2021年03月17日

「なまめかしい天気予報」 はどのように生まれたのか

「現代の音楽」をきいていたら 、担当の西村朗さんが、
「なまめかしい天気予報」をうたってと、
ソプラノ歌手の太田真紀さんに催促している。
声の調子をととのえてから、太田さんがおもむろにうたいだす。
文字どおり、ひたすらなまめかしい口調で
あえぎ声もまじえつつ、天気予報をよみあげるのだった。
「耳もとでやられたらたまりませんね」と西村さんがいうと、
「そのつもりでやってます」と太田さんがこたえる。
現代音楽の一流どころが、こんなあそびをしてるのがおかしい。
どんな分野でも、トップレベルのひとたちは、
まじめひとすじでやってるわけではなく、
性的にもたっぷりあそんでいるほうが いい仕事をするのでは。
太田さんや西村さんがそうだ、というわけではないけど、
肉食獣が、欲望をむきだしに、やりたいことをやらないと、
突出した芸術はうまれないような気がする。

もういちど「なまめかしい天気予報」がききたくて、
ユーチューブで「現代の音楽・ソプラノ歌手」を検索する。
そうしたら、現代音楽やソプラノ歌手ではなく、
なまめかしい天気予報のお姉さんがゾロゾロひっかかった。
天気予報となまめかしいお姉さんに、
こんなにも親和性があるとはしらなかった。
まじめな顔で天気予報をよみあげるお姉さんたちは、
その気になってよくみると、大胆に色気をふりまこうとしている。
まじめな口調ではなしていながら、服が奇抜だったりすると、
このお姉さんはそういうひとなんだな、とわかりやすい。
天気予報は、こうしたお姉さんたちにとって、
実力を発揮できる 絶好の仕事なのだろう。
正面からカメラをみつめ、にっこりほほえまれると、
たいていのひとに好印象をもってしまう。
もしかしたらはなしは逆で、おじさんがよろこぶから、
テレビ局がそういう人選をするのかもしれない。

天気予報にはなしをもどすと、
10年まえよりも、天気予報がよくあたるようになった気がする。
1週間まえから、どんな天気になるのかを予報して、
ほとんどそのとおりの天気になる。
午後からきゅうにさむくなる、といえば、
午前がどんなにいい天気だったとしても、
午後になるとちゃんと気温が急激にさがる。
まえは、天気予報があたらない、と文句をいっていたけど、
このごろは、あまりにもよくあたるので、
詩ごころがない、なんてへんに情緒をもとめたりする。
あんまりよくあたるようになると、
なまめかしいお姉さんたちの出番がなくなるようで心配だ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする