主人公の少年が、美術館でみかけた女の子の視線を気にして、
ずっとその子のうごきをおいかける場面がある。
どうしてぼくはこういうふうにほかの人に取りつかれるんだろう?このように激しく熱にうかされたように見知らぬ人に固執するのは尋常なことなんだろうか?(中略)通りで面白そうな人を見かけると、その人たちのことを何日もずっと考え、生活を想像し、地下鉄や市内横断バスの中で彼らについての物語を作り上げることもしばしばだった。
これをよんでいて、なんねんかまえのある夏の日、
図書館のそとでみかけた 女性のことをおもいだした。
うんざりするほどあつい夏の夕方、
図書館からでてきた女性にわたしは目をうばわれた。
あつい日なのに、その女性のまわりだけ すずしそうだ。
30代後半くらいで、ものすごい美人というわけではないけど、
彼女がかもしだす雰囲気が、まわりの空気をかえていた。
紫色のちいさな水玉もようのワンピースをきて、
日傘をさし、にこやかにほほえみながらあるいていく。
たまたま彼女とおなじ方向にわたしもむかっていたため、
しばらく彼女のうしろをおいかけるかたちとなった。
あまりにもいいかんじをふりまいているので、
「すてきなワンピースですね」
「たのしそうにあるかれますね」
と、もうすこしではなしかけそうになった。
しらない男から そんなふうに声をかけられても、
身がまえてしまうのではなく、
きれいにうけとめてくれそうな気がした。
圧倒的にたのしそうな空気のなかで生きているひとがいるのだと、
彼女をみたあとしばらくは、すがすがしい気分がのこった。
さすがに声をかけるまでにはいたらなかったけど、
もうすこしながい時間、その女性とあるいていたら、
ほんとうに一線をこえてはなしかけていたとおもう。
少年が、年うえのお姉さんにうっとりするのとはちがう。
いい年こいた男の一目ぼれでもない。
恋愛対象としてみたのではなく、彼女の雰囲気を、
率直に評価したのだとおもっている。
60年ちかく生きてきたけど、
あれほどはげしく ひとりの女性にさわやかさをかんじたのは、
彼女をみかけたときだけだ。
あのであいは なんだったのだろう。
わたしに『ゴールドフィンチ』の主人公のような、
気になるひとのことをかんがえつづけ、
生活を想像したりするちからがあれば、
この女性をめぐる、ものがたりができあがるのに。