『ヘアスプレー』
(アダム=シャンクマン:監督・2007年・アメリカ)
冒頭からふとった女の子がうたっておどる。
こりゃついていけないかも、とおもった。
わたしが苦手なタイプの映画だ。
ミュージカルなのだから、
うたっておどるのはあたりまえとはいえ、
この女の子(トレイシー)はずっとこの調子なのか?
でもまあ、ラジオで紺野美沙子さんがすすめていたから、
もうすこしみてみよう、とようすをうかがっていたら、
そのうち女の子のお母さんがでてきた。
どこかでみたことのある顔。トラボルタだ。
そういえば、紺野美沙子さんがこの作品についてふれたとき、
トラボルタの女装のこともいっていた。
お母さんのでかい顔には、どことなく
トラボルタのおもかげがのこっている。
そして、お父さん役はクリストファー=ウォーケンだ。
これはみないわけにいかない。
ストーリーは単純で、歌とおどりに夢中な女子高校生が、
あこがれていたテレビ番組にでられるようになり、
これ以上ないくらい しあわせな顔でうたっておどる。
時代は1962年のアメリカはボルチモアで、
テーマは人種差別なのだけど、深刻ぶらずに
あかるい音楽とダンスでつっぱしる。
時代がかわっていくとはいえ、
そうすんなりと差別はなくならない。
エンディングでうたわれていたように、
「やっとここまできたけど 道のりはまだながい」。
でも、歌とダンスがあれば きっとうまくいく。
トレイシーがでるようになった番組には、
週にいちど、黒人音楽をながす日がある
(あとの日は、ぜんぶ白人音楽の日なわけだけど)。
この日の司会をつとめる女性シンガー(メイベル)を
クイーンーラティファがえんじており、
迫力のあるうた声と存在感にしびれた。
ラストでは、お約束のように
トラボルタがダンスを披露したあと、
メイベルが舞台にあがってさいごをしめくくる。
ふとっていたって、でかくたって、ぜんぜん問題ない。
ご機嫌な音楽でつっぱしりつづけ、
元気がでることまちがいなしの作品だ。