2021年01月31日

初心者はさけたほうがよさそうな「乙女の祈り」

「弾き語りフォーユー」(NHK-FM)をきいていたら、
「乙女の祈り」がリクエストされた。
初心者にもうまくひけるコツをおしえてください、
という希望に小原孝さんがこたえ、
ていねいな説明をくわえながらピアノをひいてくれた。
楽譜には「つよく」とあっても、ここはやさしくしたほうがいい、
というアドバイスをなんども口にされた。
かんたんそうで、むつかしい曲なのだ。

たまたまだけど、わたしはこのごろ「乙女の祈り」をきく日がおおい。
ねるまえに本をひらき、お酒といっしょにたのしむのが日課で。
よっぱらって、もう本の内容があたまにはいらなくなると、
ベッドへ移動してレコードを、というながれだ。
そのときにかけるのが いまは「乙女の祈り」になっている
(ターンテーブルにおきっぱなし)。
酒のよいが「乙女の祈り」のきよらかさをもとめるのかもしれない。
わたしもできればピアノで「乙女の祈り」をひきたいけど、
いい歳のオヤジが懸命にこの曲を練習する姿は気もちわるい。
こころをこめてキーをおせばおすほど まわりはドンびきしそうだ。
「乙女の祈り」は初心者むけの曲とおもわれているけど、
じっさいは、かなりの技術をもったひとでないと、
ひかないほうが無難な曲ではないかとおもう。
水着でいえば、黒のワンピースか。
よほどのスタイルでないと黒の水着はきこなせない。
小原さんクラスのうでまえをもってして、
はじめてひとまえでひいてもサマになる。
初心者が、たどたどしくひいて、なんとかなるような曲ではない。

酒によったときのレコードは、
これまでオーティス=レディングの「ドック・オブ・ベイ」だった。
でも、あまりにも酒と相性がよさそうな曲であり、
ワンパターンというか、ミーハーがすぎるのでは、とおもいはじめた。
家にあるレコードは30枚ほどしかなく、
「ゴーストバスターズ」やアレサ=フランクリンもためしてみたけど、
ねるまえの曲としては いまひとつだった。
よっぱらっているからといって、なんでもいいわけではない。
そんななかでのこったのが「乙女の祈り」だ。
お酒のおともとしては悪趣味におもえるけど、
あまりにも異質なくみあわせなのが、
あんがいなかよくやっていける理由かもしれない。

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月30日

『カソウスキの行方』(津村記久子)津村さんらしさにあふれた3編

『カソウスキの行方』
(津村記久子・講談社文庫)

会社にはいやな上司がいて、ろくでもない仕事をまわされるけど、
まわりにはすこしわかってくれる同僚がいないわけではない。
そんななかで、主人公は筋をとおしていくし、
さいごにはちゃんと生きてきたことがむくわれて
おちつくところにおさまっていく。
みたいな状況が津村さんの仕事小説にはおおく、
会社あるあるの不条理のなかで 生きていくノウハウにみちている。

「カソウスキ」なんていわれると、
ロシア系の外国人がでてくるのかとおもうけど、
カソウスキは「仮想好き」のことだ。
課長にセクハラされたと後輩に相談され、
そのまま部長にうったえたら、
それはかんちがいです、と後輩にハシゴをはずされ、
イリエは郊外の倉庫へ左遷させられてしまう。
同期入社で経理の山野が、その後輩の、自慢はしたいんだけどもそえはできなんだけどもやっぱり言いたーい、みたいな女の子心をわかんなかったあんたの負け、と言っていた。

本社では主任のように女性社員をまとめていたのに、
左遷さきの倉庫は、2歳したである 男性職員のもとでの雑用で、
自分がいたポジションには、
セクハラの相談にのった後輩がおさまっている。
勤務中に、ごくたまにそのことを思い出すと、雄叫びを上げながら、座っている椅子を窓から投げたくなる。

それはなんとかおさえ、
でも、だれかと恋愛でもしないとやってられない気分だ。
倉庫勤務では、恋愛の対象となる男はいない。
だったら、仮想でだれかをすきになってみるか。
同僚の森川を、すきになったつもり、になると、
ほんとにすきにはならないものの、
森川のいいところがだんだんわかってくる。
すこしずつ自分の居場所がととのうのを
津村さんはじょうずにえがく。
津村さんの小説にでてくるひとは、おとなだ。
おとなだから、無責任になげださないで、
いやなことでもなんとかつづけ、
さいごには筋をとおしたことがむくわれる。

福引券で、4泊5日のフィンランド旅行があたったのに、
自分にいいことがあると、危篤状態になる森川のおばあさんに
わるいことがおこるかも、とイリエはあたり券をことわってしまう。
そこらへんの、わけがわからない義理がたさも、
津村さんの小説ではおなじみだ。

なんだかんだあって、イリエは本社にもどり、
以前のポジションではたらいている。
倉庫は閉鎖され、森川はべつの会社にひきぬかれて、
いまでは中国の雲南省に配属されている。
パンダはいないけど、ちかくの山にレッサーパンダはいるそうだ。
このまえは、運のいいことに、2本足でたっているところをみかけた、
と森川からメールがくる。
それはわたしがフィンランド旅行をふいにしたからです。
キーボードに手を置いてそう打ちかけたが、説明がめんどうになってやめた。

津村さんらしいオチがいいかんじだ。

本書には、「カソウスキの行方」のほかに、
2編がおさめられている。
どちらも津村さんらしく、ベタベタせずに、
でもわるくないつながりがえがかれていて、
わたしがすきな小説だ。

posted by カルピス at 17:45 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月29日

「なごり雪」の世界はいつまでもせつない

朝日新聞土曜日版beの「今こそ聴きたい」で、
「旅の歌」を特集していた。
1位は「いい日旅立ち」(山口百恵)で、
2位に「なごり雪」(かぐや姫)がえらばれている。
記事では、「なごり雪」について、読者の体験を紹介している。
東京を去る恋人を駅のホームで見送る歌詞に自身の体験を重ねた読者が少なくない。(中略)島根の女性(60)も別れた恋人が県外に就職することになり、JR松江駅で見送ったことは「青春の苦い思い出」と振り返った。

松江にすみ、年齢も60にちかいわたしは、
この記事に注目しないわけにいかない。
「別れた恋人が県外に就職することになり」とあるから、
みおくった時点では、すでにわかれており、
島根出身の「元カレ」が県外にでていく、という状況だ。
なぜわかれた恋人のみおくりにいったのかはわからない。
もういちどよりをもどしたい気もちがあったのか、
それとも完全なわかれとしてケジメをつけたかったのか。
「青春の苦い思い出」とあるのは、
みおくりに いかなければよかった、という後悔か、
恋愛自体が「苦い思い出」だったのか。

この歌は、東京でのみおくり、という設定で、
でもあまりおおきな駅ではしんみりしたわかれになじまない。
東京駅にむかう、ちいさな駅でのできごととしたほうがしっくりくる。
その点、松江駅はぴったりだ。
県庁所在地の駅でありながら、それほどおおきくはなく、
かといって、島根によくある無人駅でもない。
わたしとほぼおなじ年齢の女性が、
あの松江駅でおもいでをきざんだといわれると
なんだかひとごとにおもえない。

たいていのできごとは、時間がたってしまえば
いいおもいでになりそうだけど、
そうではないわかれもある。
「なごり雪」の歌詞から状況をえがいてみると、
「苦い思い出」としかいえない体験におもえる。
ただかなしい、さみしいとうたうのではなく、
「青春の苦い思い出」をかんじさせるから、
「なごり雪」はいつまでも せつないのではないか。

posted by カルピス at 18:53 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月28日

生活習慣病というものはない『「健康」から生活をまもる』(大脇幸志郎)

『「健康」から生活をまもる』
(大脇幸志郎・生活の医療社)

「健康」でおどろかされ、症状がでてないのに薬をのまされたり、
やせるようにダイエットや運動をもとめられたりしがちだけど、
じっさいは、科学的な根拠にとぼしい、ということが
12章にわたってかかれている。
尿酸値やタバコと どうつきあうかは、
自分の人生なのだから、きめるのは自分、
という態度がつらぬかれており 気もちいい。

「生きかた上手」の日野原重明さんにより、
成人病とよばれていた病気が、生活習慣病にかわった。
いかにも もっともらしい命名で、
わたしなんかは感心したものだけど、
大脇さんは「生活習慣病というものはない」という。
わたしたちは、もっと自由に生活してもいい。
それには「健康」から生活をまもる必要がある。
 病院に行くと「もっと早く来ていれば目が悪くならなかったのに」と言われるかもしれない。ならば「いまさらどうしようもないことを言わないでください」と答えるのは人間として当然の権利だ。あるいは「もっと治療に協力してくれないと困ります」と言われるかもしれない。それには「怒られると通うのが嫌になります」と言うのが人間として当然の返事だ。主役は自分なのだから。
 なんでも医師の言うとおりにしないといけないと思うのは迷信だ。
 生活習慣病というものはない。生活を自由にするために病院がある。病院のために生きる必要はない。

病院で「やせたほうがいい」と言われても「やせないから来たんですが」と返せばいい。(中略)
 世の中には太った人をいじめなければどうしても気が済まない人たちがいて、統計をいじくり回しては、肥満であの病気もこの病気も増えると楽しそうに言い合っている。

「チャリダー」(NHK-BS)で、
体重が100キロ前後のお笑い芸人に参加してもらい、
自転車で健康なからだをつくろうという企画があった。
100キロも体重があるし、ひごろうごいていないので、
自転車をこぐとすぐにつかれてしまう。
1年ほど時間をかけて、すこしずつからだをならし、
最終的には 100キロのコース(箱根まで)に自転車で挑戦する。
いかにも健康をかんがえたような企画だけど、
大脇さんの視点からすれば「よわいものいじめ」だ。
ふとっているひとは、健康の道からはずれた問題なひと、
と位置づけられ、改善のための努力をもとめられる。
本人がやせたいのなら、自分の意思でやせればいいけど、
まわりがそれをもとめると、ただのいじめになってしまう。
食事や健康は迷信にみちており、
健康から生活をまもらないと 自分の人生を自由にいきられない。
この本は、健康のとらえ方を、おおきくかえてくれる。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月27日

意外とみかけないイルミネーション=ランナー

冬になると、夕方はしりはじめるときは、
日がおちて、あたりは くらくなっている。
反射テープのタスキだけではあぶなそうなので、
アマゾンで点滅ライトをかった。
両腕につけるタイプが、2ついりで1200円ほど。
USBで充電するようになっている。
いちど充電すれば、4時間ぐらいはあかるさがもつ。
ちゃちなつくりだから、すぐこわれそうだけど、
ひと冬もてばいいとわりきっている。
2つだけでもけっこうはでにひかるので、
まわりから注意をひくにはじゅうぶん役にたちそうだ。

両腕をひからせておもったのは、もっとたくさんのライトをつけて、
全身をイルミネーション にしたランナーがいないか、ということ。
おおくのランナーが、なんらかの形で
からだの一部をひからせているけど、
全身をひからせているランナーには、意外とであわない。
クリスマスがちかづくと、
イルミネーションでかざった家がでてくるように、
それの人間版をみかけないのはどういうわけだろう。
点滅ライトは充電式なので、本体はかるくできている。
たくさんつけてもあまり負担にならないはずだ。
にたようなライトを20個つけたらかなり目だつし、
家をかざるイルミネーションを、からだにまきつけてもいい。
はしるさまたげにはならず、まわりをたのしませてもくれるはずだ。
わたしが自分でやるのはいやだけど、
全身をひからせたランナーがいたらたのしいのに。

練習仲間のランナーにはなすと、
長距離ランナーのメンタリティは、
そうやって目だつのをさけるのでは、
ということだった。たしかにそうかも。
長距離の練習は、地味なつみかさねでしかないので、
派手な演出をよろこぶ性格のひとは、
長距離をこころざしたりしないかもしれない。
デイリーポータルZに、反射材をたくさんつける記事がのったけど、
https://dailyportalz.jp/kiji/attach_reflective_material
わたしがおもっているイルミネーション=ランナーとはだいぶちがう。
ただイルミネーションをかざりつけるだけでなく、
ちゃんとランナーとしての練習にもとりくまないと、
ほんとうの意味でイルミネーション=ランナーとはよばない。

きょうもいつものコースである宍道湖岸をはしった。
くらくなっても外をはしろうというひとたちは、
だれもがまじめな性格にみえる。
全身をイルミネーションでかざるランナーがいたら、
ひとさわがせなだけで、ういた存在になりそうだ。
あるいは島根県ではみかけないだけで、全国的にみると、
各地に名物イルミネーション=ランナーがいるのだろうか。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月26日

山口香さんの「(オリンピックは)残念だけど、難しい」に賛成する

このごろ東京五輪・パラリンピックの開催について、
いろんなところで反対意見を耳にする。
できるわけがない、とわたしはおもうけど、
政府や東京都、それにIOCは、
予定どおりにおこなう、といいつづけている。
政治的なかけひきで、だれもが自分から
「やめる」といいたくないのかもしれないけど、
ズルズルと結論をのばし、どうにもならなくなって
ろくでもない「判断」にいたるのは無責任というものだ。
実現できるというのなら、それなりの具体的な計画がしりたい。

けさの朝日新聞に、JOC理事の山口香さんが
「残念だけど、難しい」というのが冷静で、現実的な感覚なのだろう。

とのべている。
ふつうにかんがえたら、それが常識的な判断だ。
無観客という手もあるかもしれないけど、
そうまでしてオリンピックをひらく意味があると
わたしにはおもえない。
山口さんといえば、きょねんの3月に、
「東京オリンピックを延期すべきだ」と発言し、
JOC会長の山下さんが不快感をしめした。
JOCの理事でありながら、みたいな つまらない苦言だった。
あれから10ヶ月たち、またおなじような状況に日本はおかれている。
スポーツ界は、トップレベルばかりに価値をおいてこなかっただろうか。高い目標を持って精進することこそが素晴らしいとされ、(中略)勝利至上主義や体罰を生む土壌にもなった。スポーツが楽しいものとして根付いていたなら、五輪を「アスリートのため」だけではなく、自分ごととして考えてくれたかもしれない。
 五輪を目指す日本の選手には、外の世界に目を向けてもらいたい。日本より感染状況が厳しい国は多い。ライバルがどういう状況なのか、どんな気持ちなのか。

山口さんの発言は、きわめて正常な感覚であり、
こうしたとらえ方こそが、世界からもとめられているのではないか。

このまえ「ランスマ 倶楽部」(NHK-BS)をみていたら、
ドリーム駅伝として、ドリームチームや女性芸能人最速チームなど、
4チームがきそう駅伝をやっていた。
参加しているのは、元一流ランナーや、
現役のトップクラスのひとたちで、
のろまなランナーであるわたしにはこういう企画はたのしくない。
エリートだけでかってにやってろ!と、とちゅうでみるのをやめた。
はやいひとが はやくはしって なにがおもしろいのか。
元エリートたちがたらす いやな汁のにおいをわたしはかぎつける。
東京オリンピックをやろうとするひとたちも
おなじようなにおいがする。
選手たちがこれまでいどんできた挑戦はとおといけど、
だからといってオリンピックをひらく状況とはおもえない。
どうしてもオリンピックがいいというひとは、
エリートだけがあつまって かってにやれば?

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月25日

でんでんコンバーターをつかったKDPでの本づくり

きのうKDPのアカウントをチェックすると、
KDPでつくった
『村上春樹作品にでてくるスパゲティの量が気になる』が
「出版準備中」から「販売中」にかわっていた。
とうぜんのながれとはいえ、すごくうれしい。

KDPによる、これが3つめの本で、
いちばんはじめにつくったのは2014年、
つぎが2019年、そして2021年と、
間隔があいているので、そのつどつくり方をわすれてしまう。
でもまあ、わたしたちには、でんでんコンバーターという、
つよい味方がついている。
https://conv.denshochan.com/
コンテンツとなる原稿があれば、
それをでんでんコンバーターにアップロードするだけで、
あとは自動的に電子書籍の書式であるepubにかえてくれる。
「もくじ」だってでんでんコンバーターがつくってくれるし、
小見出しをたてるには「#」をつければいい
(「#」の数がおおくすれば、フォントがちいさくなる)。
本からの引用には「>」をつかえばいいのが今回わかった。
わたしはやったことがないけど、本文のなかに写真だってとりこめる。

基本的にはかんたんな作業だけど、
わたしはテキストファイルを
「txt」で保存するのがなかなかうまくいかず、
なんどかやりなおした。
それと、epubを「ブック」で表示させると、
「小見出し」が やけにおおきなフォントになっている。
なんどかやりなおしてもかわらない。
キンドルでのプレビューはうまく表示されるので
このときの表示は、気にしなくていいみたいだ。

さいごはいよいよキンドルでの本つくりにうつる。
キンドルのサイトをひらき、本のタイトルとかの情報をいれ、
でんでんコンバーターがつくってくれたepub書類を指定すれば
あとは自動的にキンドルが本にしてくれる。
1回目の本つくりでは、きめなければならないことがおおいけど、
2回目以降はそれらが一挙にはぶかれるのでかんたんだ。
キンドルのプレビューでは、あたりまえながら
まるでキンドルでよむような本にしあがっていてうれしくなる。
「もくじ」にはリンクがはられ、それぞれの項目へすぐにとべる。
自分の原稿が、こんなりっぱな本になるなんて、と
つくるたびにおなじようなよろこびにひたる。
本ができあがっても、しばらくは「出版準備中」の表示だけど、
最長でも72時間まてば「販売中」にかわる。

自費出版にくらべKDPはぜんぜんお金がかからないので
ほんとにお手がるな本づくりだ。
それでもうけようとするとたいへんなのだろうけど、
わたしはぜんぜんたかのぞみをしてないので、
自分の本ができたという、ただそれだけでうれしい。
つくったことで満足せずに、宣伝をすればいいけど、
SNSはアカウントをもつだけで、
積極的につかっておらず、こんなとき役にたたない。
宣伝しまくる性格ではないから、どのみちSNSはいかせない。
それでいて本はつくりたいのだから、ややこしい心理だ。

posted by カルピス at 21:22 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月24日

子ネコのプリン(生後7ヶ月)のケガで あわててしまった

きょうの朝、ココとプリンがそろって外にでた。
いっしょにくらしているわたしの母が
洗濯物を外にほすときのできごとだ。
ネコたちは、母のうごきをみごとにみきっており、
どんな素ぶりのあとで、窓があくかをよんでいる。
母がいくら注意してもザルみたいなもので、
2匹そろっての脱走(おでかけ)が日常茶飯事になっている。
なんで外にだしたくないかというと、
ネコ同士のケンカや、車との事故、
その他もろもろのアクシデントを心配するからで、
そのおそれたことがとうとう現実となってしまった。
夕方わたしが家にもどると、2匹ともかえっていたけど、
生後7ヶ月で、まだからだのちいさなプリンが足にケガをしている。
ノラネコにかまれたのではないか。
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家でできるのは消毒くらいだ。しみるのか、かなりいたがる。
キズ口をいじられたくないようで、
足をひきずってベッドにむかった。
食欲はなく、ごはん皿をちかづけてもたべない。
さいわい配偶者があすはやすみの日なので、
動物病院へつれていってもらうようおねがいした。

母には ついきつい口調で文句をいってしまった。
でも、90まえの老人に、
すばやいうごきをもとめるほうがどうかしている。
失敗をきつくとがめるなんて、老人虐待でしかない。
母からすれば、自分がつれてかえったネコではなく、
わたしひとりの判断で かってにプリンをもちかえった。
それなのに母はとてもやさしくネコたちにせっしている。
ほんとは、文句ではなく、感謝を口にしなければならないのに。

犬やネコをあたらしく家族としてむかえるときは、
家族全員の同意がぜったいに必要、といわれている。
ほんとうに、ひとりだけがいくらかわいがっても
動物にできることは たかがしれている。
かりに、わたしひとりがかわいがっても、
ほかの家族がネコたちにつらくあたれば
ネコはいやだろうし、わたしだって家族にいい感情をもたない。
ネコがいると、家族がいいかんじになりやすいけど、
そのためには、みんながネコをすきでないとうまくいかない。

まえにかっていたピピは、しょっちゅうケガをするので、
そのたびに病院へつれていったものだ。
でも、ピピは大人のネコだったので、自業自得ともいえた。
プリンはまだからだがちいさく、ベッドでじっとする姿は
よけいにいたいたしい。
それでもなでているうちに ゴロゴロとのどをならしてくれた。
あした病院へいくことをつたえ、
しっかりねたらよくなるから、とはなす。

posted by カルピス at 21:08 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月23日

KDPによる『村上春樹作品にでてくるスパゲッティの量が気になる』

9日間の休暇もきょうが最終日。
すこしずつつづけていた
村上春樹さんについての本をしあげる。
これまでブログにかいてきた記事をまとめたもので、
KDPによる3冊めの本となる。
いま「出版準備中」の表示なので、
もうすこししたら「販売中」にかわるだろう。

タイトルは
『村上春樹作品にでてくるスパゲッティの量が気になる』。
村上作品をふかくよみこんだ内容ではもちろんなく、
「僕」がどれだけたくさんのスパゲッティをゆでたか、とか、
多崎つくるくんのクロールはもっとはやいのでは、とかいう
ゆるくてどうでもいいことにこだわっている。
これまでの2冊は ほとんどうれてないので、
この3冊めこそ大ヒットしてくれないだろうか。
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9日間になにをしてすごしたか、というと
・KDPでの本つくり1冊
・温泉へ2回
・水泳2回
・ジョギング6回
・ながいあるき(22キロ)
・本2冊
・昼寝8回
・寒中みまい10枚をだす

新型コロナウイルスがじわじわひりがっているので、
どこかへ旅行する気にはならなかった。
いちばんとおくへのおでかけは、
きのうのラムネ温泉ゆきで、
あとはずっと家ですごしている。
やすみだからと、夜ふかしや2どねはせず、
基本的に規則ただしい生活をくりかえしている。
9日やすんだのに、映画は1本もみなかった。

休暇にはいるまえの記事に、
「ただくつろいですごすだけの時間」にする、とかいた。
あたらしいことをはじめたり、
まとまった時間を勉強につかう、なんていう
おりこーちゃんな志をたてたりしなかった。
自分にあまい目標設定がよかったようで、
なかなかじゅうじつした休暇となった。

posted by カルピス at 17:08 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月22日

飯南町頓原のラムネ温泉へ

バカンスちゅうのイベントとして、
配偶者に声をかけ、温泉ゆきを計画する。
松江市内に3ヶ所の温泉があるけど、
あんまりちかくてはイベント感がないので、
飯南町頓原にあるラムネ温泉をえらんだ。
ほんとは温泉津温泉へいきたかったけど、
とおすぎてめんどくさいと配偶者に却下され、
自動車で1時間半ほどのところにあるラムネ温泉になった。
松江をでるときは、道路の温度計が8℃をさしていたのに、
54号線をはしるうちに気温がどんどんさがり 2℃となる。
2週間まえの雪がまだのこり、外の景色は完全な雪国だ。

ラムネ温泉は、べつにラムネの味がするわけではなく、
炭酸泉をうりものにしているから、こういう名前になっている。
日によって色がかわってくる、と受付のパンフにある。
人工的に色をつけるのではなく、
3週間ほどかけて透明からグリーン、イエローグリーン、
イエロー、オレンジへとかわっていく。
温泉の成分によって色がかわるらしく、
きょうはイエローグリーンだった。
イエローグリーンとはどんな色か。
うす茶色の泥水のようで、メコン川の色をおもいだした。
源泉の温度がひくいのか、お湯につかるとなまぬるい。
わたしにはものたりない温度で、
つかっていると ほのかにあたたかくなってきたけど、
汗がにじんでくるほどではない。
さむいので、25分ほど、ただじっとお湯につかっていた。
そもそも受付の部屋からしてさむい。
コロナで換気に気をくばり、窓がすこしあいている。
更衣室もさむいし、浴室もそうあたたかくはない。
わたしのあとからきたひとは、
シャワーでからだをながしてから、すぐに髪をあらっていた。
さむくてわたしにはとてもできない。
そのひとは、湯船につかると「いい気もちー」といっていたので、
ひとによっては じゅうぶんあたたかくかんじられるようだ。
BzASstgnQGSKNSaoVL0XcpMhabhhYoe892JJK2ZIxVjsJrxyqh-bddjJqaYxuCFvkwhw_YNBaSL0Wqf8lZ3lz2fAqd_ejrhQPxMFvE2ld6OYlfT9Bi1ZVKoba6Wn1Vi9sgEYfLl7Ji9cmRNzV4wgc2UeVn07yE-TDK_B352EwI0NBW9AKw-ESoaY4hc8-WS6G1teOGNbch3JDbkSkIney3r5.jpg
あたたまるという意味ではいまひとつだったけど、
雪国風景に刺激をうける温泉ゆきとなった。
道路わきにつみあがった雪をみて、
雪国のたいへんさを車のなかで想像する。
雪がつもると、道路はすぐに除雪車がとおるというけど、
家から道路までは自分たちでなんとかしなければならない。
歩道には除雪された雪がつみあがっていて、
ひとはとてもあるけないところがおおい。
家からでれなければ、たべものや灯油がかえないし、
屋根には雪があつくつもっているしで、
雪にとじこめられるのは かなりのプレッシャーだろう。
家にもどる道すがら、雪のすくない町の のんきさをおもった。

posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月21日

今年はじめての ながあるき

9日間のプチバカンスも、きょうから終盤にはいる。
もうあと3日しかない(まだ3日あるのでジタバタしたい)。
これまでジョギングと日常の家事をくりかえすだけで、
ほんとに「ステイホーム」だった。
まいにちおなじコースをはしるのにもあきてきたので、
あるきの師匠をさそい、ながあるきにでかける。
いつものように20キロを目標としてコースをつくった。

ながくあるこうとするとき、コースにたいし、
かかる時間がなかなか予想できない。
たいていは、9時半にあるきはじめ、
12時にお店なりスーパーにたどりつこうとするのだけど、
これまでうまくいった ためしがない。
どうしても距離とペースをあまくみつもってしまい、
お昼ごはんが1時をすぎてしまう。
きょうも まったくおなじ経緯をたどった。
時速5キロのスピードであるいているのに、あんがい距離がのびない。
予定していた場所が まだまだ先にある。
きょうは最高気温が14℃の予報だったので、
いつものようにスーパーでサンドイッチの材料をかい、
宍道湖岸でたべるつもりだった。
でも、なかなか温度があがらず、外でたべるにはさむすぎるお天気だ。
とちゅうから予定をかえて、
ときどきお世話になる スリランカカレーのお店でのお昼にきりかえた。

お店が2時にしまるとすると、1時には到着したいところだ。
あと1時間しかないので、ペースをさらにあげる。
それまでだってかなりはやあるきだったのが、
さらに足をはやめ、ひたすら距離をかせぐ。
とちゅうから、なんでこんなにいそいでいるのかと、
自分たちがしていることがおかしくなってきて、
ヘラヘラわらいながらあるく。
かんがえてみれば、べつに1時でなくてもお店にはいれるだろうし、
だめなら外でサンドイッチをたべればいいだけのはなしだ。
それを、自分でかってに条件をせばめ、
なんとしても1時までにつかなければと、そればかりが目的となる。
景色を愛でる余裕などなく、ただがむしゃらに足をだすだけという、
狂気に一歩ちかづいた お昼まえのラストスパートだった。

でもまあ、スリランカカレーのお店にして正解だった。
お店のなかはあたたかく、つかれたからだをやすめられたし、
スパイスのきいたカレーはお腹のなかを気もちよくしてくれる。
カレーは薬膳、が実感できる お昼ごはんだった。

かえりはいつものように宍道湖岸で休憩する。
お昼ご飯をめざしてのいそぎ足でつかれはててしまい、
足がまえにでない。1時間ほどベンチでおしゃべりをする。
22キロ(3万1000歩)をあるき、
プチバカンスに変化をつけるイベントとなった。

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2021年01月20日

大脇幸志郎さんへのインタビュー「健康第一主義を考える」(『熱風 』より)

ジブリの小冊子『熱風 1月号』に
「健康第一主義を考える」として
大脇幸志郎さんへのインタビューがのった。
大脇さんの「生活を大切に」というかんがえ方は、
いまの状況で、とても大切な感覚におもえる。
(編集部)
そうすると、どういう対策がいいのでしょうか。もし大脇先生が分科会の会長だったら。
(大脇)
いちばん大きい方針は、みんなが今までの生活の中で大切にしていたものを極力維持することかな。生活を中心に考えたいんです。たとえば飲み会はZoomでもできるって言うじゃないですか。(中略)人付き合いを仕事にしている営業の人だったらZoom飲み会では成り立たないと思うんです。授業も対面だからつたわっていた要素があるはずなんですが、Zoomではそぎ落とされてしまう。

(編集部)
ただみんなで健康になろうというのは、一見いいことのように聞こえますけれど。
(大脇)
そう、ある面では正しいんですけれど、こぼれる人が出るんです。私はこぼれるほうに注目しています。するとどこかで健康に反対せざるを得ない。(中略)もちろん誰も切り捨てないなんてことはできませんから、きれい事なんですが、きれい事を言わないところに正義はない。

(大脇)
「未来少年コナン」が最近再放送されて、例のシーン(タバタバをすうシーン)がちゃんと流れたじゃないですか。あれ、とても良かったなと思っています。(中略)ちなみに、喫煙者が多かったころからすでに日本は長寿国でした。タバコが寿命を縮めると言ってもたかが知れているということがわかります。
(編集部)
タバコがさほど体に悪くないというのはさすがに極論ではないでしょうか?
(大脇)
それも程度問題なんですよ。健康の話は白か黒かの両極端にまで単純化されがちですが、ほとんどの真実はそのあいだにあるんです。(中略)ほっとけばそのうちノロウイルスがいるから生牡蠣は禁止されるでしょうし、高齢者の餅も禁止されます。そんなの嫌だという感覚を大事にしてほしいんです。

(大脇)
健康第一主義は努力したら健康になれそうな人しか見ていないからです。努力してもダメな人や努力しない人は無視することによってその言説が可能になるので。
(編集部)
過去に麻生太郎財務相は、食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって、病院に入っているやつの医療費はオレたちが払っている。公平ではない。無性にハラが立つ、と言っていましたね。
(大脇)
心の狭い発言ですね。私は自分が払った保険料とか税金でいろんな人が楽しくわがままに生きていけるなら嬉しいですけどね。(中略)でも、いま強くなってきているのはまさに、社会に貢献できる人を優先して生きさせようという考え方ですね。だからこそ相模原市の障害者施設殺傷事件が起こったのだと思います。

大脇さんはGo Toに賛成だという。
やり方と時期が妥当だったかはともかく、
「大事なのは感染対策とか自粛の一辺倒に水を差すこと」。
この発言からも、「生活を大切に」への意識がうかがわれる。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月19日

『あの家に暮らす四人の女』(三浦しをん)しをんさんのドタバタ全開

『あの家に暮らす四人の女』
(三浦しをん・中公文庫)

せんじつよんだ三浦しをんさんの
『マナーはいらない 小説の書きかた講座』のなかで、
長編作品に どうとりくむかの例として本書がでてくる。
この本は、谷崎潤一郎の『細雪』を
現代風にアレンジしたものだという。
わたしは『細雪』をよんだことがないけど、
谷崎潤一郎という名前から、上品で、
おちついたものがたりを連想していた。
あるいは、おなじように女性4人のくらしをえがいた
映画『海街diary』のような内容を。

よみはじめると、ものすごいドタバタ小説で、
しをん節全開のエンタメだった。
とちゅうまでは、おおげさな表現がハナにつき、
このままよみつづけるに値する作品だろうかと うたがいもした。
たとえば、
マスクを装着した佐知は、埃舞い散る部屋へ突入し、雪乃に頼まれたとおりクローゼット内を検分した。

同居人にすぎない雪乃が、
「開かずの間」をことわりなく ヘアピンであけたり、
雨もりがひどくて大鍋が3分でいっぱいになるとか、
ドタバタがからまわりしておちつかない。
それが、1/3くらいのところでカラスがでてきてからは、
それなりに はなしがなめらかにすすみはじめた。
さすがしをんさん、といえなくもない。
ドタバタのエンタメとおもえば
しをんさんらしい わらいがたのしめる。

負け犬小説としてもよめそうだ。
「四人の女」というのは、
70まえの鶴代、その娘の佐知37歳、
佐知の友だちの雪乃もおなじ37歳。
雪乃の同僚である多恵美は27歳。
その4人が、「あの家」にくらしており、
それぞれ年齢なりの生活をいとなんでいる。
佐知はもうながいこと恋愛からとおざかっており、
このさき結婚しないでおわるかも、と予感している。
雪乃は、恋愛や結婚そのものにうたがいの目をむけており、
自分は結婚しないと断言している。
いちばんわかい多恵美は、元彼がストーカーとなり、
つきまとわれ迷惑しながらも、
ダメ男にあまく、元彼にも気をゆるしがちだ。

女たちのくらしをえがいた小説でありながら、
鶴代の母親は いちどもかたられていない。
父親はダメ男として顔をだすのに、
母親についてはいっさいふれられていないのはなぜだろう。
わたしがどこかをよみおとしているのかと気になった。
鶴代の性格形成には、母親の存在がかかせないだろうに。

(以下ネタバレあり)
なぜ「あの家」などと距離をおいたタイトルかというと、
三人称でかたるのが、「神」だけでなく、カラスだったり、
亡くなった佐知の父親だったりするからだ。
とくに、佐知の父親は、おわり100ページから
自己紹介したのち 急に霊となって登場し、
カッパのおきものにはいりこんで泥棒退治にくわわったり、
カラスに協力してもらい、佐知のまわりにあらわれたりと
めちゃくちゃな展開に突入する。
三浦しをんさんが、その気になってあそびだしたら、
こんなにも ものがたりが「都合よく」うごきだす。
ありえなさを ちからずくでおさえこむのがしおん流だ。
鶴代と佐知とのかみあわない会話など、ほんとにうまい。
たしかに本書は、小説って、こんなに自由でいいんだ、と
「文章が楽しく書けるようになる」お手本かもしれない。

posted by カルピス at 21:01 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月18日

「考え方がボジティブ過ぎる」というすてきな中学生

朝日新聞の土曜日版beがわたしはすきで、
年末など、これがないと損をしたかんじだし、
いつもなら、土曜日ならではのお得感をもたらしてくれる。
先週は2つ気になった記事があった。

まず、「悩みのるつぼ」によせられた、
「考え方がボジティブ過ぎる」という
女子中学生からの相談がよかった。
この女性は、自分がボジティブすぎる、
というより、甘いのかも、とおもっており、
たとえば
勉強していて眠くなったら、「身体の寝た方がいい、というサインなんだ」と思って寝てしまい、テストでミスをしても、「入試本番に活かせる」と早々に切り替えてしまいます。(中略)勉強中にリビングからのテレビがうるさくて集中できなくても、「集中力を鍛えるトレーニングになる」と我慢し、学校の席替えで希望がかぶったときも、「こっちの席の方がいいことがあるかもしれない」とさっさと譲ってしまいます。

すごくいい子だ。もっと彼女のことがしりたくなってくる。
このひとは、自分がどれだけすばらしい資質をもっているのか
まだ気づいていないのだ。
へんにスタイルをかえないで、このままそだってほしい。
きっとこのひとは、すばらしい人生をおくるだろう。

回答者の清田隆之さんは、
相談者さんがやっていることは「発想の転換」とも言え、それは逆境を上手に乗り切るための武器になるはず。なので、その思考方法はぜひとも大事にしてもらいたいというのが私の思いです。(中略)
 無理をすることが努力ではないし、自分を甘やかすのはひとつの才能です。それを活かしつつ、納得のいく人生を送れることを祈っています。

と適切でやさしいことばをおくっている。

もうひとつ、かるくおどろいたのは、
「be between」で読者にむけてたずねている
「話し言葉で使うのは すみません?すいません?」。
どっちもおなじようなものだろうと わたしはおもっていたら、
おおくのひとは状況におうじて この2つをつかいわけている。
「すみません派」が51%で、「すいません派」が48%。
「すいません」はていねいで、「すいません」はすこしなれなれしい、
でも「柔らかい印象で話しかけるのに便利」なのだそうだ。
わたしは、お礼をいうときは「ありがとうございます」というし、
あやまるときは「もうしわけありません」という。
「すみ(い)ません」はつかわない派だ。
この2つに、まさかちがいがあったとは。
そこまで気をつかってつかいわけるのなら、
はじめからつかわないほうが いいようにおもえるけど。

世間には、いろいろなひとがいて、
わたしにはどうでもいいことだって
ひとによっては大切なよりどころかも。
そんなことを土曜日版Beはおしえてくれる。

posted by カルピス at 16:06 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月17日

年賀状への返事として寒中みまいをだす

年賀状への返事として寒中みまいをだす。
ほんの10枚ほどだけど、ひと仕事であり、
なかなか腰があがらない。
はやく手をつけなければ、とおもいつつ、
なんとなくおもたい存在になってしまう。
むすこが小学生のときは、家族での年賀状をつくっていた。
親子3人の名前をかき、ネコたちの写真をそえる。
あたらしくむかえる年と、
「あけまして おめでとうございます」だけの文面だ。
あとは手がきで
「おげんきですか。ことしもよろしく おねがいします」
とかつけたして、個別のたより感をだす。
いまとなっては、はるかむかしのおもいでとなった。
いつのまにか、自分からは年賀状はださずに、
おくられてきた年賀状には、寒中みまいでかえしている。

返事をかくのは、あたりまえながら
いくつもの工程にわかれる。

・返事をかく
・印刷する
・サインする
・切手と封筒を準備する
・宛名をかく
・封筒にのりづけする
・切手をはる
・ポストにいれる
・とどいていた年賀状を個人別フォルダにいれる

これだけたくさんの工程にわかれから、
はじめにうごきだすのが すごくめんどくさい。
すこし説明すると、
うちにはプリンターがないので、コンビニへゆき、
1枚10円で印刷する。
切手もきれていたので、コンビニでかう。

敷居をひくくするには、切手と封筒をそろえておく、
プリンターをかう、くらいだけど、
けっきょくいちばんとりくみにくくかんじるのは、
「返事をかく」だ。
1枚いちまいに、それぞれ内容をかえるとたいへんだから、
ほとんどの手紙はおなじ文面にしている。
それでも、さあ返事をかくか、という気には
なかなかならない。

年賀状をかくほうもたいへんだろうに。
はがきにあわせて郵便番号と宛名、そして文面を
印刷するように設定するのはすごくたいへんそうだ。
印刷するぐらいだから、文面はどれもいっしょなので、
もらうほうは あんまりありがたいとはおもわない。
わたしの寒中みまいのほうが、
まだ個別のたよりの体裁をたもっているともいえる。
もう年賀状なんてくれなくてもいいのに、
とブツブツおもいながら
こっちもずるずる返事をだしつづけるので、
いまもまだ10枚ほどが生きのびて おくられてくる。

まとめてかく寒中みまいのいいところは、
仕事をおえたあとの達成感くらいか。
いくつもの工程をクリアーし、
さいごに年賀状を個別フォルダーにいれ、
目のまえからすべてのはがきがきえると、
おおきな課題をやりおえた気がしてすごくホッとする。
ホットした安心感から、しばらくなにもできない。

posted by カルピス at 16:35 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月16日

祝「みんなで筋肉体操」連続一年

「みんなで筋肉体操」をまいにちつづけ、
きのうで連続365回となった。
きょねんの1月に、インフルエンザでおやすみしたあと、
いちにちもやすまずにつづけている。
そのまえも、半年以上はつづいていたので、
もうお風呂にはいるまえの習慣となっている。

一年のうちに、すこしずつできる回数がふえ、
最近も最高回数を更新しているので、
つづけるほどに、筋力とスピードがあがっていくようだ。
やっている種目はうでたてふせとスクワットの2種目だけで、
それぞれ4パターンをくりかえしている。
やすまずに1年つづいたのは、4パターンあるおかげで、
なんとかあきずにとりくめるからだろう。
9月には、4パターン目の「パラアスリート編」が放映され、
ますます「あしたの筋トレがたのしみなってきた」。

4パターンとも、2種目からなり、1種目目はわりとかるめ。
2種目目で筋肉を最大限においこむ。
かるめからはじめるので、心臓麻痺で死ぬことはなさそうだ。
どの種目も、それぞれきびしさに特徴があり、
いろいろな方法で筋肉を刺激できるのが特徴だ。
たとえば、1パターン目のうでたてふせは、
30秒全力でくりかえし、10秒やすんだあとにまた20秒を全力で。
4パターンのなかでこれがいちばんきつく、
まいにちだとさすがに気もちがくじけるけど、
4日に1回ならなんとか挑戦する気になる。
2パターン目のうでたてふせは、
60秒間ただひたすら一定のスピードでくりかえす。
そのあとで、いすに足をのせ、角度をつけた姿勢で、
3秒かけておろし、1秒であげる、というのを12回。
筋肉を全力でおいこんだ快感がある。
4パターン目のうでたふせは、あつめの雑誌を床におき、
たかさをつくって よりふかく胸をおろす。
バーベルをつかわなくても、かなりの負荷をかけられる。
あの手この手であきずにとりくませてくれる
講師の谷本さんのはげましがありがたい。

ブログにしてもトレーニングにしても、
わたしはわりとつづけるのが得意みたいで、
さほど負担におもわずにとりくみ、習慣となる。
あんがいはなしは逆で、
むりなくできるものだけがのこったにすぎず、
やったほうがいいこと、やらなければならないことは、
あとまわしにしているのかもしれないけど。

posted by カルピス at 16:41 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月15日

レジで声をかけられて、すごくうれしくなる

近所にあるイオンでかいものをする。
イオンといっても、駐車場が20台分ほどしかない、
かなりちいさなお店だ。
レジで精算をまっていたら、
わたしがえらんだワインのボトルを指さして、
「これおいしいですね」
と女性の店員さんにはなしかけられた。
チリ産の、税こみ630円ほどの安ワインで、
わたしはほとんどこればかりをのんでいる。
きゅうな声かけにおどろきながら あいづちをうつと、
「やすくて のみやすいし」と かさねていわれる。
客であるわたしにたいし、とても自然な声かけで、
わたしはいっぺんにうれしくなる。
ぱっとこころがはれわたったのをかんじた。
スーパーのレジというと、機械的な対応で、
挨拶にしても、お客のこころにとどかないような
ただのかけ声にすぎない「いらっしゃいませ」がほとんどだ。
こんかいのように、個人的にはなしかけられることはまずない。

わたしの心理をさぐってみると、
きれいな女性からの声かけだったのがおおきいようだ。
何年かまえ、ほかのスーパーで黒霧島をかったとき、
男性の店員さん(わたしより年上)に、
「芋焼酎はこれのもんですね」といわれたことがある
(すきなお酒をかわれると、店員さんは
お客になにかはなしかけたくなるのだろうか)。
そのときには、
黒霧島に人気があるというのは、ほんとなんだ、
とおもったくらいで、さほどうれしくかんじなかった。
どちらの店員さんも、接客マニュアルにそって
お客にはなしかけたのではなく、ごく自然な声かけだったけど、
わたしのこころにひびいたのは、女性からのはなしかけだった。
こんなにもわたしがよろこんでしまうのだから、
スーパーはマニュアルにとりいれたらよさそうだけど、
自然に「これおいしいですね」とはなかなかいえない。
ひとがらがおもわずでてくる場面で、
もしかしたらカリスマ店員さんだったのだろうか。

せっかくワインについてはなしをふられたのだから、
「ほかにおすすめのワインがありますか?」と
はなしをふくらませたらよかった。
つぎにまたはなしかけられることはまずないだろうし、
かといって、わたしからおすすめのワインをきりだすのもへんだ。
ちょっとはなしかけられたぐらいで、
こんなに気もちがまいあがってしまうのだから、
笑顔とおしゃべりの効果はかなりたかい。
いっぺんでこのお店がすきになった。
お客とお店とのバリアーをあまりかんじない、
ちいさなお店ならではの、ささやかでしあわせな体験だった。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月14日

ことしの目標は、おなじはなしをしない

わたしが子どもだったころ、大人たちがよく
歳をとるとものわすれがひどくなって・・・、
と いっていたけど、なんのことだかよくわからなかった。
おなじはなしをなんどもする祖母に、
なんで自分がいったかどうかをわすれるのか不思議だった。

もちろん、いまはわたしもよくわかる。
おなじはなしをなんどもしてしまい、
とおまわしに、まえにききました、といわれて
がっくりすることが なんどもでてきた。
自分では気のきいたおしゃべりのつもりで、
映画や本から引用するときが、とくにひどい。
わたしの知識なんか ごくせまくてあさいものでしかなく、
たいしてはなす内容をもたないから、
なんどもおなじはなしをしてしまう。
このはなしは、だれかにしたことはおぼえている。
でも、それを、だれにはなしたかはわすれている。
で、そのひとには はじめての話題だとおもい、
ついついおなじはなしをくりかえしてしまう。

だれかの講演をきいていて、まえにきいたのと
まったくおなじ内容をはなしているのをしり、
そのひとがものすごく俗物にみえてきた。
そのひとにすれば、会場ごとにはなしをかえるのはたいへんだから、
いくつかのネタを、効率よくつかっているのだろうけど、
たまたまおなじはなしをきかされたほうはがっかりだ。
はなしをくりかえすうちに、ツボがわかってきて、
妙にうまくなるのもかなしいことではないか。

というわけで、ことしのわたしの目標は、
おなじはなしをしない、にきめる。
いちど話題にしたことは、もう口にするのを禁止する。
ちがう話題をさがして、かんがえをひろげよう。

ものわすれがすすむと、まえにみた番組を、
すんなりたのしめるので、 わるいことばかりではない。
わたしがすきな「ヒロシの迷宮グルメ」は、
あたらしく日本編がくわわったというものの、
半分は何年かまえに放送したもののくりかえしか、
編集しなおした内容になっている。
でも、それでもじゅうぶんたのしめる。
かならずわたしはみているはずなのに、
内容をほとんどわすれていて、まるではじめてみたいにみる。
わたしだけでなく、配偶者の記憶もあいまいなので、
きっと、まえとおなじ感想をいいあってみてるのだろう。

老人ホームやデイサービスでは、
おなじはなしが延々とくりかえされているのではないか。
それはそれで、平和な風景であり、わるくないとおもう。
わたしも もうすこし歳をとったら、
意地をはらないで、堂々とおなじはなしをくりかえそう。
それまでは、もうすこしジタバタして 頭をつかい、
ちがうネタをさがし、話題をひろげていきたい。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月13日

9日間のプチバカンスをとる

あさって、1月15日から、9日間の休暇にはいる。
いつもの休日のあいだに、有休を5日いれると、あわせて9日。
新型コロナウイルスのせいで、海外旅行はあきらめていたけど、
鳥取や四国だったら、あまり感染者がでていないので、
自動車でまわってみよう、とおもっていた。
それが ここにきて、全国的に感染者がふえ、
島根でも、まだすくないとはいえ、
だらだらと、毎日のようにあらたな感染が発表されている。
ここは、おでかけはあきらめ、家ですごしたほうがよさそうだ。
休暇をとっても、どこへもいけないなら 意味がなさそうだけど、
一年にいちどは、まとまったやすみがほしいので、
予定どおりにプチバカンスをとる。

せんじつよんだ『パリ行ったことないの』(山内マリコ)に、
フランス人は定時に仕事をきりあげるのがあたりまえで、
そのうえに5週間のバカンスをきっちりとる、とかいてあった。
勤務時間には、仕事に集中しなければならず、
けして楽ではない、とあるけど、
それにしても5週間のバカンスはうらやましい。
そして、バカンスのあいだになにをするかというと、
なにもしないのが、フランス人のすごし方だという。
まとまった時間をえることで、それを勉強にあてるとか、
なにかあたらしいことをはじめるのではなく、
ただくつろいですごすだけの時間。

パリでくらしはじめ、旅行会社につとめるあゆこは、
本物のパリジェンヌみたいにバカンスをすごすツアーを計画する。
殺人的スケジュールでせわしなく観光地を回る旅じゃなくて、とことんなにもしない旅。あそこにも行きたいこれも食べたいという欲張りな旅とは真逆の、無為な時間を過ごすだけの、ある意味やる気のない旅。(中略)
「それこそが、フランス人にとってのバカンスですよね?」
確認するように訊くと、
「そうだな。あの人たちは本当に、バカンスがないと死んじゃうからね」

「バカンスがないと死んじゃう」って、いいなー。
新型コロナウイルスの感染がひろがりつつあるときに、
休暇をとってもいけるところはかぎられている。
どこへもいけなくてもいいので、まとまったやすみがほしい。
やすんで、パリジェンヌみたいに、なにもしないですごそう。
やすまないと、死んじゃうから。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月12日

『ブルックリン・フォリーズ』(ポール=オースター)あたたかで、愛にあふれたトホホ小説

『ブルックリン・フォリーズ』
(ポール=オースター・柴田元幸:訳・新潮文庫)

 私は静かに死ねる場所を探していた。

本のはじまりは、ものすごくくらい。
生命保険会社ではたらいてきたネイサンは、
60歳をまえにして、肺ガンにかかる。
手術し、放射線治療をうけ、化学療法にくるしみ、
いまは小康状態なものの、生きる気力をうしなっている。
仕事をやめ、妻には離婚をきりだされ、
たしかにこれ以上ないほどトホホな状態で
生まれそだったブルックリンにもどってきた。
冒頭にあげたように、死ぬ場所をさがすために。

町になじむため、またありあまる時間をつぶすために、
ネイサンがあちこちをぶらついていると、
古本屋で甥のトムに偶然であう。
わかいころは才能にあふれ、
これからすばらしい成功をおさめるだろうと、
うたがったことのない好青年だったトムなのに、
大学をとちゅうでやめ、タクシーの運転手をつとめたあとで、
たまたまその古本屋ではたらいていた。
いまは標準体重を20キロうわまわり、女性からも相手にされず、
だれからもすかれていた面影は もはやない。

古本屋の店主であるハリーも、ややこしい過去をもつ人物だった。
トムにかたってきた 華々しい経歴はすべてウソで、
絵画偽造の罪で刑務所にもいれられていた。
金もちの妻から縁をきられ、町をおいだされ、
人生をゼロからたてなおさなければならかった初老の男。
ことほどさように、この本にでてくるすべてのひとが、
それぞれにトホホの境遇をかかえている。

オースターの文章は、皮肉めいた口調ながら
たっぷりのユーモアをわすれない。
訳者の柴田元幸さんは、オースターのもち味が
わたしにもわかるように訳してくれており、
ここちよくものがたりの世界にひたる。
登場人物が複雑にからみあい、どん底のトホホだったひとたちが、
やがてそれぞれ、おちつくところにおさまってゆく。
誠実に生きていれば、さいごのところでなんとかなる、
とおもわせてくれる小説で、わたしのこのみにピッタリあった。
よみおえたあと、しばらくものがたりの余韻にひたる。

人間関係を、たくみにくみあわせながら、
そのひとがなぜそうしなければならなかったかの理由を
オースターはふかくえがいている。
たとえば。

トムの姪である、9歳の女の子ルーシーが、
「あたし、悪い子になる。神さまがお作りになった最高に悪い、最高に意地悪の、最高に口汚い子になる」

といいだし、じっさいに、母親のまえでは わがままな娘になりはてる。
でも、まわりの大人は、ルーシーをこまった子、とはとらえない。
それがルーシーにとって必要不可欠な浄化であることも私にはだんだん見えてきた。これは、ルーシーが自分の人生を求めて必死に闘っている証拠なのだ。

ルーシーは、母親を愛しているけど、
その母親が、彼女をある日バスにのせ、
自分の家からおいだした張本人だ。
幼い子供がこんな不可解な目に遭ったら、どうしたって、自分にも少し責任があるのではと思ってしまうのではないか?悪い子でもなければ、母の愛に値しない子でもなければ、どうして母親が追い出したりするだろう?

で、自分は わるい子でなければ、とルーシーはかんがえた。
ルーシーが大人しくしてくれたら家はもっと落着いた場所になっていただろうが、その悲鳴を内に貯めてしまえば、結局は彼女に途方もない苦しみがもたらされるだろう。ここは外に出すしかなかった。出血を止めるために、ほかにすべはなかった。

ルーシーについて、オースターの理解がいきとどいているように、
ほかの人物にしても、どうしようもないながれに翻弄されながらも、
やがてそれぞれが自分にふさわしい場所を手にいれてゆく。

いろんな問題がかたづき、大団円でおわるかとおもわれたある晩、
ネイサンはきゅうに意識をうしない、救急車で病院へはこばれる。
さいわいネイサンの症状は、食道の炎症にすぎなかった。
死なずにすんだネイサンは、自分がいる病室に
つぎつぎとはこばれてくる緊急患者とはなすうちに、
ひとりひとりの人生におもいをはせる。
このように、無名でわすれられがちな人物について、
本にしあげる会社をつくろうとおもいつく。
つぎの日の朝、退院をゆるされたネイサンは、
あたらしいアイデアをかかえ、
このうえなくしあわせな気分で自分の家にむかう。
同時多発テロが46分後にせまる、9月11日の朝のことだった。

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする