる欄がない、
というはなしもでていた。
グーグルがもとめる人材に、男も女もないからだ。
グーグルでなくても、仕事において 性差にこだわる意味はなく、
履歴書の性別欄は、本来あってはならないものだろう。
職安に求人をだそうとすると、
年齢や性別を求人の条件にいれないようもとめられるのに、
履歴書にはあたりまえのように性別をかきいれているのもおかしい。
これからは、ますます性差が意味をもたなくなってゆきそうなのに、
おおくの男たちは、まず性差に目をむけてしまう。
性差とはなにか。
性差をあたりまえにとらえていたけど、
性差はない、というのがあたりまえになりそうだ。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月04日

午後からの休暇が気にいっている

有休をつかって午後からやすむ。
きのう睡眠時間をふやしたい、という記事をかいたけど、
ひとつの方法として、こまめに有休をとるのもいい。
半日やすむだけで、生活にずいぶん余裕がでてくる。
とくに用事がなくても、有休をぜんぶつかいきるために
こきざみにやすみをとる。
まるいちにちやすむよりも、半日ずつにすると、
休日気分をたくさん味わえる(気がする)。

家にかえってゆっくり昼ごはんをたべ、ひるね。
午後からやすむ日のよろこびは、ひるねからはじまる。
1時間でおきだし、ブックオフへむかった。
ブックオフは市内に3ヶ所あり、そのうち
5キロはなれた店に車でむかう。
100円コーナーの文庫1冊しか収穫がなかった
(『向田理髪店』奥田英朗)。

つづいてワークマンへ。
なんねんか服をかわなかったら、
さすがにきるものがなくなってきた。
スポーツ用品店のデポへもいったけど、
おしゃれすぎ、たかすぎて、わたしの趣味にあわない。
ユニクロものぞいたけど、ひとがおおすぎて、ゆっくりえらべない。
それに、品数は豊富だけど、おなじ服をきているひととよくであう。
こまっていたら、夏のズボンをかったワークマンをおもいついた。
ワークマンなら、作業服なので やすいし丈夫だ。
このごろは、作業服といってもそこそこカジュアルで、
なによりも機能的なのがいい。
インナーとしてきるフリースのシャツ3枚とカーゴパンツ、
それに自転車用の手袋をえらんだ。
シャツは980円と1900円のもの。カーゴパンツは2900円だ。
どれもあたたかく、冬のさむさがたのしみになった。
冬ごもりの準備に余念のないリスの気分だ。

さいごはジョギングでしめくくる。
宍道湖にしずむおおきな夕日にであえた。
湖岸の公園は、たくさんのひとが夕日を見物にあつまっている。
そのなかをはしるのは、たとえヘロヘロなはしりでも気もちがいい。
半日やすんだだけで、いつもはできないことを4つこなせて満足する。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月03日

もっと睡眠時間をふやすには

ほぼ日の「今日のダーリン」に、睡眠時間のはなしがでていた。
糸井さんは、6時間しかねてないのだそうだ。
もっとねむりたいのに、ねる時間を確保できない、という。
もっとねたほうがいいとわかっていながら
どうしてもねるのが午前4時半くらいになってしまうらしい。
糸井さんのしりあいに、9時間睡眠のひとがいて、
すごく調子がよさそうなので、糸井さんは、
「9時間眠る生き方」を誕生日プレゼントにしようかな、
とか、また思いはじめているのであります。

そのあとに、
「9時間はともかく、8時間にしたら、人生変わりそうだなぁ。」
とつづく。
ほんとに。9時間はむりでも、8時間ねたい。

やすみの日にはめざまし時計をかけないでねむるので、
朝の8時までねていられるけど、夜ベッドにはいる時間が
それだけおそくなっているのだから、
睡眠時間としては7時間ていどだ。
9時間睡眠なんて むりだときめつけてきたけど、
からだがもとめているのなら、その欲求にしたがったほうが、
もっとすんなり生きられるかもしれない。
肩のいたみなどの不調も、もっとねむりさえすれば
あんがいすっとなおるのではないか。
認知症をふせぐには、たっぷりねるのが大切、ともきいたことがある。

ひとつの方法として、ひるねがある。
仕事にでかける日はむりでも、やすみの日に
1時間ていどひるねをすると、とてもらくだ。
ひるねがからだにいいのはわかっているし、
それによって夜ねむれなくはならないので、
いちばんとりいれやすい睡眠時間だろう。
ただ、職場によっては みじかいひるねができるらしいけど、
わたしがつとめる介護事業所ではまずひるねはできない。
仕事からはなれるまでひるねが無理となれば、
夜の睡眠時間をなんとかするのが現実的な対応となる。
糸井さんは、なんとかしなければ、とおもいつつ、
挑戦すらできず、なんどもやぶれさってきたという。
いうはやすく、おこなうのがこれだけむつかしい問題はない。

こんなときにはデイリーポータルZだ。
「睡眠」で検索すると、
「眠いときは寝るに限る!〜眠りに関する記事まとめ」
がひっかかった。
小堺丸子さんの「遅寝早起き7日間チャレンジ」が
参考になったような気がする。
https://dailyportalz.jp/kiji/120220153671
ただ、この記事は、夜ふかししても「朝は余裕をもって起きたい」
に挑戦する内容なので、睡眠時間の確保と 直接はむすびつかない。
まとめサイトのタイトルにある「眠いときは寝るに限る」。
けっきょくは、これしかないのかも。

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2020年11月02日

ほぼ日手帳でなくなる年

ほぼ日手帳を注文した。
今回の注文で、10年つづけてほぼ日手帳をつかうこととなる。
ずっとカズンばかりをつかってきたので、
来年のも、まよわずカズン(A5サイズ)にする。
なかなか配達されないので、おかしいなーとおもっていたら、
ゆうパックからメールがとどいた。
お届け予定としていたゆうパックについて、ご依頼主様からのお申込みによりお届けキャンセルとなりましたのでお知らせします。

不在通知票に気づかずにいたら、
きめられている期限がすぎてしまい、
ほぼ日のほうへ、おくりかえされたようだ。
郵便局に電話をすると、もうほぼ日への移動とちゅうにあり、
郵便局ではうけとれないらしい。

ほぼ日は、ただでさえ送料がたかいのだから、
もういちどおくってもらったら、
その分もうわのせされるのだろうか。
一瞬あせったけど、よくかんがえてみれば、
わたしのつかい方なら、ほかの手帳でも
たいしてこまらないのではないか。
予定をたてるためには ほとんどつかっておらず、
その日のうごきを記録するばかりの利用にすぎない。
そのため、手帳である必要はたいしてなく、
365ページのノートでじゅうぶん用をはたす。
カレンダーがすこしあれば便利だろうから、
ノートよりも手帳がいいのだろうけど、
いずれにしても、高機能の手帳である必要はない。

アマゾンをみたら、ほぼ日手帳もあつかっていた。
プライムなら送料がかからないので、ほぼ日で注文するよりやすい。
それでもカズンは3850円するのだから、
ほぼ日手帳をうまくつかえてないわたしには
もったいないかいものだったかもしれない。
ほかの手帳をためしてみるのもいい体験だろう。

いいものはやすい、という信念がわたしにはある。
「いい薬はやすい」となにかにかいてあり、それをよんで以来、
すっかりそのかんがえ方にそまってしまった。
たかい薬をありがたがってつかうのではなく、
たかい薬はよくないのだ、ときめてかかる。
じっさい、すぐれたはたらきをする薬はやすく、
たかい薬には、あやしいものがおおいようだ。
薬だけでなく、いいものはすべてやすいと、わたしはしんじている。
ほぼ日であつかう商品は、手帳にかぎらずどれもたかい。
それだけデザインも品質もいいのだろうけど、
わたしにはすぎた商品だとわりきろう。
これまで9年連続でほぼ日手帳にお世話になってきたけど、
おもわぬかたちでとぎれそうだ。
おわかれは、いつもこんなふうに突然おとずれる。
気もちをきりかえて、来年は、あたらしい手帳をたのしみたい。

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2020年11月01日

5ドルのシェイクにこだわる『パルプ・フィクション』

すぐれた文学作品は、
忍耐心のない読者を排除するかのように、
作品のとちゅうにわざとたいくつな場面がいれてある、
というのをどこかでよんだ。
あるレベルにたっしているひとたちだけが
その本をたのしめるようにつくられている、という説だ。

『パルプ・フィクション』で、ミアとビンセントが
食事をする場面をみていたら、そんなはなしをおもいだした。
レストラン主催のツイストコンテストに
ミアとビンセントが参加する場面はすごく有名だけど、
そのまえにかわされる、沈黙もふくめた、
どうってことのない会話もまたいかしている。
ミアがシェイクえらぶと、5ドルはたかすぎる、といって、
ビンセントが値段にひどくこだわる場面だ。

数ドルのちがいなど、なんでもない仕事をしてるくせに、
ビンセントは、へんなところが妙に常識的だ。
映画のストーリーとあまり関係ない、こうした場面を
タランティーノ監督はじょうずにえがく。
もういちどみてみると、ボスの妻であるミアをさしおいて、
ビンセントは自分がさきに料理を注文している。
ミアのエスコートをボスにたのまれたのだから、
もうすこし気をつかってもよさそうなのに。
だらだらと どうでもよさそうな会話は、
映画の筋とはたいして関係なく、うごきもない。
5ドルのシェイクにギャングがおどろくのは、
ひとによっては退屈な場面かもしれないけど、
こういうなにげない はなしのやりとりが、
『パルプ・フィクション』における魅力のひとつだ。
ほかの作品であんなふうに値段にこだわったとしても、
きっとそのおもしろさはいかせない。
ありそうでないのが、5ドルのシェイクにおどろく会話だ。

ミアがいぜんテレビにでたときのジョークが
食事ちゅうに話題となった。
その席ではどんなジョークだったかをいわないで、
なんだかんだといろんなことがあり、
ヘトヘトになってようやく家にかえったときに、
ミアがビンセントをよびとめてジョークを披露する。
ビンセントは、つかれていてわらえないかも、と
ひとことことわる。
ほんとうにショボいジョークだったので、
テレビでいわされたミアが気のどくになってくる。
人生のトホホがつまった、最高におしゃれな場面だ。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする