まいにち15分ずつ朗読しており、
このまえの放送は サンドイッチをたべる場面だった。
「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」
二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃(バスケット)が据えてある。蓋(ふた)が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。
三四郎がかかれた時代1908年(明治41年)に、
サンドイッチをあたりまえにたべていたとは。
サンドイッチのすこしまえでは、
「ライスカレー」をたべたはなしもでている。
いまとかわらないくらしではないか。
三四郎たちがたべたサンドイッチは、
どんな材料がつかってあったのだろう。
広田先生の学識のひろさ・ふかさは、
わたしなどとてもついていけないので、
関心をひかれるのは、どうしてもたべものの場面となる。
バター・マヨネーズ・ハム・チーズが、
あの時代の日本で手にはいったのだろうか。
そもそも、サンドイッチには食パンがいる。
フランスやスペインのサンドイッチは、
バケットをひらいてなかにハムやチーズを
つめこめばいいのでかんたんそうだけど、
イギリス式のサンドイッチを正式につくるのは、
もうすこしハードルがたかくなる。
美禰子さんはそれだけの教養をすでに身につけていた。
『おもひでぽろぽろ』では、
お父さんがもちかえったパイナップルを、
家族全員でありがたくいただく場面がある。
たのしみにしていたパイナップルは、
でもたいしておいしくなかった。
あの回想場面は1966年ということで、敗戦から20年もたつのに、
ひとびとはパイナップルをたべるのに まだなれていない。
三四郎の時代から60年ちかくたつのに、
ひとびとの食生活はかえって後退してようにみえる。
三四郎のまわりは、当時として特別な階級にぞくしており、
だれもがあたりまえにサンドイッチをたべていた、
というわけではないのだろう。
村上春樹さんの短編『納屋を焼く』にもサンドイッチがでてくる。
我々は家の中に入って、テーブルの上に食料品を広げた。なかなか立派な品揃えだった。質の良い白ワインとロースト・ビーフ・サンドウィッチとサラダとスモーク・サーモンとブルーベリー・アイスクリーム、量もたっぷりある。ロースト・ビーフのサンドウィッチにはちゃんとクレソンも入っていた。カラシも本物だった。料理を皿に移しかえてワインの栓を抜くと、ちょっとしたパーティーみたいになった。
この作品がかかれたのは1983年で、いまより37年もまえなのに、
わたしの食生活よりはるかにゆたかだ。
「ちょっとしたパーティー」みたいなサンドイッチとつけあわせは、
いまのわたしにとって最高にぜいたくな食事にうつる。
「質のよい白ワイン」も、クレソンのはいった
ロースト・ビーフ・サンドウィッチも、
わたしの食生活からはるかとおくに位置する。
『三四郎』よりも質素になっている『おもひでぽろぽろ』の食事と、
『納屋を焼く』といまのわたしは、にたような関係にある。
時代がどうこうよりも、そうしたスタイルを
身につけているかどうかのちがいなのだろう。