半年ぶりで、インターバルトレーニングにとりくむ。
クロールで50メートルを10本、1分15秒ごとにまわる。
3分の休憩をまじえ 3セット、というメニューだ。
はじめは1分そこそこでおよげていても、
つかれるうちに1分10秒となり、
そうなると、やすむ時間は5秒しかない。
くるしみながらも、これまでなら3セットぜんぶ
1分15秒でまわれたのに、
今回は3セットめでとうとう かえれなくなる。
しかたないので、やすむ時間なしにつづけておよいだ。
まえにできていたことが、ある日きゅうにできなくなる。
この半年のあいだに、なにかが確実にかわったのだ。
水泳のように、タイムでしめされるスポーツの残酷なところで、
まわりとくらべて、ではなく、時計によってしらされる。
自分のおとろえをつきつけられ、かなりがっくりきた。
わたしがいつもとりくんでいるのは、
1500メートルをつづけておよぐ、というシンプルなものだ。
ゆっくり、おなじテンポでおよいでいると、
からだと頭が気もちよくなってくる、はずだけど、
じっさいは、ただくるしいだけの1500メートルにおわることがおおい。
そして、タイムもまえよりずっとおそい。
わかいころはあたりまえに30分でおよでいたのが、
だんだんと、かなりがんばらないと30分をきれなくなり、
とうとう、さいごに30分をきったのは、15年まえだ。
5年まえだと33分が平均タイムで、
いまは、調子よくおよげても、37分かかる。
じわじわとおそくなっているのが数字で歴然だ。
タイムだけでなく、フォームもきれいなラインをたもてない。
タイムをふりかえってみると、
わかいころとおなじことができるのは
45歳まで、ということがわかる。
アスリートレベルのまがり角は、
もっとはやい段階にあったのだろうけど、
市民スイマーとしてのさいごのまがり角は45歳だった。
あとはゆっくり、ときどきかけあしで、着実におとろえていく。
1500メートルおよいだあとに脈拍をはかると、
かなりつかれていても140くらいしかあがっていない。
からだがはげしくうごくのを、脳がセーブしているみたいだ。
がんばったら いのちがあぶないので、はやくおよげなくしてるのかも。
村上春樹さんは、70歳をこえたいまでも、
いちねんにいちどはフルマラソンをはしるという。
「まけいくさ」といいながらも大会に出場しつづけるのは、
なにか自分のなかできめていることがあるのだろう。
わたしは新型コロナウイルスによる とりやめがなくても、
このところ大会に参加するモチベーションをたもてず、
エントリーせずにすごしている。
フルマラソンをはしるには、それなりの準備が必要なのに、
いまはその意欲がわいてこない。
なにか、きっかけとなる刺激がほしいところだ。