すぐれた文学作品は、
忍耐心のない読者を排除するかのように、
作品のとちゅうにわざとたいくつな場面がいれてある、
というのをどこかでよんだ。
あるレベルにたっしているひとたちだけが
その本をたのしめるようにつくられている、という説だ。
『パルプ・フィクション』で、ミアとビンセントが
食事をする場面をみていたら、そんなはなしをおもいだした。
レストラン主催のツイストコンテストに
ミアとビンセントが参加する場面はすごく有名だけど、
そのまえにかわされる、沈黙もふくめた、
どうってことのない会話もまたいかしている。
ミアがシェイクえらぶと、5ドルはたかすぎる、といって、
ビンセントが値段にひどくこだわる場面だ。
数ドルのちがいなど、なんでもない仕事をしてるくせに、
ビンセントは、へんなところが妙に常識的だ。
映画のストーリーとあまり関係ない、こうした場面を
タランティーノ監督はじょうずにえがく。
もういちどみてみると、ボスの妻であるミアをさしおいて、
ビンセントは自分がさきに料理を注文している。
ミアのエスコートをボスにたのまれたのだから、
もうすこし気をつかってもよさそうなのに。
だらだらと どうでもよさそうな会話は、
映画の筋とはたいして関係なく、うごきもない。
5ドルのシェイクにギャングがおどろくのは、
ひとによっては退屈な場面かもしれないけど、
こういうなにげない はなしのやりとりが、
『パルプ・フィクション』における魅力のひとつだ。
ほかの作品であんなふうに値段にこだわったとしても、
きっとそのおもしろさはいかせない。
ありそうでないのが、5ドルのシェイクにおどろく会話だ。
ミアがいぜんテレビにでたときのジョークが
食事ちゅうに話題となった。
その席ではどんなジョークだったかをいわないで、
なんだかんだといろんなことがあり、
ヘトヘトになってようやく家にかえったときに、
ミアがビンセントをよびとめてジョークを披露する。
ビンセントは、つかれていてわらえないかも、と
ひとことことわる。
ほんとうにショボいジョークだったので、
テレビでいわされたミアが気のどくになってくる。
人生のトホホがつまった、最高におしゃれな場面だ。