2021年05月31日

「聞き逃し配信」のいかし方があんがいむつかしい

週にいちど、アルバイトでハーブの苗を発送しており、
このごろは、仕事をしながら
「聞き逃し配信」をながすようになった。
ききたい番組をききのがしたとき、
「聞き逃し配信」はとてもありがたいサービスだけど、
では、いつそれをきくかとなると、
あんがい いい時間がないものだ。
ラジオをきいて、仕事がおろそかになってはいけないし、
まわりできいているひとがいたら、
自分だけで番組をえらぶわけにはいかない。
せっかくいいサービスなのに、なかなかきけずにいたけど、
アルバイトの時間がピッタリなのに気づいた。
番組は「ジャズ・トゥナイト」と
「ゴンチチの世界快適音楽」がおおい。
このごろは、「聞き逃し配信」をきくために
アルバイトにでかけてるようなかんじだ。
仕事がやだなー、ではなく、
ラジオをききにいくか、というかんじで、
仕事へのハードルがすごくひくくなった。
こういうかるさこそ、仕事にむかうときの
のぞましいた態度なのではないか。

新聞をよむのがだいすき、というひとが、朝日新聞の投稿欄に、
精読しすぎて毎日の発刊に なかなかおいつかないので、
休刊日がまちどおしい、という内容の記事をよせていた。
わたしも新聞をよむのがすきだけど、
すきだけに、休刊日は残念な日でしかない。
このひとのように、あまりにもすきがこうじると、
やすみがうれしくなるのかと、おどろいたものだ。
「聞き逃し配信」も、ききたい番組がおおくて、
いくら 1週間はいつでもきけるといっても、
番組ぜんぶをおさえるわけにいかない。
さきにあげた2つの番組にくわえ、
「音楽遊覧飛行」と「歌謡スクランブル」、
それに「カルチャーラジオ」も
しばしばきょうみぶかい内容の講座がある。
仕事をしながら、すきな番組をどれもきこうとすると、
あたりまえながら、時間の分配がむつかしい。

テレビを録画してみるのは、
「聞き逃し配信」とすこしにている。
わたしはあまりテレビをみないので、
録画しすぎてみる時間がない、とこまることはない。
テレビというメディアになれ、
興味をもてる番組が、ごくかぎられているからだろうか。
ラジオはまだかけだしの初心者なものだから、
おおくのものに関心をひかれやすいのかもしれない。
ラジオはテレビほど場所をえらばず、
イヤホンをすればどこでもきけるのだから、
ほんとなら、ラジオをきく時間はいくらでもありそうなのに、
ちょうどいい状況のときはあんがいすくない。
メガネ型のワイヤレスイヤホンがあるそうで、
机にむかっての仕事のときは、いいカモフラージュになりそうだけど、
介護職ではあまりやくにたちそうにない。
「聞き逃し配信」を、じょうずにいかす方法はないものか。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月30日

川崎フロンターレがJ1リーグでの新記録 開幕20戦まけなし

J1リーグ第17節、川崎フロンターレ対鹿島アントラーズ
開幕から20戦まけなしの記録がかかった試合。

前半は圧倒的にフロンターレがおしこむ展開がつづく。
しっかりしたまもりから攻撃をくみたてたいアントラーズに対し、
フロンターレのポゼッションは、その守備を機能させない。
なんどか決定的なチャンスがおとずれたあと、前半19分に
レアンドロ=ダミアンが山根からのスルーパスをきれいにきめる。
その後もフロンターレがボールを支配し、鹿島にはいいところがない。

アントラーズがもちなおしたのは、後半からだ。
守備の圧力がまし、フロンターレはパスがつながらなくなる。
こうなるとフロンターレはぜんぜんこわいチームではなく、
フロンターレのよさをけすのは、徹底したプレッシャーなのがわかる。
そして後半16分に、上田が同点ゴールをあげる。
VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)までもちこまれるも、
そのまま得点がみとめられる。

フトンターレは失点した直後に三苫をさげ、長谷川をいれる。
きょうの三苫は、前半こそチャンスをつくれたものの、
アントラーズの守備にしだいにくるしみ、
後半はあきらかにやる気をうしなっていた。
三苫の欠点は、気分にむらがあること、
とだれかがいっていたけど、きょうの三苫は
その欠点がそのままでてしまった。

フロンターレは、後半の飲水タイムでいきおいをもりかえす。
三苫にかわってはいった長谷川が
左サイドの起点となり、なんどかゴールまでせまる。
後半のアディショナルタイムは5分。
3分をすぎ、さいごの交代として投入された小林が、
はじめてまわってきたボールをゴールにむすびつけた。
終了間際の劇的なかちこし点となる。
そして 2分後に、そのまま試合終了。
かちがきまったときの鬼木監督は ほんとうにうれしそうだった。
鬼木監督は、これでJ1リーグでの100勝目となり、
これはJ1リーグでの最速記録ともなった。
アントラーズの相馬監督とは、おなじチームでたたかったことも、
相馬監督、鬼木コーチという関係の時期もあったという。
20試合まけなしがかかっていただけでなく、
両監督にとって、きょうは特別な試合だったようだ。

いつもの圧倒的につよいフロンターレではなく、
後半はアントラーズにおしこまれていた。
結果的には かてたとはいえ、連動したプレスをかけられると、
フロンターレはいつものボールまわしができなくなる。
鬼木監督は どんな手をうって、この欠点を修正するだろうか。
フロンターレには、まだのびしろがあるということなのだろう。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月29日

『地下鉄道』ありえたかもしれないパラレルワールド

『地下鉄道』
(コルソン=ホワイトヘッド・谷崎由依:訳・ハヤカワepi文庫)

奴隷少女のコーラは、おなじ農園ではたらく少年に
北の州へ にげないかと はなしをもちかけられる。
時代は南北戦争まえのアメリカで、南部の州が舞台だ。
当時、白人のなかにも、黒人を支援する秘密の組織があり、
比喩的に「地下鉄道」とよばれていた。
地下鉄道は、じっさいにあった組織だそうだけど、
あくまでも比喩的な意味での「鉄道」であり、
列車がはしっていたわけではない。
作者のホワイトヘッドは、比喩としての鉄道を、
じっさいにはしさせることで、黒人たちを
北の州へにがそうとした。

なかった鉄道をはしさせるといっても、
この小説はSFではなく、「地下鉄道」以外は
史実にもとづいているパラレルワールドだ。
コーラは地下鉄道にのって、なんとかジョージア州から
ノースカロライナ州へとたどりつく。
そこは、いままでいた農園とはくらべものにならないほど
黒人の権利がまもられている。
ひとりの人間として、まなび、はたらくよろこびを
コーラははじめてかんじ、しあわせにくらしはじめる。
しかし、楽園のようにおもえたノースカロライナ州も、
つきひがたつうちに、黒人への差別が本質的には
ジョージアとおなじ構造だとコーラは気づく。
黒人に協力する白人は、まわりから弾圧をうけ、
家をやかれたり、木につるされたりする。どこまでにげても、
白人が絶対的に優位な社会であることにかわりはない。

アメリカの黒人差別問題は、いまでも社会面でよくとりあげらえる。
せんじつも、「ブラック・ライブズ・マター」が話題になった。
黒人への根ぶかい差別があることを、
わたしはわかったような気になっていたけど、
なにもしらないにひとしいことが、この小説をよむとわかる。
コーラのおばあさんにあたる世代が、
アフリカからむりやりアメリカにつれてこられ、
人間としての尊厳が、まったくみとめらない農園での労働。
やといぬしの気分しだいで、ムチでうたれたり、
うりわたされたり、さらにはなぐりころされたり。
動物以下の存在としてスタートしている黒人への差別感情が、
かんたんにはなくならないだろうと この本をよみながらおもった。

これでもかと、黒人への差別をえがきながらも、
コーラが希望をみいだすところで本書はおわっている。
けしてなまやさしい人生ではなかったけど、
コーラはさいごまで自分をしんじ、たたかい、
ついにはあたらしい土地への旅につく。
にげつづけるコーラを応援せずにはおれない、
スリルにみちた第1級の作品にしあがっている。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月28日

現代の男性より、よほど生活力があった海軍の軍人

朝日新聞に連載中の小説
『また会う日まで』(池澤夏樹)をたのしみにしている。
日本海軍の軍人である秋吉利雄が主人公で、
ちかぢか再婚するすることになった。
きょうのはなしでは、相手の女性が、
「式の前に一度お宅に伺ってお義母さまに教えていただきたいことがあるのですが」
といいだす。
自分は料理ができないので、ということだ。

「ではまずわたしが教えてあげよう」
と秋吉はこたえた。
海軍軍人は一通りのことは自分でする。あなたのように和裁はできないが洋裁ならば洋子の服くらいは縫える。料理は日曜日の晩にしばしば担当する」
「なんと心強いこと」
「縫い物で言えば、艦の勤務では釦付けなどに兵を呼ぶことはしない。自分でするのが常識。編み物が上手で、航海中に妻のセーターを編み上げてそれを土産に帰港する者もいたな」

中佐ぐらいのえらい階級だと、
なんでもおつきの兵士にやらせそうだけど、
この小説にかいてあることが事実なら、
当時の海軍には、「自分でするのが常識」
という文化があったのだ。
小説の舞台は太平洋戦争がはじまるすこしまえだ。
この時代、秋吉のように裁縫や料理をやる男性ばかりとはおもえない。
ただ、時代がどうあれ、自立した成人として生きようとしたら、
おのずとなんでも自分でやる人間にならざるをえない。
2021年でも、料理をするひとはするし、しないひとは徹底的にしない。
コンビニやスーパーで、なんでもかえるのから、
自分でやる必要はない、というかんがえ方もある。
「日曜の夕方、わたしが台所に立ってまず何をするか?」
「なんですか?材料の吟味とか?」
「いや、包丁を研ぐのだよ。虚心坦懐に、気持ちがいいものだ」

わたしの包丁が、あまりにもきれなかったから、だめもとで
配偶者の砥石をつかい それっぽくといでみた。
ただしいやり方はしらないので、
20回ほどなんとなく包丁を前後にうごかす。
たったそれだけで、包丁が劇的にきれるようになったのでおどろいた。
包丁をとぐなんて、すごくむつかしい仕事かとおもっていたのに、
じっさいは、おどろくほどかんたんだ。
よのなかのことも、すべからず、こうであるといいのに。
というわけで、秋吉氏ほど「虚心坦懐」にとりくまなくても、
包丁をとぐのはたいした仕事ではない。
それに、料理のまえはいつも包丁をとごうとしたら、
いっぺんに料理のハードルがたかくなってしまう。
秋元氏の再婚相手が、やっぱり料理はやめた、
なんていいださないといいけど。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月27日

散歩していたら、ネコに「お接待」をうける

職場から利用者の方と散歩にでかける。
住宅地をとおりかかると、白黒のネコをみかけた。
「ニャンコさん!」と声をかけると、
シッポをたかくあげ、こっちにちかづいてくる。
からだをすりよせてきて、あそんでほしそうだ。
わたしがなでると、もっともっととせがむ。
そのうち道路にからだをすりつけ、
おなかをまるだしにしてあまえてくる。
いたりつくせりだ。はじめてであったネコに、
これだけ「おもてなし」されると胸があつくなってくる。
しばらくなでてから「じゃあね」とわたしがあるきだすと、
「え、もうおしまい?」みたいに、
こっちをみたまま道路のまんなかでねころんでいる。
あぶないよ、と声をかけても、その姿勢をくずさない。
きっと、近所の家でかわれているネコなのだろう。
みぢかい時間に最大限のサービスで接待してくれた。
わたしはネコをみかけたら、
できるだけ声をかけるようにしているけど、
これほどの反応をみせてくれるネコはめずらしい。
梅雨のはれまだったので、ネコも気分がよかったのかもしれない。
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わたしがおむかえにいく利用者の家では、
・ごはんをあげるけど、ノラネコ・・・3匹
・家のなかでかわれてるけど、外でもあそぶネコ・・・1匹
・トイプードル・・・1匹
がなかよく くらしている。
ネコと犬がいっしょになってお皿に顔をつっこみ、
キャットフードをたべるのがふつうにみかけられる。
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おたがいが、あたりまえの存在として相手をうけいれている。
岩合さんの「猫歩き」をみると、かいネコでも外で自由にあそび、
人間にたいしてもおどおどした態度はとらない。
家のなかと、そとでの顔が おなじというのを、
外国ではあたりまえにみられるようだ。
利用者の家は、ちょうどそんなかんじで、
ネコと犬がとても自然にくらしている。
「ポツンと一軒家」とまではいかなくても、
ご近所とはなれたところに家があるので、
安心して外であそばせられる環境になっている。
すべての動物が、しあわせにくらせますように。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月26日

カーラジオから「スローバラード」がながれてきた

配達にでかけようと自動車のエンジンをかけたら、
清志郎の声がながれてきた。
「スローバラード」だった。
仕事に出発するのはすこしあとにして、
しばらく曲に耳をかたむける。
歌謡スクランブル」(NHK-FM)では、
ひとりのミュージシャンについての特集をくむので、
きょうはRCサクセションの日だったのかもしれない。
せっかくのRC特集を、ききのがしてしまうなんて。
時計をみるともうすぐ2時なので、この曲がさいごだろう、
とおもったとおり、「スローバラード」で番組がおわった。

家にかえってから ネットで「らじるらじる」をひらく。
「歌謡スクランブル」も聞きのがし配信の対象になっていた。
さっそくききはじめるけど、聞きのがし配信では
こころのときめきをかんじないのはなぜだろう。
車のラジオできく曲は、なにか特別な味つけがしてあるみたいだ。
なじみのある曲がラジオからながれると、
仕事ちゅう、という日常の風景が、いっぺんに特別な時間になる。
番組では、RCサクセションの9曲がながれていた。

「ぼくの好きな先生」
「宝くじは買わない」
「甲州街道はもう秋なのさ」
「トランジスタ・ラジオ」
「多摩蘭坂」
「SUMMER TOUR」
「I LIKE YOU」
「雨あがりの夜空に」
「スローバラード」

こんな選曲も「あり」かもしれない。
さいごはどうしても「スローバラード」だろう。
せっかくのRC特集をききのがしてしまい、
とりかえしのつかないことにかんじた。
とはいえ、仕事ちゅうの30分なので、
もし番組でRCがながれるのをしっていたとしても、
そのために時間をあけるわけにはいかない。
またとない特集がくまれても、しがないサラリーマンは、
淡々といつもの仕事につくしかない。
きょうながれた曲は、どれもiTunesできけるのに、
ラジオ番組をききのがすと なんだかすごく残念だ。
エンジンをかけたら清志郎の声、という
ありえない状況に動揺したのだろう。

聞きのがし配信で「歌謡スクランブル」をきいていると、
担当の深沢彩子さんが、つややかな声で
RCサクセションのデビュー当時を簡潔に説明する。
原稿を、ただよみあげているのではなく、
深沢さんは個人的にもRCがすきだったのでは、
とおもえるような愛がこもった声だ。
ここにもまたひとり、RCのかくれファンをみつけてうれしくなる。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月25日

ネコをかいはじめる老人に、なにかすくいがほしい

『夜廻り猫』では、このところ
「おじいさんと子猫」がかかれている。
ひとりぐらしの老人の家に
子ネコがまよいこんできて、しきりにピーピーなく。
遠藤さんにいろいろおしえてもらい、
ごはんをあげ、病院にもつれていき、
なりゆきで、その子ネコをかうことにした潔さん。
子ネコは潔さんがだいすきで、
あまえられると潔さんもまんざらではなく、
おたがいにいい相手をえて、あたらしい生活がスタートした。

そんなところに、潔さんのむすめさんがたずねてきた。
潔さんが子ネコをかいはじめたことをしると、
もう80ちかくの高齢なのに、いまから子ネコをかうのは
無責任だと、子ネコは自分がかうといって、
東京へつれてかえろうとする。

そうはいっても、潔さんと子ネコがひきはなされるのは、
あまりにもかわいそうなので、きっとどたんばで
むすめさんはおもいとどまるだろう、とおもっていた。
でも、709話では、ほんとうに子ネコがいなくなっていた。
遠藤さんが潔さんの家をたずねると、
あれは東京に行ったよ
娘がそだてることにした・・・すまん
俺はもうすぐ80だ
最後まで飼ってやれないからな

と潔さんは事情を説明する。

大丈夫、といいながらも さみしそうな潔さんをみて、
遠藤さんといっしょにくらしている
ボウシという名の子ネコが、
潔さんの家にのこる、といいだす。
ここまでが709話までのながれだ。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco

老人が子ネコをかいはじめるのは、
のこされた寿命をかんがえると、たしかにリスクがたかい。
むすめさんが子ネコをつれてかえったのは、
さいわいだったといえるかもしれない。
でも、このままでは潔さんと子ネコの関係が
完全にうしなわれてしまい、すくいがない。
せっかくなかよく くらしはじめていたのに。
子ネコが きゅうにいなくなったときのさみしさは
ひとりぐらしの潔さんに どうしようもなく残酷だ。

つぎの710話は、どういう展開をみせるだろうか。
ボウシがそのまま潔さんの家にのこるのか。
潔さんのむすめが、子ネコがもどしにくるのか。
作者の深谷かほるさんには、
子ネコをかいはじた高齢者のために、
すてきなおとしどころを 用意してもらえないだろうか。
それとも あくまでも現実路線でおしとおすのか。
次回の展開に目がはなせない。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月24日

3ヶ月にいちどの歯科受診

3ヶ月にいちどの定期受診で歯科医へ。
まず、いつものように、歯のチェックから。
歯茎のむくみやら、歯石の状態、みがきのこしなどを
一本いっぽんの歯についてみていかれる。
ただ観察するのではなく、数値をよみあげて、
もうひとりの歯科衛生士さんが、それをタブレットに入力する。
全部の歯をていねいにしらべてから、
前回とくらべ、どうなったかを説明された。
出血がへり、みがきのこしもすくなく、
よく手いれされています、とほめられた。
しかられてばかりではやる気がなくなるからか、
わたしをはげましながら、それでも
わるいところはちゃんとつたえられる。
そのあと30分かけて歯石をとられた。

わたしの歯がどういう状況かというと、
親不知がとなりの歯にわるい影響をあたえており、
歯周病がすこしずつすすんでいる、と2年まえにいわれた。
歯周病といわれると、あなたはおやじだと、
とどめをさされたようで、がっかりしてしまう。
歯周病はいやなので、3ヶ月ごとの通院がかかせなくなった。
親不知をぬきましょう、といくたびに先生はいわれるけど、
ものすごくいたいにきまっているから
できるだけぬきたくないし、ぬくにしてもさきにのばしたい。

まえは、歯間ブラシなんて、なにかの冗談かとおもっていた。
いまは、おもてからだけでなく、うらがわからも
歯間ブラシをあてて5回みがく熱心な患者だ。
年をとると、なにかとめんどくさいことがふえる。
まさか自分が歯間ブラシをつかい、
いじらしく歯の養生につとめるとはおもわなかった。

歯医者さんへいくのはきらいだけど、
ひとの口のなかに手をいれて、
できるだけきれいにしてくれるのだから、
たいへんな仕事をされているとおもう。
歯科衛生士さんも、歯医者さんも、
仕事だからやっている、というよりも、
なにかたかい理想をかかげているようにみえる。
そこまでやってくれるなんて、
なんだかもうしわけないとおもうほど、
わたしのために、熱心に仕事をすすめていく。
1時間くちをあけて治療をうけるのは、
たいへんだけど、ほんとうにありがたい。
このまま3ヶ月にいちどの通院で
なんとか状況がよくなってくれないだろうか。
親不知とともに、のこりの人生をすごせますように。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

酒をやめることにした

酒をやめることにした。
きのうオールフリー ライムショットをのんだのがきっかけだ。
お酒をとるか、禁酒をするかのゼロイチではなく、
ノンアルコール飲料をとりいれての 第3の道に気づいた。
酒を我慢してしょんぼりするのではなく、
ノンアルコール飲料をたのしみながら、
カジュアルに酒をのまないはかっこよくないか。
いまのトレンドは、きっと禁酒だ。
アルコールでよっぱらうことに意味はなく、
習慣から、惰性でのんでいるだけだ。
もしかしたら、毎晩よっぱらう必要はないのかも、
という、あたらしい可能性が目のまえにひろがっている。

とはいえ、冷蔵庫に金麦が1本はいっていたので、
あつかったきょうのごほうびとして、
夕ごはんをつくりながら金麦をのんだ。
禁酒の覚悟があまい、という批判はあたらない。
のみかけの赤ワインは、ちゃんと料理用に寄付した。
冷凍庫にジンが2センチほどはいったボトルがある。
これものみきらないと邪魔だから、今夜かたづけてしまおう。
サントリーの「のんある気分」を1本かってきたので、
ジンをいれてのめばおいしそうだ。

禁煙するといいながら、「これをすってからね」と
いつまでもふんぎりがつかないひとがいるけど、
わたしの禁酒はそれとはちがう。
ほんとうに禁酒をたのしみにしているけど、
すでにある酒がじゃまなので、あるていどキリをつけてから
本格的にとりくもうとおもう。
それに、酒に支配されない生活が目的なので、
さそわれればきっとのみにいくだろう。
家ではのまずに、つきあいではのむのは
成熟したおとなみたいでかっこいい。

よっぱらうのがよくないわけだから、
低アルコールや微アルコール飲料はどうしようか。
ワインを半本のむことにくらべたら、
0.5%のアルコールなんて、たいして問題ではないので、
ここはおおめにみてもいいのではないか。
あすからの禁酒生活がたのしみになってきた。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月22日

「オールフリー ライムショット」お酒っぽいものをのんで、よわないのはすごく楽

デイリーポータルZでとりあげていた
サントリーの「オールフリー ライムショット」をのんでみる。
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi13_01
グラスにそそぐと、みかけはビールだけど、
のんでみると、ビールとはべつの のみものだ。
ビールのかわりとしてはものたりないけど、
まずいわけではなく、こういうのみものだとおもえば
これもありか、と納得できる。
カロリー、糖質ともゼロで、もちろんアルコールは0%。
プリン体もゼロだ。

ビールのかわりとしてのむノンアルコール飲料は、
なんだかいじけた印象がありすきではなかった。
でも、ライムショットは、ビールに にせようとしていない。
記事をみると、編集部の橋田さんは、
ライムショットを毎晩2本ずつのむことで禁酒に成功している。
それまでは、ストロングゼロを2本ずつのみ、
つぎの朝はぼんやりしてしまうので、
なんとかお酒をやめようとおもっていたそうだ。
わたしも、お酒をのむとなにもできなくなるほうで、
本をよんでいても、あまり頭にはいらない。
毎晩ワインを半本と、もう1杯なにか
(焼酎だったりウィスキーだったり)のむのが習慣になっており、
二日よいとまではいかなくても、橋田さんとおなじように、
つぎの日の午前はぼんやりした頭をかかえている。
お酒をのんでおしゃべりがはずむような上品なのみ方ではなく、
わたしの場合、完全に寝酒だ。
ただ習慣になっているからのんでいるだけ。

お酒はよっぱらうのがたのしいからのむのであり、
酒に にせた よわないのみものの意味がわからなかった。
ライムショットはアルコール0%なので、もちろんよわない。
ビールっぽいものをのんで、よわないのは あたらしい体験だ。
ビールを我慢しているつもりはなく、
べつの のみものをのんでいるのだからストレスはない。
よわないのが、こんなに楽だとはしらなかった。
酒とはなにか、なんのためにのむのかが、わからなくなってくる。
ビールをのむことと、よっぱらうことが、必然ではない時代。
お酒っぽいものをのんで、よわないのがすごく不思議だ。

記事のなかで林さんが、
普通のオールフリーのほうを一時期飲んでたんですけど、あれ焼酎入れるとめちゃくちゃ美味くて。オールフリーは酒入れちゃうから。これなら入れなくてすみそう。

と、すごいのみ方を紹介している。
ノンアルコール飲料に、焼酎をいれるなんて、
林さんはいったいなにをかんがえているのだろう。
このライムショットも、ウォッカやジンをいれると
りっぱなカクテルになるかもしれない。
けっきょくストロングゼロをのむのと かわらなくなったりして。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月21日

出荷をまつハーブの苗にはジャズがおすすめです

午後からハーブショップへアルバイトにでかける。
わたしのうけもちは、注文票にそって苗を発送する仕事で、
苗の数におうじて箱のおおきさをえらび、
苗がたおれないよう、しきりをつくったり、
新聞紙でつめものをしたりする。
発送先や苗の数と種類にまちがいがないか、
チェックするのも大切な仕事で、
ちかごろではだいぶなれてきたとはいえ、
まちがいかけてヒヤッとすることもときどきある。

だまったままひとりで仕事をするのはさみしいので、
すこしまえから、らじるらじるの
「聞き逃し配信」をきようになった。
音楽に気をとられると ミスしそうなので、
これまでラジオはきかなかったけど、
自分できめたルールを4月からゆるめた。
いくつかの番組をきくうちに、
苗の発送にぴったりなのがジャズというのがわかってきた。
仕事にとりかかるまえに、まずiPhoneで
らじるらじるの「ジャズ・トゥナイト」をひらく。
大友良英さんのおしゃべりがここちよい。
もちろん選曲もよく、とくにはじめの1時間は
週ごとの特集がくまれ、ジャズにふなれなわたしでもたのしめる。

アルバイトは3時間なので、「ジャズ・トゥナイト」のあとは、
ゴンチチの「世界の快適音楽」にうつる。
こちらもジャズがかかることがおおく、
発送をまつ苗たちは、ハーブショップですごすさいごの日、
シャワーをあびるように、良質の音楽をきくこととなる。
植物や動物にクラシック音楽をきかせると、
よくそだったり、味がよくなるそうで、
音楽をとりいれている農家がじっさいにある。
ハーブだって、いっしょだろう。いい音楽でリラックスした苗は、
きっとお客さんもよろこんでくれているのではないか。
苗のうりあげがのびたら、「聞き逃し配信」できく
ジャズのおかげかもしれない。

苗の発送に最適な音楽は、なんといってもジャズで、
ロックだと、苗の出荷という仕事にはテンポがはやすぎる。
歌謡曲もよくない。歌詞の意味がわかると、
ついよけいなことをかんがえてしまうからだろうか。
演歌はきらいだからためしたことはないけど、
いくら日本産のハーブでも、演歌はあわないだろう。
ただの偏見だけど、出荷まえのかわいいハーブたちに、
演歌だけは絶対きかせたくない。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月20日

クラシック音楽とサッカーはだいたいいっしょ

ラジオ番組「クラシックカフェ」(NHK-FM)をきいていると、
有名な作曲家の名前がたくさんでてくる。
番組担当の貞平さんや粕谷さんが、
どのようにその曲がつくられ、演奏されたのかという
はなしをしてくれるので、ただ曲をきいているだけよりも
身ぢかな存在にかんじられる。
モーツァルトやベートーベンだけでなく、
番組がとりあげる作曲家たちは、だれもがものすごい天才で
そうしたおおぜいの天才たちによって、
クラシック音楽という文化が洗練され、いまもまた
あたらしい可能性をきりひらこうとしている。

100年以上まえにつくられた曲を、世界じゅうのひとが、
おなじ価値観にそって演奏し、聴衆はその演奏をたのしむ。
どんな国にも、音楽学校があり、ピアノやバイオリンなど、
世界じゅうの国がおなじ楽器をあつかう。
世界が西側と東側にわかれていたときにも、
クラシック音楽はどちらの世界でも演奏されている。
いまもまた、世界で共通するひとつの文化として
継承し、発展をつづけている。

ここまでかいていて、サッカーもおなじだとおもった。
サッカーは、世界各地でおこなわれており、
国によりスタイルがそれぞれちがうとはいえ、
サッカーというおなじスポーツであることにかわりはない。
西側でも東側でも、南でも北でも、
サッカーという競技が生まれてからいままで、
世界じゅうでサッカーはひとびとのこころをとらえる。
芸術とスポーツという、べつのジャンルなのに、
クラシック音楽とサッカーは、にている点がおおい。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月19日

あたらしい世界がひろがりそうなノンアルコール飲料

デイリーポータルZで、ノンアルコール飲料の
「推し」をこのごろやっている。
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi13_03
ライターと編集者4人があつまり( リモートで)、
それぞれが自分のすきなノンアルコール飲料を推薦する。
ほかのひとにもあらかじめかっておいてもらい、
それをのみながらどんな商品なのかをはなしあう。
わたしはいままで ノンアルコールビールを みくだしてきた。
そんなのをのむぐらいなら、
ウーロン茶のほうがいい、とおもっていた。
でも、サイトにあげられたビールテイスト飲料は、
それぞれに特徴があり、そしておいしそうだ。
わたしもこれまでの偏見をすて、のんでみたくなった。

それにしても、4人とも禁酒もしくは節酒しており、
できれば酒をやめたいとおもっている、
という発言にかんがえさせられた。
だれもが酒をのんだあとの体調のわるさをはなし、
のまないときのすがすがしさをあげる。
酒とは、いったいなんなのか。
酒をのまずにいたほうが、本もよめるし
からだに負担がかからず、つぎの日だって気分がいい。
なんでわたしはよっぱらいたいのだろう。

これからも酒とともに生きていくんだろうな、
とおもっていたWebマスターの林さんは、
医者にとめられて禁酒生活にはいったそうだ。
古賀
 林さんは酒抜きストーリーどんな感じですか?
林
 もう完全に、医者から「すぐやめろ」って。
ナオ
 そうなんですか!
林
 「飲んでいいですか?」って聞けるレベルじゃないそうです……。
去年から抜き始めてはいて、でもまた飲んでを繰り返してたんですよ。でも去年の暮れから今年の初めにかけてすごい飲んでて。家でワインとか、ビールみたいなスピードで飲んじゃうから。(中略)
それでむちゃくちゃ体の具合悪くなって。自分でも酒がおいしくなくなって、健康診断の数字悪いだろうなと思ったら過去最悪の結果をたたき出し。尿酸値が高くて、「でも痛風じゃない、まだ足痛くないですよ?」 って聞いたら、それは発作が起こってないからだって、キラキラしたやつは十分血液に入ってるって。

ひとの不健康のはなしはついおもしろがってしまうけど、
酒については 確実に自分にもふりかかってくる。
あの林さんが酒をやめるなんて、さみしい。
それにしても、酒はずいぶんからだにいじわるだ。
酒といいつきあいをするために、
ノンアルコールや微アルコール飲料をとりいれたくなった。
古賀
村上春樹のせいじゃないですかね!? 私たちがアルコール飲みながら何かできる気になっているのは。村上春樹はビール飲みながら本を読むから。

「ビールのいいところは全部おしっこになってでるところだ」っていってるけどそんなわけないですからね。おれなんて取り返しのつかないくらい体悪くなって。脳の血管詰まるし痛風になりそうだし。
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi13_04
さいごは村上春樹のせいになったのがおかしかった。

posted by カルピス at 21:51 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月18日

安泰寺での修行に、ずうずうしくわかいころの自分をかさねる

「何も求めず ただ座るだけ」(NHK-BS)

兵庫県にある安泰寺は、禅の修行をするお寺として
外国人にもよくしられているという。
檀家をもたないお寺で、自給自足の生活をしながら
1日4時間、年間に1800時間も座禅をするという。
生きる手ごたえをもとめ、年に何人もの若者が
安泰寺をたずねてくる。

ただすわるだけで、なにかがみえてくるのだろうか。
わかいひとたちが、自分にあった生き方をもとめ、
座禅をしながら真剣に自分とむきあう姿はすがすがしい。
わたしはずうずうしく、自分のわかいころをおもいだした。
20代のころ、農業研修で島根県の村ですごした1年間は、
わたしにとって安泰寺での修行を、ぐっとカジュアルにした
自分さがしの時期だったともいえる。
自給自足とはいえないまでも、できるだけ
自分たちがたべるものを自分たちでつくろうとしていたし、
あつまってくるもののおおくは若者で、
自分の生き方に、どこか満足していない点が共通していた。
といって、真剣に修行をしているつもりはなく、
クラブ活動みたいなノリの集団生活は、
まだわかかったわたしには、いい体験となった。
マレーシアからきたわかものも そういえばひとりいた。
農業の研修というより、なんとなく居場所をもとめて、みたいな
わけのわからない理由でも、みとめられる場所だった。
宴会では、フォークソング中心の歌詞カードがまわされて、
大学のコンパみたいに おおさわぎしながらみんなでうたう。
「イムジン河」をはじめてきいたのも、そこでの生活だ。
修行というよりサークル活動みたいで、
農作業のたいへんさよりも たのしかったことしかおもいださない。

安泰寺での修行を記録した番組では、
休日に繁華街へでかけた修行者をおっかけていた。
ひとりは、卵とバター、それにラーメンをかっていた。
ひさしぶりにあるく繁華街がたのしそうだ。
ラーメンをつくってたべるとき、
のこった汁をすてないで、ぜんぶのむところが
いかにも修行僧らしかった。
健康のためには汁をのこすようすすめられるけど、
汁をながしにすてれば環境に負担がかかる。
安泰寺ではたべのこしをしないのに、
寺をはなれて生活がかわるようでは
修行の意味がない、といっていた。
その、頭でっかちな、青くさいところが
いかにもわかものらしくていいなーとおもった。

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月17日

『それゆけ茶人』(チチ松村)風にながされて生きる

『それゆけ茶人』(チチ松村・廣済堂)

ゴンチチがうけもつラジオ番組
「世界の快適音楽セレクション」(NHK-FM)は
土曜日の午前9時からの放送で、
この時間にわたしはジョギングしていることがおおく、
気になりながらも なかなかきけずにいた。
すこしまえからこの番組も「聞き逃し配信」の対象となり、
さらに月曜日の夕方には再放送もおこなわれるようになった。
快適な音楽と会話を 耳にする機会がふえて よろこんでいる。
というようなことをしりあいにはなしたら、
ホイっとこの本をかしてくれた。
わたしはどちらがゴンザレス三上で、
どちらがチチ松村かもわからない初心者なので、
この本をきっかけに、ゴンチチへの理解をふかめたい。

「どちらが」問題はすぐに解決した。
番組で、「ところでな」と強引にはなしをきりだすのが
ゴンザレス三上さんで、いまさらながらの質問に、
うきよばなれした返答をするのがチチ松村さんだった。
番組をきいていても、チチ松村さんはいかにも自然体で、
そこらへんが茶人につうじるところかもしれない。

チチ松村さんが茶人にひかれたのは、
桂吉朝さんの落語をききにいったときだという。
その題目『仔猫』の中で、誰も目をつけない変わった女の子を嫁さんにしたいという男の人が出てきます。
 その男の人のことを、皆が「あんさん、茶人でやすなあ!」と叫んだのです。僕はその「茶人」という言葉の響きとニュアンスに、ビビビッとシビれたのです。

「茶人」とは、たしかにいい目のつけどころだ。

チチ松村さんのいう「茶人」とは、
茶道をたしなむひとではなく、
自分に正直なひとのことだという。
自分に正直とは、たとえば鼻毛をぬいたとき、
「オオー」と声をだすことだそうで、
あんがい「茶人」へのハードルはひくい。
わたしも茶人になれるだろうか。

「茶人の心得10か条」の先頭にくるのが
「風流に生きる」で、いかにも もっともらしいけど、
ここでの「風流」は、「風に流されて生きる」ことをさす。
「できるだけ我を捨て、自然のままに流される」
というから、簡単そうにおもえて奥がふかい。
なにごともきめることがにが手なチチ松村さんは、
いつしか自分がなにかをきめるのではなく、
ながれにそって生きていたら、
てきとうなところにおちつくことに気づいた。
すべては風が決めてくれるわけですから、自分になんの責任も感じることはないのです。したがって後悔も存在しないというわけです。

この本をよんでいると、いろんなことにこだわるのが、
いかにもつまらなくおもえてくる。
ただでさえ、ひくいほうへ、らくなほうへと
ながれやすいわたしだけど、
この本の影響で、もっとヘラヘラ生きるようになりそうだ。

この本をよむと、「茶人とは」、が
なんとなくわかってくるしくみになっており、
そのしあげが 本のさいごをかざる 中島らもさんとの対談だ。
チチ松村さんの「茶人」が、はたして世間に通用するかどうか
おすみつきをあたえるのが奇人のらもさんで、
らもさんは はたしてどんなコメントをくわえたか。

チチ松村さんは、まいばんリアルな夢をカラーでみるという。
ひとばんじゅうウーウーとうなされ、
へとへとになっておきるのだから、ねるのもたいへんそうだ。
そのかわり、現実が夢のよう、というのがおかしい。
毎日毎日が楽しくてしょうがありませんし、そんなに苦労や不幸なこともありません。

わたしも茶人になりたいとおもった。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月16日

聖火リレーが島根をはしる

仕事のあと、いつものように宍道湖岸をはしる。
きょうは聖火リレーがとおるため、
夕方の6時から8時まで 交通規制されていた。
わざわざ聖火リレーをみにいく気はないけど、
わたしのジョギングと、ちょうどおなじ時間帯だったので、
聖火リレーとはどういうものかを みておきたくなった。

島根県の丸山知事が、聖火リレーの中止を検討する、
と2月に発表し、話題になった。
丸山知事は、聖火リレーだけに反対するのではなく、
新型コロナウイルスの感染がひろがるなかで、
オリンピックをひらくこと自体を問題視しており、
感染者数がすくない島根からの発言としては
ずいぶんおもいきった内容だったので好感をもった。
けっきょく知事はその後かんがえをかえ、
島根も計画どおり聖火リレーを実行すると発表した。
中止の中止は 残念な判断だった。
ほかの県にくらべると、島根は感染者数がすくないとはいえ、
5月にはいって あきらかに第4波がおしよせている。
まわりの県で感染がひろがれば、島根だけが
安全な場所でいられるわけがない。
島根をまもるためには、全国の感染をおさえなければならない。
はじめの発表どおり、聖火リレーを中止にしていたら、
現状を正確にとらえた判断だったと 評価されていたはずだ。

きょうのジョギングでは、聖火リレーのためにあつまった
おおくの関係者をコースぞいでみかけた。
警官や警備員、ボランティアに、バスやパトカー。
ランナーをみようとあつまった観客もたくさんいる。
宍道湖岸の公園は、ジョギングしにくいほどひとがおおい。
島根県は7200万円を聖火リレーにむけて予算にくんでおり、
なんでランナーがはしるだけで そんなにお金がかかるのか
不思議におもっていたけど、実際の聖火リレーをみると
これだけのイベントなら、お金がかかるわけだと納得する。
わたしがはしっているときは、聖火ランナーをみかけなかったけど、
スマホをかまえている観客がいたから、ちかくをとおったのだろう。
聖火ランナーをもりあげるために、先導車のスピーカーから
にぎやかなアナウンスがきこえていた。プロレスの選手紹介みたいだ。
あれだけひとがあつまれば、感染リスクはたかくなる。
丸山知事の「中止検討」はただしかったのに。

聖火リレーとは、とぎれることなく日本を一周して、
国立競技場まで タスキをわたしていくのかとおもっていたけど、
じっさいは県でいくつかのコースをつくり、
オリンピック開催を宣伝するためのもよおしだった。
丸山知事がケチをつけたおかげで、
いったい聖火リレーって、なんでしなければいけないのか、
根本的な疑問をかんじるようになった。
わたしがたどりついたこたえは、聖火リレーは必要ないし、
オリンピックもひらいてはいけない、というものだ。
各メディアは、あいかわらず感染状況をつたえるだけで、
オリンピック中止をはっきりとは主張しない。
だれがどう判断するのか、ずっとカスミがかったままだ。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月15日

プリペイドカード「NEO MONEY」のサービス終了

プリペイドカード「NEO MONEY」から
サービスを終了する、というメールがおくられてきた。
ことしの9月30日で、しはらいも、ひきだしも できなくなるという。
わたしは海外専用のカードにしているので、
残高をどうやって どうやってはらいもどしをしたらいいのか
総合案内へ電話をしてたずねる。
むこうからおくられてくる用紙に、
はらいもどし金額をかきこめばいいそうだ。
それにしても、きゅうにサービスを終了する、
といわれてもこまってしまう。
なぜサービス終了なのかをたずねると、
新型コロナウイルスなのだそうだ。
旅行するひとがすくなくなり、事業としてつづけられなくなった。
信用が大切なカードが、こんなにもきゅうに
サービスをやめます、となるなんておどろいた。

海外旅行をするとき、ずっとT/C(トラベラーズチェック)
をつかっていたけど、2011年にベトナムへいったとき、
わたしのT/C(VISA)を どこの窓口もうけつけてくれなかった。
つぎの年にタイへいったときもだめで、
どうもT/Cはもう旅行で実用にならないようだ。
日本にかえってから、すべてのT/Cを米ドルにかえた。
そして、つぎの旅行からT/Cのかわりとして
プリペイドをつかうようになる。
これからも便利につかおうとおもっていたのに。

コロナ下の状況がこのままつづけば、
旅行業界の体力がうばわれ、旅行会社や航空会社、
アジアではゲストハウスが「サービス終了」となるかもしれない。
旅行という文化が、数年のうちに、ずいぶんかわってしまいそうだ。
サービス終了とならないまでも、航空運賃はあがるだろうし、
ホテルもすくなくなり、旅行しづらくなる。
新型コロナウイルスがおちつけば、とのんきにかまえていたけど、
このさきにまっているのは、まえとはずいぶんちがう状況のようだ。

posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月14日

血液検査のため、プチ断食を体験する

朝ごはんをかならずたべる主義で、
時間がなくても 二日よいでも 朝はテーブルにつく。
とくにきまったものをたべるわけではなく、
冷蔵庫にあるのこりものとごはんにみそ汁くらい。
おなかがすいてたまらないから、というよりも
習慣だからたべる、というのと、
たべておかないと、昼までもたないとおもうから。
きょうは、健康診断のため(血液検査)
自分でも記憶にないくらい、ひさしぶりに
朝ごはんをたべなかった。
いつもなら健康診断でも朝ごはんをたべてうけるけど、
こんかいは、気になる項目があったので、
しかたなくプチ断食をうけいれた。

朝ごはんをたべないのも、あんがい気もちがいいもので、
さっき「プチ断食」とかいたけど、
ほんとうにそんな効果があるような気がする。
空腹感はとくになく、なにもお腹にいれないと、
すがすがしく、新鮮な気分だ。
なによりも、朝ごはんをたべないと、ゆっくりすごせる。
いつもだと、新聞をよみながら朝ごはんをたべ、
新聞に汁がおちたりして、行儀がわるいし、うつくしくない。
習慣でたべているだけで、高齢化したからだに
朝ごはんは たいして必要ないのかもしれない。

血液検査の結果は、
「きょねんとあまりかわりませんね」
というものだった。安心する。
善玉ゴレステロールの数値が100以上あり、
めずらしいといわれた。わるいことではなさそうだ。
中性脂肪はひくく、動脈硬化でもない。
ほかにも、たかかったり ひくかったりして、
色がかわっている項目があったけど、
どれも心配しないでいいレベルといわれた。
夜ねむれないことはないし、食欲もある。
こんなかんじで このまますごせたらありがたい。

胃カメラと肺のレントゲンは、もう何年もうけてない。
こまかくしらべて わるいところがみつかったら いやなので、
いちねんにいちどの血液検査をもって 健康診断としている。
健康診断をうけたからといって、かならずしも
ながいきにはつながらない、というかんがえ方もあるようだ。
わたしにとって都合がいいので、そっちを採用し、
その結果はやく死ぬことになっても、
自分がえらんだ道として、うけいれようとおもっている。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月13日

古賀さんの「5秒のことを200字かけて書く」に感心する

デイリーポータルZ編集部の古賀さんが
日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと良い

とツイートしていた。
アドバイスというより、お子さんにむけた「布教」だという。
「5秒のことを200字かけて書く」。
なにかすごくふかいことばにおもえる。
ほんの瞬間にすぎない できごとや発言からなにかをかんじ、
そのこころのうごきを文章にする。
ブログでも、このテクニックをいかせそうだ。
いわれてみると、わたしがこのブログにかく記事のおおくは、
こうした「5秒」のできごとをひきのばしてかいている。
そのできごとをみたり きいたりしたときに、
なにかひらめきがあるかどうか。
ひらめきをうまくとらえると、すらすらかけるし、
うまくいかないときは、くるしまぎれに
べつのなにかをひきずりこんで ごまかしたりする。

母親から「5秒のことを200字かけて書く」
といわれた古賀さんのむすめさんは、
「靴下をはいた状態で玄関に立ち
 サンダルと靴どちらを履こうか悩んだ」
と日記にかいて提出したそうだ。
いちにちのながれをだらだらかくよりも、
「サンダルと靴どちらを履こうか悩」むわたしから、
たしかに そのひととなりが うかんできそうだ。
なんだか村上春樹さんのカキフライ理論をおもいだす。
自分についてかきなさいといわれたら、
そんなことスラスラかけるわけないと、頭をかかえたくなる。
でも、そんなときは、すきなカキフライについてかけばいい。
なぜすきか、どうやってたべたらおいしいかなど、
細部にせまっていくと、おのずから
自分という人間がうきぼりになってくる、という理論だ。
カキフライについてかくことは、自分についてかくことでもある。

とはいえ、わたしはだらだら、というか、
淡々とすべてのうごきをおいかけた日記がきらいではない。
日記は文学ではなく記録、というおもいがあるからで、
具体的な時間や値段が かきこまれた記録ほど 価値がたかい。
数字のおおい そうした記述は、いっけん退屈そうだけど、
日記がすきなものからすれば 貴重な記録であり、
だんだんとふかみにはまっていく。
そんな記録をブログにかいても PVはふえないだろうけど、
「1日のことをまるまる書」いた日記にも
それはそれで なんともいえない魅力がある。

posted by カルピス at 21:27 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月12日

「東京五輪に反対しないアスリート」(西部謙司)に共感する

サッカーライターの西部謙司さんが、
「東京五輪に反対しないアスリート」というタイトルで、
日本のトップアスリートたちが
オリンピック開催に反対しない不思議をとりあげている。
https://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/nishibe/
プレミアリーグではキックオフ前に人種差別に抗議して片膝をつくポーズを全選手がとっている。CLでも行われていて、人種差別という社会問題に対してアスリートたちは明確な意思表示をしているのだ。

西部さんが指摘するように、日本のアスリートたちは、
自分の意見をはっきり口にしない。
こんかいだけでなく、自分のかんがえをのべることへの
ためらいや遠慮がある。
ずいぶんまえに、モスクワオリンピックを
日本政府がボイコットするときめたとき、
選手たちは、賛成とか反対ではなく、
残念だという気もちをあらわすのが精一杯だった。
柔道の山下選手が、なみだをながしながら、
くやしがっていた記者会見をおぼえている。
それをみて、山下選手に共感するよりも、
自分たちを被害者のようにいう
トップアスリートをなさけなくかんじた。
スポーツと政治をいっしょにしないでほしい、
という うったえをよくきくけど、
スポーツと政治がいっしょでないわけがない。
スポーツがおこなわれる状況には、
その国のありかたが そのままあらわれている。
もちろん政治もおおきな影響をおよぼすにきまっている。

東京五輪にむけた政府の態度でいやなのは、
だいじなことをはっきり説明せず、
うやむやに、のらりくらりと、開催にむけて
時間をかせいでいく ぬめぬめしたやり方だ。
こういう状況になったらやります、という説明はなく、
とにかく感染拡大をふせぎます、みたいな
あたりまえのことをくりかえすだけ。
ふつうにかんがえれば、オリンピックなど
できる状況ではないのに、あいまいなことばでごまかしながら、
中止にするとはぜったいにいわない。
いまの状態で五輪をとめるには、
底がぬけたレベルまで感染がひろがることだけど、
そんな状態をのぞむなんて もちろんまちがっている。
ウンコなげ競争の勝者は、ウンコをなげないこと、と
村上春樹さんがだれかのことばを紹介していた。
政府の茶番につきあわされるのが むなしくなってくる。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする