朝日新聞に「キリン解体新書」という連載コラムをもっていた。
前回の記事は「解剖の苦労は、性差にはない」という内容だった。
郡司さんがキリンの解剖を専門にしているのをしると、
「女性がキリンの解剖なんて大変ですね」
とよくいわれるそうだ。
キリンは体重が1トンをこえるので、
たとえ筋骨隆々の男性であっても、もちあげたりはできない。
それなりのやり方があり、それを熟知している郡司さんなので
「あまりに巨大な動物の場合、
解剖の大変さに性差を感じることはありませんよ」
とこたえるらしい。
「女性なのに大変ですね」には、「男ならこれくらいできるでしょう」が対になっているような気がする。
ひとりの科学者としてみるまえに、
女性であることをことさら意識するひとがいると、
郡司さんはイラッとされるのではないか。
すこしまえにみたテレビ番組で
「性スペクトラム」のはなしがでていた。
「オトコ」と「オンナ」の2つと思われてきた性が、実はグラデーションのようになっていて、2つに分けられないことがわかってきた。
典型的な男性と、典型的な女性のあいだに、
おおくの中間層がつらなっており、きわめて多様な男女がいる。
自閉症も、こうした特徴があればかならず自閉症、
というはっきりしたわけかたはできず、
一連の連続体(スペクトラム)としてとらえられている。
発達障害の特性をすこしはもちながら、
あまりこまらずに社会生活をおくっているひともいれば、
いろんな障害特性から、こだわりがきわめてつよいひともいる。
くっきりと自閉症の特徴がでるひともいれば、
ぼんやりした特徴しかみられないひともいるけど、
いずれも自閉症としての連続体のなかにいちづけられる。
そうしたスペクトラムとしてのとらえ方が、
性差においてもされている、というのにおどろいた。
番組では、グーグルの履歴書には、性別をかきいれる欄がない、
というはなしもでていた。
グーグルがもとめる人材に、男も女もないからだ。
グーグルでなくても、仕事において 性差にこだわる意味はなく、
履歴書の性別欄は、本来あってはならないものだろう。
職安に求人をだそうとすると、
年齢や性別を求人の条件にいれないようもとめられるのに、
履歴書にはあたりまえのように性別をかきいれているのもおかしい。
これからは、ますます性差が意味をもたなくなってゆきそうなのに、
おおくの男たちは、まず性差に目をむけてしまう。
性差とはなにか。
性差をあたりまえにとらえていたけど、
性差はない、というのがあたりまえになりそうだ。