2021年04月14日

選挙運動のスタイルはなぜかわらないのか、すごく不思議

かくまえから いやなかんじで 気がのらず、
でも2021年においても、昭和と、あるいはもっとまえから
なにもかわらない 日本の残念な風俗として
文章で記録しておく意味があるかもしれないので
60まえの男性がかんじた 選挙運動についてふれておく。

わたしがすむ町でも市議会議員選挙がはじまり
演説やら選挙カーがうるさくてかなわない。
自分の名前をさけびつづけるだけの選挙カーがおおく、
なぜこのスタイルが、ぜんぜんかわらなのか ほんとうに不思議だ。
かならずみなさまのお役にたちます、
くるしいたたかいになっています、
この地区を代表してみなさまの声を市政にとどけます。
具体的な内容がなく、うるさいだけのうったえに うんざりする。
わたしが小学生のころから選挙のたびに
おなじやりかたが延々とくりかえされてきた。
小学生にも、連呼による「選挙運動」のおろかさはわかる。
候補者の名前をさけびつづけるだけで、
だれかが票をいれてくれるなどと、期待するほうがどうかしている。
もしかしたら、おとなにたいする不信感は、
これらの へんな選挙運動をみたのが きっかけになっているのかも。
おとなはもっとまともかとおもっていたのに じっさいは・・・。

市議レベルの選挙では、おおきな政策をかかげるわけにもいかず、
選挙運動のやり方は ごくかぎられたものになるのかもしれない。
今回きいたなかには、任期ちゅうに自分がのこした実績について
具体例をあげて アピールしている候補者がいた。
できっこない政策をうたうより、
じっさいに実行した仕事をいうのはいい方法で、好感がもてる。
それができず、ただ みなさまのあたたかいご支援を、
ばかりくりかえすのは、 なにもしなかったひとだからだろう。

市議選が県議選、さらには国会議員選にかわっても、
選挙運動のスタイルはたいしてかわりがないけど、
市議選がいちばん候補者の人数がおおく、
うったえる政策がかぎられているためか、いちばんうるさい。
本気で仕事にとりくもうとしている候補者がわかれば、
応援し、選挙にいって投票したくなるけれど、
いまの候補者をみるかぎり、あまりにも不毛な選択におもえる。
つぎの日曜日、18日が投票日だ。
それまでに、気もちをゆさぶる候補者があらわれるだろうか。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする