2021年01月11日

夢のなかでフルマラソン4時間30分をきる

フルマラソンで3時間30分をきった夢をみた。
どーせたいしたタイムはでないし、と
気のりうすではしっていて、時計をみたら、
なんとか3時間半をきれそうだ。
懸命にラストスパートをかける。
夢だから、自由自在にからだがうごき、
いくらでも足をはやくうごかせる快感がすごい。

現実では、ヨタヨタとしかあるけないのに、
夢ではあるけるし、はしれる。やがてふっと体がういて
気がつけば、空をとんでいる、というはなしのながれは、
きょねんの「きらクラ」で朗読された
『わすれられないおくりもの』をおもいだす。
年をとり、もうすぐ死をむかえるアナグマが、
ある夜、夢をみると、わかいころのようにはしりまわわっている。
やがてからだがうきあがり、トンネルのさきにむかい、
宙をとんでいく、というはなしだ。
夢から目をさますことなく、アナグマは息をひきとるのだけど、
わたしが死ぬときも、こんかいの夢のように、
ありえなスピードで いつまでもはしりまわれたらうれしい。
長距離ランナー冥利につきる最期だ。

1月も11日となり、ようやく日常がもどってきた。
年のくれからお正月にかけて、どうしてもへんな期間となる。
「あけましておめでとうございます」をいわなければならないし、
テレビやラジオの番組がかわり、新聞の紙面もいつもとちがう。
この「いつもとちがう」のがわたしは苦手で、
なんとなくうきあしだったかんじがいやだ。
年末スペシャルはいいけど、新春特別企画はいや、と
自分でも どこらへんで線をひいているのかわからないけど。
11日となれば、たいていのことがもとにもどってきた。
もう「おめでとう」とはいわなくていいし、
職場での仕事もいつものくりかえしがはじまる。
平凡な日常が、いつものようにくりかえされるしあわせ。
いつまでもつづかないことはわかっていても、
いつまでもつづくことをねがっている。

posted by カルピス at 19:44 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月10日

ふるいものをつかいつづける配偶者の合理的精神

夕ごはんのあと配偶者が自分の部屋にもどり、
彼女のイスに ふるいフリースだけがのこった。
新婚旅行でカナダへいったとき(バンフ)かったもので、
お店でいっしょにえらんだから わたしにも みおぼえがある。
もう28年もむかしのはなしだ。
ほかの女性が、どれだけのあいだ服をきるのかしらないけど、
28年もきつづけるひとは あまりいないのではないか。
おそらく配偶者は、とくに愛着があるからきているのではなく、
部屋着としてわりきり、きられるかぎり すてずに きつづける。

服だけでなく、なににおいても、
配偶者はものをすてずにつかいつづけるひとだ。
結婚し、いっしょにくらしはじめたとき、
彼女が高校の林間学校用にかったというふるいコッフェルを、
現役のナベ兼保存用の器としてつかっていた。
アウトドアむけに、大・中・小のナベがひとつにおさまっている。
日常の調理器具としても、もちろんつかえるけど、
ちいさいし、とってがぐらついていて、
積極的につかいつづけたいほど 便利なナベではなかった。
それでも役をはたすうちはすてないのが配偶者流だ。

電気炊飯器も ものすごく旧式の型で
(さすがに何年かしたらこわれた)、
28年まえの新婚当時でさえ、ふるさにおどろいたおぼえがある。
ものを大切にして、つかえるあいだは、とことんつかう。
こわれたら、すぐにあきらめて あたらしいものをかう。
そのときは、必要経費とわりきり、値段をケチらない。
非常にドライな精神は、日常におきる
さまざまなトラブルに対応するときにも発揮される。
決断と実行のひとで、ためらいがない。
わたしなんかは、なかなかきめられなくて、
あーでもない、こーでもないのタイプだから、
現実的にものごとを処理していく配偶者に感心する。
わたしが高齢者となり、身のまわりのことができなくなったら、
どんな合理的な判断がくだるのか、すこしおっかない。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月09日

雪のためジムへ。マスクをつけてのランと自転車を体験する

雪のためはしれない。
きょうだけでなく、雪がとけるまでのあいだ
しばらくジムでのトレーニングにきりかえる。
雪のなかをあるく、という手もあるけど、
あまりたのしくないので、1年ぶりにジムへ。

きょねんの4月9日に、島根県ではじめて
新型コロナウイルスの感染者が報告されると、
プールとジムからなる県立の施設が いったん利用できなくなった。
6月から、人数を制限して再開されたものの、
ジムでのトレーニングは、
更衣室(つまりシャワーも)がつかえないし、
つかった器具の消毒をもとめられるようになる。
そして、8月からはかならずマスクをつけるよう もとめられた。
マスクがにが手なわたしは、
そこまでしてトレーニングをしたくないので、
ジョギングと家での「みんなで筋肉体操」、
それと週に1回の水泳でのりきることにする。
でも、今回のように雪がつもると どうにもならない。
トレーニング計画がガタガタになるので、
きょうはひさしぶりにジムでのトレーニングにでかけた。

利用人数は20人に制限されている。
そして、ひとり2時間が上限だ。
土曜日で、ひとがおおいかとおもったけど、
なんとか20人の枠にすべりこむ。
トレッドミルも自転車も、間隔をあけるために、
1台おきにしかつかえなくなっている。
すこしまってから、まず30分はしる。
マスクをつけてはしるのは はじめてだ。
いつもの時速10キロから、9キロにおとした。
いつもなら、10分をすぎるとからだがなれてくるのに、
マスクをつけていると、さすがに息ぐるしい。
はしったあと、自転車にも30分のる。
こちらはトレッドミルほどではないけど、
やっぱりマスクは邪魔で気もちわるい。
なんにでもひとはなれるものなので、
つづけているうちに マスクがあたりまえになるのだろうか。
ジムにはトレーニングマシンもフリーウェイトもあり、
以前はベンチプレスとスクワットをメニューにいれていた。
でも、きょうやっただけでは筋肉痛になるだけなので、
筋トレはいっさいせずにトレーニングをおえる。
全部で1時間の滞在だった。
ひさしぶりのジムは、あきらかに以前とちがう光景だったけど、
しばらくはこれが日常となりそうだ。
マスクと消毒がセットのトレーニングを、
なつかしくおもいだすのは いつの日になるだろうか。

こまるのは、更衣室がつかえないことで、
きょうのようにすごくさむい日は、
どんな服をきていったらいいのかがむつかしい。
シャワーをあびられないので、汗をかいたからだがひえるまえに
家までかえらなければならない。
とはいえ、島根のことなので、
愛車フィットにのり、10分もかからず家についた。
マスクつきとはいえ、からだをうごかせたので気もちいい。

posted by カルピス at 16:17 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月08日

糸井重里さんの「よいしょする体重計」ってすてきだ

糸井重里さんの「よいしょする体重計」(今日のダーリン)
のはなしがおもしろかった。
糸井さんがつかっている体重計は、体重だけでなく、
BMIや体脂肪率、さらに「体年齢」までしめされるという。
ここに出てくる数字が、ずっと若いままなのだ。
ずっと実年齢から、16年を引いた年齢が出てくる。
ここに年相応の数字が出てきていたら、
まぁ、がっかりするとまでは言わないけれど、
あんまり元気になるとも思えないから、
「よっ、ずいぶんとお若いですな」みたいな数字で、
おだてられたほうが、まじめに体重計に乗る気にもなる。

糸井さん本人は、それなりの老化を自覚しているのに、
体重計はずっと「よいしょ」しつづけてくれ、
あろうことか、最近はさらに数字をへらすようになったらしい。
最近「よいしょする体重計」のやつ、
数字をもう1つ、減らすようになったよ、ほんとかよ。
もう! お祝いに、明日とんかつ食っちゃおうかなぁ。

事実だけをしめす体重計よりも、
そんなふうに、よいしょしてくれたほうが気分よくすごせる。
わたしの家にある体重計は、もうずいぶんふるいもので、
体重しかおしえてくれない。
わたしもよいしょしてくれる体重計がほしくなった。

体重計だけでなく、「よいしょする健康診断」はどうだろうか。
健康診断をうけるひとが、その結果をみるときに、
いくとおりかの計算方法からえらべたほうがいいのでは。
いまのやり方では、ほんの1ポイントでも
数値が基準をうまわわると(そもそもそれがあやしい)、
異常値としてチェックされてしまう。
チェックがはいると、どうしても気にしてしまうので、
基準を3割オーバーしていても、まあそれぐらいなら、
とみのがしてくれる検査のほうがわたしにはむいている。
基準値は国によってさまざまだというから、
あまりおもくうけとめず、できれば右から左へとききながしたい。
じっさい、お医者さんにいって血圧をはかられたときなど、
かなりたかめの数値ても、「この機械はたかめにでますから」と
ぜんぜん気にされず、スルーしてくれたり、
べつのお医者さんは、さっきはおしゃべりしたから、
下の血圧がたかかったのでしょう、と問題にされなかった。
血圧をはかりながらも、お医者さんだって、
血圧がすこしぐらいたかいときがあっても、
たいしたことでないのをよくわかっているみたいだ。
血圧だけでなく、健康診断でしめされるほかの数値も
もっとおおまかにみればいいのでは。

すこしまえの朝日新聞に、
「『不健康でもいい』と唱える医師」として、
大脇幸志郎さんが紹介されていた。

「生活をつまらなくしてまで、健康第一の生き方でいいのでしょうか。
 人はだれしも、健康より大事なものを持っています」
「健康は大事だけど、常に一番ではないかもしれない」

健康は信仰のようなもので、
どのようにしんじるかは ひとによってさまざまでよい。
お医者さんである大脇さんが「不健康でもいい」といってくれると
とても気がらくになる。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月07日

「そうっすね」の「す」は敬語だった、という中村桃子さんの研究

エバーノートにほうりこんでおいた記事のなかに、
「そうっすね」の「す」って何すか?

というのがあった。
まったくおぼえがないので よみかえしてみると、
言語学者の中村桃子さんが
「す」をつけたはなし方に「ス体」となづけ、
どういうときに「す」をつけるのか、研究している、
という内容だった。
体育会系クラブに所属する男子大学生の会話を録音分析して分かったのは、ス体は後輩が先輩に話すときに使い、決してその逆ではないこと。後輩同士でも避ける。つまりス体は「親しい丁寧さ」を表現する一種の敬語だった(朝日新聞の記事より)。

まえにみた映画『100円の恋』にも、
ぜんぶ「まじっすか?」でうけこたえするひと
(たしかコンビニの店員)がでていた。
このひとは、なにをいわれても「まじっすか?」とかえし、
そういっておけば、けっこう会話がなりたってしまうのに
おどろいたことがある。
敬語だから、いわれたほうは、そう腹をたてないのだろう。
この「まじっすか?」も「ス体」の一種にちがいない。

日産が提供するラジオ番組「安部礼司」にも、
ぜんぶの語尾に「っす」をつける後輩社員がでてくる。
わたしは、そのはなし方をきいたとき、特徴的ではあっても
そういうひともいるかな、くらい自然にうけとめられた。
番組がはじまったときには、
「す」がすでに市民権をえていたのだろう。

さらにいえば、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬にならないための十ヶ条」の2番目として、
「『・・・・っすよ』と言わない」があげられている。
まちがいなくこれは、新敬語としてのス体だろう。
「これってイマイチっすよねぇ、あっはっは」と豪快に笑う負け犬は、男性にとっては付き合い易い同僚ではあるものの、異性としては認識されづらい。

中村さんが「ス体」に気づいたのは1990年代というから、
もう30年もまえになる。
それからすこしずつ、でも着実に「ス体」はひろまってゆく。
『負け犬の遠吠え』が出版された2003年には、
すでに「負け犬」予備軍の特徴といえるまで
そこそこわかい女性にも つかわれていたようだ。

ちなみに、『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬になってしまってからの十ヶ条」も
ちゃんと用意されている。
なってしまったものは、もうしょうがないので、
いたくない「負け犬」をめざすよりない。
わたしがいちばん感心したのは、十ヶ条目の「つきぬける」だ。
 突き抜けた先には、もしかしたら何も無いのかもしれません。が、せっかく負け犬になったのだから、たとえ奇人変人と言われようと、途中で力尽きて倒れようと、勝ち犬には決してできない突き抜け方をしてもいいのではないか。

つきぬけることに成功した「負け犬」は、
「・・・・っすよ」と、いくらいってもかまわないけど、
そのころには、「負け犬」予備軍たちから したしみをこめて
「・・・・っすよ」をつかわれる側になっていることだろう。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月06日

『マイレージ、マイライフ』空港とホテルが恋しくなる

『マイレージ、マイライフ』
(ジェイソン=ライトマン:監督・2009年・アメリカ)

雇用主にかわり、その企業ではたらいているひとに
クビをつげるのがビンガムの仕事だ。
突然の解雇をつきつけられると、
ほとんどのひとがとりみだし、悪態をたれる。
その修羅場を、いかにのりきるかが
プロとしてビンガムにもとめられている。
つめたすぎない対応で、でも相手に現実を理解してもらう。

ビンガムは仕事がら、アメリカ全土をとびまわっており、
1000マイルを達成するのを目標としている。
映画には、コンパクトにつめられたカバンをさっそうとひいて、
空港から空港へ、そしてホテルへと、
気がるにうごきまわるビンガムの姿がよくでてくる。
ビンガムにとって空港やホテルは、
特別な場所ではなく、なれしたしんだ自分の居場所となっている。

新型コロナウイルスで、旅行にでられなくなったわたしは、
じつは映画のストーリーよりも、空港での景色や、
くつろいで飛行機にのるビンガムをうらやましくみていた。
飛行機をつかうからといって、
いつもスムーズにことがながれるとはかぎらない。
というか、飛行機にはアクシデントがつきもので、
天気や機体の整備、空港のストライキ、
理由がしらされないおくれなど、日常茶飯事といってよい。
わたしなんかは、やすい航空会社をつかうせいか、
出発時間のおくれは いつものことで、
スムーズにいくと かえっておどろいてしまう。
予定外のまち時間をつげられると、
たいくつして時間をもてあましてしまうけど、
ビンガムだったら クラブ会員の特権を最大限にいかし、
突然うまれた空白の時間をたのしむのだろう。

2年まえのタイ旅行では、予定していた飛行機が7時間30分おくれ、
あわせて11時間を関西空港ですごさなければならなかった。
航空会社から、軽食のクーポンがもらえたけど、
そんなものぐらいで11時間のひまはつぶせない。
空港内をあちこち散歩し、iPodをきき、本をよむ。
意識がマヒするのか、そのうちまつことになれてきて、
2、3時間などすぐにたってしまうほど、
まち時間の達人となっていた。

日本からの出発が半日おくれると、
とうぜんバンコクにつくのもそれだけずれこみ、
予約していたホテルにはいれなかった。
つかれたからだで空港からカオサンゆきの路線バスにのり、
ゲストハウスに朝はやくチェックインした。
屋台でたべた食事でお腹をこわし、
下痢と熱にひとばんくるしむおまけまでついていた。
そんなアクシデントをふくめて「旅」なのであり、
すぎてしまえば たいていのことはおもいでとなる。
空港と安宿を、もういちど日常の場としたい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月05日

『マナーはいらない 小説の書きかた講座』(三浦しをん)

『マナーはいらない 小説の書きかた講座』
(三浦しをん・集英社)

著者の三浦しをんさんは、
コバルト短編小説新人賞の選考委員をつとめており、
ここを踏まえると、もっと自由に文章で表現できるようになるかもだぜ!!」というポイントも確実にある気がします。

と、投稿するひとの参考になるよう、
小説のかきかたを連載したのが本書となっている。
例にあげた文からわかるように、そして帯に
爆笑”しをん節”で綴る「小説の書きかた」エッセイ!

と あるとおり、しをんさんらしいかたりくちなので、
かたぐるしい教本とならず、気らくに、さらさらとよめる。

タイトルが、「マナーはいらない」となっているのは、
アドバイスを22皿のフルコース料理にたとえているからだ
(さいごは食後酒でしめくくられている)。
とちゅうに「お口直し」も4回あり、小説のおさえどころを、
お腹いっぱいになるまで堪能できる構成となっている。
応募作品によくみられる いまひとつな点を例にあげ、
自作をかくときにどうやってとりくんだかもあきらかにしつつ、
読者にわかりやすくコツをつたえている。

たとえば、「描写と説明」のお皿では、
しをんさんのデビュー作である
『格闘する者に○』のときの体験をあげ、
 外はいいお天気だというのに、私はこうして足の痺れと戦っている。

が「描写ではなく説明」になっている、と
エージェントの方に指摘されたという。
そこでしをんさんは、
 外は五月晴れというのが本当にふさわしい、「宇宙直結」のお天気だというのに、

とかきあらためている。
できるだけ具体的に、とわたしはこころがけているつもりでも、
「よいお天気」は なにもひっかからずにつかってきた。
「描写ではなく説明」にならない、は
わたしにとってありがたいアドバイスだ。

もっとも、わたしは小説をかく気などまったくなく、
この本も、よみものとしてのおもしろさを期待してもとめた。
アドバイスをする側のしをんさんは、
投稿するひとたちに、つねにあたたかな視線をおくり、
背中をおし、たのしんで小説をかいてほしいとねがっている。
うえから目線のアドバイスはなく、いずれのお皿も
自分の体験から わかりやすくのべられていて、
(きっと)小説をかくひとたちの参考になるだろう。
それにしても、いくつもののハードルをのりこえ
投稿せずにはおれないという熱意を わたしはすばらしいとおもう。
ややこしいことにいろいろ配慮しつつ、
「それでも小説がかきたい!」という情熱がとおとい。

小説をよむときに、とくにひっかからず
すらすらとさきへすすめるのは、
ものすごくたくさんのことがらについて、
注意ぶかくおさえられている結果なのが、本書をよむとわかる。
以前、女子高校生がぼろぼろのスーパーカブにのるはなしを
「おためし」の無料部分だけよんだ。
自分に自信がもてず、友だちもいなかった女の子が、
スーパーカブを手にいれてから、
仲間ができ、あたらしいことへ挑戦していく。
とかくと、すごくおもしろそうなのに、
よんでいて、ぜんぜん素材がいきてない。
いまおもえば、不自然な点がおおい文章にわたしはひっかかり、
さきへすすむ気をうしなったのだろう。
「ルールはいらない」とはいえ、
小説をかくうえでの最低限のルールがまもられていないと、
読者が安心してよみつづける文章にはならない。

とはいえ、文章術ではなく、「小説の書きかた」として
しをんさんは本書にとりくんでいる。
こまかなテクニックよりも、小説へむけるエネルギーが大切だ。
小説をかくよろこびを、しをんさんはしりつくしており、
たいへんさにくじけずに、たのしんでかいてほしいという
投稿者への愛にあふれたテキストとなっている。
小説をかきたいひとにも、かく気はないけど、
文章に興味のあるひとにも、おすすめの一冊だ。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月04日

パネルヒーターのあたたかさに満足する

注文していたパネルヒーターが、元旦にとどく。
机にむかってパソコンをうったり、DVDをみるときに、
足もとのひえをなんとかしたくて注文した。
シゴタノ!とデイリーポータルZの両方でとりあげられており、
すごくつかいがってがよさそうだったから。
ホットカーペットをついたてにした形で、
おもっていたよりずっとおおきい。
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ストーブをつけても、あたたかくなるのはからだの横だけだし、
エアコンの熱は足もとにとどかない。
湯たんぽを足のしたにおいたこともあるけど、
これでは足のうらがあたたかいだけだ。
パネルヒーターは、こうした問題をいっきょに解決した。
ほのかだけど、ひざから下が、じゅうぶんあたたかい。
うすい毛布をかけると、こたつになってさらにあたたまる。
あまりにも快適なので罪悪感をおぼえるほどだ。

それにしても、元旦にとどいたのはおどろいた。
雪のため配達がおくれ、元旦になったのだけど、
元旦ぐらい宅配便の方に、やすんでもらってもかまわないのに。
わたしのために元旦まで仕事をしてもらい恐縮する。
とかいいながら、元旦にちかくのスーパーでかいものをした。
以前は、正月の三が日くらいやすめよ、みたいに
エラソーなことをいっていたけど、
年をとるにつれ堕落がすすみ、元旦も二日も、
けっきょくまいにちスーパーで便利にかいものをさせてもらった。
おせちもおもちもたべてないし、初もうでにもいってない。
まったくお正月らしくない冬やすみだった。

年末年始のやすみがおわり、きょうから仕事がはじまる。
月曜日スタートなので、年あけなのに、いつもの週あけみたいだ。
ことしのカレンダーは、ぜんぜん気がきかない。
ことしのはしりはじめは1月2日。
まだ雪がのこっていたし、雨がふりだしそうだし、
すごくさむいしで、ずいぶんまよったけど、
なんとか服をきがえてスタートした。
雪はあんがいきえていたし、風はつよいけど、
はしれないほどではないしで、
くじけずに、はしりだした自分をほめる。
このランがいいリセットになり、からだと頭がうごきだした。
にがてなお正月がおわり、気もちも日常へときりかわる。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月03日

『ホワイトタイガー』わけがわからないけど、すごく魅力的

『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火』
(カレン=シャフナザーロフ:監督・2012・ロシア)

ロシア映画『ホワイトタイガー』をみる。
「タイガー」は、もちろんドイツのタイガーI型戦車のことで、
ソビエトのT-34にのる戦車兵が主人公(ナイジョノフ)だ。
「ホワイトタイガー」という幽霊のような戦車の存在が
ソビエトだけでなく、ドイツ兵のあいだでもささやかれている。
いったいホワイトタイガーとは なにものなのか。
ナイジョノフは、戦車とはなしができる、といい、
彼がのる戦車は「ホワイトタイガー」に撃破され、
大ヤケドをおいながらも奇跡の回復をみせ、前線にもどってきた。
彼自身が幽霊のような存在にみえる。
ナイジョノフの頭にあるのは、
ホワイトタイガーをしとめることだけだ。
もう戦争がおわった、と上官が彼につげても、
「あいつをやきはらうまでは」と、
彼のなかでは戦争がおわっていない。

まえにみた『フューリー』は、
実存するタイガー戦車をつかっての撮影で、
タイガーとシャーマンのたたかいをリアルに再現していた。
この『ホワイトタイガー』も、タイガーのうごきがほんものっぽい。
車体のうしろに2つついているドラム缶みたいなマフラーから、
タイガーのうごきにあわせてしろい煙があがる。
T-34は群をなしてタイガーにたたかいをいどみながらも、
まったくいいところなく、つぎつぎに撃破されてしまう。
あんなにたくさんのT-34がでてくる作品は はじめてだ。
T-34は、タイガーがどこにかくれているのかつかめない。
ひくい車体のタイガーが みるからに不気味で、
ねらいうちされるT-34の恐怖がつたわってくる。
タイガーの乗組員はいちどもえがかれず、
まるでタイガー自身が意思をもった生物のようにみえてくる。
そこらじゅう泥沼になっている村にタイガーがかくれ、
ナイジョノフのT-34がしつこくおいまわす。
あんな地形では、戦車でなければうごけない。
ようやくタイガーをみつけ、しとめようと砲撃すると、
泥で砲身がつまっており、ラッパみたいに破裂してしまった。

さいごにヒトラーがでてきて、だれかにむかってかたっている。
みんなユダヤ人がきらいで、ソ連がこわくて、
その2つの問題を解決しようとした、とはなす。
ヨーロッパじゅうがのぞんだことなのだ、という。
ホワイトタイガーとは、いったいなにを象徴していたのだろう。
こんな作品をよくロシアがつくったものだ。

なんとも不思議な作品で、いちどみてもよくわからず、
もういちどみたけど、ますますわからない。
これはだれかの解説がほしい、とおもっていたところ、
飯森盛良さんによる 納得のいく記事をネットでみつけた。
https://www.thecinema.jp/article/89
わけがわからないけど、やたらと魅力的な『ホワイトタイガー』。
作品理解をたすけてくれるので、ぜひそちらもごらんください。

posted by カルピス at 10:16 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月02日

祝 川崎フロンターレ 天皇杯初優勝

第100回天皇杯決勝
1−0でフロンターレ

今シーズンをしめくくるさいごの試合。
中村憲剛のユニフォームすがたをみるのも、これがさいごとなる。

前半は、ずっとフロンターレがせめつづける。
ガンバはまえにつなげないし、そもそもボールをもてない。
シーズンちゅうとおなじ光景がつづく。
ガンバはまもりに重点をおき、
ほとんど前線にボールがまわらないのでこわくない。
ただ、フロンターレはなんどもあった得点機をいかせない。
ガンバのゴールキーパー、東口の好セーブもあり、
はいりそうで はいらないのは、いやな展開だ。

後半にはいっても、フロンターレがながれをつかんだままだ。
後半9分、三苫が 三苫らしいきりこみから、
ゴールのひだりすみにながしこみ、フロンターレの先制。
そのあとガンバは4バックにきりかえ、
中盤でボールがおさまるようになる。
後半30分からみせたガンバの攻撃はすさまじく、
フロンターレは防戦いっぽうとなった。
こきざみに選手交代がおこなわれ、
フロンターレも3どめの交代をおえる。
その時点で、中村憲剛の出場はなくなった。
かちきるためにはしかたのない判断で、
フロンターレは4分のアディショナルタイムをしのぎきり、
天皇杯初優勝をきめる。

試合後に、選手同士がハグするなか、
鬼木監督が憲剛をみつけ、安心したような、
やさしい笑顔でちかづいて肩をだく。
なにやら憲剛にささやいていたのは、
出場の機会をつくれなかったことへのことわりだったそうだ。
憲剛はもちろん 鬼木監督の心境を理解しており、
ふたりは笑顔で2冠目となる優勝をよろこびあう。

圧倒的にフロンターレがおした内容だったけど、
終了間際のガンバの猛攻をおもうと、
どうなっていたかわからない試合だった。
かちきることのむつかしさと、そんななかでも、
きっちり結果をだした フロンターレの試合はこびがひかった。
シーズンちゅうのつよさが、そのまま再現された試合だ。

posted by カルピス at 09:25 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月01日

大晦日の夜は、ラジマンと「村上RADIO」年こしスペシャル

2013年からつづいているという、
ラジオマンジャックの年こしスペシャルが、
大晦日の夕方4時から朝の1時まで放送される。
きょねんは、NHKラジオの番組紹介みたいな時間帯があり、
ほとんどラジオマンジャックと関係がなくて退屈した。
ことしはいつもの番組を、そのままながくしたような内容で、
いいかんじにゆるさと雑多さをたのしめる。
時東ぁみさんは、ひとの名前をよむときに、
さらっといいまちがえ、それをぜんぜんわるびれずに
「あ、まちがえた」と訂正してつづけ、それぐらいでは、
まわりはもはやなにもつっこまないからすごい。
奇妙礼太郎さんの「赤いスイートピー 」がすばらしかった。
奇妙さんは曲をかんぜんに自分の解釈でうたい、
歌詞がこころにひびいてくる。
だれがどうきいても「赤いスイートピー」だけど、
松田聖子さんのものとは まったくちがう曲にきこえる。

夜11時からは、「村上RADIO年越しスペシャル」。
「村上RADIO」はもうこれで20回をむかえるという。
今回は、村上さんとしては はじめての生放送で、
ゲストに山中伸弥さんと山極寿一さんがまねかれた。
山中さんとのおしゃべりは、とうぜんというか、
しぜんに新型コロナウイルスになる。
村上さんは「コロナくるな!」という標語をつくったそうで、
だけど ぜんぜんん役にたたなかったとわらっている。
この日、いちにちの感染者が4500人と最多を記録し、
もうほんとにたいへんな状況になっている。
山中さんでもさきがまったくよめないといい、
でもなんねんもこのままでは経済がたいへんだから、
なんとかワクチンでおさえないと、とはなされる。
村上さんは、こういうときにはつよいメッセージが必要なのに、
日本には、言葉でうったえられる政治家がみあたらないという。
自分の言葉をもたない政治家は、
コードのひけないエリック=クラプトン、というのがおかしかった。
村上さんは、40年ちかく毎年フルマラソンをはしっているそうだ。
ことし(きのうの放送では)はコロナのために
すべてのレースが中止になったので、
10人ほどの仲間とフルマラソンをはしったという。
村上さんの ランナーとしてのピークは43歳のときで、
それ以来、すこしずつタイムがおちていくのに
それでもマラソンをはしりつづけるのは なにをおもってのことか。

山極さんは、このまえまで学術会議の長をつとめておられ
6人の会員を政府がこばんだ「事件」をもちだされた。
そこらへんのやりかたは チンパンジー社会をおもわせるそうで、
民主主義はいい政治形態なのだから、
もっとゴリラをみならって、といわれる。
おふたりのゲストとのおしゃべりで、
ふだんはあまり政治についてふれない村上さんが、
かんじていることを めずらしく さらっとはなす。

30代の女性からのメールが紹介された。
「愛はきえても親切はのこる」という村上さんの言葉を胸に、
夫への料理に、じゃがいもの青いところをいれずにおさえた、という。
愛がきえても、親切がのこればいいのかもしれない。

大晦日の夜、ネコをだいてストーブにあたり、
「村上RADIO」をのんびりときく。
おかげでしあわせな年こしができた。
村上さんもわたしも、ことしは年男だ。
いい年になりますように。

posted by カルピス at 11:07 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする