2020年11月12日

『パリ行ったことないの』(山内マリコ)

『パリ行ったことないの』(山内マリコ・集英社文庫)

連作短編集。
第1部は、パリへいきたい9人の女性について、
ひとりに1話ずつ、それぞれの事情がかたられる。
たとえば第1話のあゆこは35歳で、
これまでパリどころか外国へいったことがない。
友だちとはなしていても、
「行ってみたいとは思ってるけど行けないの、猫いるし」
といいわけして別の話題へうつる。
高校生のときよんでいた『フィガロ』で
映画『ディディーヌ』についてかかれた記事をよみ、
主人公のディディーヌは、人生に消極的な女性。夢も意思もあるけれど、それを隠し、流されて生きている。

まるで自分のことをいわれているようで気になった。
『ディディーヌ』は日本で上映されなかったので、
当時のあゆこにこの作品をみる機会はなかった。
それから18年たち、あゆこはあいかわらず
なにがやりたいかもわからずに、フラフラ生きている。
わたしはずっと小さな女の子みたいに、いつもただ漠然と憧れるばかりで、自分の足で一歩を踏み出し、近づこうとしたことがなかったんだな。あゆこはそんな自分の性格を改めて見つめた。そしてそんな自分が、突然、猛烈に、嫌で嫌でたまらなくなった。
 三十五歳にもなって、まだ十代みたいなことを言っている自分。五年後は四十歳なのに。そのうち死ぬのに。
 わたし、パリにすら行かずに、死んでもいいと思ってたの?

第1部は、そんなかんじで、9人の女性についてかたられる。
みんなそれぞれいろんな理由からパリへいきたい。
10話には、ふたたびあゆこが登場する。
このときのあゆこは、すでにいちどパリへいっていた。
でも、おもったような旅行にならなかったあゆこは、
こんどはパリでくらそうとかんがえている。
以前は、旅行にいかないのをネコのせいにしていたけど、
そのネコを友だちにあずけ、あゆこはパリへふたたび旅だつ。
ネコのことを心配する友だちに、
「大丈夫、猫ってどんな目に遭っても”これが人生さ”(セ・ラ・ヴィ)って、けろっと流しちゃうから」

とあっけらかんという(たしかにネコって、そういうところがある)。

というかんじで第1部がすすめば、
第2部は、その9人がパリへいってからのはなしになるだろう。
9人がどうからみあうのか、たのしみにしていたら、 ツアーだった。
ツアーという手があったか。 まあ、そうだろうな。
このツアーを企画したのが、
パリの旅行会社ではたらくようになったあゆこだ。
8月のパリは、おおくのひとがバカンスをとり、
お店はやすみでかいものもできない。
そこであゆこは、南仏のプロバンス地方へでかけ、
フランス人のバカンスのように ただのんびりすごすツアーを企画する。
ツアーに応募してきたのは、みんな第1部でかたられたひとたちなので、
読者からすると同窓会みたいだ。
人生に生きづまりをかんじているひとがおおいせいか、
この旅行はそれぞれが特別なイベントに位置づけている。
4日間をのんびりすごすあいだに、おたがいがなかよくなり、
参加者たちはいい「旅」に満足する。

『パリ行ったことないの』だから、
パリにこだわるのかとおもってたけど、
プロバンスでのバカンスはとてもたのしそうだ。
なによりも、企画したあゆこにとって、特別なツアーとなった。
「いい旅だったなぁ」と、帰りの飛行機の中で杉浦さんが言った。
「はい、とっても」
わたしは謙遜なんかせず、はっきりと言い切った。
これは、とても素敵な旅だったと。
誰の人生にとっても、特別な時間だったと。

 外国に住むなんて聞こえがいいし、パリに住んでいるというだけでなんとなく格好がついているけれど、でもだからって、すべてが解決したわけじゃない。日本でうまくやれなかったから、出口を求めて、ここへ来ただけの話だ。(中略)
〈でも、ここまでたどり着いたなんて、よくやったじゃない。
わたしにしたら上出来よ。がんばった方だわ。
自分のことをちょっとは褒めてあげてもいいんじゃない?
その気になったらニューヨークだって行けるし、
日本に帰ってももちろん大丈夫。
都会でも田舎でも、どこでだって、きっとわたしはやっていける〉

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする