「コロコロ毛玉日記」というマンガが連載されている。
中川いさみさんによる作で、ケダマという名のネコが主人公だけど、
ネコだけに、とくべつ役にたつ情報はなく、
作者がケダマとすごしてかんじたことを、ただえがいているだけだ。
それでマンガとしてなりたつのは、ケダマがネコだからで、
ケダマがなにをしても、それはそれと、おおめにみられる。
いちどなど、ケダマがひとコマも顔をださない回があった。
作者の娘さんがもんじゃ焼きを注文するはなしで、
「もんじゃ焼きはよくわからない」になんとなく納得する。
それでも連載がなりたってしまうのだから、
いかにもネコマンガ的ゆるさが、ネコずきの気をひくのだろう。
ケダマはもう子ネコではなく おとなのネコで
(あとでしらべたら、連載がはじまった時点で1歳半)、
顔つきもそうかわいらしくはない。
ケダマがひっくりかえってお腹をなでさせる、とか、
予知能力があるかのように、ひとのうごきをさきよみする、とか、
ネコあるあるのはなしが 淡々とえがかれている。
作者とケダマとの関係は、ネコかわいがりするわけではなく、
しずかにケダマのうごきを観察する、というつきあい方だ。
なんで そんなことをわざわざ連載マンガにするのかというと、
しつこいけど、ケダマがネコだから、ということと、
新型コロナウイルによる自粛生活が背景にありそうだ。
家にいる時間が まえよりもながくなり、
必然的にながい時間をネコといっしょにすごす。
どうしても、目にはいるのはケダマの日常であり、
役にたたないからこそ ケダマの存在にすくわれる。
それに、ケダマはとくにわるさをするわけではないようだ。
わたしの家のネコについてかくと、
もうすぐ3歳のココは行儀がわるく、食事の時間になると
テーブルのうえにあがっておかずをねらう。
スキあらば、ではなく、強引にうばおうとする。
生後8ヶ月のプリンは食がほそくて、
ネコごはんをすすめてもなかなかたべない。
テーブルのうえにあがっても、おとなしくすわっているだけ。
プリンはぜんぜん問題がないかというと、もちろんある。
プリンはまだ去勢手術をしてないせいか、
ときどきのスプレー行為になやまされている。
あらった食器がふせてあるカゴにむけて、
これまでに2どスプレーをした。わたしのパジャマにも3ど。
こまったような声をあげながら、おしりをつきだして
アッとおもったときは もうスプレーがはなたれている。
「コロコロケダマ」にわるさがえがかれないのは、
苦情をうったえても マンガにならないから、かもしれない。
ネコとのくらしは、こまったうごきもうけいれるしかない。
