2020年12月31日

ネコ目線の10大ニュース

大晦日といえば10大ニュースだ。
くしくも、デイリーポータルZでは、
「猫と犬と魚がえらんだ記事をよもう」がのった。
デイリーポータルZが年間で公開する記事は約1000本。ぼうだいな記事からどれを読むかの選択はいつも人間がしている。そんなことでいいのか!? それは人間の驕りではないのか。今年最後のひくらいは猫と犬と魚が記事を選んだ記事を読もうじゃない。

わたしも、ネコたちに焦点をしぼったベスト10をあげてみる。

プリンが2匹目のネコとしてわがやにやってくる
 生後6週間の子ネコ(推定)が、あたらしい家族となった。
 わたしが仕事で野菜をあつめているとき、
 建築の機械かとおもうほどおおきな声をあげていた。
 おなかがすいて、さみしくて、半狂乱でないている。
 さいわい人なつこい性格で、すんなりわたしの家におちついた。
 仕事でプリンをつくりはじめていたこともあり、プリンと名づける。
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ココ(現在2歳半)がビニールのひもをのみこむ
 たべてもはくし、便はでにくいし、
 病院へいっても原因がわからず、どうなるかと心配した。
 やがて、便にまじって30センチのひもがでてきた。

ココが車の鍵をなくす(なくしかけた)
 玄関の下駄箱においてあった わたしの車の鍵がみあたらない。
 きっとココがあそんでどこかへもっていったのだ。
 靴のなかとか、下駄箱のしたをさがすけどみあたらない。
 しばらくスペアーキーでしのいでいたら、
 なんと配偶者のカサのなかからみつかった。
 配偶者が下駄箱にカサをひかっけていて、ココがそこに鍵をおとし、
 配偶者がカサを自分の車にもってはいる。
 まるで手品みたいな連携プレーで鍵がかくされ、
 雨がふるまでの10日間、鍵がそこにあるのに気づかなかった。

ココがニベアをかんで、たくさん穴をあける
 いっけんかわりなさそうだけど、チューブをしぼると、
 アシタカのうでからふきでるタタリガミみたいに
 ニョロニョロとニベアでてきてめちゃくちゃつかいにくい。
 ガムテープをはって応急処置をとる。

ココが湯たんぽを気にいり、とてもおもたい
 さむくなってからは、湯たんぽにたよる夜となる。
 これまでは、湯たんぽを無視していたココなのに、
 今シーズンは、絶妙なあたたかさに気づいたようで、
 毎晩わたしのベッドにやってきて、湯たんぽの上にのっかる。
 体重6キロのココにおされ、わたしは寝ぐるしさで目がさめる。

プリンが蛍光灯のヒモをじょうずにつかまえる
 台所の蛍光灯からヒモがでており、ゆれるヒモをあいてに
 プリンがじょうずにあそぶ、という ただそれだけ。
 右手を食器ケースにかける姿がとてもかわいい。
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10大ニュース、とおもったけど、6つあげただけでネタがつきた。
来年もよろしく、とネコたちにつたえる。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月30日

『自転しながら公転する』(山本文緒)しあわせをかんがえすぎると 結婚できない

『自転しながら公転する』(山本文緒・新潮社)

プロローグは、ベトナムでの結婚式からはじまる。
この地で生きていく覚悟がかたられており、
こうやってゴールをしめした以上、
主人公はベトナム人の男性と結婚するのだろう。
(以下、ネタバレあり)

本編は、アパレル業界ではたらく都が主人公だ。
たまたまであった貫一との恋愛がえがかれてゆく。
中卒で、回転寿司のチェーン店につとめる貫一は、
学歴はないけど、人間的に信頼できそうで、
でもいまひとつ気もちがつかめないところがある。
さきの生活にほとんど無頓着で、
自分とのつきあいを、どうかんがえているのか はっきりしない。
いっしょにくらすようになったら、結婚をかんがえるだろうか。
貫一に、子そだての経済力を期待できるだろうか。
貫一の態度に 都はなんどもきれて ケンカをくりかえしながら、
ようやくおたがいの気もちがつかめたところで 事件がおきる。

結婚って、いろいろ条件をかんがえだすと、
ふんぎりをつけにくいものだ。
もっといい条件のひとがいそうで、
このひとと結婚して、わたしはしあわせになれるだろうか。
結婚としあわせとは関係ないことが、
このものがたりの裏テーマともいえる。
にえきらない貫一にいらつく 都の気もちもよくわかるけど、
うきよじみた貫一のスタイルにも魅力があり、
わたしは貫一に気もちをよせながら よんでいた。

貫一のつとめるお店には、ベトナム人のニャン君が
アルバイトとしてはたらいている。
まだ10代の学生であるニャン君は、であって間がないときから
都がかわいいとストレートにほめ、
結婚しようと かんたんにくちにする。
プロローグで、ベトナム人男性との結婚式がえがかれていたから、
このニャン君と都が、最終的には結婚するのだろうとおもいこむ。
せっかく貫一とうまくよりがもどったのに、
ここからどうやってニャン君との結婚にすすむのだろう。

エピローグは、プロローグのつづきで、
結婚式の場面が具体的にえがかれている。
でも、なんだかおかしい。
よむうちに、「私」は都ではなく、
都のむすめだということがわかってくる。
本書は「小説新潮」での掲載をまとめたもので、
エピローグとプロローグはかきおろしだという。
そういわれると、エピローグとプロローグは
なくてもよめるし、ないほうがいいような気もする。
都が最終的に貫一とよりをもどした時点で、
ものがたりは大団円をむかえており、
それはそれで、まとまりのある結末だった。
でてくる人物が、それぞれ自分の気もちを率直にかたり、
なんだかんだと いろんなことがおきるけど、
ジタバタと、一生懸命やっているうちに、
さいごはいいところにおちつくのが気もちいい。
つぎの展開がしりたくて、どんどんページをめくる。
山本文緒さんのうまさがさえ、いつもながらたのしめた。

posted by カルピス at 17:08 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月29日

ことしのあるきおさめ

あるきの師匠をさそい、「あるきおさめ」に出発する。
きょうは気温14℃が予報されていて、
12月下旬としてはありがたい日になりそうだ。
年末・年始はものすごい寒波がくるそうなので、
きょうをのがすと、もうあるける日がない。

日中はあたたかくなるという予報でも、
朝は2℃と、この時期らしいさむさだ。
どんな服にしたらいいか まようところで、
下着にはモンベルのジオライン、そのうえにワークマンの化繊、
つぎにモンベルのフリース、アウターはうすでのパーカー。
手袋とマフラーもつけた。
結果からいえば、時速5キロのはやあるきをすると、
これではさすがにあつくなり、あるきながらだんだんぬいでいく。
陽がさすようになると、冬というより秋の気配で、
うすぎでもたのしくあるけた。

郊外の団地にさしかかったころ、おなじ職場のひとにであった。
マスクをがっちりしていても、どことなくわかるようで、
あれっ?、同僚では、とおもっていたら
むこうから「ウォーキングですか?」と声をかけられる。
マスクをしていると、だれかわからなくなりそうなのに、
そのひとならではの輪郭は、あんがいのこるようだ。
あまりであいたくないひとをみかけたときなど、
マスクをしてるから大丈夫、とみなかったことにするけど、
きっとむこうでもわかっているのだろう。
むすこがかよっていた保育園に 数年ぶりでいったとき、
サングラスと帽子をつけていながら、すぐわたしだとみぬかれた。
むすこが卒園してから ずいぶんたつのに、それでもわかるほど、
わたしの顔はみわけやすいのかとおどろいた。
伊藤理佐さんが朝日新聞のコラムで、
マスクをしても、うしろすがたでも、
しりあいから自分だとみわけられた、というはなしを
「わたしってどこがわたしなんだろうか」とうまいこといっている。
わたしも、わたしをわたしにしているのは、
顔やからだの どこらへんなのだろう。
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おひるごはんは、いつものように宍道湖岸でサンドイッチをつくる。
ちかくのスーパーでバケット・チーズ・ベーコンをかい、
コンビニでやすいワインをえらぶ。
1本のバケットに、チーズとベーコンをぎっしりつめこむので、
いつ つくっても、ゴージャスなサンドイッチだ。
このサンドイッチにかじりつきながら、
ワインを1本あけると、かなりよっぱらってきて、
そのさきのあるきは、そろりそろりのあしどりとなる。
休憩時間をふくめると、6時間の遠足となり、
20キロをめざしていた距離は 18キロにとどまった。
いろなことがあったような、なかったような、
きょうのあるきのおかげで、いい年としておわれそうだ。
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posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月28日

わたしの「今年の目標」は、野口みずきさんのブラジル体操

2018年9月30日、「デイリーポータルZ」に
「今年の目標を(今さら)決めよう!」という記事がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/180929204056
「今年の目標」をたてるのは、
ふつうだったら1月のはやいうちなのに、
それをぬけぬけと9月30日にきめる、というのがすてきだ。
あと3ヶ月しかない。
でも、あと3ヶ月しかないからこそ、
集中してとりくめるかもしれない。
もうひとつ この記事がすぐれていたのは、
達成できそうなひくい目標をたてる、というよびかけだ。
・去年残ったかき氷のいちごシロップを使い切る
・穴の空いた靴下は捨てる
くらいだったら、わたしでもできそうだし、
つぎこんだエネルギーにたいし、達成感がありそうだ。
ことしものこすところあと3日。
わたしも(いまさら)今年の目標をたててみたい。

このまえ「ランスマ 倶楽部」に野口みずきさんがゲスト出演していた。
野口さんといえば、アテネオリンピックの金メダリストであり、
わたしだって名前はしっていたけど、顔やはしりは記憶になかった。
スタジオではなしたり、市民ランナーとはしる野口さんは、
元トップレベルのランナーだったとはおもえない、
ものしずかな女性で好感がもてる。
ほかのエリートランナーみたいに、えらぶったところがなく、
なにも紹介されなければ、一般の市民ランナーにみえる。
番組のさいごのほうで、野口さんが現役時代にやっていたという
ブラジル体操をみせてくれた。
サッカー選手がウォーミングアップでやるような
股関節のうごきをよくする体操で、
野口さんがじっさいにやってみせると、
さすが、というしかない なめらかさで、すごさをみせつける。
ながねんやりつづけ、自分のからだにしみこんだうごきだ。

まえおきがながくなったけど、わたしの「今年の目標」は、
野口さんのブラジル体操ができるようになる、だ。
たった3日で、そっくりまねができるようになるとはおもえないけど、
ことしのうちに、そのいりぐちまではたどりつきたい。
おおまかなうごきを まねできるようになれば、
あとはしつこくくりかえし、からだにおぼえてもらう。
ブラジル体操をマスターしたからといって、
わたしのはしりがよくなるとはおもえないけど、
すくなくともかっこいいし、いかにもできるランナーにみえそうだ。
うごきのスムーズさは、わたしがにがてとしており、
いまさらながらだけど、リズム感のあるうごきを身につけたい。
ウォーミングアップをしてるようにみせて、
さりげなく、ええかっこをしたい。

「今年の目標」は、べつに1月にたてなくても、
というより、ギリギリになってたてたほうが、実行しやすいのでは。

posted by カルピス at 21:20 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月27日

習慣のつよみとこわさ。まいにちサイトをのぞかなくても 全然問題ない

すこしまえは、夕ごはんがおわるとパソコンをひろげ、
いくつかのサイトをのぞいてからブログにとりかかっていた。
その順番だと、パソコンにむかう時間が1時間半以上になり、
ねるのが12時をすぎてしまいがちだ。
ためしに、さきにブログをかいてからでないと、
ほかのサイトをのぞかないようにした。
そうすると、かかせないとおもっていたネットサーフィン、
たとえば「ほぼ日」や「デイリーポータルZ」を
まえはずいぶん たのしみにしていたのに、
べつにまいにちのぞかなくても平気なのがわかった。

ブログをアップするのがおそくなった日は、
ほかのサイトをひらかずに、そのままお風呂にはいり、
お酒と本の時間へ うつることがおおい。
すきなサイトは、やすみの日に、まとめてひらけばいいのだ。
まいにちのぞかなくても、全然問題ない。
まとめてひらくと、いいかげんにしかよまないせいで、
全体にかける時間もすくなてすむ。
旅行で10日分くらいたまった新聞をまとめてよむと、
すぐによみおえてしまうのといっしょだ。
じっくり目をとおさないので、
もったいないよみかたかもしれないけど、
よまなくても 平気な記事がおおいのに、
だらだらとページをめくっていただけなのかも。
無駄のなかにうるおいのある生活がある、
というみかたがわたしはすきだけど、
もともと やめても問題のない習慣だった、とはいえるだろう。
サイトのはなしにもどすと、
ネットサーフィンがたのしみ、というよりも、
ブログにむかうのがいやだから、さきおくりするために
ほかのサイトをひらいていただけだ。

こんなことをかくと、たいていのものはなくても大丈夫、
みたいな、つまらない教訓めいたはなしになってしまうけど、
つづけるうちに習慣となっただけで、
やめても平気なものがおおいのでは。
とりくむときのハードルのひくさは、習慣にしたつよみでもあり、
いったん習慣になると、つづけるのはあんがいかんたんだ。
このブログも、なんとなく のらりくらり つづけられるし、
お風呂のまえの「みんなで筋肉体操」も、
いまでは完全に習慣となり、ためらいなくとりくめる。
お酒や本など、どうしてもかかせないたのしみも、
あんがいおもいこみにすぎないかも。
たのしいから、つづけているのならいいけど、
時間の分配をかんがえるのなら、
やめても問題ない習慣が あんがいある。

posted by カルピス at 21:02 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月26日

『本の雑誌』を参考にリストをつくり、本屋さんへ

『おすすめ文庫王国』と『本の雑誌ベスト10』を参考に
よみたい本のリストをつくる。
今年をしめくくるイベントとして 本屋さんへでかけた。

『本の雑誌』でよくやる「3万円の図書券使い放題」みたいに、
おもいきって3万円分の本をかってみたいとおもいつつ、
まだいちども実行したことがない。
わたしのすむ町で いちばんおおきな本屋さんでさえ、
品ぞろえがじゅうぶんでないことと、
3万円という金額にためらってしまうからだ。
きょうのかいものでも、リストにのせた本を 手にとってみると、
あまり気にいらなかったり、店には在庫がなかったりで、
けっきょく本屋さんでかったのは3冊にとどまった。
3万円のかいものは、死ぬまでにはやってみたいけど、
死ぬまえにえらぶ本って、どんなラインナップになるのだろう。

『パラ・スター』(阿部暁子・集英社文庫)
『地下鉄道』(コルソン=ホワイトヘッド・ハヤカワepi文庫)
『いい感じの石ころを拾いに』(宮田珠己・中公文庫)

『パラ・スター』は、『おすすめ文庫王国』で1位の作品だ。
車いすテニス小説ということで、障害者介護の仕事につきながら、
パラスポーツにあまり関心がもてないわたしに、
いい刺激となることを期待している。
『地下鉄道』はおなじく『おすすめ文庫王国』で9位だった。
このごろミステリーをよんでないので、
冬やすみちゅうにたのしみたい。
『いい感じの石ころを拾いに』は、
『本の雑誌』にはのっていなかったけど、おもしろそうだったので。

3冊では、ぜんぜんおまつりっぽくないので、
家にかえってからアマゾンでも注文する。
『コックファイター』
 (チャールズ=ウィルフォード・扶桑社ミステリー)
『ブルックリン・フォリーズ』(ポール=オースター・新潮文庫)
『マナーはいらない 小説の書きかた講座』(三浦しをん・集英社)

『コックファイター』と『コックファイター』は、
「ベスト10」には はいってなかったけど、
わたしが信頼する杉江さんが 座談会で推薦していた。
三浦しをんの本は、新聞の書評欄で紹介されていた。
小説家になりたいからではなく、
よみものとしておもしろそうだったから。

posted by カルピス at 18:00 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月25日

ラジオ局には巨大なレコード部屋があるのか

地元のラジオ放送(AM)に、「音楽の風車」という番組があり、
ただリクエスト曲をながすだけというスタイルをつづけている。
1954年の開局いらいの放送というから もう66年になる長寿番組だ。
1曲おわるたびにコマーシャルがはいり、
午前11時から1時まえまでの2時間、
20ちかくのリクエスト曲がながれる。
はんぶんくらいのリクエストが演歌なので、
わたしはあまりすきではないけど、
ほかのメンバーには人気があり、おひるごろ車ではしるときは、
なんとなくこの番組をきくことがおおい。

すごくふるい曲から、最近の曲まで、
洋楽以外はなんでもリクエストされるので、
お客の要望にこたえるのはたいへんそうだ。
ふるいドラマの主題歌や、アニメの主題歌、
最新の歌謡曲まで、どうやってコレクションしているのだろう。
このまえふとおもったのだけど、
ラジオ局って、リクエストにこたえるために、
膨大なレコードやCDを保管する ひろい部屋があるにちがいない。
図書館だったら、いっぱんの棚にくわえ、閉架書庫なんかがあり、
あまりかりだされなくなった本は そこで保管されている。
では、音楽については、どんな管理体制なのだろう。
かんがえてみれば、「音楽の風車」にかぎらず、
リクエストにこたえるコーナーがある番組は
どれもおなじ問題をかかえている。
どの局にも、巨大なレコード部屋が完備されていたらたのしいけど、
あらゆる曲を、ぜんぶ用意するのは不可能だから、
デジタルデーターもつかっているのではないか。

映画『グッドモーニング、ベトナム』では、
ディスクジョッキーをうけもつ米軍の兵士が、
放送室の棚からレコードをえらび、番組でながしていた。
ロビン=ウィリアムスがはでにしゃべりまくり、
レコードを円盤なげして、プレーヤーにのせていく。
そのイメージがつよくのこったようで、
ラジオ番組というと、ディスクジョッキーが とっかえひっかえ
レコードをひっぱりだしてくるような気がしている。
いまの時代、どんなやりかたで、リクエストにこたえているのか。
しらべればすぐわかりそうだけど、
しりたいような、しりたくないような。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月24日

レコードのうりあげがCDをうわまわる

ラジオをきいていたら、欧米では
レコードのうりあげが、CDをうわまわった、といっていた。
アメリカは、サブスクリプションがほとんどで、
CDをみたことのない若者がふつうにいる、
というのをしばらくまえにきき、
時代がかわったことをかんじたものだ。
まさかCDがさらに需要をおとし、
レコードよりきかれなくなるとは。
40年まえにCDにおいぬかれたレコードが、
いつのまにか復活して、CDをおいぬく、
というのが教訓にみちている。
勝負がついたようでいて、ついてなかったのだ。

レコードをCDに録音できるプレーヤーが
新聞の広告にときどきのっている。
もっているレコードがだめになるまえに、
CDにしておきましょうという、
いまの価値観からいうと余計なお世話におもえる。
デジタルによわい中高年を対象としたサービスなのではないか。
ふるくからもっているレコードを、CDというデジタルデーターへ、
かたちをかえてきくのだから、欧米のながれとは真逆の方向だ。

とおもったら、アマゾンでレコードプレーヤーをみてみると、
レコードからUSBにデーターをうつせる機種が
ふつうにうられているので、よくわからない。
レコードできくのか、デジタルデーターにして
ブルートゥーススピーカーできくのか、どっちなんだ。
レコードをまわしながら、ちょくせつ
ブルートゥーススピーカーできくのもありなようで、
レコードのあたたかい音と、デジタルデーターのあつかいやすさを、
いいとこどりしていておもしろい。
CDほどクリアな音ではないのに、レコードの人気が復活するのは、
わかいひとたちにとって、デジタルにはないわずらわしさが
かえって新鮮なのだろうか。

CDがレコードをおいやったとき、
わたしはもっていたレコードをぜんぶすてた。
音楽を、レコードという形できくことは
もうないだろうとおもったのに、まさかまたレコードが復活するとは。
いまわたしがもっている30枚弱のレコードは、
20年ほどまえにバザーでかったものだ。
バザーにレコードをだしたひとは かなりミーハーだったらしく、
ベストアルバムやグレイテスト・ヒットがおおい。
ピンクフロイドやディープパープルのベストがあるし、
「ゴーストバスターズ」に「コーラスライン」のサントラ盤と、
わたしむけのラインナップがありがたい。
そのなかの1枚にオーティス=レディングの
グレイテスト・ヒットがあり、お酒をのんでよっぱらうと、
「The Dock of the Bay」をききたくなるので、
もうずっとプレーヤーにのせたままにしてある。
レコードからきこえてくる雑音が、この曲の雰囲気をたかめる。

ネコたちにとっても、レコードプレーヤーは魅力的な機械だ。
プレーヤーの透明なふたにのり、からだのしたで
ぐるぐるまわるレコードを 不思議そうにみている。
ときどきひっかこうとして、針がとんでしまうこともある。
レコードの復活は、ネコたちにとってもまた
よろこばしいニュースにちがいない。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月23日

『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』製紙工場の復興にかけた男たち

『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』
(佐々涼子・ハヤカワ ノンフィクション文庫)

わたしは本をよむのがすきだけど、
紙の品質について、ほとんど関心をはらってこなかった。
紙にもいろいろあり、週刊ジャンプと辞書では、
つかってある紙がぜんぜんちがうことはわかる。
そのほかにも、紙にはいろいろな特徴がある。
紙をさわったときのかんじ、めくりやすさ、
かさがあってもかるい品質、インクのすいやすさ、
うすくてもむこうがすけてみえない紙など、
紙には、職人技とでもいうべき たかい技術がそそがれている。

2011年の東日本大震災がおきたとき、
日本の紙は危機的な状況にあった。
宮城県石巻市には、日本製紙の工場があり、
そこが被災して、壊滅的な被害をうけたからだ。
出版社は、本や雑誌をつくろうとしても、
いつもの紙が手にはいらなくなっていることに気づいた。
日本の出版用紙の4割を、日本製紙がつくっており、
そのなかでも中心になっていたのが石巻工場だった。
この本は、日本製紙石巻工場の職員たちが、
どのように日本の紙をまもったかの記録である。

本の前半は、被災したときの工場や、石巻工場の職員たちが、
どんな状況で津波をむかえたかについてふりかえっている。
ニュースでの映像ではしらされなかった生々しい状況が
リアルにかかれていて、よむのがつらくなる。
震災について、全体像をえがこうとすると、
どうしてもぼんやりした描写になってしまう。
この本は、石巻工場の復興だけにはなしをしぼったことで、
被害の内容や、震災にあったひとの気もちが、
どこまでも具体的にえがかれている。

工場の再建には、まず瓦礫の撤去からとりかからねばならなかった。
工場といっても、敷地は東京ドーム23個ぶんのひろさがある。
100メートル以上の巨大な印刷機がはいった建屋は、
あるはずのない民家や丸太がつきささり、
場内には車や瓦礫がながれこんで混乱をきわめている。
それらのすべてを、まずは外にはこびださなければならない。
ひろい工場の1階部分には、周辺の住宅や自動車が
めちゃくちゃにながれこんでいて、
工場の電気・水道など、インフラがそっくりだめになった。
遺体がうもれているかもしれない場所では重機をつかえない。
スコップで、ときにはスプーンで泥をとりのぞくような、
おそろしく気のながい作業が工場の再開には必要だった。

そんな状況をじゅうぶん承知したうえで、
当時の工場長は、半年間で工場を再開しようと職員たちにつたえる。
工場が復活しなければ石巻の復興はありえない。
時間がかかればかかるだけ、職員のモチベーションはさがるし、
紙が必要な出版社は、日本製紙からはなれてしまう。
工場長は、半年という、むちゃな要求を職員につきつけることで、
復興までの道すじを具体化し、職員たちの士気をつなごうとした。

本書の中盤からは、石巻工場の職員たちが、
どのようにして不可能を可能にしていったかの実話だ。
たかい品質の紙をつくろうという 職員たちの熱意により、
だれがかんがえても 無茶としかいえない
半年での工場再開が実現された。

本書は、ものすごく感激的で、うつくしいはなしではあるのだけど、
その反面、日本の会社組織のおそろしさもかんじながらよんだ。
一致団結したときの日本人をほこらしくおもうとともに、
協調性がわるい面にでたら、これほど抑圧的な社会はない。
緊急事態とはいえ 上司の指示をいのちがけでまもり、
家族よりも会社をだいじにしての復興は、
日本の社会がいちばん得意とする分野かもしれない。
そして、この本には 女性のはなしがでてこない。
ぜんぶ男性職員の目からみた復興がえがかれており、
日本が徹底した男性社会であることをかんじてしまう。
復興につくした職員たちとその実績を、
日本の会社組織という視点からみるのはヤボなのだろうけど、
日本社会のよい面とこわい面をかんじながらの読書となった。

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月22日

「普通の人におすすめの本を聞きたい」(デイリーポータルZ)がおもしろかった

デイリーポータルZの「普通の人におすすめの本を聞きたい」
がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/recommended-books-by-ordinary-people
本屋さんのお客に、本についてたずねるなかで、
なにかおすすめの本があれば、というインタビューだ。
10組のお客さん(カップルや親子、1人のひともいる)に
ふだんどんな本をよんでいますか?とか
最近どんな本をかいましたか?とかをきいていくと、
本屋さんにきているといっても、
かならずしも本をかうひとばかりではなかった。
ひとそれぞれの、ひとくくりにはできない
読書スタイルがうかびあがってくる。
あまり本をよまない、ほとんど本をかわない、というひとがいたし、
本をかってもよまない、というひともいた。

確信的な積読派のヨシモリさんがおもしろかった。
ほし:最近読んでよかった本ありますか?
ヨシモリさん:…今のところ無いですね。
ほし:…昔読んだ本で記憶に残っているものでもいいですよ!
ヨシモリさん:………今のところ思い浮かばないですね。
ほし:……本屋さんは普段行かれますか?
ヨシモリさん:本屋は行きますね。
ほし:えっ!本屋は行くけど本は買わないってことですか?
ヨシモリさん:いやいや、本は買いますよ。積ん読ですね。(中略)
ヨシモリさん:買って、家に置いておくスタイルです。
林:積ん読の一番上に置いてある本とか、記憶にある本ってあります?
ヨシモリさん:うーん.....ビジネス書とか、置いてありますけど、読まないですね。基本的に積ん読ですね。

本はよまずに、積ん読、というヨシモリさんが、
カバンに本を数冊いれているという。
ほし:すごい、何冊も持ち歩いているんですね!このブックカバーしている本はどのくらい読まれましたか?
ヨシモリさん:1ページも読んでないですね。

本をもちあるきながら、よまない。
よまないのに、カバンにいれてある。
こんな本とのつきあい方があるなんて、
この記事をよむまでおもいもよらなかった。

本とのつきあい方は、つい自分を基準にかんがえてしまい、
ひとの読書までかんがえがおよばない。
デイリーポータルZのこの記事では、
ひとがどんなやり方で 本とせっしているのかを しることができ、
とても興味ぶかかった。
ありそうでないのが、今回の記事のようなインタビューで、
こうやって、直接インタビューするのがてっとりばやいのに、
じっさいはせいぜいアンケートくらいで、生の声がきこえにくい。
積読のために本をかうひとがいるなんて、すごくおもしろい。

本をよまない、かわない、といいながら、
じっさいはちゃんとかってよんでいるひともいる。
彼:雑誌とかはよく読むけど...本はなぁ....
彼女:昔は小説とかは読んでたんですけど、最近はあんまり買わなくなっちゃいました。
ほし:なるほど!どういう小説を読まれていたんですか?
彼女:う〜〜〜〜ん.....(長い沈黙)

本をよんでないのかとおもうと、しばらくしてから
「有川浩さんとか....重松清さんとか.....」
作家の名前があがってくる。
そのあと「最近買ったのは世界史の本と、投資の本。」
というから 本をよまないと、かんたんにはきめつけられない。
ちょっときくだけではうまくいかず、
根気づよくまつことも必要なので、
インタビューってむつかしいし、おもしろくもある。

ひとの本棚をのぞくのはたのしいけど、
こうやってはなしがきけると、もっと具体的に
そのひとの個性がうかびあがってくる。
本屋さんのまえでお客さんにインタビューする、
というやり方もよかった。
本屋さんのお客ですら、これだけさまざまな
本とのつきあい方がみえてきたのだから、
それぞれのやり方でひとは本をたのしんでいるのがわかる。
こうしたインタビューを、もっとよみたい。

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2020年12月21日

1986年W杯メキシコ大会、アルゼンチン対イングランド

すこしまえにマラドーナ氏が亡くなったこともあり、
1986年W杯メキシコ大会、アルゼンチン対イングランドをみる。
いまとはユニフォームのデザインがずいぶんちがい、
ズボンのちいささと、ハイソックスが目だつ。
選手のからだつきも、いまよりずっとがっちりしている。
マラドーナだけでなく、おおくの選手がぶあつい上半身と、
発達した下半身というからだつきだ。
ナウシカみたいに末端肥大症っぽくもある。

イングランドの選手は、マラドーナのうまさにビビり、
ボールをつながないで、おおきくクリアする場面がおおい。
スタジアムからは、そんなプレーにブーイングがわきおこる。
イングランドのキーパーも、味方の意気地のないプレーに不満そうだ。
有名な「神の手」は、後半そうそうにおとずれた。
「神の手」なんていうからもっともらしいけど、
ようするに手をつかってゴールしたのを
マラドーナはかくしていたわけで、
当時のあらい映像では、はっきりと確認できない。
ハンドのようでもあり、そうでないようにもみえる。
いまだったらVAR(ビデオ=アシスタント=レフェリー)により、
試合が中断されたあげく、マラドーナにハンドが宣告されるだろう。
コンピューターに支配されない、のどかな時代だ。
スタジアムの看板に、日本や中国の広告はでていない。

「5人ぬき」は「神の手」のすぐあと、後半9分だった。
これはもう、文句なしにマラドーナのうまさがひかる。
イングランドのディフェンスをかるくいなして得点したのだから、
アルゼンチンサポーターはおおよろこびだ。

このW杯メキシコ大会は、サッカーのW杯がどんなイベントなのか、
わたしがはじめて認識した大会だ。
開催国のメキシコが決勝トーナメントへすすんだときは、
国じゅうがおおさわぎでパレードしていた。
パレードによる渋滞で車がとまり、
そんななか、車の上にあがってジャンプし、
よろこびを爆発させているひとがいた。
そんなことをしたら、運転手がおこってでてくるぞ、
とおもってみていたら、
ほんとに運転手が興奮してでてきた。
でもそれは、車のうえにあがられて、
キズをつけられたいかりではなく、
運転手もいっしょになって車のうえでジャンプし、
よろこびをはじけさせているのだった。
サッカーの試合で、ひとはあんなにも熱狂的になれるものなのか。

マラドーナの活躍もあり、サッカーファンでないひとも、
W杯に注目したのがこのメキシコ大会だった。
ゴールシーンばかりあつめた映像では、
どのシュートもゴールのすみっこにギリギリできめられており、
かんたんなシュートはひとつもなかった。
W杯では、そんなけたはずれのプレーがみられる大会なのだ。
日本がW杯にはじめて出場するのは、メキシコ大会から12年さきの
フランス大会までまたなければならない。

posted by カルピス at 21:14 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月20日

J1リーグ最終節 フロンターレがレイソルに3-2と逆転

J1リーグ第34節
フロンターレ対レイソル
3−2でフロンターレ

今シーズンの最終戦である第34節がおこなわれる。
新型コロナウイルスで、たいへんな1年だったのを、
よくここまでこれたと感慨ぶかい。
第1節のあと4ヶ月の中断、そして無観客試合。
過密日程となり、週に2試合おこなわれたときもあるし、
感染者がでたために、試合ができなかったクラブもあった。
2020年のシーズンが、おおくの試行錯誤のすえ、
なんとかおわりをむかえたことをよろこびたい。

試合は前半10分にレイソルのオルンガがきめる。
レイソルは、アバウトなボールをオルンガにだしておけば、
あとはなんとかしてくれる、という作戦だ。
その後もレイソルがせめる時間帯がつづき、
フロンターレはなかなかボールをまえにはこべない。
後半からフロンターレは家長と三苫をいれてくる。
さあこれから、とおもっていたのに、
開始そうそうレイソルが2点目をきめてしまった。
レイソルのできからすると、
2点先行されたのはさすがにくるしいか。
でも、フロンターレは前半にはしらせて、
つかれがでたところを得点にむすびつけるのがうまい。
期待してみていると、はいったばかりの家長と三苫が
すぐに試合のながれをとりもどしてくれた。
後半3分に、家長がコーナーキックをヘディングできめてまず1点。
10分に、あいてキーパーのミスからレアンドロドダミアンが2点目。
そのあと、ずっとフロンターレが
相手陣内でボールをまわす時間帯がつづく。
セカンドボールはぜんぶフロンターレがおさめ、
レイソルはボールをとれない。
そして36分に、三苫がドリブルできりこみ、
ディフェンダーをひきつけておいて
左サイドをかけあがってきた家長へのパス。
家長がなんなくきめて逆転。

勝負あった、とおもっていたら、
それからのレイソルがしぶとかった。
なんども決定機をつくり、ギリギリのところでフロンターレがしのぐ。
どちらのチームも、順位には関係ない試合だったにもかかわらず、
非常にみごたえがあり、最終節にふさわしい内容だった。
フロンターレは勝点を85までのばし、
それとともに、26勝、88得点と、リーグ記録を更新する。

解説は福西さんと中澤さん。
中澤さんは、あかるくふるまうキャラをすて、
おおくの経験がなければいえない発言がさえる。
福西さんとのやりとりもかみあっており、
サッカーのおもしろさを ふかく味わせてくれた。
オルンガのてごわさ、家長のうまさをかたるのに、
福西さんと中澤さんは、最適な解説だったのでは。

のこるたのしみは、天皇杯だけになった。

posted by カルピス at 18:47 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月19日

サラダを もっとどっさりもりつけて、なんていわない

デイリーポータルZの記事をよんでいると、どのライターも、
とても素直に対象となるものを表現しているのに気づく。
たとえば、料理にむきあうときなど、
いいところに目をむけるのがうまい。
でっかいパンケーキが2枚に、自家製のベーコンが2枚、目玉焼きにサラダ、それにモーニングならコーヒーがついて、880円。これ、むしろ破格といえるのでは……。

これは、パリッコさんが喫茶店でモーニングをたべたときのようすだ。
本気でそうかんじているのが記事をよむとつたわってくる。
で、それがどんな一皿かというと、
写真をみるかぎり、たいした内容にはみえない。
自家製だからといってベーコンがおいしいかどうかわからないし、
パンケーキはたいして「でっか」くない。
サラダなんて葉っぱがすこし顔をのぞかせているだけだ。
サラダというのなら、もっとごっそりもりつけろよ、とか
わたしだったら、ぐちばかりがでそう。
幕の内弁当についてる数本の「スパゲティ」が
あまりにもしょぼいのでわたしはきらいだけど、
それをおもしろがれたほうが記事をかきやすい。

安藤さんの「ひとまかせの旅」 では、
なにもしらずにたずねた町で、
たべたもの・であったものをおもしろがって紹介する。
https://dailyportalz.jp/kiji/jimoto-trip-in-aomori
ほんとにいいとおもっているのがわかる。
そうでないと、 もりあがらず、ひくい温度の記事になる。
そんなの、だれもよみたくない。
銀サバというのは寒くなって脂が乗ったサバの中でも、特に形の大きなものをブランド化したものらしい。口に入れるとびっくりするほどのうま味を残して文字通りとろける。お兄ちゃんこれ美味いよ!

アツアツのせんべい汁は鶏や魚や野菜や、もういろいろな出汁のうまさが混ざり合っていてとんでもないことになっていた。他を食べたことがないんだけど、このくらい美味かったらこれは確かに八戸一って言ってしまいたくなる。

素直さ、というより、うまさなのかもしれないけど、
なにかを紹介するときは、本気で共感できる、
素直で謙虚な気もちがなければかきにくい。
わたしはもうすこし、ものごとのいい面に気づいたほうがよさそうだ。
アリバイづくりみたいな わずかなサラダに
詩ごころをかんじられるようになれたら。

posted by カルピス at 11:12 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月18日

10キロつづけてはしれたら、フルマラソンも完走できる

すこしまえのデイリーポータルZで、
安藤さんが、これまではいてきたシューズの紹介と、
フルマラソンを完走するためのトレーニングを紹介している。
「本当に買ってよかった靴〜マラソンシューズ編〜」
https://dailyportalz.jp/kiji/reasons-to-buy-shoes
安藤さんはフルマラソンやトレイルランニングに
毎年参加している かなりレベルのたかい市民ランナーだ。

安藤さんによると、
・まずは時間を気にせず10キロ止まらずに走れるようになる
・10キロを1時間で走れるようになる
・これをクリアしたら次は距離を20キロに伸ばす
・20キロを2時間で走れるようになる
・2時間で20キロ走れるようになったらそれで完成

あとはマラソン大会にエントリーして、1ヵ月くらい前に何度か30キロくらいまで走ってみる。それで当日は完走間違いなしなのである。
え、40キロ走ったことないのにレースに出ていいの?と思うだろう。いいのである。実際どんなに練習しても35キロを超えてくると地獄が待っている。レースに出る前に地獄を見ると本番が怖くなっちゃうだろう。そこから先の世界はぜひレース当日に経験してほしい。

わたしもにたようなはなしをきいたことがある。
まずは10キロをつづけてはしれるようになる。
10キロはしれたら、20キロもはしれる。
20キロはしれたら、フルマラソンも完走できる。
すべては、10キロをとまらずにはしれるのが基本だ。
つまり、10キロはしれたら、フルマラソンもいける。

じっさいは、10キロはしれるだけでは
本番のレースでかなりくるしむだろう。
10キロだけで安心せず、もっと距離を経験したほうがいいとおもう。
でも、10キロはしれたら、フルマラソンもいける、
というのは、まいがいのないひとつの事実であり、
とてもシンプルなのが気にいっている。

ほかのことも、にたようなものかもしれない。
内容をとわなければ、ブログをかくのもおなじかも。
3ヶ月つづけられたら1年だってつづく。
1年つづけば、10年だってオッケーだ。
まだわたしはゴールである10年にたっしていないけど、
これまでかくのがつらかったことはない。
ネタがないのはいつものことで、
それでも なんとなくつづいているのだから、
だんだんとかくコツをみにつけるのだろう。
はるかさきのゴールをみると、
あまりのながさにビビってしまうけど、
つづけるだけなら、目のまえだけをみればいい。
ゴールをめざすときに基本となる体力や技術は、
かなりはやい段階でみについている。
あとはつづけるだけだ。

posted by カルピス at 17:56 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月17日

わたしの2020年ベスト10

『本の雑誌 1月号』で2020年のベスト10が発表される。
わたしがよんだ本は、総合でも、ジャンル別でも、
1冊もはいっていなかった。
1月号を参考にしてリストをつくり、
冬やすみにむけて、おもしろ本を確保したい。

わたしの「2020年ベスト10」をあげておく。
ことしよんだ、という意味でのベスト10であり、
出版されたのはことしにかぎらない。

・『取り扱い注意』佐藤正午・角川文庫
・『わが母なるロージー』ピエール=ルメートル・文春文庫
・『その雪と血を』ジョー=ネスボ・ハヤカワ文庫
・『キリン解剖記』郡司芽久・ナツメ社
・『幻のアフリカ納豆を追え!』高野秀行・新潮社
・『日の名残り』カズオ=イシグロ・ハヤカワepi文庫
・『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』樋口耕太郎・光文社新書
・『女子をこじらせて』雨宮まみ・幻冬舎文庫
・『サラバ!』西加奈子・小学館文庫
・『とにかくうちに帰ります』津村記久子・新潮文庫

佐藤正午さんの本をことしは6冊よんだ。
どれもおもしろかったけど、
あえてひとつをえらぶと『取り扱い注意』になる。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/477012247.html
『Y』にもおどろかされた。
時間をめぐり、かなりこみいったはなしで、
わたしのちからでは、とてもそのよさを紹介できない。
佐藤正午さんでなければかけない作品だ。

海外ミステリーからはまず『わが母なるロージー』をあげる。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473733826.html
ルメートルの作品としてはみじかいけど、
ルメートルらしいうまさにためいきがでる作品だ。
そして『その雪と血を』もみじかいながら、
印象ぶかい作品だった。究極のハードボイルドでもある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473561831.html

キリンの解剖についての『キリン解剖記』は、
頚椎についての記述はよく理解できなかったものの、
わかものが自分の目標をみつけ、
研究にうちこんでいくようすがとてもさわやかだ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/478127856.html

ノンフィクションからは『幻のアフリカ納豆を追え!』。
高野さんはこれまでいくつかの傑作をかいているけど、
この本もまた高野さんでなければかけないし、
謎があかされていく過程が、探検記のようでもある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/478058833.html

海外文学からは『日の名残り』(カズオ=イシグロ)。
一流の執事を自負するすごくまじめな執事が、
あまりにもまじめすぎてかえってわらえる。
かたぐるしい文学ではなく、ユーモア小説としてよめる。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/475500597.html

『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』は、
沖縄がかかえる「本当の」問題をあきらかにする。
それって、けっきょく沖縄だけでなく、
世界における日本の問題だ、と気づかされる。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/476733921.html

『女子をこじらせて』は、いまの男社会で、
なぜ女性が「女子」をこじらせてしまうのかについて、
著者の体験がつつみかかさずかかれている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/478993981.html

『サラバ!』。文庫本で3冊にわかれるほどながいはなしで、
壮大な大河小説といえるのではないか。
主人公がテヘランでうまれたときからはじまり、
おおくのうきしずみをへて、彼の原点とでもいうべき
エジプトのカイロにかえっていく。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/475892544.html

津村記久子さんの本もあげておきたいので、
『とにかくうちに帰ります』。
3冊よんだ津村さんの作品はどれもよかった。
まじめそうだけど、すごくかわったひとだとおもう。
わたしのこのみにピッタリで、ツボを刺激される。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474833035.html
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474804189.html

これで10冊なのだけど、サッカー本をわすれていた。
番外編とはしたくないので、ことしは「ベスト11」ということで。
サッカーらしくていいかも。

・『平畠啓史 Jリーグ56クラブ巡礼2020』
 平畠啓史・ヨシモトブックス
http://parupisupipi.seesaa.net/article/477052734.html
Jリーグタイム(NHK-BS)にときどき出演される平畠さん。
どのカテゴリーにも目くばりがいきとどいたあついかたりは、
日ごろからの「巡礼」がベースにあるのだろう。

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月16日

『興国高校式Jリーガー育成メソッド』世界で活躍する選手の育成が目的

『興国高校式Jリーガー育成メソッド』
(内野智昭・竹書房)

朝日新聞の土曜日版beに、本書の著者であり、
興国高校サッカー部の監督をつとめる
内野智昭さんがとりあげられた。
記事には、ことしの内定者をふくめると、
興国からすでに20名がJリーグにすすんでいる、とある。
「プロになりたいなら興国へ行け」と
サッカー関係者のあいだでささやかれるという。
高校サッカーにわたしは関心がなかったけど、
高校の全国大会でかつことをめざすのではなく、
Jリーグにはいり、そこで活躍できる選手をそだてたい、
というのが内野さんの目的というから おもしろそうだ。

本をよんでみると、Jリーグにはいるだけでなく、
世界の強豪チームで通用する選手をそだてる、と
ものすごくおおきな夢を内野さんはえがいている。
興国高校は、選手権で優勝したことはないけど、
いい選手がそだち、おもしろいサッカーをやるので、
関係者から注目されているそうだ。
目的が優勝ではないのだから、
もっとさきをみとおした育成ができる。

九州へ遠征にいったときのはなしがおもしろかった。
試合中、僕がいつもの調子で「いまのはこうやろ!」とか、ピッチサイドで言うと、選手が「いや、ちゃうんですよ。いま相手がこっちに行ったから、僕はこっちに行ったんですよ」って言うので「あぁ、そうか。そんならええわ」ってやりとりをしてたんですね。
 そうしたら、試合後にその選手が相手の九州のチームの選手に囲まれたんです。(中略)
「監督にあんなこと言って殴られないか?」「あんな態度とって大丈夫か?次の試合、出れるのか?」って。
 うちの選手は「いや、あんなん普通やで。全然いけるで」って。

そんな「ふつう」の関係がないと、
自己主張ができる選手はそだたないだろう。

日本のサッカーをつよくするには、
わかいころからの育成が大切になってくる。
内野さんは、日本サッカーの問題点として、
育成が評価されないことをあげている。
大会で結果をだすことでしか注目されないので、
よい選手をそだてることよりも、
試合にかつことが目的となっていまう。
 大会で結果を出すことによって得られるリターンのほうが、良い選手を育成する、将来プロを輩出することよりも大きいので、ジュニアやジュニアユースの指導者は、育成よりも大会の結果に重きを置いてしまうのです。
 これは指導者の志の問題というよりも、評価システムの問題だと思います。そこを改善しない限り「育成年代の大会で優勝を目指す」という、育成に対する日本独自の考え方は大きく変わらないと思います。(中略)
 試合や大会に勝つことよりも、良い選手を育成していくことの方が評価されないと、現状はいつまでたっても同じです。

 ヨーロッパの話で言うと、お金が育成の末端まで流れるように設計されています。それは日本のJリーグも見習うべきだと思います。(中略)「彼の活躍で優勝できた。これほどの選手を育ててくれたクラブがあったおかげだ」という意味が、お金という形で評価されたわけです。
 翻って、日本のJリーグはどうでしょうか?リーグで優勝したからといって、アマチュア時代に育成していたクラブには1円も支払われません。

 ヨーロッパではサッカーとお金は密接な関係にあり、良い選手は高い報酬がもらえますし、良い選手を輩出したクラブにもお金が支払われます。そうしたサイクルができあがることで、「良い選手を育成すれば、リターンがある」というインセンティブが働き、さらに育成に熱が入るわけです。

わたしは、サッカーで巨額のお金がうごくのにへきえきしているけど、
よい育成が評価されるシステムは必要だとおもう。
内野さんのとりくみが、日本のサッカーをかえる
おおきなちからとなるよう期待したい。

posted by カルピス at 18:41 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月15日

なんどみても胸があつくなる『フラガール』

『フラガール』
(李相日:監督・2006年・日本)

昭和40年の福島県いわき市が舞台。
石炭はもはや斜陽産業で、常磐炭鉱もまた
大規模な人員解雇がさけられない状況だった。
いきのこりをかけてハワイアンセンターが計画され、
フラダンスショーでおどるダンサーが募集された。

おどりはまったくしろうとの女性たちが、
東京からきた「先生」にハワイアンダンスをならい、
しだいにプロとしての自覚に目ざめていく。
ベタなはなしなのだけど、だれもが一生懸命に生きており、
その真剣さについ胸をあつくする。
ハワイアンセンターをつくろうとする会社側も、
それに反対し、炭鉱をつづけろと
会社にいかりをぶつける炭鉱夫たちも、
フラガールになることで、
なんとかいまの生活をかえたい少女たちも、
だれもがみんなただしい。
ただしいから本気であいてにいかりをぶつけ、
自分たち以外の意見はうけいれられない。

そこに、すこしずつ風穴をあけていくのがフラガールたちだ。
親が鉱山の事故で亡くなったときでさえ、
宣伝キャラバンでのおどりをつづけるさゆり(しずちゃん)。
母親の反対にめげず、家をとびだしても
ダンスの練習にうちこむきみこ(蒼井優)。
フラガールの衣装をつけ、妹たちにみせてやるえり。
それに激怒して、えりをなぐりつける炭鉱夫の父親。
顔がはれあがったえりをみて、いかりから男湯にとびこみ、
えりの父親になぐりかかる「先生」(松雪泰子)。

わかっているのに号泣してしまうのは、
ストーブでヤシの木をまもろうとする場面だ。
いわき市のさむさで、ヤシの木がかれそうになったとき、
ハワイアンセンターの職員たちは、
もと仲間である炭鉱夫たちに頭をさげ、
ストーブをあつめてくれないかとたのむ。
うらぎりもの、とののしられながらも、
たくさんのストーブであたためたら
なんとかなるかもしれないと、必死にくらいつく。
それをきいていたきみこの母親は、
それまで娘がフラガールになるのを かたくなにこばんできたのに、
彼らの真剣さにおれ、ストーブあつめに協力する。
やがてストーブをのせた何台ものリヤカーが、
ハワイアンセンターにあつまる。
ひろい場内につぎつぎとストーブがつけられると、
そのあかりが まるでホタルみたいにうつくしい。

方言のあつかいもうまかった。
しろうとにハワイアンダンスをおしえるのが、
いかに無謀かと「先生」が正論をまくしたてる。
はじめはひらあやまりだった岸部一徳が、
さいごには逆ギレして流暢な福島弁を「先生」にぶつける。
その「先生」も、宣伝キャラバンにでるころには、
自然に福島弁がくちをつくようになっている。

圧巻は、初日をむかえたハワイアンセンターで、
フラガールたちがおどる場面だ。
協力してくれたすべてのひとたちへの感謝の気もちをこめ、
みんな、とびきりのほほえみをうかべている。
きてくれたお客さんをこころから歓迎し、
たのしんでもらいたい気もちにあふれている。
ハワイアンには ほほえみがかかせない。
ほほえみがもつちからを、これだけかんじるダンスはない。
ラストは蒼井優がひとりでハワイアンを披露する。
まったくのしろうとだった彼女が、ショー全体をひとりでひきうけ、
こころをからっぽにしておどるうちに、不思議な静寂がおとずれる。
フラガールになりたくても、とちゅうで町をはなれた えりのぶんまで、
そして反対しながらも、初日に顔をみせてくれた母親のために、
プロのダンサーとして きみこはおどる。
ほほえみをうかべての すごみのあるダンスに 自然となみだがこぼれる。

posted by カルピス at 22:19 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月14日

「ベートーベン〜推し曲総選挙!」の1位に交響曲第7番

「かけるクラシック」(NHK-FM)をきいていたら、
「われらのアイドル、ベートーベン〜推し曲総選挙!」をやっていた。
先日の記事に、わたしがベートーベンの曲でいちばんすきなのは、
交響曲第7番とかいたけど、その第7番が1位にえらばれていた。
「運命」や「田園」でなかったのは意外だけど、
「推す」側として、ベタすぎる曲を、
あげたくないという心理は理解できる。
それに、なんといっても第7番はゴージャスだ。
いたりつくせりのはなやかさは、
あまりクラシックに縁のないわたしをも いい気もちにさせる。

第7番を おしたひとのコメントは どれも自信満々だった。
「第7番」がいちばんにきまっている、と確信にみちている。
自分がすきなのは第7番で、
1位にえらばれるのも7番と、すごい自信だ。
番組担当の市川さんと上野は、予想外の曲名だったので、
1位の発表にざわついていたし、「のだめ」の影響も口にされていた。
わたしが第7をすきなのは、まさに「のだめ」をみたからであり、
この曲が1位にえらばれたのは、うれしいような、
ミーハー印をきっちりおされたようで、残念でもある。
第7番は、ふかく音楽をあいするひとからも、
「のだめ」でクラシックにしたしみだしたミーハーにも、
ひろく支持されるからこそ 堂々の第1位となったのだろう。

第7番をおしたひとが、この曲とビールの相性について
あつくかたるコメントをよせていた。
1位が第7番だったら、冷蔵庫からビールをとってきたいので、
曲をかけるまえにすこし時間をください、とまで念がいっている。
テレビの音をけして、第7番をかけながら
選挙の速報番組をみるとピッタリ、ともおしえてくれた。
いろんなたのしみ方があるもので、それもまた第7番ならではだろう。
ふつうだったら、クラシックとビールは、
なんとなくちがうんじゃないか、という気がするけど、
ワインやウィスキーではなく、あえてビールをもってくるところが
腰のはいった第7番ファンをかんじさせる。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月13日

『女子をこじらせて』(雨宮まみ)

『女子をこじらせて』(雨宮まみ・幻冬舎文庫)

雨宮まみさんは、どのように女子をこじらせたか。
そもそも、女子をこじらせるとは、どういうことなのか。
それは本書をよんでいただくとして
(なんのための記事なのか?)、
雨宮さんの文章はとてもよみやすい。
プロのライターなのだから、よみやすいのは あたりまえだ。
わかい女の子、というだけで、
わたしは、どうせたいした文章じゃないだろうと、
偏見をもっているのに気づく。
男子をこじらせているつもりはないのに、
男社会に生き、男目線で女子をみているわたし。
自分がなぜ女子をこじらせるたかを、
雨宮さんはこまかく分析し、赤裸々にあきらかにしていく。
自分の性とむきあい、性欲とむきあうこと。

上野千鶴子さんの解説がまたすばらしい。
18ページもあり、解説というより論文になっている。
女性でなく、なぜ女子なのか。
この本のタイトル「女子をこじらせて」は、
どうしても「女子」でなければならなかった。
上野さんは、
「女子問題」はこれまでの「女性問題」とは違うかもしれない。
ととらえている。
ある日、ラジオを聴いていたらこんな歌詞が耳に届いた。「♪ちょっとお人よしがいい」、「♪くどかれ上手な方がいい」・・・翻訳しよう、「ばかで扱いやすい女がいい」「パンツ脱ぐのに、オレサマにテマかけさせんな」。わかりやすさに卒倒しそうになる。裏返せば、この程度のちょろい男ならかんたんにコスプレで騙すことができるということでもある。

演歌ではよくありがちな歌詞であり、
なぜこんな歌をおおくのひとがよろこんでうたい、
女性歌手にも演歌をうたうひとがおおいのはなぜなのか
わたしにはぜんぜんわからない。

ちなみに、わたしはズボンのことをパンツといわない女性がすきだ。
ズボンはズボン、パンツはパンツだ。パンティーでもない。
雨宮まみさんは、ちゃんとパンツとかいているからえらい。

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2020年12月12日

『おすすめ文庫王国 2021』いつもにましてテキトーな座談会

ことしも『おすすめ文庫王国 』の時期になった。
2020年に出版された文庫本のベスト10を
「本の雑誌」がきめていく。
といっても、職員の座談会によりえらばれるので、
例によってかなりいいかげんだ。
ことしは、例年に輪をかけたテキトーさといえる。
それまでのはなしあいで、時間をかけながら
職員がひとりずつベスト10候補をあげていき、
ランキングをきめてきたのに、
編集B あ、忘れてた。グレゴリ青山さんの『京都深堀りさんぽ』。
 おもしろいんだよね。表紙も可愛いし、ぜひ入れてください。
営業B もう一冊出してきた(笑)
編集A 隠し玉。いいんじゃないですか。じゃあ、
 それが六位で『地下鉄道』を九位に入れれば・・・。
発行人 よし、決定!

は、ないんじゃないかとおもう。
ちなみに、わたしがことしよんだ本は、ランキングされなかった。

毎年たのしみにしているジャンル別ベスト10が
なぜかことしはなくなってしまった。
海外ミステリーなど、参考にさせてもらっていたので、
どのジャンルもそっくりなくなったのは残念だ。
そのかわり、Bリーグ(文庫を出版している会社を、
Jリーグにみたてて順位をつけていくもの)はつづいている。
なぜその順位になったかの総評がとてもくわしく、
本家である文庫ベスト10よりちからをいれているのではないか。

興味ぶかかったのは、東京堂書店神田神保町店の店長を
昨年までつとめてきた河合さんが、
お店のベスト150を説明されている特集、
「手間暇かけた棚が生む個性派ランキング」。
神保町店は平台がすくないのが特徴で、
そのぶん文庫棚がじゅうじつしており、
すべての出版社の文庫をそろえているそうだ。
ベスト1がつげ義春の『つげ義春日記』というから、
かなり特徴のあるうれかたをしているお店なのだろう。
わたしがよんだ文庫は、ベスト150のなかに2冊しかなかった
(単行本でよんだものをのぞく)。
そのなかの1冊が『つげ義春日記』だったから、すこしうれしい。
ーー平台で面陳されているものから売れる印象ですけど。
河合 いやいや。実際に、棚からばかすか売れていきますよ。(中略)新刊を置くと棚差しから動くんです。売上占有率と棚構成率がマッチするように直していました。売れないのにたくさんおいてある、売れるのに少ない、というのは気づかないうちに起こるんです。
ーー気をつけてきたことは?
河合 平日は毎日来てくれるお客様が多いので、同じことをやっていたら飽きられて、売り上げは伸びません。入り口のすぐ右側の柱のところは、ほぼ毎日置く本を変えていました。

こうした工夫をかさねているお店は、
本がうれないといういまの時代でも
お客さんに支持されているだろう。

posted by カルピス at 16:19 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする