2021年03月31日

歯ぐきのいたみに ダメ元でのんだバファリンがよくきいた

なんにちかまえから歯ぐきがはれていたい。
はじめはちょっとした違和感だったけど、
だんだんいたみがまし、いまではものをかむのも、
ツバをのみこむのもいたい。
ずっといたみが頭のなかにあり、気がちってしょうがないし、
だいいち、いたくておだやかな気分ですごせない。

ダメ元でバファリンをのむ。これが、劇的にきいた。
潮がひくようにいたみがきえてゆき、ものをたべられるし、
日課の「みんなで筋肉体操」にとりくむ元気もでてきた。
いたくない、ということがどれだけありがたいかをかみしめる。

林雄司さんのブログに、
「いま口内炎できてない!」という記事がある。
http://yaginome.jp/?p=1645
口内炎ができると、いたいしやっかいなので、
口内炎ができてないときは
「口内炎できてない!最高!」と思わないのは損である。

という発見を紹介している。
口内炎だけでなく、ほかにも
・痔
・親が病気
・期限をとっくに過ぎてるレンタルDVDがある
・借金がある
・確定申告しなければならない

などもやっかいさはよくにており、
それになやまされていないしあわせをかみしめたようがいい。
「いま痔じゃないし、確定申告の季節じゃない、最高!」と考えるのだ。


まえに股関節がいたくなったときも、
いたくないだけで、どれだけしあわせか、
生きてるだけでまるもうけ、とは
このことではないか、とおもった。いたみというのが、
どれほどひとの気分に影響をあたえるのか、はかりしれない。

第二次世界大戦ちゅうのアメリカ陸軍は、応急手あて用として、
兵士一人ひとりにモルヒネのちいさな注射が支給されていたようだ。
映画『プライベート・ライアン』には、
敵弾をうけ、大量の出血といたみにくるしむ兵士に、
おなじ部隊の仲間がモルヒネを何本もうつ場面がある。
モルヒネをたくさんうてば 死んでしまうけど、
いたみにくるしんで死ぬよりもいいという判断だ。
人類のながい歴史は、いたみとのたたかいだった、ともいえる。
いたくないことは、ほんとうにすばらしいことなのだ。
はやく「いま歯ぐきがいたくない!最高!」とよろこびたい。

薬箱にあったバファリンを、ぜんぶのんでしまったので、
ドラッグストアにでかける。
バファリンをかえばいいだろうと、かんたんにかんがえていたら、
バファリンだけでも種類がいくつもあり、どれがいいかわからない。
バファリンプレミアム、というのが、値段はたかいけど(40錠1700円)
なにしろプレミアムなのでかってみる。
でも、それまでにのんだバファリンよりききめがよわい気がする。
あんがいいたみがまして、効果をかんじないのかもしれないけど、
たかいのに、いたみがきえないのでは 割があわない。
プレミアムということばに、わたしはよわすぎるのかもしれない。

posted by カルピス at 15:20 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月30日

W杯2次予選 日本対モンゴル 得点差におぼれず、課題をもとめつづけた日本代表

W杯2次予選 日本対モンゴル 0−14で日本

モンゴルのホームゲームを日本でおこなうという、
かわった状況での試合だった。新型コロナウイルス対策として、
モンゴル国内では スポーツの国際試合ができないそうで、
第3国での開催をさぐったものの、適当な会場がみつからない。
苦肉の策として、日本でモンゴルのホームゲームを、
ということになったという。
日本のアドバンテージにならないよう、試合は無観客でおこなわれ、
しずかなピッチにスタッフの声がよくひびいた。

結果は0−14と、日本の圧勝におわったものの、
どちらのチームもさいごまで気をゆるめずボールをおいつづける。
前半から日本は得点をかさね、勝利がまちがいながれとなる。
これだけのワンサイドゲームになると、
手ぬきやごうまんなプレーにおちいりやすいところを、
日本の選手はだれもが貪欲にゴールをねらいつづける。
後半にはいると、森保監督はシステムを4-1-4-1にかえ、
選手交代のあとはまた4-2-3-1にもどしている。
得点差がひらくとお祭りさわぎとなり、だれた内容におちいりやすい。
この試合では森保監督がシステムをかえることで、
状況におうじた攻撃という課題を選手にあたえている。
監督の期待に選手たちはこたえなければならず、
いろんな形での攻撃を真剣にためす試合となった。

伊藤純也のスピードがきょうもひかった。
右サイドから質のたかいクロスをあげてチャンスをつくる。
自分で得点をきめたときにも笑顔はなく、
すぐにつぎのプレーにそなえていた。
ほかの選手たちも集中力をたもちつづけ、
それによって得点が14までのびていった。
試合のながれがきまってからも、モンゴルの選手はよくはしり、
せめようという姿勢はかわらなかった。
ホームの試合を日本でたたかうという、変則的な状況でも、
さいごまでゴールをねらう姿勢は好感がもてた。
得点差はひらいたものの、どちらの選手からも、
たかい意欲がつたわってくるいい試合だった。

posted by カルピス at 21:56 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月29日

サッカー国際親善試合 日本対アルゼンチン 3−0で日本の完勝

サッカー国際親善試合
日本対アルゼンチン 3−0で日本

U-24日本代表が、中二日で ふたたびアルゼンチンと試合をする。
おなじあいてと、中二日という設定がおもしろい。
オリンピックでは、じっさいに中二日で
グループリーグがおこなわれるため、おなじ状況を想定した日程だ。
1試合目の日本は、ときどきチャンスをつくりながらも、
アルゼンチンのちからづよさにやられたかんじだった。
あいてはゴツゴツからだをあててきて、日本選手をつぶしてしまう。
なによりも、三苫のドリブルが通用せず、攻撃にリズムがうまれない。
ドリブルをとめられるし、三苫のだすパスが相手にひっかかる。

2戦目となるきょうの試合は、三苫にかわって相馬が先発してきた。
三苫よりボールがおさまり、ほかの選手との連携から、
得意のドリブルできりこみチャンスをつくる。
久保も、まえの試合よりボールにからめるようになっている。
ボランチの田中蒼がよくボールをおさめ、いいところにパスをちらす。
ただ、単純にクロスをあげても、アルゼンチン守備陣はくずせない。
なかなかうまくいかないなーと、おもっていた前半終了間際、
これまでにない縦の攻撃から 先制点がうまれた。
瀬古がだした縦パスを、林がうまくおさめ、
ゴールキーパーと1対1となり、きれいにおしこむ。

アルゼンチンは、まえの試合とおなじように、
からだのつよさを全面にだしてくる。
セカンドボールをおさめるのはアルゼンチンだし、
球ぎわのつよさもあいかわらずだ。
でも、なかなか攻撃がつながらず、
逆に日本になんどもチャンスをつくられてイライラしている。
アルゼンチンは、とにかく足をだしてくる。
ボールだけでなく、日本選手にむけて。
ファール覚悟でボールをおさめようと、日本選手をふきとばす。

後半にはいると、アルゼンチンはさらにちからでおしてくる。
あいての時間がつづき、いやな ながれだった後半23分、
久保のコーナーキックを板倉が頭であわせる。2点目。
その5分後に、ふたたび久保から板倉のヘディングで3点目。
キックまえの場所どりでは、アルゼンチン選手がなりふりかまわず
日本選手をこずいている。2点をリードされ、
試合はこびがおもうようにいかず、あれたプレーが目につく。
まけているときの南米選手らしいい、やらしい態度だ。
アルゼンチンは攻撃といっても、ひとりでせめあがるだけ。
まわりとの連携がなく、3点リードされて気もちがきれている。
けっきょく試合は3−0のまま、日本の完勝におわる。
後半43分に三苫がはいってきたけど、
みせ場をつくるには時間がたりない。
修正した三苫のせめあがりがみたかった。

posted by カルピス at 21:56 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月28日

「プロフェッショナル 仕事の流儀」での庵野秀明さん

「プロフェッショナル 仕事の流儀」が
エヴァンゲリオン総監督の庵野秀明さんをとりあげていた。
わたしはエヴァンゲリオンをみたことがなく、
内容についてもまったくしらない。
庵野さんは「ナウシカ」で巨神兵の場面をかいたひと、
そして漫画家の安野モヨコさんの配偶者、
ということだけをしっていた。
安野さんによる漫画、『監督不行届』にでてくる庵野さんは、
仮面ライダーのベルトをあつめていて、おかしばっかりたべて、と
すこしかわったおじさん、くらいにえがかれている。
ただ庵野さんがとるスペシューム光線のポーズが
すごくきまっており、これはそうとうなオタクだとおもった。

番組での庵野さんは、口調はおだやかでも、
とらえどころがなく、変人というか、奇人だった。
エヴァンゲリオンの4作品目にとりくみ、
これでエヴァンゲリオンをおわらせるはずなのに、
スタッフがあつまる合宿や会議で なにもはなさない。
シナリオがあがってこず、ようやくできても、
なんか気にいらないと、時間がないなか、
はじめからつくりなおしたりする。

庵野さんがはなしている内容は、わたしには理解できない。
宮崎駿さんが映画をつくるときのたいへんさを、
長期間の取材で せまった番組を いくつかみたことがある。
こまかなことはわからないまでも、
作品をしあげていくときのくるしみは共感できるし、
宮崎さんがはなす内容もすんなり頭にはいってくる。
でも、庵野さんの場合、なにをしようとしているのか、
わたしにはさっぱりわからない。
スタッフになにをもとめ、どうしてほしいのかも口にしない。
「アングルと編集だけで(アニメも実写も)おもしろくなる」と
延々といろんなアングルをスタッフにためさせ、
自分でもスマホをかまえ、いい角度をさがしはじめる。
まわりのスタッフは、とまどいながらも
庵野さんのおもいつきに ついていかなければならない。

庵野さんは具体的な形がみえているわけではないけど、
表現したいものの方向性について確信がある。
ただ、どうやってそこへたどりつけばいいのがみえてこない。
延々と時間をかけ、自分が納得できるものをおいもとめる。

作品がなんとか完成した。
庵野さんもスタッフも、満足できるしあがりのようだ。
試写会の席でスタッフに
「ありがとうございました」と感謝をつたえ、
でも自分は作品をみないで会場をでてしまう。
いつもみないという。完成したら、
つぎの作品をつくるだけだから。

番組での庵野さんをしるうちに、
『エヴァンゲリオン』をみたくなった。
全4作をはじめからおいかけようという気になる。
庵野さんが命をけずるようにしてつくった作品を、
わたしはどうかんじるだろうか。

わたしがよくきくラジオ番組の
「ラジオマンジャック」(NHK-FM)に、
エヴァンゲリオンでシンジ役をつとめる緒方恵美さんが
月2回、準レギュラーのようなかたちでかかわっている。
エヴァンゲリオンのファンが、
この番組に緒方さんがでているのをしると、
「緒方さん、そんなところでなにやってるんですか?」と
不思議がられるそうだ。
あのシンジ役をえんじるほどのひとが、
番組の企画でアホなことをしているのが意外なのだろう。
番組のメイン担当者である赤坂さんは、
エヴァンゲリオンをまったくしらないので、
緒方さんをいじくってあそぶのだけど、
それがエヴァンゲリオン ファンのひとたちには
神聖さをけがされる気がして、おもしろくないようだ。
赤坂さんたちと、いっしょになってあそぶ緒方さんは
さすがにプロの声優とおもわせる実力を さらっとみせる。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月27日

やってみなければわからない どうでもいいことをやってみる

すこしまえのデイリーポータルZに、パリッコさんの
「『寿司チャーハン』と『チャーハン寿司』」という記事がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/sushi-chahan
寿司のシャリとネタをつかってチャーハンをつくるのと、
チャーハンをシャリにして寿司をにぎる、というこころみだ。
それぞれをたべてみた感想は、
普段とは一味違う海鮮チャーハンという感じで、本気で美味しいです。

チャーハンが余ったからってわざわざ作る必要はないように思います。

ということだ。
「やってみなければわからないことをやってみたところ、やってみなくてもいいことがわかった」

とパリッコさんはまとめている。

わたしもなにか
「やってみなければわからないこと」をやってみよう。
料理をつくるとき、レシピにはよく 塩コショウーで味をととのえる、
なんてかかれているけど、塩はともかく、
コショーって本当に必要なのか。
いつもテキトーにコショーをふりかけるけど、
気やすめ、あるいはおまじないみたいなもので、
じつはたいして意味がないのでは。
鳥のモモ肉に、塩だけをふりかけてやいてためしてみる。
あきらかに気のぬけた味で、おいしくなかった。
あたりまえの結果だけど、
「やってみなければわからない」ことはたしかだ。
そして、「やってみなくてもいい」こともわかった。

いつものむ芋焼酎は黒霧島だけど、たまにはほかの種類を、と
まえによくのんでいた黒伊佐錦をひさしぶりにかってみた。
のみくらべたら、ちがいがわかるだろうか。
黒霧島のほうが、しっかり芋焼酎らしいかおりがして、
あきらかに黒伊佐錦よりおいしいとおもった。
まえによんだ新聞の記事に、焼酎づくりのさかんな鹿児島県の酒造が、
いちばんうれている芋焼酎は宮崎県の黒霧島なのをくやしがっている、
みたいなことがかかれていた。
黒霧島がこれだけはっきりおいしいと、
ほかの芋焼酎はおいかけるのがたいへんだろう。
まえにわたしがスーパーで黒霧島をかったとき、
レジのおじさんが「やっぽこれのもんですね」とはなしかけてきた。
いろいろワインがでまわっていようとも、
けっきょくブルゴーニュとボルドーにとどめをさす、みたいな
黒霧島にたいする絶対的な信頼感がうかがえる。

どちらがおいしいかなんて、ひとそれぞれのこのみでしかないので、
ためしてみても、だからどうなんだ、というはなしでしかなかった。

posted by カルピス at 16:37 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月26日

『ワルキューレ』と『地獄の黙示録』との親和性

ラジオをきいていたら、
ワーグナー作曲『ワルキューレ』がかかった。
映画『地獄の黙示録』でつかわれた曲で、
ヘリコプターのむれが、ベトナム人の村におそいかかる場面と、
なにやら不気味な『ワルキューレ』のリズムがぴったりだった。
映画の印象があまりにもつよいので、『ワルキューレ』をきくと、
ヘリコプター軍団がとんでいるときの音楽にしかきこえない。
あの場面で『ワルキューレ』より効果的な曲はないような気がするし、
あの場面のために『ワルキューレ』がつくられたようにおもえる。
はじめに『ワルキューレ』をきいたのが『地獄の黙示録』だったので、
『ワルキューレ』がヘリコプター軍団にすりこまれてしまった。

『がんばれ!ベアーズ』につかわれた「カルメン」も、
あのだめチームのためにつくられた曲にしかきこえない。
あとで、「カルメン」がクラッシックだとしっておどろいた。
これまた曲と映画がぴったりあっていたので、
わたしにとっての「カルメン」は、ベアーズのためにつくられた曲だ。

『スティング』の『ジ・エンターテイナー』も、
粋でチャーミングな作風とよくあっている。
もしべつの曲がつかわれていたら、
映画の雰囲気がずいぶんかわるだろう。

あたらしく映画用のテーマ曲をつくるのではなく、
まったく別ジャンルから曲をもってくるのがおもしろい。
ヘリコプターに『ワルキューレ』、
ベアーズにカルメンをおもいついたひとは、
それだけで映画の成功を確信したのではないか。

意外性のあるくみあわせが、小説ではよくつかわれる。
たとえば『セーラー服と機関銃』は、女性高校生と暴力団という、
かけはなれたものをくみあわせて成功している。
でも、映画につかう音楽の場合、いくらかけはなれたからといって、
いい効果をだすとはかぎらない。
曲と映画の雰囲気に、親和性があると気づくかどうかだ。
あるものの本質を、音楽によってあぶりだす。
『ワルキューレ』にひそむ暴力性をかんじとり、
カルメンのにぎやかさに、ベアーズの精神をかぎつける。
似顔絵がうまいひとは、映画の場面をいかす、
効果的な音楽をおもいつきやすいかもしれない。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月25日

日本対韓国 3−0で日本 豊富な人材に、ますます選手のくみあわせがなやましいA代表

サッカー国際親善試合
日本対韓国 3−0で日本

きょねんの10月におこなわれた国際親善試合は、
オランダを舞台に、海外組だけが招集された。
新型コロナウイルスへの対策をかんがえると、
日本国内でプレーする選手を外国によぶのは
いろいろむつかしい点がおおかったからだ。
横浜でおこなわれた きょうの韓国戦では、
国内からあらたに8人がよばれたのにくわえ、
海外からも9人の選手が招集されている。
感染対策のため、国内組とはちがう会場で食事をとり、
エレベーターもかえ、合同での練習が制限されての合流だという。

試合は、3−0で日本の快勝におわった。
試合開始から日本がいいリズムでボールをまわし、ゴールにせまる。
前半のうちに2点、後半の38分に、とどめとなる3点目がはいると、
韓国はがっくりきて戦意がうせていた。

いま、日本には、海外でプレーする選手がたくさんいるし、
Jリーグにもうりだしちゅうの選手がおおく、
どう選手たちをくみあわせていくのか、
森保監督はなやましいところだろう。
好調の川崎フロンターレだけでも
代表なみのつよいチームになりそうなのに、
ほかのチームにも、代表によびたい選手たちがゴロゴロいて、
いまの日本は これまでにないほど選手層があつくなっている。
U-24にもいきのいい若手が名をつらねており、
彼らにもA代表で活躍できるちからがある。
チームづくりがなやましい、というよりも むつかしく、
ますます監督のちからがとわれる状況だ。
W杯は来年にせまっているのに、
いまは選手たちの適正をためしている段階で、
これからどんなチームにしていくか、まだみえていない。

先発した守田・遠藤のボランチがよかったし、
先発したフォワードの鎌田は2点目をあげた。
かわってはいった江坂も攻撃に存在感をみせたし、
大迫はあいかわらずボールをおさめ、
右サイドの伊東純也のスピードは魅力があった。
スピードといえば、交代ではいった浅野は
スピードをいかして得点チャンスをうみだし、
これまた交代ではいった古橋も、自分らしいプレーで
ゴールにせまっていた。
ボランチの遠藤は、ドイツでの好調そのままに、
たのもしいプレーをみせつづけた。
遠藤があげた3点目は、韓国の戦意をうしなわせるのに
いいタイミングでの得点だった。

ピッチにたった全員が自分のプレーをアピールし、
ますます先発メンバーをきめるのがむつかしくなってきた。
レギュラーといえるのは、センターバックの吉田と富安、
それにフォワードの大迫ぐらいで、あとはだれがはいっても、
自分のもち味をいかしたプレーができる。
得点は3−0だったけど、あと3点くらいはいってもおかしくないほど
前・後半をとおして日本はチャンスをつくりつづけ、
韓国相手にあぶなげなく完勝している。
彼ら全員が活躍したら、いったいどんなチームになるだろう。
豊富な人材をいかした パスサッカーの成熟に期待したい。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月24日

ステージ4の大腸がんは手術より「まず抗がん剤を」におどろく

きょうの朝日新聞に、「ステージ4の大腸がん『まず抗がん剤を』」
がのっていた。
大腸がんを切除した後に抗がん剤治療をしたグループと、手術をせずに抗がん剤治療をしたグループでは、生存期間の中央値が役2年2ヶ月で、有意差がないことがわかった。(中略)金光幸秀・大腸外科長は、「抗がん剤治療を速やかに開始し、手術による無駄な負担を減らすという点で患者にとってメリットがおおきい」と話す。

89歳になるわたしの母は、2014年に大腸がんの手術をうけた。
たべたものをうけつけず、すぐにはくようになり、
はじめはかかりつけのちいさな病院にいっていたけど、
点滴をうけるだけで、みるからに 根本的な治療となっていない。
そのうちなにもたべなくてもはくようになり、
これはさすがにおかしいと、市立病院へいくと、大腸がんだった。
たべたものが、あきらかにつまっているのだから、
もっとはやくわかって あたりまえなのに、
ひどくなるまでほったらかした かかりつけ医に腹をたてる。

手術は成功し、母は抗がん剤をのむことなく、
2週間ほどの入院のあと、家にもどってきた。
はじめこそ、消化にいいものをと、気をつけていたけど、
そのうちなんでもたべられるようになり、
手術から7年たったいまもげんきにくらしている。
年齢のせいで、できなくなったことはおおいけど、
わたしたちとおなじ品数をたべ、量もそんなにすくなくない。
老人の食事は、栄養不足になりがちと よくいわれているけど、
母ほどたくさんの肉や魚をたべている89歳は そういないのではないか。

記事にあった「手術による無駄な負担」という表現が気になる。
手術をうけなくても、抗がん剤だけでおなじだけの効果があるのなら、
手術をしないほうがリスクがすくない。
いままでの治療方針はなんだったのかとおもう。
抗がん剤は副作用が気になるところだけど、
抗がん剤にも分子標的治療薬があって、
なんていわれると、ますますややこしい。
できるだけからだにメスをいれないほうが、
とくに高齢者の場合、からだへの負担がすくないのはよくわかる。

母は、高齢になったいま、自分で料理をすることはあまりないけど、
身のまわりのことはぜんぶひとりでできる。
たべて、排泄し、お風呂にはいり、洗濯物もほす。
ちかくのスーパーへかいものにでかけるし、
リサイクルのプラスチックをだすのも自分の役割としている。
テレビでは、声をあげてわらい、相撲をみると、おおきな声で応援し、
新聞にのるクイズを毎週たのしみにしている。
ネコを外にだしたと、むすこであるわたしが文句をいっても、
深刻にとらえずに、いつも機嫌よくすごしている。
客観的にみて、たいした人物だといわざるをえない。
大腸がんがすんなりなおったのも、
母のまえむきな性格が いいようにはたらいたのではないか。
いろんなことに感謝しながら、おだやかにくらす。
他人でこんなひとをみかけたら、わたしは絶賛するだろうに、
いっしょにくらす母にたいしては、そっけない態度ばかりをとる。
それができるのも、家族のいいところ、といいわけしながら。

posted by カルピス at 21:46 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月23日

図書館でみかけた すてきな女性のものがたりがよみたい

『ゴールドフィンチ』(ドナ=タート)のはじめごろに、
主人公の少年が、美術館でみかけた女の子の視線を気にして、
ずっとその子のうごきをおいかける場面がある。
 どうしてぼくはこういうふうにほかの人に取りつかれるんだろう?このように激しく熱にうかされたように見知らぬ人に固執するのは尋常なことなんだろうか?(中略)通りで面白そうな人を見かけると、その人たちのことを何日もずっと考え、生活を想像し、地下鉄や市内横断バスの中で彼らについての物語を作り上げることもしばしばだった。

これをよんでいて、なんねんかまえのある夏の日、
図書館のそとでみかけた 女性のことをおもいだした。
うんざりするほどあつい夏の夕方、
図書館からでてきた女性にわたしは目をうばわれた。
あつい日なのに、その女性のまわりだけ すずしそうだ。
30代後半くらいで、ものすごい美人というわけではないけど、
彼女がかもしだす雰囲気が、まわりの空気をかえていた。
紫色のちいさな水玉もようのワンピースをきて、
日傘をさし、にこやかにほほえみながらあるいていく。
たまたま彼女とおなじ方向にわたしもむかっていたため、
しばらく彼女のうしろをおいかけるかたちとなった。
あまりにもいいかんじをふりまいているので、
「すてきなワンピースですね」
「たのしそうにあるかれますね」
と、もうすこしではなしかけそうになった。
しらない男から そんなふうに声をかけられても、
身がまえてしまうのではなく、
きれいにうけとめてくれそうな気がした。
圧倒的にたのしそうな空気のなかで生きているひとがいるのだと、
彼女をみたあとしばらくは、すがすがしい気分がのこった。
さすがに声をかけるまでにはいたらなかったけど、
もうすこしながい時間、その女性とあるいていたら、
ほんとうに一線をこえてはなしかけていたとおもう。
少年が、年うえのお姉さんにうっとりするのとはちがう。
いい年こいた男の一目ぼれでもない。
恋愛対象としてみたのではなく、彼女の雰囲気を、
率直に評価したのだとおもっている。

60年ちかく生きてきたけど、
あれほどはげしく ひとりの女性にさわやかさをかんじたのは、
彼女をみかけたときだけだ。
あのであいは なんだったのだろう。
わたしに『ゴールドフィンチ』の主人公のような、
気になるひとのことをかんがえつづけ、
生活を想像したりするちからがあれば、
この女性をめぐる、ものがたりができあがるのに。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月22日

プリンの去勢手術

子ネコのプリンが去勢手術をすませる。
先月からスプレー行為がはじまり、はやく去勢手術をしたかったけど、
どの病院も予約まちで、いちばんはやくしてくれるところでも
1ヶ月またなければならなかった。
そのあいだ、なんども服やふとん、台所のテーブルにスプレーされ、
きょうがくるのを ほんとうに指おりかぞえてまった。
去勢手術をしたからといって、スプレーが
確実にとまる保証はないけど、ほかに有効な手はないし。

しりあいが、フェリウェイという薬をわけてくれた。
ネコのフェロモンだそうで、ネコがスプレーしたところに
フェリウェイをかけたり、ネコに直接かけたりしてつかう。
フェロモンのはたらきで、ネコがおちつきをとりもどすらしい。
プリンは、フェリウェイをかけられると、
パッととびさって、からだをしきりになめる。
目にみえておちつくわけではないけど、
スプレーの被害がそれほどではなかったのは、
フェリウェイのおかげかもしれない。

きょうは朝の9時にプリンを病院へつれてゆき、
夕方の6時にひきとりにでかける。
この病院は、いままでのところより説明がていねいで、
ひきとりにいくと、まず血液検査の結果をはなされた。
人間の健康診断とおなじように、
白血球・肝機能・血糖値などを、標準値とくらべながら説明される。
どの値も正常で、もうしぶんのない結果だといわれる。
レントゲンもうつされており、こちらも異常なかった。
血液検査もレントゲンも、こちらがたのんだわけではない。
信頼したくなる、ありがたい仕事のすすめ方だ。
わたしのことを「お父さん」とよんで
はなしをすすめられるのも、なんだかうれしかった。
そうか、おれはプリンのお父さんか、と おもわずエリをただす。

プリンは、生後9ヶ月になるのに、
体重が3.7キロしかなく、ちいさなからだなのが気になっていた。
先生に体重のことをたずねると、たしかに小柄だけど、
ちいさすぎるわけではないから、
気にしなくても大丈夫です、といわれる。
レントゲンには背骨に成長線がうつっていたので、
まだもうすこしはおおきくなるかもしれない、ともいわれる。
抜糸をしなくてもいい糸をつかったそうで、
手術がおわったら、もう病院にいかなくてもいい。
病院によっては、傷口がおさまるまで、
首のまわりにカラーをつけるよう いわれるけど、
そんなはめんどくさいなしはでない。
この病院は、うるさいことをぜんぜんいわないのですごくらくだ。
あすから5日間、朝・夕に化膿どめの薬をのませるだけでいい。
手術にかかった費用はぜんぶで2万4200円だった。

プリンは家にもどると、安心したようにちいさな声でないた。
しばらく自分のからだとお気にいりの場所をチェックし、
ストーブのまえでまるくなる。
いつもなら、夜中の3時か4時にわたしをおこしにきて
食事をねだる先輩ネコのココが、
ゆうべはわたしの足もとで朝までずっとねむっていた。
ネコたちは、プリンの手術について、なにかをかんじていたようだ。
無事に手術がおわり、プリンはげんきごはんをたべはじめ、
これでようやく気にかかっていた課題がかたづいた。
わたしのふとんは、プリンのスプレーにより
かなりのにおいがしみついてるけど、
プリンがげんきでいてくれるなら、すこしくらいは我慢しよう。
プリンがかえってきて、ココも安心したようすだ。
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2021年03月21日

アメリカにいかれてないのが小気味いい 中学生の投稿

朝日新聞が、「あの日 あの時」というタイトルで、
過去の投稿をときどきのせている。
きのうは、1943年にかかれた中学生の投稿がのっていた。
 自分は中学生である。(中略)われわれの本には、敵国国歌がのせてある。また「ミスター・スミスは、金持の銀行家である。彼は頭痛がするので、転地をしようと考へた」などと書いてある。われわれは、こんなことまで学ばねばならぬかと思ふと、こちらこそ頭痛がしてくる。
 同じ旅行でも、ジョージがアメリカへ行くよりも、太郎が昭南島へ行く方がどれだけいゝか知れない。(中略)どうせアメリカへ行くなら、爆撃機にでも乗つて、空から見たニューヨークを書いた文が読みたい。われわれも十分興味をもつて面白く勉強できるだらう。

戦争ちゅうということもあってか、この少年は、
アメリカにぜんぜんいかれてないのが小気味いい。
英語を勉強するにしても、
舞台がアメリカである必要はないわけで、
「太郎が昭南島へ行く方が」いい、という意見にもうなずける。
「爆撃機にでも乗って」空からニューヨークをみたら、
そりゃ爆弾をおとしたくなるだろう。
興味をもっておもしろく勉強できることうけあいだ。

1943年といえば、太平洋戦争のまっただなかで、
敵性語である英語は、勉強していないとおもっていた。
アメリカの国歌まで教科書にのっていたというのが興味ぶかい。
わたしが英語をならったときでも、
アメリカ国歌なんてもちろん教科書にはなかったはずだ。

いま、朝日新聞に池澤夏樹さんの
『また会う日まで』が連載されており、
戦前の日本海軍のようすがよくわかる。
軍隊としてのしくみはすでにととのっており、
士官の育成や人事など、しゅくしゅくとすすめている。
主人公は、軍人とはいえ、測量を専門にしていることもあり、
軍艦にのっていても、まわりには知的なひとたちがいる。
戦術の専門家としてだけでなく、一流の教養人であることも
ある階級以上の軍人にはもとめられており、
世界のどこにだしてもはずかしくない
社交やマナーをわきまえているのが海軍のエリートだ。

軍艦に民間人をのせるときには、
どの部屋にとめるか、食事はだれが同席するか、など
こまかくきまっており、すでに海軍の伝統は
すみずみにまでいきわたっているようすがつたわってくる。
戦前の日本というと、アメリカの国力をはかりかねた国、
というおろかな印象がつよいけれど、
システムとしては それなりのものができあがっていた。

食事のときなど博識な会話がかわされている。
「蝶を見かけましたが」
「私も見ました。あれはたぶんリュウキュウムラサキですね。熱帯の蝶だからここにいてもおかしくない。しかし自力で来たのかどうか」
「あんなに小さいから無理でしょう」
「ところがね」と別の者が言う、「小さいからこそ台風などに乗って遠くへわたるらしいんですよ。とんでもないところにいたりする」

そのおなじ時代に、いきのいい中学生もまたいて、
爆撃機にのってニューヨーク、なんてかいてるのがおもしろい。

posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月20日

『人新世の「資本論」』的にみると換気扇そうじはどうなんだ

換気扇のそうじをする。
これまでは、しりあいの業者さんにおねがいして、
3ヶ月にいちどきてもらっていた。
2時間ほどかけてきれいにしてくれるので
たすかっていたけど、都合がつかなくなったそうだ。
そうじのプロにたのむと、2万円するので、
今回からわたしがやることに。

どうせやるならトム=ソーヤみたいに
換気扇そうじをイベントにしようと、
マジックリン・ゴム手袋・スポンジをかって気分をもりあげる。
はずれる部品はぜんぶはずして、
徹底的に油よごれをおとそうと、はりきってとりくむけど、
すぐに限界がくる。わたしの技術では、
もとにもどせなくなりそうでおっかない。
そもそも、換気扇のファンがはずせない。
ネットをみると、ふつうのネジと反対方向にまわす、とあるけど、
ちからをこめてもはずれる気配がない。
けっきょく、ファンはそのままに、
マジックリンをシュポシュポふきかけて、
手がとどく範囲のよごれをキッチンペーパーでふきとる。
ほかの部品にも、マジックリンをかけてあらう。

ようやくおわった、やれやれと、
もとにもどそうとするけど、心配していたとおり、
どこがどのネジだったかわからない。
いろいろためし、なんとかぜんぶのネジをつかいきったものの、
ひとつのネジは半分しかはまらない。そこがきまらないと、
ほかの部品がガタガタうごいて いやなかんじだけど しかたない。
さいごに、ホームセンターでかってきたフィルターをはりつける。
換気扇のそうじなんて、できるだけやりたくないので、
このフィルターがわたしの秘密兵器だ。
ややこしい部品のとりはずしをせず、
フィルターのとりかえだけならかんたんだろう。
フィルターがあるぶん、換気扇をまわすと音がうるさいけど、
それでよごれをすいとってくれるならがまんする。
フィルターにどれだけの効果があるのか期待したい。
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すこしまえから気になっていた案件がかたづき、
すこしは達成感もあり、やれやれと一息ついて紅茶をいれる。
このところわたしの頭にあるのは、
『人新世の「資本論」』的にとらえると、
このとりくみはどうなのか、ということだ。
換気扇のそうじにマジックリンをふきかけ、
キッチンペーパーをたくさんつかって油をふきとる。
グローバルサウスに、地球環境に、
どれだけ負担をかけてしまっただろうか。
マジックリンをかうのは自転車でいったけど、
フィルターは自動車でかいにいっている。
そもそも、換気扇がよごれるほど
油をたくさん料理につかう生活って、どうなのか。
3.5%の意識たかい系のひとたちは、
どんな換気扇そうじをしてるのだろう。

posted by カルピス at 17:19 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月19日

『人新世の「資本論」』(斎藤幸平)経済成長しながらでは気候変動をふせげない

『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・集英社新書)

「SDGs(持続可能な開発目標)」や、脱炭素ということばを
よく耳にするようになった。
二酸化炭素の排出量をへらさなければ、気候変動がおきてしまう。
100年さきのはなしではなく、危機はすでにはじまっている。
具体的には、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに排出量をゼロにしなくてはならないのである。

ひとは、二酸化炭素をへらしたいといいながら、
いまの生活の質はおとしたくないので、
経済を発展させながらでも、二酸化炭素の排出量をへらせるという、
耳ざわりのいい論理にすがりたくなる。
しかし著者は、成長をあきらめなければ、
気候変動をふせげないと、こまかな数字をあげて説明する。
なによりも、資本主義というシステムをとるかぎり、
経済成長をとめられないことが、いくつものデーターからあきらかだ。
そこで著者は、『資本論』後にマルクスがたどりついた
「コモン」という概念を紹介している。
環境や資源を公共のものとしてとらえる「コモン」は、
資本主義にはできない 脱成長を可能にする。

この本をよんでいておもいだすのは、
梅棹忠夫さんの『わたしの生きがい論』だ。
空気も水も食料も、地球の環境は有限であることがわかってきた。
すぐそこにおおきな壁がそびえているような状況で、
その壁にむかってアクセルをふむのか、
それともなにかブレーキとなる方法があるのか。
梅棹さんは、進歩で解決できるとおもうのは あまい、とかいている。
そうやって知恵をしぼることが、問題をより複雑にするという。
努力や発展で、地球の危機をすくえる段階はもはやすぎた。
いまできるのは、がんばってなにかを生産するのではなく、
反対に、なにもしないで、アクセルから足をはなすことだ。

ゆたかにくらしている先進国にたいし、
じゅうぶんな教育をうけられず、
電力や水もかぎられているひとたちが 世界にはまだたくさんいる。
こうした状況にあるひとには、これからも発展が必要だ。
一見すると、そのためには膨大な資源が必要におもえるけど、
資源を公平に分配すれば、いまの人口でも共存できると著者はいう。
現在、電力が利用できないでいる人口は13億人いるといわれているが、彼らに電力を供給しても、二酸化炭素排出量は1%増加するだけだ。そして、1日1.25ドル以下で暮らす14億人の貧困を終わらせるには、世界の所得のわずか0.2%を再分配すれば、足りるというのである。

フランスの黄色いベスト運動は、
環境に負担をかける企業の活動を実力行使でとめている。
日本では、こうした運動に拒否反応があるけど、
市民運動として、行政に意見をだしていくうごきは
あちこちで耳にするようになった。
著者は、バルセロナの市民運動を例にあげて
社会運動が国境をこえ、世界とむすびついているという。
これまでうけ身でいることのおおかった市民が、
自分たちで声をあげはじめている。
ただ、そうはいっても、私たちは資本主義の生活にどっぷりつかって、それに慣れ切ってしまっている。本書で揚げられた理念や内容には大枠で賛同してくれても、システムの転換というあまりにもおおきな課題を前になにをしていいかわらかず、途方に暮れてしまう人が多いだろう。(中略)
 しかし、ここに「3.5%」という数字がある。なんの数字かわかるだろうか。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると社会が大きく変わるというのである。

 資本主義と気候変動の問題に本気で関心をもち、熱心なコミットメントをしてくれる人々を3.5%集めるのは、なんだかできそうな気がしてこないだろうか。(中略)そうした人たちが、今はさまざまな理由から動けない人の分まで、大胆な決意とともに、まずアクションを起こしていく。
 ワーカーズ・コープでもいい、学校ストライキでもいい、有機農業でもいい。地方自治体の議員を目指すのだっていい。(中略)
 すぐにやれること・やらなくてはならないことはいくらでもある。だから、システムの変革という課題が大きいことを、なにもしないことの言い訳にしてはいけない。一人ひとりの参加が3.5%にとっては決定的に重要なのだから。

 これまで私たちが無関心だったせいで、1%の富裕層・エリート層が好き勝手にルールを変えて、自分たちの価値観に合わせて、社会の仕組みや利害を作りあげてしまった。
 けれども、そろそろ、はっきりとしたNOを突きつけるときだ。冷笑主義を捨て、99%の力を見せつけてやろう。そのためには、まず3.5%が、今この瞬間から動き出すのが鍵である。その動きが、大きなうねりとなれば、資本の力は制限され、民主主義は斬新され、脱炭素社会も実現されるに違いない。

posted by カルピス at 20:22 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月18日

そういえばわたしは双子だった

デイリーポータルZで北向ハナウタさんが双子をとりあげていた。
https://dailyportalz.jp/kiji/interview-with-twins
わたしも二卵性双生児なので、双子のはなしはひとごとではない。
わたしが双子のかたわれだとしると、
一卵性か二卵性かをたずねるひとがおおい。
女と男の双子は、ほとんどの場合 二卵性双生児だ。
二卵性双生児は、多排卵のうち(異なる精子に)受精した二卵が、同時に子宮壁に着床した場合の双胎妊娠から誕生する。二卵性双生児は同時に生まれて来る兄弟と同じ事なので一卵性双生児と異なり、遺伝情報は各々で独自のものである。普通の兄弟姉妹と同じように性別や血液型等が異なる場合もあるし、顔形も通常の兄弟姉妹程度に似ることになる。髪質や肌の色がまったく異なる場合も多い。日本の二卵性双生児出生率は、かつて0.2%ぐらいであった(一卵性より出生率は低かった)が、現在は0.6%程度になっている。

ウィキペディアにあるとおり、
ふつうの兄弟ていどに顔がにている(かもしれない)、
という程度で、基本的に年のはなれた兄弟とかわりがない。
さきにうまれたというもっともな理由から、
むこうが姉で、わたしは弟という立場でそだった。
でも、しょせん双子なので、姉・弟の位置づけにたいして意味はなく、
自分たちも、「姉」「弟」という意識はほとんどなかった。
兄弟なので、子どものころは ふつうにケンカをするし、
中学にはいると、ほとんどはなしをしなくなった。
大人になると、とくになかがわるいわけではないけど、
かといって 親密なつきあいがあるわけではない。
おたがいを、双子と意識することはなく、
ふつうの兄弟とまったくおなじだ。

デイリーポータルZの記事には、
双子のかたわれと、クラスをいれかわって・・・、
というのが、双子あるあるらしいけど、
二卵性の双子の場合、そういう技がつかえず、
おもしろみはなにもない。

おなじ年齢の、異性の兄弟がいると、
女性に幻想をもたなくなる。
身ぢかな存在である姉から、女の子たちが
どんなはなしをしているか、とか、
いっけんかわいいなんとかさんは、
じつはけっこうひどいヤツで・・・、
なんて情報が自然と耳にはいってくるので、
女性が特別な存在とはおもわず、
男とおなじように、いろいろ問題のあるひとたちと、
おさないころから認識していた。

双子にたいして よくきかれる質問という
「おなじひとをすきになったら?」については、
双子はクラスをわけられるので、
おなじクラスの子をすきになる可能性はひくい、
とこの記事をかいた北向さんは推察している。
わたしたちのように、男と女の双子の場合
おなじひとをすきになる可能性はきわめてひくい。
小説ではありそうだけど、現実にはすくないのではないか。
・ふたり同時に風邪をひくと「やっぱり双子だね」と言われるが、ただの家庭内感染だ。
・学校でオバQを描き、帰り道にスモモを買おうか悩んでたら、家で妹がオバQ読んでスモモ食べてた。

という 北向さんのまとめがおかしかった。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月17日

「なまめかしい天気予報」 はどのように生まれたのか

「現代の音楽」をきいていたら 、担当の西村朗さんが、
「なまめかしい天気予報」をうたってと、
ソプラノ歌手の太田真紀さんに催促している。
声の調子をととのえてから、太田さんがおもむろにうたいだす。
文字どおり、ひたすらなまめかしい口調で
あえぎ声もまじえつつ、天気予報をよみあげるのだった。
「耳もとでやられたらたまりませんね」と西村さんがいうと、
「そのつもりでやってます」と太田さんがこたえる。
現代音楽の一流どころが、こんなあそびをしてるのがおかしい。
どんな分野でも、トップレベルのひとたちは、
まじめひとすじでやってるわけではなく、
性的にもたっぷりあそんでいるほうが いい仕事をするのでは。
太田さんや西村さんがそうだ、というわけではないけど、
肉食獣が、欲望をむきだしに、やりたいことをやらないと、
突出した芸術はうまれないような気がする。

もういちど「なまめかしい天気予報」がききたくて、
ユーチューブで「現代の音楽・ソプラノ歌手」を検索する。
そうしたら、現代音楽やソプラノ歌手ではなく、
なまめかしい天気予報のお姉さんがゾロゾロひっかかった。
天気予報となまめかしいお姉さんに、
こんなにも親和性があるとはしらなかった。
まじめな顔で天気予報をよみあげるお姉さんたちは、
その気になってよくみると、大胆に色気をふりまこうとしている。
まじめな口調ではなしていながら、服が奇抜だったりすると、
このお姉さんはそういうひとなんだな、とわかりやすい。
天気予報は、こうしたお姉さんたちにとって、
実力を発揮できる 絶好の仕事なのだろう。
正面からカメラをみつめ、にっこりほほえまれると、
たいていのひとに好印象をもってしまう。
もしかしたらはなしは逆で、おじさんがよろこぶから、
テレビ局がそういう人選をするのかもしれない。

天気予報にはなしをもどすと、
10年まえよりも、天気予報がよくあたるようになった気がする。
1週間まえから、どんな天気になるのかを予報して、
ほとんどそのとおりの天気になる。
午後からきゅうにさむくなる、といえば、
午前がどんなにいい天気だったとしても、
午後になるとちゃんと気温が急激にさがる。
まえは、天気予報があたらない、と文句をいっていたけど、
このごろは、あまりにもよくあたるので、
詩ごころがない、なんてへんに情緒をもとめたりする。
あんまりよくあたるようになると、
なまめかしいお姉さんたちの出番がなくなるようで心配だ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

大塚康生さんのご冥福をおいのりします

ラジオがだれかの死をつたえていた。
『ルパン三世』『未来少年コナン』といっていたので
耳をすませる。アニメーターの大塚康生さんだった。

10代のころ、『未来少年コナン』にうちのめされたわたしは、
監督をつとめたのが宮崎駿さんだとしり、
宮崎さんがつくった作品や、宮崎さんの発言をおいかけた。
そうすると、どうしても大塚康生さんの名前が目にはいってくる。
大塚さんは、宮崎さんが東映動画にはいったとき、
指導する立場の先輩アニメーターだった。
『太陽の王子ホルスの大冒険』で作画監督をつとめ、
のちにテレビ版『(旧)ルパン三世』でも
作画監督としてかかわっている。
『ルパン三世』は、当時としては画期的な作品だったものの、
視聴率がひくく、後半からがらっと作風がかわった。
シリーズ前半は、アンニュイなルパンだったのが、
シリーズ後半では演出が宮崎さんと高畑さんにかわり、
げんきいっぱいにうごきまわる、陽気なルパンになった。
ルパンがのる自動車も、高級車のベンツSSKから
イタリアの大衆車、フィアット500になっている。
フィアット500は、大塚さんがじっさいにのっていた車だ。

『未来少年コナン』につづき、『ルパン三世カリオストロの城』でも
宮崎さんのもとで 大塚さんは作画監督をつとめた。
宮崎さんが、大塚さんのちからを必要としたからで、
でも大塚さんはいそがしい作画の現場からちょくちょくいなくなり、
どこかで油をうっていた、というはなしがよくしられている。
宮崎さんのとなりに机をかまえ、
宮崎さんが時間におわれてくるしんでいるのをみながらも、
たびたびぬけだすなんて、すごい。
宮崎さんの仕事ぶりは有名だけど、スタジオのなかには、
ずっとがむしゃらだったわけではないひともいたことが
わたしはなんとなくうれしかった。
わたしも がんばりがながくつづかないほうなので、
大塚さんの、そんな仕事への距離感をこのましくおもった。
あつく仕事をかたりながらも、ちゃんと手をぬくときもある。
大塚さんは、そんなおとなとしてのふるまいが板についている。
つつしんで大塚さんのご冥福をおいのりします。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月15日

むすこの旅だちをよろこぶ

広島の大学にいっていたひとりむすこが、東京での就職をきめた。
今月の10日に広島をはなれ、東京へむかっている。
家にはよらず、広島からちょくせつ東京へいったので、
新型コロナウイルスの影響もあり、もう1年以上むすこにあってない。

東京駅についたところで配偶者に連絡があった。
その日はホテルにとまり、つぎの日にアパートへうつるという。
そのアパートも、むすこがひとりでさがしており、
あたりまえながら、親はなにもしていない。
手のかからない人間にそだってくれたものだ。
配偶者とのやりとりのあと、わたしもすこしはなした。
ひさしぶりにきくむすこの声はげんきそうだ。
いまわたしが口をはさむことはなにもないので、
からだに気をつけて、とだけつたえ、
ひさしぶりの「会話」をおえる。

むすこは大学のとちゅうでいちねん休学し、
フィリピンで3ヶ月ほど英語の勉強をしている。
新型コロナウイルスのことをおもうと、
いいときに いい体験ができてよかった。
休学により、予定より1年しおくり期間がのびたけど、
それも今月でようやくすべておわる。
わたしの子そだてにかんする責任はこれでおわり、
あとは自分の老後のことだけをかんがえればいい。
いますぐ仕事をやめてもいいわけで、
そうおもうとすごく気がらくになる。

すこしまえにみた映画で、花婿の父親がむすこを自慢していた。
自分はとるにたらない人間だけど、
むすこがやさしい人間にそだったことだけがほこりだ、と
披露宴のスピーチで、むすこをストレートにほめている。
日本人にはなかなかできないけど、
わたしもまた、もし結婚式がひらかれ、はなす機会があるのなら、
むすこを手ばなしでほめたいとおもう。
はなす内容は、映画とおなじだ。
わたしがこんなにとるにたらない人間なのに、
むすこはとてもいいやつにそだってくれた。

我が家は、絵にかいたような平凡な一家だ。
両親ともふつうのサラリーマンで、
金もちではないけど、それほど貧乏でもなく、
あかるくたのしい一家団欒には ほどとおかったけど、
すこしぐらいのギクシャクは、家族なんだから あたりまえだろう。
わたしはあまい父親で、むすこをやたらとほめてかわいがった。
配偶者も余計なことはいわず、でも愛情だけはたっぷりそそぎ、
祖父も祖母も、孫であるむすこをいつも気にかけてくれ、
ネコたちもまじえ、一家がフツーの中流家庭をかたちづくっていた。
いまの時代、「フツー」であることがどれだけ貴重かは、
だれもがよく理解していることだろう。
そんな家庭環境が、きっとむすこを
「あたりまえ」にそだててくれたのだろう。
むすこのおかげで、自分の子とキャッチボールをするという、
父親ならではの夢がかなえられたし、
わたしが手わたす本、たとえば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を
すすめられるままに よんでくれたりもした。
むすこが無事に巣だっていったことをよろこびたい。

posted by カルピス at 22:23 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月14日

ドナ=タートの『ゴールドフィンチ』全4冊を注文する

ドナ=タートの『ゴールドフィンチ』全4冊を注文する。 6490円。
たかいので、すこしまよったけど、
このまえよんだ『黙約』がおもしろかったので、
彼女がえがく独特の世界に またどっぷりつかりたくなった。
このさきどれくらい生きられるかわからないのだから、
お金をケチらずに体験しておこう、と自分にいいきかせる。
全4冊のボリュームは、『カラマーゾフの兄弟』に匹敵するのでは。
なにかの事情で2週間待機、みたいな状況になったら、
きっとこの注文が生きてくるだろう。
新型コロナウイルスで入院、あるいは2週間の隔離とか。
4冊を、ぶじよみおえたあかつきには、
ひとは2つにわけらえる、
『ゴールドフィンチ』をよんだ人間か、
まだよんでないか、 なんてえらそうにいいたい。
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机の横には、積読もたっぷりあり、
とうぶん本をかわなくても、よむ本にはこまらないのに、
おもしそそうな評判をきくと、つい注文してしまう。
いちねんに、せいぜい50冊しか本をよめないのだから、
わたしが想定している寿命は75歳なので、
あと750冊しかよめないことになる。
おおいような、すくないような。
あたらしい本だけでなく、よみかえしたい本もたくさんある。
仕事にあてる時間をもっとおさえないと、
このままでは予定どおりの読書生活はおくれない。
とはいえ、長期展望をもたないのが基本方針だ。
5年さきのことをかんがえてもしかたない。
けっきょく、いまのような本とのつきあい方を
このさきもつづけるだろう。

これまでにいちばん本をよんだのは、大学4年生のときだ。
単位がたりず、卒業できそうにないあせりから、
なにか自分をささえてくれるものはないかと本をさがし、
本多勝一さんの本をよみあさった。
本多さんの著作と、そのなかでとりあげられた本、と
芋づる式に よむ対象がどんどんひろがっていく。
まいにち一冊はよんでいた。
卒業できないあせりは どこかへいってしまい、
いま自分はなかなかえがたい体験をしているかも、とおもった。
けっきょく、ほんとに卒業できず、
そのまま大学にのこっても 勉強しないだろうと、
あっさりあきらめて大学をやめた。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月13日

「行(おこな)って」おくりがなをふってまで漢字をつかうのはなぜか

けさの朝日新聞島根版に、
「歓送迎会できるだけ行(おこな)って」という
丸山知事のよびかけがのっていた。
丸山知事は、このところ注目のひとなので、
新型コロナウイルスがらみの発言は、よくとりあげられる。
こんかいは、飲食店を支援するためのよびかけで、
「全国的には飲食店が主要な感染経路かもしれないが
県内ではそうではなく、とりわけリスクが高いわけではない」
とはなしている、とある。

記事がわたしの気をひいたのは、
「できるだけ行って」の
「行って」によみがな「おこな」がそえられていたからだ。
ほかの漢字にはおくりがながなく、
「行って」だけにつかってあるので目をひいた。
県が、丸山知事の発言を文章で発表したのなら、
そしてそこに「行って」と、漢字がつかわれているのなら、
新聞の記事にするとき、そのまま漢字にするはわかる。
発表の原文を尊重するのは当然だ。
でも、こんかいの場合は、知事の発言を
そのままことばとして紹介するのだから、
記事にするときはひらがなにすればいい。
わざわざ「行って」と漢字をつかう意味がわからない。

松江総局に電話して、なぜ「行って」に
ふるがながつかってあるのかたずねた。
「いって」によみまちがえられやすいから、というこたえだ。
そうだろうとおもう。でも、まちがえやすいのなら、
はじめからひらがなで「おこなって」とかけばいいのに、
なぜあえて よみまちがえしやすい「行」にしたのかわからない。
電話にでた方は、わたしがかいた記事ではないので
確認はできませんが、とことわってから、
担当記者がどんな意図で漢字にしたのかわからない、
ひらがなをつかえばいいというご意見は
そのとおりだとおもう、といわれる。

新聞は基本的に常用漢字でかかれていて、
それ以外の漢字についてはふりがながつかわれる。
「行って」はよみかたがわかれるので、
ふりがなをつかうことがときどきあるそうで、
そこらへんの判断は、担当記者にまかされているらしい。
上司がそれをチェックしたうえで記事になる。
「できるだけおこなって」では
ひらがながつづきすぎる、という判断があったのだろうか。

「行」のように、おくりがなに気をつけても
よみまちがえしやすいのなら、漢字をつかわず
ひらがなでいけばいいのに、とおもう。
一般的には、活用によっておくりがながわけられるけど、
それでもまちがえやすい漢字があるのはたしかだ。
ただでさえ おくりがなはまちがえやすいのだから、
わざわざおくりがなをふるのではなく、
はじめからひらがなでかけばいい。

posted by カルピス at 17:19 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月12日

KFCでのんだ紅茶がすごくおいしかった

仕事がらみでケンタッキー・フライドチキンへ。
わたしはあまりおなかがすいていなかったので、
フライドチキン1つと紅茶をえらんだ。
チキンが250円で、紅茶が220円。
紅茶はホットをえらぶと、お湯のはいったカップをわたされる。
あとは自分でティーバッグをいれる、というやり方だ。
沸騰していないお湯で紅茶をいれるなんて、
おいしくないにきまってる、とがっかりしていたら、
のんでみると、ハッとするほどおいしかった。
アッサム茶、とティーバッグの袋にかいてある。
沸騰していないお湯でも おいしくはいる紅茶があるのだろうか。
もともとのつかってある葉っぱが上質なのだろうか。
ネットをみると、リプトンのアッサム茶、とある。

ひごろから、コーヒーは100円でのめるのに、
なんで紅茶になると値段が倍になるのかと不満だったけど、
いい紅茶はそれだけお金がかかっているのかもしれない。
もっとも、たかくても ひどくまずい紅茶をだす店
(コメダとか)もあるので油断はできない。
ファーストフードやチェーン店の紅茶は、
本業のかたすみにおいやられ、
手をぬきほうだいのブラック地帯だ。
なんどかの後悔にきたえられ、紅茶を注文するときは
はじめから味に期待しないことにしている。
期待していなかっただけに、KFCの紅茶はおいしかった。

すこしたかいティーバッグのアッサム茶をためそうと、
スーパーで10袋いり400円と、
20袋いり400円(トワイニング)をかってみる。
どちらも、それなりにおいしいけど、
いつものんでいる25袋いり200円の日東紅茶と
あきらかにちがう、とうほどの差はない。
よくばっておおきなマグカップにいれるのではなく、
すこしこぶりのカップをつかったほうが、
紅茶の味がしっかりかんじられる。
そうしていれた場合、値段の差はかんじない。
ちなみに、アッサム茶はミルクティーむけ、といわれているけど、
牛乳をいれると、どれもおなじような味におもえてくる。
けっきょく、わたしの舌は、紅茶のおいしさをみわけるほど
デリケートにできていないようで、
でれをのんでも、それなりにおいしい。

でも、ケンタッキーでのんだ紅茶はあきらかにべつものだった。
なんであれだけおいしかったのか、不思議だ。

posted by カルピス at 18:35 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする