利用者の方とバス停にむかい、川ぞいをすすんでいたら、
初老の女性がわたしたちに前後しながら、ゆっくりあるいている。
しきりに川のようすをうかがっておられ、
ときどきたちどまるので、なかなか距離がはかどらない。
風がつよくふき、ときどき雨もふり、
けしてあるくのにたのしい日ではなかったけど、
その女性は天気なんてぜんぜん気にならないようすで、
しきりに川をのぞきこんでいる。
風のせいで、カサがあまり用をはたさず、
足元が雨にぬれてしまっても 平気そうだ。
なにかさがしておられるのですか?とたずねた。
鳥をみているのだという。
むこうにいるのが親鳥で、こっちの4羽が子どもたち、
とおもっていたら、どうもちがうみたい、といわれる。
かいもののかえりに、いつもそうやって
鳥をみながらあるくのがたのしみだという。
不審者とおもわれるので、もうやめて、と
いっしょにくらしている娘さんからいわれるけど、
鳥をみながらの散歩がすきだからやめられない、という。
鳥をさがしながら、ひとりごとをいうので、
それも娘からとめられてるの、とわらいながらはなされる。
それでは、と会釈して、わたしたちのさきへあるいていかれた。
バス停についたわたしは、
ヒンズースクワットを300回して暖をとったほどさむい日で、
けしておでかけ日和ではなかったけど、
その女性があるくようすをみていると、胸があたたかくなった。
散歩の達人、というより、人生の達人にわたしはであったのかも。
わたしもあるくのがすきで、20キロくらいを ときどきあるくけど
天気がわるい日は、わざわざ外にでようとおもわない。
長靴にレインコートと、雨対策をしっかりとれば、
ひどくぬれはしないだろうけど、
散歩の自由な精神と、完全武装はあわない気がする。
その女性のように、たいしておおきくないカサだけをたよりに、
すこしぐらい雨にぬれても、気にせずにあるくのが達人の散歩だ。
さきのことを心配せず、子ネコのように、
目のまえのできごとだけに意識をうばわれている。
健康のためにあるいているのではなく、散歩コースにいくつもの
チェックポイントをこしらえておられるのではないか。
わたしが仕事ちゅうでなく、その女性といっしょにすごせたら、
しばらくついてあるき、散歩、というか人生の極意をまなべたのに。
自分のことはあとまわしで、鳥の無事を確認しながらの散歩は、
高段者にしかできない域にたっしている。
いろんなところに達人がいてくれるのはこころづよい。