「ベートーベン生誕250年 メモリアルコンサート」として
NHKが「ベートーベン・オーケストラ・ボン」の演奏を放送していた。
3曲による編成で、さいごに演奏された交響曲第7番は、
わたしがベートーベンでいちばんすきな曲だ。指揮者はカフタン氏。
ロックダウンのあと、はじめてひらかれたコンサートだったそうで、
カフタン氏と、会場をおとずれたひとたちは、
演奏をふたたびたのしめるよろこびをはなしていた。
交響曲7番は、有名な第1楽章、そして、
最高にゴージャスな第4楽章がここちよくひびいてくる。
第4楽章がはじまるときは、オーケストラのメンバー全員が、
それまでの演奏で曲の主題をかたりつくした充実感にあふれていた。
そして、さいごはおもいっきりたのしもうという
やりつくしたあとの、開放的な姿勢を指揮者がみせる。
カフタン氏による指揮は、タクトをふるというより、
準備体操みたいなからだのつかい方で、
すごく熱がはいっているからみていてたのしい。
でも、楽器を演奏しているひとたちが、指揮者をみているかというと、
あんがいそうでもないのがおかしかった。
自分のパートがおわったひとは、やれやれと一息ついているし、
別のひとは譜面や あらぬところへ 視線をさまよわせている。
カフタン氏は、おもいいれたっぷりに、
それぞれの演奏者に個別のメッセージをおくっており、
そしてさすがに曲はすばらしいもりあがりをみせるけど、
指揮者にみちびかれて、というよりも、
曲にあわせて自然にクライマックスをむかえたようにみえる。
指揮者の仕事である演奏者全体の把握は、
当日をむかえるまでに完成されたレベルにたっしており、
その日の演奏は、それまでにつちかってきたものを、
自由に表現する時間なのかもしれない。
カフタン氏の指揮は、みているだけで興味ぶかかった。
会場におとずれていたひとたちも、満足したのではないか。
わたしはクラシックコンサートにふなれなせいか、
演奏や指揮者に意識がむいてしまうと、
曲への集中がきれて よけいなことをかんがえてしまう。
目にはいってくる情報のたのしさと、
耳からはいる音とのかねあいがむつかしい。
雑念がまじりやすいわたしのようなタイプは、
目をつむって演奏をきいたほうがいいのかもしれない。
とはいえ、カフタン氏のうごきを目にいれないのはもったいないし。
音楽ずきなひとは、どうやってコンサートにのぞむのだろうか。