2021年04月11日

車いすをおしているひとをみると、挨拶をしたくなる心理がよくわからない

障害者介護という仕事がら、車いすにのった方と、
町なかや宍道湖岸をよく散歩する。
そんなときは、なぜか挨拶をうけやすいようだ。
車いすだけでなく、障害をもっていると、
外見からわかるひととあるいていても、挨拶されやすい。
このまえはジョギングちゅうのランナーに、
すれちがいざま「こんにちは」 、
うしろからおいぬくときに
「きょうは天気がよくて気もちいいですね」
とおなじ方から声をかけられた。
挨拶されてわるい気はしないけど、
ひとりであるいているひとには挨拶しないのに、
車いすにのっているひと、車いすをおしているひとには、
挨拶したくなる心理とはなんなのだろうか。

ちいさな子どもをつれた女性は、
かなりたかい確率で挨拶してくれるし、
中学生くらいの男の子にも、
「こんにちは」をときどきいわれる。
自発的な挨拶なのか、それとも
学校で、車いすでおでかけしているひとをみかけたら、
挨拶しましょう、とはなされているのだろうか。

わたしは、もともと挨拶したくなるタイプのようで、
通学ちゅうの高校生から挨拶されて
おどろくことがときどきある。
ジョギングをしてるときも、ときどき挨拶される。
挨拶したくなるタイプの男(わたしのことだ)が
車いすをおしていたら、挨拶したくなる条件がそろい、
相乗効果で つい挨拶してしまうのだろうか。
挨拶するのはいいことだとおもうけど、車いすの、
あるいは、わたしのどこが挨拶をまねくのか 不思議な気がする。
挨拶をしたくなる心理が、いまひとつよくわからない。

いっぽうで、わたしはひとから無視されやすいタイプだ。
たとえば居酒屋で店員さんに声をかけても、
すぐに反応してくれることはまずない。
スーパーのレジにならんでいても、
店員さんにスルーされることもある。
180センチと、背はたかいけど、存在感がどこか希薄なのだ。
わたしは声がちいさく、パッションもとぼしいため、
相手に悪気はなくても、無意識のうちに
わたしをメンバーとしてカウントしない心理がはたらくようだ。
挨拶したくなるタイプのはずなのに、
存在は目にはいりにくい、というのがおもしろい。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする