2021年04月07日

『ゴールドフィンチ』(ドナ=タート)をよみすすめるしあわせ

お風呂あがりの1時間ほど、『ゴールドフィンチ』
(ドナ=タート)を毎晩よみすすめている。
いま第3部にさしかかったところで(2巻のおわりごろ)、
まだあと2冊あるのがこころづよい。
仕事よりもあそび、という傾向がまえからつよかったけど、
『ゴールドフィンチ』をよみはじめてからは、
ますます夜の自由時間をまちながら生きている。
たのしみがあるということが、どれだけ生活にハリをもたせるか。
だれかにこのよろこびをわかってほしいけど、
「いま『ゴールドフィンチ』をよんでいる」といっても、
よんだことのあるひとにしか、このしあわせはつたわらない。

もうずいぶんまえのこと、あさ目をさましたとき、
その日は仕事をしなくてもいいことに気づくとうれしかった。
「きょうはなにをしてあそぼうか」と、
いくつかの候補をあげて いちにちの計画を寝床でたてる。
たぶん仕事をやめて、自由な身のうえだった時期だろう。
やらなければならないことが なにもなく、
いちにちをまるごとつかえるのが このうえなくしあわせだった。
さきの不安などすこしもなく、ただ自由な時間がうれしかった。

『ゴールドフィンチ』をよんでいて、
そんなむかしのよろこびをおもいだした。
じゅうじつした読書は、気もちをわかがえらせるのだろうか。
すこしでもすきま時間がでたときのために、
『ゴールドフィンチ』をカバンにいれて
職場へむかうようになっている。
おなじ作者がかいた『黙約』もすばらしくおもしろく、
上巻をでかけたさきでよみおえたことがある。
このときは、まさかそこまで読書がはかどるとはおもわず、
下巻はもっていなかったので、つづきをすぐによめなかった。
さきをよみたいのに、それがかなわないのはつらかった。
あれぐらいむなしい時間は もう味わいたくないので、
『ゴールドフィンチ』をいつも おちあるくようにしている。
まさか仕事ちゅうによんだりはしないけど、
よめる条件が もしかしてそろったときに、
『ゴールドフィンチ』がないのは なんとしてもさけたい。

ものがたりは、このさきいったいどううごくのだろう。
『未来少年コナン』をさいごまでみたとき、
しばらくのあいだ さみしくてたまらなかったように、
『ゴールドフィンチ』をよみおえたときは、
重度のロス症状がおこるような気がする。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする