W杯アジア最終予選、日本対オマーン
らいねん秋におこなわれるカタールでのW杯にむけ、
アジア最終予選がきょうからはじまった。
日本はBグループにぞくし、らいねんの3月まで、
5カ国によるホーム&アウエー方式で試合をすすめてゆく。
新型コロナウイルスが、世界じゅうで いまだにおちつかないなか、
W杯は予定どおりカタールでひらかれるみこみだ。
ヨーロッパでは、客をいれない国があるとはいえ、
それでもサッカーがなくては、生きていくはりがないと、
リスクをおかしてサッカーの試合をつづけている。
日本だって、完全にサッカーを中止したのは
ほんの数ヶ月にすぎず、そのあとは、無観客だったり、
観客を制限したりして、通常のリーグ戦を再開した。
感染予防の方法や、試合の運営など、
Jリーグのほうがプロ野球にお手本をしめしていた。
日本のサッカーが、ふかく生活に根づいてきたのをかんじる。
リスクがあろうがなかろうが、
サッカーの存在が、おおくのひとをささえている。
サッカーなしの生活はもはや日本でかんがえられない。
最終予選の初戦はオマーンとのホームゲームだ。
オマーンは、「ひいてまもってカウンター」、かとおもっていたら、
戦術とテクニックにすぐれたいいチームだった。
セルビア人の監督にかわってから、サッカーの質がかわったそうだ。
前半はせめあいがつづき、日本のリズムがうまれない。
まあ、そのうちオマーンのやり方に、
日本の選手たちがなれてくるだろう、とおもっているのに、
いつまでもおなじながれのまま前半がおわる。
後半にはいっても、オマーンはまだまだげんきにせめてくる。
日本は古橋・堂安・久保と、2列目の選手を
たてつづけにかえるけど、なかなかシュートまでいけない。
初戦でひきわけはいやだなー、とおもっていたら、
後半44分に、オマーンが右サイドからのクロスをあげる。
つめていた選手がすこしさわっただけで、
ボールはゴールへとすいこまれていった。
オマーンあいてにこれほどくるしみ、
1点もうばえないまま まさかホームでまけるとは。
試合終了間際にいれられた点がひびいたとはいえ、
90分をとおしてオマーンは いいサッカーをつづけていた。
ひいてまもるだけではなく、日本のパスをなんどもカットし、
カウンターへとつなげてゆく。チャンスのかずは、
オマーンのほうが日本をうわまわっていたかもしれない。
日本は、きめるべきときに きめられなかったつけが、
さいごにひびいてきた。初戦での敗戦はいたい。
森保監督は、スターティングメンバーに、
アジア最終予選を経験しているベテランの選手をならべた。
それだけ最終予選のむつかしさに配慮し、
この試合を重視していたのに、慎重にはいりすぎてしまったか。
オマーンは日本のやり方をよく研究してきたようで、
パスをなんどもカットされ、攻撃につなげられていた。
日本の2列目に仕事をさせず、日本のパスをよく予測して、
自分たちのカウンターにつなげていた。
オマーンがこんなにいいチームだったとは。
中東のオマーンがあいてなのに、
レフェリーはおなじ中東の国(どこかわすれた)のひとだった。
判定をみていると、あきらかに日本に不利な笛におもえる。
そんななか、後半6分に、長友がPKをあたえてしまった。
長友の手は、からだにくっついていたけど、
レフェリーによっては、いくらでも日本に不利な判定をくだすだろう。
さいわい、このレフェリーはVARを採用し、
結果として、この判定はくつがえされた。
そんな幸運があったにもかかわらず、
日本はさいごまで自分たちのリズムをとりもどせなかった。
なにがどうわるいのか、修正できないまま、
ズルズルと時間だけがすぎてゆき、
決定的な時間に先取点をゆるしてしまう。
日本がまけるときは、いつもこんなかんじだ。
つよい国にたいしてはいい試合をするのに、
格下とやるとなぜかリズムをつくれない。
ドリブルできりこみ シュートまでもってゆく選手、
そう、三苫がいたらなー、という試合だった。