2021年07月31日

トップレベルの選手たちも、超人ではなく ふつうの人間

きょうは2回目のワクチン接種。
中国地方でもしだいに感染がひろがり、
いつもはすくない山陰両県なのに、けさの新聞では、
鳥取が47人、島根が14人の感染が発表された。
東京は3000人以上でているし、ほかの県でも
のきなみたくさんの感染が報告され、全体では1万人をこえた。
感染がひろがるのは わかったことなのに、
安全だとうそぶいてオリンピックをひらき、
その結果、当然ながら1万人以上の感染者がでると おおさわぎする。
自分たちがなにをしているのか、わかっているのだろうか。

アメリカのシモーン=バイルス選手(体操)が、
「メンタルが十分ではない」と
オリンピックの個人総合を欠場している。
メンタルが健康じゃないと、(体操を)楽しむことはできない。弱っているときに、あらがうのではなく、そこに対応していくことが大切です

チームメイトは彼女の決断を好意的にうけとめているそうだ。
すこしまえには、テニスの大坂選手が、
記者会見のプレッシャーをうったえて話題になった。
以前だったら、トップ選手はそれぐらいの負担にたえなければ、と
選手側の気もちが尊重されることはなかった。

一流選手は、おおくのひとが ものすごいプレッシャーにたえて
試合にでているのだろう。
どれだけプレッシャーがかかっても、
試合にでるのがあたりまえだとおもっていたけど、
そのなかで、おもすぎる重圧にたいし、
「メンタルが十分ではない」という理由で
出場しないのもあり、という判断が新鮮だった。
これらもまた、新型コロナウイルスがあぶりだした
スポーツのもつ一面なのだろう。
トップレベルの選手が、記者会見が負担だといい、
試合にでない、とくちにできるようになったのは、わるくない変化だ。

こんかいのワクチン接種も、注射をまつあいだ、
クッキー班のメンバーとレンタルDVDをみる。
かりたのは、なんとなく『ミニオンズ』。
スタートをみそこねたので、状況設定がわからず、
はじめはついていけなかったけど、そのうちなれた。
うごきと絵のなめらかさが生理的な快感をひきおこす。
なにをいってるのかよくわからない ミニオンズ語がおかしかった。
英語やふきかえでないのもいいものだ。
さいごに女王から冠をもらったとき、
ミニオンのくちにでたことばは
「テリマカシー」(マレーシア語)だった。
いろいろな作品のオマージュでもあるようで、
『カリオストロの城』と『秘密結社鷹の爪』に気づいた。
わたしがしらないだけで、
ほかにもたくさんの場面がかくされていそうだ。
映画ずきにはたまらない作品にしあがっている。

posted by カルピス at 17:12 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月30日

「爪を瓜にする」(とりもちうずら)がすばらしい

デイリーポータルZに、とりもちうずらさんの
「爪を瓜にする」がのった。
https://note.com/yorimichiuzura/n/nf91d336f2a67
自由ポータルZにおうぼされた記事なので、
とりもちさんは 専属ライターでないにもかかわらず、
洗練された文章とながれがすばらしい。
内容は、爪と瓜という字が、よくにてるだけ、というのを根拠に、
無理やり瓜をネイルチップにして爪にはる、というものだ。

わたしはこの手の「無理やり系」によわい。
デイリーポータルZをはじめてしったのは、
エンドケイプさんの「グフをフグにする」だった。
https://dailyportalz.jp/kiji/140610164336
グフとフグの字ずらがよくにている、を理由に、
プラモデルのグフを無理やりフグに にせてつくる、
というもので、
・削らない…余計なでっぱりがあるからと削ったりしない
・切らない…パーツが長いからと切断しない
・パテらない…穴を埋めたいからとパテで成形しない
・他パーツ使わない…欲しい形がないからと他の部品を使わない
・グフのパーツを使い切る…入っている全てのパーツを使用する

と、いろいろなしばりをつけて 作業をむつかしくしている。
そのおかげで、記事全体にリアリティと迫力がうまれ、
つくられたフグは、まさにフグとしかいいようのないできばえとなる。

グフをフグにしたからといって、
爪を瓜にしたからといって、
なにがどうなるわけではないけど、そのどーでもよさが
デイリーポータルZのおもしろさのひとつだ。

わたしがすきなヨシダプロさんも、
愛犬ももちゃんが、なにかにみえてしょうがない、と
無理やりコロッケだったりトーストだったりを
ももちゃん風にしあげている。
ヨシダプロさんのシリーズも、かくされた「無理やり系」といえる。

きょうの「折々のことば」(朝日新聞)は、
中島らもさんの
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。

だった。
ひとは、いろんな偶然にすくわれて生きている、
と鷲田清一さんは説明をくわえている。
爪を瓜にするのをおもいついたとりもちうずらさんには、
その日の天使がおとずれてくれたのだろう。
どーでもよさそうにみえる天使のささやきは、
人生において、けしてどーでもよくないのだ。

posted by カルピス at 19:50 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月29日

サッカー男子、U-24日本対フランス 4−0で日本

サッカー男子、U-24日本対フランス
4−0で日本

1週間まえ、まだ開会式がはじまるまえの7月22日。
おなじグループAにぞくするフランスとメキシコの試合をみて、
そのうまさとはげしさに、このさき日本がむかえる
グループリーグのむつかしさをかんじたものだ。
こんなにつよいチームとおなじグループにはいりながら、
日本は金メダルをめざすというけど、本気なのか。
その日本が、メキシコを2−1でやぶり、そして
フランスをも4−0でしりぞけた。
フランスというと、前回のロシアW杯の優勝国でもあり、
チームがうまくまとまったときのつよさはおりがみつきだ。
ただ、この大会では、メキシコに1−4でやぶれ、
南アフリカには 4−3と、逆転でなんとかここまできた。
日本戦に、2点以上の点差でかたなければ
グループリーグをかちのこれない きびしい状況だ。

前半の20分までは、さすがにフランス、というかんじで、
うまくボールをまわし、日本に攻撃をさせない。
得点がほしいのだから、フランスはせめるしかない。
日本も、ただひいてまもるのではなく、
ポゼッションをたかめ、相手陣内での時間をつくりはじめる。

前半の27分に久保、44分に酒井と、
相手ゴールキーパーがはじいたところに、
ぬけめなく つめていた2人がきめている。
いずれも上田のシュートが起点となった。
3試合目ではじめて先発した上田が 攻撃のリズムをうみだしている。
前半のうちに2点を先取し、日本はいきおいがでてきた。
相手とのちから関係がみえてきて、自信をもってプレーしはじめる。
後半にはいると、フランスはますますせめざるをえない。
しかし、オーバーエイジ枠のジニャックのがんばりが目につくだけで、
ゴールまえにあつくせまるプレーがみられない。
そのうちに、三好が3点目をあげ、フランスはこころがおれたようだ。
コロムアニが三好のひざしたをふみつけ、
レッドカードにより退場となっている。
試合開始から、フランスはエラーをアピールすることばかりに熱心で、
日本選手のなにげないプレーに、おおげさな反応でたおれこむ。
そのくせ自分たちは、あいての足をふみつけることに余念がなく、
強豪国としての尊厳が みじんもかんじられない
2流のチームになりさがっていた。

それにしても、たとえU-24とはいえ、フランスをあいてに
4−0で日本がかてるようになったとは、感慨ぶかい。
トルシエ監督の時代にフランス代表と練習試合をしたとき、
どろだらけのあれたピッチコンディションということもわざわいし、
日本は0−5の完敗にくっした。
まともにはしり、ボールをあつかえたのは、
中田英寿だけ、というなさけない試合だった。
まさに、おとなとこどもの差が 両国にはあった。
あれから幾星霜。
こんかいの試合では、フランスにまったくいい場面をつくらせず、
完璧にふうじこんだ。4−0という結果と、その内容も、
日本にとって最高の試合だったといえる。

こんかいのフランスチームは、クラブが選手をだしたがらず、
おもうような選手構成ができなかったときく。
日本にもおなじ問題があるとはいえ、国内チームにかぎれば、
オリンピックがすきな日本は、まだ選手の選出に理解がある。
いったい、オリンピックにおける男子サッカーとはなにかと、
根源的な疑問をいだかざるをえない。
ユーロや南米選手権がおわったばかりで、
やれやれと気もちがきれている各国代表の選手たち。
7月の大会という あつさのなかで、中2日という過酷なスケジュール。
おまけに新型コロナウイルスの感染拡大で、
選手と関係者全員が、試合に集中できる環境にない。
おおくの選手にとって、まるでバツゲームみたいな大会が
オリンピックの男子サッカーなのでは。

それにしても、よわいときのフランスは、
いつもこんなかんじでグループリーグをかちあがれない。
W杯南アフリカ大会では、選手と監督との対立など、
チームがバラバラになり、とても試合にのぞめる状況ではなかった。
こんかいもまた、フランスは、フランスらしくやぶれたともいえる。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月28日

ゴンチチの会話は「そーですねー」とまずはうけるのが基本形

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」(NHK-FM)は、
ながされる曲だけでなく、おふたりのとぼけたやりとりに
妙な魅力がある番組だ。
いろいろな曲をかけ、それについて、
まずはおたがいに感想をのべるのだけど、
たいていの場合、いっぽうが演奏や歌声をべたぼめし、
あいかたは、それについて「そーですねー」と
こころからの同意ではない いいかたでかえす。
「そーですねー」が絶妙な「うけ」であることに、さいきん気づいた。
けして、まっこうからあいての意見を否定することはなく、
なにか歯にいちまいありそうな「そーですねー」だけど、
「そーですねー」といいながら、
あいての感想のうえに、自分のイメージをのせていく。
ほんとうは、おたがいに ちがうおもいでいるようなのに、
「そーですねー」とまずはうけいれることで、
なんとなく会話が成立し、「おもしろかったですね」
「よかったです」と いいところにおさまっていく。

おふたりの会話をきいていると、いかにも日本人的なやりとりで、
相手の発言を否定せずに、自分の感想をちゃんとつたえている。
ほんとうはビミョーにかんがえがずれていても、対立することはなく、
なんだかんだで、はなしがまるくおさまっていく。
達人どおしの会話だからうまくいく、というのもあるけど、
日本人のやりとりって、こんなかんじで、あいてをたてながら
着陸地点をさぐりあうのが むいているのでは、とおもった。
欧米人がやるディベートのように、
あいてを論破するのが目的のやりとりではなく、
おたがいにカドがたたない関係をたもちつつ、
ちゃんと自分のつたえたいことは くちにしている。
「そーですねー」と、まずはいったんうけとめること。
そのうえで自分の感想とすりあわせ、おとしどころをみつける。

ひとはとかく「わたしが、わたしが」と、
自分を中心にかんがえやすいのに、
おふたりのやりとりは、感想をのべつつも、
自分の意見ばかりを主張したりしない。
そこからうまれる余裕のあるやりとりが
この番組の魅力となっているのだろう。
おおくのひとが、「わたし」中心の発想につかれているのだ。
きのうの記事にかいた、スケボーの西矢さんも、
わかくしてこの境地にたっしているひとなのではないか。
西矢さんだけでなく、トップレベルのスケボーの選手たちは、
みな あらそう空気がない、というから、
そういう価値観を共有する世代が そだちつつあるのかもしれない。
自分中心からはなれたコミュニケーションが、
これからの主流になっていくとうれしい。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月27日

あらそう空気のないスケボーの選手たちがすばらしい

朝日新聞がスケボーの西矢椛選手の活躍をつたえている。
東京オリンピックに反対の立場をとるわたしは、
サッカー以外はスルーするつもりなのに、
「争わない 自由に 自然に」
という小みだしにひかれ記事をよんだ。

”争う”空気がない。
のだという。
 西矢や中山(銅メダル)、銀メダルを獲得したブラジルのライッサ・レアウ(13歳)は互いの技が成功すると拍手を送り、転倒すれば、自分のことのように悔しがった。フィリピンのマルジエリーン・ディダル(22)は腕を痛めた西村蒼利(19)を気遣い、声をかけた。年の差も国籍の違いも、感じさせなかった。
 競技の間、ずっと笑っていたことを問われて、西矢は「自然と」と答えた。母 智美さん(39)は「単純に、めっちゃ楽しいんだと思います」と代弁した。

すばらしい。これこそスポーツのあるべきすがたであり、
理想となる到達点ではないか。
もし新型コロナウイルスがなくても、
商業主義がはばをきかせるいまのオリンピックは、
メダルとか かち・まけにこだわりすぎて
末期的な症状をさらしている。
いまやサッカーのようなメジャーな競技は、
数十億円がうごくビジネスになりはて、
柔道はあいかわらず根性の世界みたいだし、
だれかがメダルをとれば、裏にかくされた
ものがたりをメディアがひっぱりだして感動をさそう。
競泳だっていろんなものがくっつきすぎて、
とてもまっさらな気もちでレースをみられない。
そんなオリンピックにうんざりしていたら、
西矢さんたちスケボーの選手は、
まったくちがう価値観をあらたにしめしてくれた。
こんなにうつくしい友愛の精神が
スポーツの世界にまだのこっていたとは。

しばらくまえに朝日新聞がつたえた
将棋の藤井聡太さんについての記事は、
藤井さんのつよさについて分析している。
藤井さんは相手にかとうとか、まけないように、
とかおもって対局しているのではないそうだ。
連勝記録や最年少記録にも興味はなく、
つよくなることで、ちがう景色をみたい、というのだから、
発想からしてほかの人間とはちがう。
いい将棋をさしたいとか、将棋の真理をきわめたい、
という気もちなので、邪念がはいらないのだろう。

西矢さんや藤井さんのように、あらそわない姿勢で
競技をたのしむことはわたしにもできる。
なにも一流の技術がなくても、相手のことをおもいやり、
自分なりのベストをつくし、対戦をこころからたのしむ。
あらそわない世界がどれだけすばらしいかをおしえてくれる、
スケボーの選手たち、そして藤井さんに拍手をおくりたい。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月26日

デイリーポータルZでさえ、基本動作がふつうにできるひとは貴重

デイリーポータルZの林雄司さんが、
「基本動作ができる人がほしい」とはなしている。
https://dailyportalz.jp/kiji/sasebo-yamamoto-jimoto-annai
なんのことかというと、
ふつうに取材をして記事にできるひとが、
デイリーポータルZでさえ5人くらいしかいないので、
そういう基本動作ができるひとをライターにくわえた、
というはなしだ。
西垣:山本さんとの出会いはなんなんですか
林:投稿コーナーに佐世保の話を書いてくれまして、アマチュアらしからぬインタビューもので、きちんとした記事を書いてくれる人です
西垣:なるほど
林:デイリーに取材できる人が圧倒的に少ないので…。気づいてました?西垣さん
西垣:いえ、ベールに包まれてましたよね
林:少ないんですよ。ふつうにアポとって取材してテープ起こしして原稿まとめることができるのは5人くらいなんですよね
西垣:そうなんですね
林:そういう基本動作ができる人がほしいなと思って入ってもらいました。

意外にも、ふつうのことを、ふつうにできるひとがほしい、と
Webマスターの林さんはかんがえている。
デイリーポータルZのライターをみわたしたとき、
たった5人くらいしか取材できるひとがいない、という
シビアなみかたを林さんはしている。
いそうでいないのが、ふつうに仕事ができるひと、なのだ。

デイリーポータルZは特殊な仕事であり、勤勉に出勤するより
アイデアをかたちにすることがもとめられるのではないか。
そのデイリーポータルZにおいてさえ、
「基本動作ができる人がほしい」
とwebマスターがおもっているのだから、
ふつうに仕事するひとが、どれだけ貴重な人材なのかがわかる。
もっとも、林さんはだれもに基本動作をもとめているのではなく、
そういうひとも必要だ、という感覚なのではないか。
取材なんてまともにできなくていいから、
とんでもなくおもしろい記事をかくライターがほしいところだろう。

デイリーポータルZとはまるでちがう介護職においても、
あたりまえとおもっていることが、
あんがいあたりまえでなかったりする。
就職して仕事をしてみると、
くちではもっともらしいことをいうひとが、
あんがいたいしたことない人物だった、
ということがいくらでもでてくる。
リモートがめずらしくないいまの社会において、
介護職は たいていの場合、職場にきて、
利用者とせっすることが まずはもとめられる。
そんな職種でも、あたりまえに出勤して、
利用者といちにちをすごし、家までおくりとどける、
というふつうのことがふつうにできるひとばかりではない。
わたしの職場が特殊なのではなく、どこにでも
そういう職員はいて、まわりがフォローする。 
いろんなタイプの職員がいたほうが、職場の多様性がます、
というかんがえ方があるのだろうけど、
ふるいタイプのわたしは、
ふつうの仕事をふつうにする職員がすきだ。
ふつうって、そうかんたんではない。
「ふつう」のわたしたちは、もっと自信をもっていいのではないか。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月25日

ネコに小判、ではなくエアコン

梅雨あけからあつい日がつづき、きょうは35℃の予報だった。
ネコたちが熱中症になるといけないので、
もったいないけどエアコンをつけて家をでる。
仕事をおえ、家にもどると、2匹のネコはろうかにいた。
エアコンのすずしさがおよばないところだ。
配偶者がかえったときも、すずしい部屋ではなく、
2匹ともろうかにいたらしい。
あつい時期のネコは、風とおしのいい場所をさがして
こまめに移動することがしられている。
冬とはぜんぜんちがう場所にねそべって、
しかもおなかを天井にむけ、無防備なすがたをさらしたりする。
だったら、エアコンによるすずしさをすぐにみぬき、
部屋にはいって 素直にすずめばよさそうなものなのに。

6畳と8畳の部屋をあけはなち、そのひろさを
1台のエアコン(しかもふるい)でなんとかしろ、
というのだから、ほんとうは無茶なはなしなのだ。
おまけに、ネコたちがではいりできるよう、
20センチほどすきまをあけている。じゅうぶんにひえるわけがない。
エアコンをつけた人間の気もちなど、ネコたちはしったことではなく、
実質的にすごしやすい場所でくつろいでいたようだ。
わたしの気くばりは、よけいなお世話におわる。

いっぽう わたしは、じゅうぶんひえるわけがない家にもどったとき、
いつもよりだいぶすずしいとすぐに気づいた。
たった1℃か2℃ちがうだけで、こんなにもらくなものなのか。
ネコたちが無視するほど ビミョーな差でしかないのに、
人間であるわたしはすぐに反応し、ありがたがる。
ネコたちは、わたしの気くばりを おせっかいくらいにしか
かんじていないのに、人間はすずしさを素直にうけいれる。

このおせっかい感覚は、どこかでかんじたことがある。
エバーノートのwebクリップだと、すぐに気づいた。
Webクリッパーで サイトの情報を
エバーノートにとりこもうとすると、
「サッカー」とか「デイリーポータルZ」とか、
Webクリッパーが いきさきをけなげにしめしてくれるあれだ。
わたしは、もうなんねんも、記事はぜんぶ
「インボックス」にとりこんだままにしており、
いまでは3400のノートがカオス状態でインボックスにたまっている。
そんなことにならないよう、Webクリッパーが
せっかくただしいノートをしめしてくれても、
わたしには余計なおせっかいとしか かんじられない。
Webクリッパーの提案をあっさりことわり
「インボックス」へと いきさきをなおす。
エアコンですこしひえた部屋を スルーするネコたちのように、
わたしはWebクリッパーの親切をじゃけんにあつかう。
ネコのためにすずしくしたへやで、
わたしはこうしてパソコンをひらき、恩恵にあずかる。
なんだかちぐはぐだけど、このうまくいかなさが
生きているあかしかも、と無理やり結論にもっていく。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月24日

アレとソレとコレにふりまわされないで「いい映画、いい音楽、いい本」というご提案

わたしがすきなブログをよむと、いまアレとソレとコレで
ツイッターがひどいことになっているそうだ。
https://globalhead.hatenadiary.com/entry/2021/07/23/172755
世間はそんなひどいことになっているのか。
ちゃっかりサッカーだけ、なんてぬけがけして
たのしんでる場合じゃないのかも。
「アレ」とはもちろん このまえからはじまったアレのことで、
「ソレ」はきょねんからつづいている例のやつだ。
コレは梅雨あけからのぐったりするあつさだろうか。
Twitterを読むこと自体が肉体と精神に変調をきたす原因になりそうなほどなのである。

というから、かなりひどい状況だ。
そんなとき、つぎのツイートがいちばんこころにひびいたという。
今日からはいい映画、いい音楽、いい本で日々をお過ごしください

くちにするのもはばかられるような、
うすぎたないアレでぐったりするよりも、
しばらくはいい映画・いい音楽・いい本をたのしめばいい。

世間は4連休かもしれないけど、金・土がやすみのわたしは、
やすみがたった1日ふえただけでしかなく、やさぐれているところだ。
8月のカレンダーをみると、お盆やすみも
わたしにはぜんぜんありがたくない曜日にあたっており、
ますますやさぐれて 大声をあげそうになる。
こんなときこそ、「いい映画、いい音楽、いい本」だ。

このところ映画からとおざかっており、いちばん最近が、
仕事がらみでみた『アナと雪の女王』というのはさみしい。
「いい音楽」は、もっぱらききのがし配信にたよっている。
とくに土曜部は 朝はやくから夜おそくまで
すきな番組がならび、ききのがし配信でないと対応できない。
・ウィークエンドシャッフル
・世界の快適音楽セレクション
・ラジオマンジャック
・ジャズ・トゥナイト
「アレ」や「コレ」がはいってくるすきまはないのだ。

「いい本」は、ベックストレームものの
『見習い警官殺し』(レイフ=GW=ペーション)でぴったりだ。
『平凡すぎる犠牲者』よりもベックストレームのアクがつよくなく、
いっけんちょっとかわってる警部におもえるけど、
事件がすすむにつれ、ベックストレームらしさがでてきた。
ミステリーにでてくる警部にはめずらしく、
「アレ」や「コレ」なみにひどいひとなのだ。
まだ上巻のとちゅうなのがたのもしい。

村上春樹さんが、ウンコなげ競争の勝者はウンコをなげなかったひと、
みたいなことをどこかにかいていた。
アレやソレやコレはすんなりスルーして、
「いい映画、いい音楽、いい本」とともに しばらくすごしたい。

posted by カルピス at 16:43 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月23日

東京オリンピックはスルーだけど、サッカーだけはみてしまう

きょうは東京オリンピックの開会式がおこなわれるらしい。
サッカーなど、いくつかの種目は、開会式にさきだち、
すでに試合がおこなわれているけど、
これは、オリンピックではいつもながらのスケジュールだ。
わたしは新型コロナウイルスがひろがるなか、
なにがなんでもオリンピックをひらこうとする
政府や東京都、そしてIOCに反対の立場をとっている。
オリンピック・パラリンピックとも、
競技をないものとしてやりすごしたいけど、
なさけないことに、サッカーだけは例外あつかいで、
男女の試合とも ちゃっかりみてしまいそうだ。

きのうは、男子のU-24日本対南アフリカの試合がおこなわれた。
南アフリカは、感染者や濃厚接触者がでて、
試合ができるかどうかあやぶまれていた。
試合開始6時間まえのPCR検査により、
なんとか出場する選手の数がそろうことになった。
それにしても、日本のあつさにからだをならしたり、
感染を心配しながら 試合にでる選手のやりくりをするなど、
チームのコンディションをととのえるのは たいへんだっただろう。
試合がおこなわれた夜8時でも、東京スタジアムの気温は31℃あり、
そんななか、90分(とアディショナルタイム)を
はしりまわる選手たちはたいへんだ。
南アフリカは、ひいてまもる戦術をとりながらも、
カウンターをしかけるときには人数をかけ、
日本はなんどもあぶない場面をむかえている。
レフェリーの笛も、日本代表にはストレスだった。
W杯のアジア予選をおもわせるレベルのレフェリーで、
ありえないファールやイエローカードがしめされた。

梅雨があけてからの日本列島は、本格的なあつさとなった。
天気予報は、命をまもるため、外にでないで、
できるだけ家のなかですごすよう くりかえし警告している。
そんなあつさのなか、サッカーは中2日で試合がつづくのだから、
選手たちにも、関係者にも、狂気の沙汰といえるスケジュールだ。
東京オリンピックでかちのこるには、
なによりもあつさ対策が焦点となるのではないか。
90分をはしれる選手をどうそろえ、そのためにはどんな戦術が有効か。
あらかじめわかっていた日程とはいえ、こうしてみると
オリンピックって、コロナがなくても 問題だらけのイベントだ。

男子のU-24日本代表は、金メダルを目標にかかげている。
選手がそろわず、ひいてまもる南アフリカに
あれだけ手をやくのだから、グループリーグをかちあがるのも、
そのさきのトーナメントでいきのこるのも、かんたんではない。
女子代表も、メダルがなんとかというはなしがでている。
せんじつおこなわれたカナダ戦では、さいごまでよくはしったものの、
ようやく1-1でひきわけており、こちらもあまり楽観できない状況だ。

posted by カルピス at 17:36 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月22日

7月22日はプリンがわがやにきた日

7月22日は海の日、ではなく、
ネコのプリンがうちにきて1年たった日。
すてられて、ひとりないているのを保護したときは、
たった900グラムしかなかった。そのあとも、
なかなかおおきくならなかった子ネコのプリンが、
1年のちに、ようやく4.95キロまで体重をふやした。
ここまでそだつと もうふつうのネコで、
先住ネコのココが6キロだから、
からだのおおきさがあまりかわらなくなった。
yEflXYQB2e4jAadHqNoS35YwLwwTIorzIhmypYPrFml-jT7k0luH-OwYaZADnfW62e8ILKd-183eblmimaNxF_9EPkGnhWbIHTncHrrvsml0e16MlCyjHtwe0YPnHslORozYVqEigTWPTr3Rcr5dpboUVpU07LNVV_rmCUVaC4PYnupIEAUciAlRub2MZamo5N_DBIp407OaugyxGEb-mmO4.jpg
ひとなつっこいネコで、わがやにお客さんがきても、
ぜんぜんにげずにノドをならしてちかづいてくる。
からだがちいさいし、したしくしてくれるから、
お客さんとしてもわるい気はしないようで、
いつも「かわいい」とほめてもらっている。
食事のときも行儀がよく、ココがおかずをねらって
手をだしてくるときでも、プリンはそのまわりを
こまったような顔でうろつくだけだ。
からががなかなかおおきくならなかったのも、
この「たべものへの執着のなさ」が影響している。
自分のお皿にカリカリをいれられても、
すこしたべるだけで お皿からはなれてしまうし、
子ネコむけのカリカリをココがたべようとすると、
プリンはすぐにお皿をココにゆずってしまう。

プリンの日だけど、海の日でもあるので、
レース仲間とまちあわせして、
家から車で30分のところにある海岸でおよぐ。
およぐまえに、45分はしってもいる。
あついし、海岸ぞいの道は、アップダウンがはげしい。
はしったあとのシュノーケリングをたのしみに、
なんとかはしりおえ、やれやれと海岸へむかう。

海にはいると、水はきれいだけど、水温はまだすこしひくい。
魚をあまりみかけず、シュノーケリングのたのしさを味わえない。
すこしおよいでは、岩にあがって からだをあたためた。
1時間ほど海水につかっていると、からががすっかりひえた。
かえりの道路では、道ばたの温度計が35℃をしめしており、
じっさいに熱風がふいていたけど、
ひえたからだには熱風さえもここちよい。
エアコンなしで家までかえり、しばらくたっても
まだからだがスベスベで気もちいいままだ。

ひるねのあと、つかれたからだをやすめながら
らじるらじるの ききのがし配信で「ジャズ・トゥナイト」をきく。
先週土曜日は「海ジャズ」特集だったようだ。
「海ジャズ」なんてジャンルはもちろんないけど、
大友さんがうれしそうに海にまつわるジャズを紹介し、
「海ジャズ」らしくお気楽な曲がかかるのに 耳をかたむける。

いちにちのブログに、支離滅裂なことをいくつもかくのは、
ふつうだったら さけるようにアドバイスされるとこだろう。
でも、自分のブログなのだからと ひらきなおり、テキトーにかく。
この自由がたのしい。ざまーみろ、みたいな快感がある。

posted by カルピス at 17:36 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

誕生日をしってるということ

わたしの誕生日は、糸井重里さんちのブイヨンといっしょだ。
先日の「きょうのダーリン」で、誕生日がわかっている子は、
あるていどしあわせが保証されている、
みたいなことを糸井さんがかいていた。
のぞまれて生まれた、ということのほかに、
生まれたことを記憶されているのは、
まわりのひとに大切にされていたから、
という意味だったとおもう。
誕生日がわからないということは、
生まれたときにみんなの意識がむかってなかったからだ。
絶対にしあわせになる、ではなく、
ある程度しあわせが保証されている、というのがうまい。
人間の子どもは、ほとんどの場合、誕生日がわかっている。
イヌやネコは、誕生日を意識されているだけでも、
めぐまれたスタートといえるだろう。

わたしの家にいる2匹のネコは、
もちろんどちらも誕生日がわかっている。
わたしの家で生まれたわけではないけど、
うちにきたときのからだつきから推定し、
ココは4月8日、プリンは6月10日ということにした。
誕生日がわかっているからこそ、
いま何歳かをわたしはしっているし、
ココとプリンのお誕生日をおいわいできる。
VtQ4UHWe5tIl06E6DhwYyjrYVPoayQD8d80ak1nnvuMgXxBwEPPnnvxC-Jaz9MvdW0f8MD4YKxra4TnBv0MoY12YihvXHXzpHYwrdr75kR2_4HSajiY6be408tmuB7FsF47mEDVwlvnVid0EmUM7_5l2ciiLCmmJCPBXBH_QPwYhg48npo7_ihaSqvDsB5Xt5YBKTiu_RtWFoopzUrEQcI9p.jpg
ブイヨンとおなじ日に誕生日をむかえたわたしは、
とうとう60歳になった。還暦というやつだ。
まえは、誕生日をなんともおもってなかったけど、
40歳で胃ガンの手術をしてからは、
生きてるだけでまるもうけと、ほんとにおもう。
誕生日をむかえたら、ただただありがたいし、
4月に桜をみられたら、なんとかまた1年生きられたとおもう。
花火だって、ぶじにみられるのは、生きていたからだ。
60歳の誕生日も、めでたいというより、
ホッとした、という気もちがつよい。

わたしの誕生日をしるなんにんかが
おめでとうをいってくれ、プレゼントもくれた。
「ある程度」以上のしあわせをかんじている。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月20日

飛行機にのらず、ヨットで大西洋をわたるグレタさん

スェーデンの環境活動家、グレタさんがでていた番組をみる。
チリのサンチアゴでおこなわれる
世界環境会議に出席しようとしていたら、
チリについたとき、きゅうに会場がスペインへとかわった。
ふつうなら、飛行機にのってスペインへいくのだろうけど、
炭素ガスを大量にだす飛行機にはのれないと、グレタさんは
ツイッターで支援をもとめ、ヨットで大西洋をわたっている。
いくつものおおきな嵐にくるしみながら、
ヨットはようやくポルトガルのリスボンにつく。
カナダへわたるときはどうやっていったのかききもらしたけど、
飛行機が環境におよぼす負担をかんがえると、
海をわたる交通手段は船くらいしかおもいつかない。

パリ協定では、気候変動をふせぐために、
温度の上昇を1.5℃におさえることを、159カ国が同意した。
しかし、炭素ガス排出をへらす具体的なとりくみはまだ不十分で、
このままでは目標の達成がむつかしい。
グレタさんの役割は、協定に同意した国々が、
具体的なうごきをとるように目をひからせることだという。

わたしは外国へ旅行にいくとき、飛行機をつかう。
環境に負担をかけることはわかっている。
わかっていながら、1年にいちどくらい、とか
くるしい いいわけをしながら 理由をひねりだす。
いまは コロナ禍で旅行にでかけられないけど、
あと数年たてば世界がおちつくだろう。
そうなったら人生のさいごをかざる旅行にでようと
頭のなかで妄想旅行に余念がない。
日本からちかい外国へ まず船でゆき、
そこからバスや鉄道で西や南をめざす、というのが正攻法だ。
それだけのガッツと健康がわたしにのこされていることをねがう。
すでに議論のときはすぎた。必要なのは、具体的な行動だ。
AlIvSaa_5FCjjnTXRRIxc0Z9iznmjsAr_uirXopz-wu8s10GdcKxBitERnmXm-7YZ73fVnF7L10PdWPfZ9SfY4_cYNMdJwHyj8wZ7Q08rMmMlETEW6lBKfKu7cpJgH2SM1DReF22yDlcOxzsIcnCpFZDvPlv2lL3nald2GZDMWDV5H53w339szUt7c4-RGg1HJlm-vrpG484PXscNPhg1xyJ.jpg
うちのネコたちは、あつさにバテはじめた。
お腹をだして、ろうかにねそべっている。
かわいい寝すがただけど、これも気候変動の一部かとおもうと
ネコたちにもうしわけない。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月19日

『10代のための読書地図』に期待する

朝日新聞の書評欄が、『10代のための読書地図』
(本の雑誌社)をとりあげていた。
10代のためのブックガイドだという。
べつに地図なんてなくても、本はよめるとおもうし、
かえって地図がないほうが いいような気もする。
とはいえ、ジャズやロックにうといわたしは、
興味はあっても、どんな歌手の、
どんなレコードをきけばいいのかわからない。
ガイドしてくれる本やラジオがあればたすかるし、
じっさいにそういう番組をきくとたのしいので、
本においても、ブックガイドが必要なのもわかる。

10代の読書というと、いかに生きるべきかをかんがえるもの、
みたいにイメージしがちだけど、生きかただけでなく、
わかいころならではの本はほかにもあるわけだから、
『10代のための読書地図』のような
ブックガイドが参考になるかもしれない。
『ライ麦畑でつかまえて』などは、
できれば10代のころによんだほうがいいような気がするし、
植村直己さんなどの冒険ものも、
中年になってからよりは、わかいころのほうがこころにしみそうだ。

10代のころのわたしは、おさえておいたほうがいいといわれる
名著や古典などにまったく興味がなかったので、
自分にとっておもしろそうな本をテキトーによんでいた。
すきだった作家は吉行淳之介・山口瞳・筒井康隆・五木寛之などで、
古本屋をのぞくようになったのは、大学生になってからだ。
本多勝一さんの本にであい、本多さんの本にでてきたひとの本を
よんでいったのは、大学4年生のころだから、もう20代になっていた。
本多さんによって社会問題に関心がむくようになり、
そこからわたしの読書がつぎの段階にはいる。

本多さんの本にでてきたひとをおいかけていくと、
いもづる式によみたい本がひろがっていく。
ぜんぜんべつの方向から本をよみすすめていったら、
偶然なのか必然なのか、おなじ著者にでくわすことがあり、
エキサイティングな読書体験を味わえた。
たとえば、宮崎駿さんがすすめていた『ゲド戦記』をよんでいると、
べつの機会に河合隼雄さんが『ゲド戦記』についてふれた本にであう。
その河合隼雄さんと、本多勝一さんが対談したりしていて、
世間はせまいというか、わたしが関心をよせる領域は、
すごく親密な世界をきずいているような気がしたものだ。

ブックガイドにそった読書では、
こうしたであいはすくないかもしれない。
でも、わたしにおけるジャズのガイドのように、
なにをよんでいいかわからないひとむけにとって、
とくに10代のわかものにむけてかかれたブックガイドは
あたらしい体験を味わせてくれるにちがいない。
わかものたちが、すばらしい本にであえる夏となりますように。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

けんすい器で広背筋をきたえたい

きのういったマッサージのお店には、
けんすい用の器具がおいてあった。
ぶらさがり健康法につかうような形をしている。
マッサージをうけるまえに、さっそくためしてみる。
まえは、順手と逆手で10回ずつ けんすいができていたのに、
きょうはそれぞれ5回と2回しか からだがあがらない。
ずっと広背筋のメニューをやっていなかったので、
できなくなっていて当然なのだけど、それでも残念だ。

わたしはまいにち「みんなで筋肉体操」の
うでたてふせとスクワットをやっており、
筋肉への刺激としては、おおむね満足しているけど、
唯一たりないとかんじているのが広背筋のトレーニングだ。
「筋肉体操」のなかにも広背筋のプログラムがあるとはいえ、
タオルをつかったり、自分でうでをひきあったりと、
いまひとつやりにくくて、おもしろみがない。

しりあいにたずねると、けんすい器は
アマゾンで6000円くらいだったという
(わたしがしらべると、8000円以上だった)。
しっかりしたつくりで、にぎりやすく、
けんすいだけでなくヂィップスもできる。
とはいえ、それだけのために、ぶらさがり健康器みたいな
この器具をおくのはさすがに邪魔だ。
マッサージにいったときは、けんすいをさせてもらえるけど、
マッサージのまえにしてもあとにしても、
けんすいをするタイミングとしてはすこしへんだ。
学校の校庭にある鉄棒でもけんすいができるとはいえ、
手がるにとりくめる場所には なかなかない。
宍道湖岸ぞいに、マッスルビーチみたいな公園があればいいのに。

民間の施設以外で フリーウエイトが充実しているジムは、
県立プールのなかにある。利用料は、1回330円。
コロナ禍とはいえ、わかものから高齢者まで
いつもおおくのひとが利用している。
ベンチプレスとスクワットは とくに人気がたかく、
順番をまたなければならないし、
いまはマスクをつけなければならず、
マスクが苦手なわたしは 気もちよくトレーニングできない。
ジムをあてにするのはやめ、けんすい器と、いっそのこと、
ベンチプレスのセットもかおうか、という案が頭にうかんだ。
本をおいている部屋に、ベンチとけんすい器くらいなら、
なんとかおさまりそうだ。

3年くらい、ほぼ毎日「みんなで筋肉体操」にとりくんでいる。
うでたてふせとスクワットで、それぞれ4種類をくみあわせており、
気がまぎれるとはいえ、さすがにいいかげんあきてきた。
ひさしぶりにフリーウエイトを全面にとりいれたら
新鮮な気分でトレーニングにとりくめそうだ。
生きる希望がわいてくるかもしれないし。

問題は60歳というわたしの年齢で、このさきあと何年、
フリーウエイトのトレーニングができるだろうか。
でも、健康づくりのためなら、やすい投資かもしれない。
サプリメントにお金をかけることをおもえば、すぐ元はとれる。
70キロのバーベルセットとベンチで3万6000円。
ただ、器具をおこうとしている部屋は、
ネコたちがトイレにつかっており、
わたしのトレーニングで彼らの気をちらすのは もうしわけない。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月17日

しりあいがはじめたマッサージ店へ

しりあいがひらいたマッサージのお店にでかける。
このひとは、6年まえに視力がおちはじめ、
原因がわからないまま視野がせまくなり、
いまでは片方の目がほとんどみえないほど病状がすんでいる。
それまでは、電気製品の修理と販売をなんでもひきうける、
便利な電気屋さんみたいな仕事をしていた。
なにかが故障したときや、あたらしくエアコンやテレビをかうときに、
いろいろ相談にのってくれ、とてもたすかっていた。
でも、目がわるくては つづけられない仕事なので
(自動車も運転できなくなる)、
盲学校に入学し、3年かけてマッサージ師の免許をとる。
そして、今年の6月下旬、
とうとう自分のお店をひらくまでにこぎつけた。

電気屋さんをしていたときから したしくしていたので、
ろう学校でマッサージを勉強しているときから
練習台としてなんどもマッサージをしてもらった。
センスもあったのだろうし、とても勉強熱心でもあり、
わたしがうったえる症状をいろいろしらべて、
ああでもない、こうでもないと、関係ありそうな筋肉をもんでくれる。
練習ということもあり、いつも2時間以上もマッサージしてくれた。

きょうは、はじめてお客さんとしてたずねる。
料金は1時間が3500円、1時間半で4500円というものだ。
はじめは1時間4000円をかんがえていたそうだけど、
けっきょく3500円におちついたという。
お客さんとしてはやすいほうがありがたいけど、
3500円はやすすぎて もうしわけない値段設定だ。

わたしは、ジョギングのとき、左うでがふれない症状に
もう10年くらいなやまされている。
いたくてたまらないほどではないし、うでだってふつうにあがる。
日常生活にはさしつかえないけど、ただ、運転してるときや、
首をひねったときなど、首と肩に違和感がでて、ズキッといたい。
タイへ旅行したときは、まいにちタイマッサージのお店にかようけど、
気もちがいいだけで根本的にはなおらない。
このいたみがなかったら、とおもいながら10年がすぎた。

もうながいことつきあっているいたみなので、
しりあいにマッサージしてもらったからといって、
すぐに すっかりよくなるとは期待していない。
すこしでもいたみがひけば、というのと、
もんでもらっているときの気もちよさがわたしの目的だ。
でも、マッサージする側としては、
なにか具体的によくなった実感がほしいと、
しりあいは、いろいろなもみ方をためしてくれる。
わたしも遠慮しないで、気もちのいいポイントや、
刺激のつよすぎるもみ方には すぐに感想をつたえる。
きょうは首と肩だけでいいです、と
マッサージをはじめるとき つたえていたのに、
時間をのばして けっきょく全身をていねいにもんでくれた。
治療のあと、すぐにはしって うでのふりをチェックすれば、
マッサージの効果がわかりそうだけど、冬ならともかく、
30℃以上のあつさのなか、はしる気にはとてもならない。
気もちよさにお礼をつたえ、規定の料金をはらってお店をでる。
月にいちどのマッサージが、これからのたのしみとなる。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月16日

車はT型フォードだけでじゅうぶんとかんがえていたヘンリー=フォード

『本の雑誌』に連載ちゅうの「モーター文学のススメ」(速水健朗)
をよんでいたら、T型フォードのはなしがのっていた。
1927年は、(中略)フォードのT型の製造が終了した年でもある。1908年の製造開始から、おおきな変更のないままこのクルマは、20年近く売られ続けた。そして、フォードは次のモデルを発売しなかった。(中略)
 次の製品がないままT型フォードの製造を止めたのもヘンリーの意思だった。スタイル重視の新型の開発の邪魔をしたのだ。彼は、クルマはT型だけで十分と考えていたのだ。スタイルやカラーリング、ネーミングを変え、次々新しい商品が生まれてくる世界を彼は嫌ったようだ。大衆消費社会の生みの親とも思われているヘンリー・フォードがそれを一番嫌っていたのである。
 皮肉にも見えるが、T型フォードが約20年姿を変えなかったことは、その後クルマの発展にむしろ勢いを与えた。縮んだパネがぴょんと跳ねるかのように、1920年代後半から1930年代にかけて、自動車の性能やスタイルは大きく変化した。世は世界恐慌の不況期だったが、自動車は着実に普及し、1930年代にアメリカの自動車普及率は50パーセントを超える。

いまなら、20年のあいだ、モデルチェンジをしない車なんて
すくなくとも西側の国ではかんがえられない。
フォルクスワーゲン=ビートルやシトロエン2CVは、
ながくつくりつづけられたけど、すこしずつスタイルをかえている。
日本では、名前はいっしょでも、5年くらいで、
モデルチェンジされるのがふつうだ。
わたしが初期型のフィットにこだわり、べつの車にかえなかったのは、
創成期ならではのあかぬけないフィットのデザインがすきだからだ。
モデルチェンジした車のほうが、改善されて、
つかいやすく、性能もあがっているかもしれないけど、
初期型には、その車の魅力 すべてがこめられている。

2007年にリニューアルして発売された
フィアット500を、町でよくみかける。
50年以上まえにつくられたフィアット500を、
基本的なデザインはほとんどかえずに復活させたもので、
名前もフィアット500をひきついでいる。
旧テレビシリーズのルパン三世で、
ルパンがのっていたのがこのフィアット500だ。
『カリオストロの城』ではターボエンジンをつんで活躍していた。
ウィキペディアをみると、はじめにつくられたフィアット500と、
2007年に発売された新フィアット500とは
べつのデザイナーによる作品らしい。
完成度のたかいのは、もちろん初期型のほうだ。
このフィアット500は、ちいさな車体に
完璧なデザインがほどこされており、みていてあきない。

ヘンリー=フォードがT型フォードのデザインを
20年もかえなかったというのは、
初期型にその車の魅力がすべてつまっていることを、
よくしっていたからだろう。
ヘンリー=フォードがさってからのち、
車が発展しだした、というのも、いいはなしだ。
「クルマはT型だけで十分」という
ヘンリー=フォードに一票をとうじたい。

posted by カルピス at 21:27 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

きゅうにチャーリー・ブラウンのサマーキャンプものをおもいだした

夏にはいったせいか、ふとチャーリ・ブラウンの
サマーキャンプものがあたまにうかんできた。
夏やすみがはじまると、チャーリー・ブラウンは
サマーキャンプに参加しなければならない。
チャーリー・ブラウンは、親たちが、
あたまからサマーキャンプはたのしいところ、と
きめてかかっていることにうんざりしている。
夏に自然のなかで、同年代の子どもとあそぶのは、
たのしいにきまっていると、大人たちはうたがわない。
彼は、みんなとワイワイやるタイプではないのに、
夏になったら子どもは子どもどうしであそぶもの、と
おとなたちはしんじている。
そうしたおとなの無理解が、
チャーリー・ブラウンにおもくのしかかる。
かといって、全面的に反旗をひるがえせるはずもなく、
毎年おなじようにモンモンとサマーキャンプまえの
気のおもい日々をすごすチャーリー・ブラウン。

そんなチャーリー・ブラウンが、
いつものように しぶしぶサマーキャンプにでかけると、
自分とにたようなタイプ、つまり、
ひとりですごすのがすきな女の子としりあいになる。
でも、さいごまでうまくはすすまず、けっきょくいつものように
さみしいサマーキャンプでおわったようにおぼえている。
チャーリー・ブラウンは、そういう星のしたに
生まれてきたとしかいいようがない。
ハッピーエンドとは縁のない人間なのだ。
子どもたちをサマーキャンプにおくりだす大人たちは、
善意だけに、チャーリー・ブラウンをさらにおちこませる。

きゅうにチャーリー・ブラウンの
サマーキャンプものをおもいだしたのは、
日本の学校になじめず、つらいおもいをしている
外国人の子どもたちの番組をみたからかもしれない。
日本語がうまくはなせないので、
クラスメートとコミュニケーションがとれないし、
なにかの授業で「5人グループをつくって」とか
先生が指示をだすと、どうしてもその生徒があまってしまう。
番組では、机にすわったまま、
つらい時間をやりすごす生徒をカメラがおっていた。
わたしもまたそんな生徒のひとりだったので、
自分がいやだった学校生活をおもいだし、
頭のなかでサマーキャンプにくみかえたのではないか。
さいわい日本には、半強制的に参加しなければならない
この手のサマーキャンプはなく、夏やすみだからといって、
特別な企画におびえることはすくなかった。
チャーリー・ブラウンは、サマーキャンプを
まいとし体験しなければならず、
大人への不信感をすこしずつ つみあげていった。

夏にはいり、つらい時期をすごしている若者がいたら、
あなたが特殊なのではなく、おなじように
うまくやれないひとがいることをしらせたい。
チャーリー・ブラウンのサマーキャンプものは、
夏をたのしい時期ときめつけている大人に、
うんざりしている子どもがいるのだとおしえてくれる。
サマーキャンプをたのしめなくても大丈夫。
チャーリー・ブラウンみたいに、きっとなんとかやっていける。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月14日

『プロヴァンスの贈りもの』ストーリーはベタでいい

「音楽遊覧飛行」(NHK-FM)の
映画音楽ワールドツアーをきいていたら、
紺野美沙子さんが『プロヴァンスの贈りもの』を紹介していた。
南フランスでワイナリーをいとなむ男性がなくなり、
アメリカにすむ青年が遺産をひきつぐことになった。
ビジネス界でバリバリにはたらいていた青年が、
ワイナリーをおとずれると、おさないころ、
ここですごした記憶がよみがえってくる。
南フランスでのおちついたくらしが気にいり、
そのうち、レストランでであった女性にひかれる。
ラジオをきいていて、はずかしくなるくらいベタなはなしだ。
外国人だから、こんなストーリーでもゆるされるけど、
日本人がもしこれほどゆるい小説をかいたら、
おまえはハーレクインかと、ボロクソにいわれそうだ。
監督がリドリー=スコット、主演がラッセル=クロウなので、
それなりの作品にしあがっているのだろうけど、
いかにもよくありそうなはなしで、
お手がるなあらすじをおもいついた瞬間、
いっちょあがり、とさけんだ監督の声がきこえてきそうだ。
うつくしい自然があり、いい俳優がいて、
舞台がワイナリーとくれば、ヒットする条件がそろっている。
なにかをかたらせるのに、ワインくらいぴったりの酒はない。
これがウイスキーやビールだと恋愛ものにならないし、
ジンやウォッカでは、特殊な恋愛でないとおさまりそうにない。

わたしがすむ地方にも、いくつかワイナリーがあり、
にたようなストーリーはつくれそうだけど、
南フランスという土地がもつ独特のイメージと、
フランス産のワインという老舗があいてでは、
はじめから勝負にならない。
日本でワインをとりあげると、
日本におけるワインづくりのむつかしさなど、
どうしてもよけいなものがくっついてしまう。
シンプルにきめるには、やはり土地のもの、
たとえば日本酒やミソづくりにおちつくのではないか。

『プロヴァンスの贈りもの』にかぎらず、
紺野さんが紹介する映画のストーリーをきいていると、
恋愛もの、学園もの、どれもおもしろそうだけど、
あらすじ じたいは これでもかというぐらい、ベタなものがおおい。
はじめの段階では、シンプルなストーリーでじゅうぶんなのだろう。
つくりあげる過程でいろいろくわえ、作品にふかみをもたせればいい。
ベタでいいんだ、奇をてらう必要はないんだ、というのが
『プロヴァンスの贈りもの』でえた教訓だ。
作品をまだみてないので、ぜんぶ推測にすぎないけど。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月13日

梅雨あけと外のプール、そして梅ぼし

中国地方は梅雨あけしたもよう、と発表があった。
ことしは梅雨いりが5月22日と例年より22日もはやく、
といっても中盤まではカラ梅雨で、あまり雨はふらなかった。
それが、先週の7日から大雨となり、
さいきんよく耳にするようになった
線状降水帯による豪雨というのを体験する。
そして土日をはさみ、月曜日にまた記録的な集中豪雨にみまわれた。
全国版のニュースで山陰地方の豪雨がほうじられ、
平年の7月にふる雨量を、数日でこえたとなんどもいっていた。
火曜日のきょうは、きのうの大雨とうってかわり、
あぶなげなくはれており、午後に梅雨あけ、というながれだった。
もりだくさんの内容だったので、ことしの梅雨は記憶にのこりそうだ。

梅雨あけしたから、というわけではないけど、
午後からやすみをとってプールでおよぐ。
もちろん、梅雨があけたからやすんだのではなく、
もともと とっていた半日の有給休暇だ。
7月からは外の50メートルプールが解放されており、
わたしがいった午後3時には、プールをひとりじめできた。
水温は28℃と、室内プールになれたからだにはすこしつめたい。
1500メートルおよぐころには、からだの熱がいいぐあいにうばわれ、
プールからあがると、つよい日光がここちよい。
汗が完全にひき、からだはスベスベで、
外のプールならではの快適さをおもいだす。
はれた日には、やすみをとってでも、
外のプールにでかけなければと、いい教訓になった。
このさき、あと何回こんなここちよさを味わえるだろう。

家にかえってからは、つけてあった梅をザルにひろげる。
いわゆる「土用ぼし」は、日光にあてないと意味がないので、
雨の日をさけ、予定より1週間おくれでザルにうつした。
ことしは3キロの梅(約100個)をつけている。
シソの色がうまくでて、梅酢がきれいな赤色になっている。
毎日お弁当に梅をちぎっていれているし、
料理にもときどきつかう。梅ぼしは、ゆとりある生活の象徴だ。
日記をつけていると血圧がさがる、と
どこかでよんだことがある。夜に その日いちにちをふりかえり、
自分の感情を文字にしてぶつけることが、
自律神経にいい影響をあたえという。
梅ぼしも、日記といっしょでは、というのがわたしの説だ。
梅ぼしを毎年つくるおだやかな生活は、
血圧もいいかんじにコントロールしてくれるのでは。
xlOWG2yL1RSwzRj64551WskTmOOmJncypKTAgRGHwlZdpNuaQbhD5qEWudqqmruut2vu4bZMeYiJjjZQHDIfN1JfEZHiYbcnHfaZpNdvH_SsmdIy_6Fmn8tdniO4GbdtiQHvqe3VQNZDE-xrZaGeC5HrGFsXhB5L08DY2bhgLNTBm3cTomIQbyd63DiqaPWsKvGHasYOjgAy8YboN7vvT0-f.jpg

posted by カルピス at 21:01 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月12日

5羽のツバメが巣だっていった

利用者をむかえにいく家で、玄関さきにツバメが巣をつくっていた。
巣ができあがると卵をうみ、つがいが交代で卵をあたためる。
そして、しかるべき日数がすぎるとヒナがかえるわけで、
すこしずつかわっていく巣のようすをみるのが、朝のたのしみとなる。

巣では、5羽のヒナがかえっていた。
15分ほどみていると、親鳥からエサをもらうのは、
けして平等ではないのがわかってくる。
親へのアピールがじょうずなヒナは、
どうしてもたくさんのエサをもらえるのではないか。
おおきなヒナを優先してそだてるのは、
確実に子孫をのこすためかもしれない。
ツバメの巣は、そんなにひろくはないので、ヒナがそだつにつれ、
ちいさなヒナは、すみっこやうしろにおいやられがちだ。
そうなると、親鳥からのエサがとどきにくい。
もっとも、15分の「観察」では、仮説をたてるだけだ。
親鳥は わたしが巣のちかくにいると、ヒナにエサをあげないけど、
玄関にはいって網戸をしめると、警戒をといて巣にもどってくる。
わたしには、親鳥がみえないときから、
ヒナたちはエサをもとめ、おおきな声をあげはじめる。
親鳥がとんでくるのを、音や気配でかんじるようだ。
ma86MRMpMy-jZk_nA-uxorGcE4eAZQQwjknvABxsMtvgrq28WiFpR32hrWXYqI2gvKhi7YJp3UUtHYtfQjNNA9AieYyrgQ6q0otGtCL1PkhLtKb8Z3ITq_k5rJkdcwYq3e4plT7uXsJGGUDtnh8kCaCFXOaWeU5Mm2eykBimzxNLeRjEEwzLUUr2WVc-tpHaY1H-3g6tjiIlLLpmsHtfgn5_.jpg
ある日の夕方、巣をみると、からっぽになっている。
外では親鳥とおもわれるツバメがあわただしくとんでいる。
なにかトラブルがおきたのだろうか。
ヒナになにかあり、おちつかない親鳥がさわいでいるのかもしれない。
おうちのひとによると、まえにヘビがヒナをたべたことがあるそうで、
なにかよくないことがおきたのでは、と心配する。
あとからおうちのひとにツバメのことをたずねると、
5羽ぜんぶが無事に巣だちました、とおしえてくれた。
ヒナのおおきさに差があると、やきもきしていたのは
わたしのおもいすごしだったようで、
けっきょくすべてのヒナぶじに巣だっていった。
親鳥にとって、5羽をそだてあげるのは、
あたりまえのことなのかもしれない。

おうちのひとのはなしでは、
なかには 巣からはじきだされるヒナもいるそうで、
今シーズンは、地面におちたヒナを 2回も巣にもどしたという。
巣からおちたヒナに、ぜったいふれてはいけない、
という説をよんだことがあるけど、どうもそれは俗説のようだ。
巣にもどしたヒナは、また家族として むかえられた、といわれる。
とにかく、無事に巣だってよかった。
からっぽになった巣をながめながら、
すこしさみしくツバメのことをおもう。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする