平坂さんへのインタビューがデイリーポータルZにのった。
タイトルは「釣った魚はフラットな気持ちで食べたい」。
https://dailyportalz.jp/kiji/hirasaka-outtakes-03
よく「自分で釣った魚はおいしい」っていうじゃないですか?
そういうバイアスがかかるのが嫌なんですよ。
それ言い出すと素材の味というか、その生物そのものの味が公平にジャッジできなくなってしまう。それはもったいない。
だから持ち帰って。ひと息ついて、フラットな状態で食べたい。
っていうのがあるので、なるべくキッチン付きの宿で、なるべくつまらない精神状態で食べる。
平坂さんがいいたいことと、すこしちがうかもしれないけど、
「外でたべるごはんはおいしい」や
「おおぜいでたべるごはんはおいしい」も
「バイアスがかか」っているようにおもう。
おおくのひとが、外でたべたり、おおぜいでたべたりして、
いつもよりも おいしかった経験があるのかもしれないけど、
おいしいにきまっている、みたいに
きめつけられるのは すきではない。
さらにいえば、魚の新鮮さに価値をおくのも、程度問題ではないか。
テレビをみていると、とりたての魚をありがたがって
あまいだの、コリコリしているだのいっているけど、
魚が新鮮なのと、新鮮でうまいというのは、またべつのはなしだ。
とりたての魚より、つってから なんにちかたったほうがうまみがでる、
という説もあるようだから、とりたて・つりたての魚はおいしい、
というのは、 おもいこみにすぎないかもしれない。
空腹は最高のコック、みたいなはなしがある。
どんなに食材に気をくばり、料理法を工夫しても、
おなかがすいていなければ、おいしくたべられないというものだ。
でも、お腹がすいていさえすれば、なんでもおいしい、
というのも、いいすぎだとおもう。
教訓めいていて、いかにも親や大人がよろこびそうだ。
おいしくないものは、いくらお腹がへっていても
おいしくないとわたしはおもう。
アウトドアブームで、キャンプにでかけても、
いろいろこった料理をするひともいるようだ。
ヒロシさんみたいに、キャンプ場へいくとちゅうのスーパーで、
土地の食材をかう、くらいならいいけど、
おおげさな料理道具をもちこむのは、わたしの趣味にあわない。
外でおいしいものをたべよう、というのが そもそも気にいらない。
もっと質素で、ビンボーな食事をめざしたいものだ。
火をおこし、あたたかい料理をたべられたら、
それだけでもうごちそうだ。食後にコーヒーがつけばいうことない。
けっきょくわたしがやりたいのは、
西部劇にでてくるキャンプかもしれない。
ブリキの皿によそった豆料理をまずそうにたべ、
おわったら砂でさっとこすってよごれをおとす、
というのがあこがれの食事風景だ。