星野智幸さんの「家事としての肉野菜炒め」に
100%共感してよんだ。
グルメな男が、気の向いたときに、自分の好きな料理を凝ったレシピでハイレベルに仕上げてふるまう、(中略)は、趣味としての料理であって、家事とは異なる。
星野さんは、肉野菜いためにいたる必然を、
以下のような状況に整理している。
・週の半分の料理を担当している。
・次第に定番のメニューができて、普段はそれを回すことになる。
・私とつれあいとで得意なレパートリーも異なるので、
飽きることはない。
・とはいえ、連日となると、やはり面倒に感じる日もある。
・そんなときは、肉野菜炒めの出番だ。
・オンラインのレシピだと、ほんの一手間かけるだけで
美味しく作れる、とあったりするが、
その一手間をかける気力もないから、肉野菜炒めに頼るのだ。
まったくそのとおりで、キャベツとなにかの肉があれば、
それだけでりっぱな、というかそれなりの一品となる。
もやしをいれると量がふえるし、
ピーマンやニンジンがあればいろどりもきれいだ。
アジアの国ぐにを旅行していて、屋台料理をみていると、
そのおおくは肉野菜いためともいえる。
肉と野菜をいためたものが、いちばんてっとりばやい料理なのだ。
星野さんは、家事としての料理を下記のようにまとめている。
ウィキペディアにのせたいくらい完璧な定義だ。
特売の安い食材を探し、栄養のバランスと調理のしやすさに配慮した献立をその場で考え、数日分の食材を予算内で買い、実際に手際よく料理し、ときに作り置きし、それでも余った素材を使い切るメニューをさらに工夫して作る、ということを、自分の気分にかかわらず繰り返す毎日。それが家事としての料理だ。
このなかの「数日分の食材を予算内で買い」、
がわたしはにがてで、どうしてもその日の分の材料しかかえない。
献立をきめずにスーパーへゆき、棚にならべてある食材をみて、
なにをつくるかかんがえる。でないと、献立がわいてこないから。
だから、食材をあまらせることはほとんどなく、
「素材を使い切る」ため、というよりは、
くるしまぎれのメニューとして肉野菜いためにたすけられている。
星野さんは、「私が見出したコツ」として、
最初にキノコを強火でしっかり炒める、をあげている。
わたしは、このごろ鶏ガラスープにたよるようになった。
さいごにナンプラーをかければ、タイ料理っぽい。