過去の投稿をときどきのせている。
きのうは、1943年にかかれた中学生の投稿がのっていた。
自分は中学生である。(中略)われわれの本には、敵国国歌がのせてある。また「ミスター・スミスは、金持の銀行家である。彼は頭痛がするので、転地をしようと考へた」などと書いてある。われわれは、こんなことまで学ばねばならぬかと思ふと、こちらこそ頭痛がしてくる。
同じ旅行でも、ジョージがアメリカへ行くよりも、太郎が昭南島へ行く方がどれだけいゝか知れない。(中略)どうせアメリカへ行くなら、爆撃機にでも乗つて、空から見たニューヨークを書いた文が読みたい。われわれも十分興味をもつて面白く勉強できるだらう。
戦争ちゅうということもあってか、この少年は、
アメリカにぜんぜんいかれてないのが小気味いい。
英語を勉強するにしても、
舞台がアメリカである必要はないわけで、
「太郎が昭南島へ行く方が」いい、という意見にもうなずける。
「爆撃機にでも乗って」空からニューヨークをみたら、
そりゃ爆弾をおとしたくなるだろう。
興味をもっておもしろく勉強できることうけあいだ。
1943年といえば、太平洋戦争のまっただなかで、
敵性語である英語は、勉強していないとおもっていた。
アメリカの国歌まで教科書にのっていたというのが興味ぶかい。
わたしが英語をならったときでも、
アメリカ国歌なんてもちろん教科書にはなかったはずだ。
いま、朝日新聞に池澤夏樹さんの
『また会う日まで』が連載されており、
戦前の日本海軍のようすがよくわかる。
軍隊としてのしくみはすでにととのっており、
士官の育成や人事など、しゅくしゅくとすすめている。
主人公は、軍人とはいえ、測量を専門にしていることもあり、
軍艦にのっていても、まわりには知的なひとたちがいる。
戦術の専門家としてだけでなく、一流の教養人であることも
ある階級以上の軍人にはもとめられており、
世界のどこにだしてもはずかしくない
社交やマナーをわきまえているのが海軍のエリートだ。
軍艦に民間人をのせるときには、
どの部屋にとめるか、食事はだれが同席するか、など
こまかくきまっており、すでに海軍の伝統は
すみずみにまでいきわたっているようすがつたわってくる。
戦前の日本というと、アメリカの国力をはかりかねた国、
というおろかな印象がつよいけれど、
システムとしては それなりのものができあがっていた。
食事のときなど博識な会話がかわされている。
「蝶を見かけましたが」
「私も見ました。あれはたぶんリュウキュウムラサキですね。熱帯の蝶だからここにいてもおかしくない。しかし自力で来たのかどうか」
「あんなに小さいから無理でしょう」
「ところがね」と別の者が言う、「小さいからこそ台風などに乗って遠くへわたるらしいんですよ。とんでもないところにいたりする」
そのおなじ時代に、いきのいい中学生もまたいて、
爆撃機にのってニューヨーク、なんてかいてるのがおもしろい。