『黙約』
(ドナ=タート・吉浦澄子:訳・新潮文庫)
「村上春樹 期間限定公式サイト」として、
2015年に「村上さんのところ」がひらかれた。
メールでの質問にたいし、村上さんが返事をかく、
というスタイルだ。
ひさしぶりによみかえしていたら、
最近夢中になった小説は、とたずねられた村上さんが、
ドナ=タートの本を紹介していた。
文庫で手にはいる、『シークレット・ヒストリー』をとりよせる。
『黙約』は、『シークレット・ヒストリー』を改題したタイトルだ。
バーモント州にあるちいさな大学が舞台で、
カリフォルニア州からやってきたリチャードが
古代ギリシャ語のクラスにはいる。
リチャードをいれて6人のこのクラスは、
まわりからみると、まるで一枚岩のように
学生同士のむすびつきがかたく、
自分たちだけの世界に生きているようだ。
このクラスを担当するジュリアン教授は、
古代ギリシアを専攻する学生は、
ほかの授業をうけるのをみとめない。
自分と学生による、とざされた特殊な環境のもとで、
古代ギリシャ語の研究に没頭する 不思議な教室となっている。
プロローグで、いきなりバニーの死がしらされる。
このときには、まだ古代ギリシア語のクラスについて
なにも説明されていないけれど、よみすすめるうちに、
事故ではなく、おなじクラスのメンバーが
手をくだしたことがあきらかにされる。
なぜ、仲のよいクラスにおもえた古代ギリシャ語のメンバーが、
仲間のひとりをころしたりしたのか。
わがままし放題だったバニーに、 だんだんイライラしてくる。
バニーはどうしようもないほど両親にあまやかされてそだち、
大学にはいっても、世間をなめた生きかたはあいかわらずだ。
ひとの金ばかりをあてにし、責任感はなく、
ひとのものでも、ほしければなんのためらいもなくぬすむし、
図書館の本にはおかしのかすをつけっぱなし、
共用の冷蔵庫からだまってケーキをたべても なんともおもわない。
いっしょにいるのがたまらないタイプのわかものだとわかってくる。
自分がなにをしてもゆるされるとおもっており、
ひとをあざわらうことにかけては きわめて残虐で、
相手のよわい部分をたくみにみぬき、しつこくいやがらせをする。
よみすすめるうちに、はやくバニーなんてころしちまえ、
なんて物騒な心境になるくらい、たまらなくいやな人間だ。
なんでクラスのメンバーは、
わがままなバニーをゆるしてきたのだろう。
といって、まわりからの忠告にしたがうようなバニーではない。
ようするに、バニーはころされて当然とおもえる人間だった。
そのバニーを、のこる5人のメンバーで
事故にみせかけてころすまでが第1部だ。
著者は文庫本の上巻をまるまるかけて
バニーをガケからつきおとすまでをえがいている。
バニーをころして、やれやれ万歳なのだけど、
現実には、それですべてが解決、
というわけにはもちろんいかない。
町のひとが参加しての大規模な捜索隊がくまれ、
警察はバニーの死を解明しようと、クラスのメンバーにつきまとう。
バニーの両親のかなしみをみると、
とんでもないことをしてしまった、と後悔もしてしまう。
のこされた学生は、しだいにこころのおちつきをうしない、
酒からぬけられなくなったり、精神状態があやうくなる。
第2部では、バニーの死後、クラスのメンバーに、
どのような現実がまっていたかがリアルにえがかれる。
仲のよかった(ようにみえた)5人の気もちはバラバラとなり、
さいごには、精神的な支柱となっていたジュリアン教授に、
バニーをころしたのがクラスのメンバーだっとしられてしまう。
さいしょのページでバニーの死をつたえ、
あとは淡々と、その実行にうつるまでの過程をえがく。
事故にみせかけたバニーの死を、どうやってかくしとおすか。
犯行は、犯行のあともまたたいへんだという、
当然のことではありながら、その描写がとてもリアルで
ものがたりの展開にどんどんひきこまれる。
『密約』は、ドナ=タートによる第1作目の小説だという。
とてもそうとはおもえないほど、第一級の作品にしあがっており、
よむほどに、著者の世界にはまっていく。
彼女は およそ10年に一冊という寡作な作家らしい。
ほかの作品もよみたくなる、きわめて独特な世界をもった作家だ。