デジタルリマスター版による『未来少年コナン』がおわった。
日曜日の深夜0時10分からの放送だったので、
子どもたちがみるにはおそすぎる時間だ。
いまの子どもたちが もしコナンをみたら、
どんな反応をしめすだろうか。
できれば夕方の時間帯に放送してほしかった。
とはいえ、いまのテレビには録画機能がある。
お父さんかお母さんのどちらかでも、
『未来少年コナン』のすばらしさをしっていたら、
録画して子どもたちといっしょにたのしめる。
なんとか子どもたちがコナンにせっする機会をつくれないものか。
わたしは、むすこが保育園にかよっていたころ、
もっていたコナンのビデオテープをみせた。
すばらしいくいつきで、むすこがすきなシーンを、
なんどもなんどもくりかえし再現させられたものだ。
たとえばコナンがジムシーのいる島にながれつき、
ふたりがちからくらべをする場面。
コナンがたおれたふりをして、
ジムシーをおびきよせるところからはじまり、
ジムシーが「ひゃくきゅうじゅうきゅうまん・・・」と、
しとめたトカゲのかずを、
めちゃくちゃな数字でかぞえるところをふくめ、
えんえんとむすことふたりでの
コナンとジムシーごっこをやらされた。
むすこがわたしのことを「おとう」というのは
もちろんコナンの影響だし、
おじいちゃんのことは、とうぜんながら「おじい」とよぶ。
逆だ。おじいとよぶから、父親は「おとう」になるのだ。
あれからすでに20年がすぎたけど、いまの子どもたちだって、
きっとコナンをおもしろがってくれるにちがいない。
25話の「インダストリアの最期」は、
BSカードが挿入されていません、という
よくあるトラブルで、録画されていなかった。
あわててツタヤでDVDをかり、26話までをみおえた。
いまさらながら、文句なしにおもしろかった。
42年まえの作品なのに、ぜんぜんふるくない。
最終話である26話では、ハイハーバーからのこされ島へ、
あたらしい村をつくるためにひとびとが旅だつ。
ようやく陸がみえ、島についたとおもったけど、
のこされ島にしてはおおきすぎる。
山のてっぺんに、なにか塔のようなものがみえ、
やがてそれはコナンがすんでいたロケット小屋だとわかる。
さいごのセリフは、
「ロケット小屋があんなにたかく」(ラナ)
「かえってきた!かえってきたんだ!!」(コナン)
だった。
コナンがラナをたすけだすためにのこされ島をはなれ、
ものすごくいろんなことがあり、ようやくまた
のこされ島にかえってきた。
なんという壮大なものがたりだったことか。
わたしがはじめてコナンをみたのは高校3年生のときだった。
コナンの勇気。ラナへの絶対的なおもい。
ラナのつよい気もち。
すべてがわたしのこころをはげしくゆさぶった。
いまの子どもたちだって、いちどみる機会さえあれば、
きっとコナンのすばらしさをわかってくれる。
夕方の時間に再放送されたら 世界はかわる。