2021年01月07日

「そうっすね」の「す」は敬語だった、という中村桃子さんの研究

エバーノートにほうりこんでおいた記事のなかに、
「そうっすね」の「す」って何すか?

というのがあった。
まったくおぼえがないので よみかえしてみると、
言語学者の中村桃子さんが
「す」をつけたはなし方に「ス体」となづけ、
どういうときに「す」をつけるのか、研究している、
という内容だった。
体育会系クラブに所属する男子大学生の会話を録音分析して分かったのは、ス体は後輩が先輩に話すときに使い、決してその逆ではないこと。後輩同士でも避ける。つまりス体は「親しい丁寧さ」を表現する一種の敬語だった(朝日新聞の記事より)。

まえにみた映画『100円の恋』にも、
ぜんぶ「まじっすか?」でうけこたえするひと
(たしかコンビニの店員)がでていた。
このひとは、なにをいわれても「まじっすか?」とかえし、
そういっておけば、けっこう会話がなりたってしまうのに
おどろいたことがある。
敬語だから、いわれたほうは、そう腹をたてないのだろう。
この「まじっすか?」も「ス体」の一種にちがいない。

日産が提供するラジオ番組「安部礼司」にも、
ぜんぶの語尾に「っす」をつける後輩社員がでてくる。
わたしは、そのはなし方をきいたとき、特徴的ではあっても
そういうひともいるかな、くらい自然にうけとめられた。
番組がはじまったときには、
「す」がすでに市民権をえていたのだろう。

さらにいえば、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬にならないための十ヶ条」の2番目として、
「『・・・・っすよ』と言わない」があげられている。
まちがいなくこれは、新敬語としてのス体だろう。
「これってイマイチっすよねぇ、あっはっは」と豪快に笑う負け犬は、男性にとっては付き合い易い同僚ではあるものの、異性としては認識されづらい。

中村さんが「ス体」に気づいたのは1990年代というから、
もう30年もまえになる。
それからすこしずつ、でも着実に「ス体」はひろまってゆく。
『負け犬の遠吠え』が出版された2003年には、
すでに「負け犬」予備軍の特徴といえるまで
そこそこわかい女性にも つかわれていたようだ。

ちなみに、『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬になってしまってからの十ヶ条」も
ちゃんと用意されている。
なってしまったものは、もうしょうがないので、
いたくない「負け犬」をめざすよりない。
わたしがいちばん感心したのは、十ヶ条目の「つきぬける」だ。
 突き抜けた先には、もしかしたら何も無いのかもしれません。が、せっかく負け犬になったのだから、たとえ奇人変人と言われようと、途中で力尽きて倒れようと、勝ち犬には決してできない突き抜け方をしてもいいのではないか。

つきぬけることに成功した「負け犬」は、
「・・・・っすよ」と、いくらいってもかまわないけど、
そのころには、「負け犬」予備軍たちから したしみをこめて
「・・・・っすよ」をつかわれる側になっていることだろう。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする