酒井さんおとくいの、かるいエッセイかとおもったら、
かずある著作のなかで 代表作にもあげられる すぐれた作品だった。
『負け犬の遠吠え』で、30以上(のちに35歳と訂正)、
未婚・子なしを「負け犬」と定義した酒井さんに、
結婚しても子どもがいない女性たちから、
「わたしたちも『負け犬では?』という声がよせられる。
当時は、子どもがいなくても 結婚しているのだから、
「勝ち犬」にきまっている、としていた酒井さんは、
歳をとるにつれ、しだいに
結婚しているかどうかよりも、子どもがいるかどうかのほうが、
人生の方向性におおきくかかわってくることに気づく。
酒井さんは本書で 子がないものを「子ナシ族」と名づけ、
その心理や老後についてさまざまな角度から分析している。
子どもがいなければ、自分が死んだとき、だれがみとってくれるのか。
子どもがいるか いないかは、介護、そしてみとりへとつづく問題だ。
「負け犬」からとうぜん生まれてくる「子ナシ族」の発見である。
こうしてみると、酒井順子さんは、
「負け犬」問題をとりあげるため、作家として
うでをみがいてきたひとにおもえてくる。
ことばづかいがまったくうまい。おもっていることを
絶妙なバランス感覚で表現するテクニックは 酒井さんならではだ。
「負け犬」「子ナシ族」問題を、これからどうとりあげていくのか、
酒井さんの著作をまちたい。
なぜ「子ナシ族」がうまれるかというと、
ひとつの要因は、男性が子どもをほしがらないから。
ほとんどの女性は結婚もしたいし、子供も欲しいと思っているもの。しかし男性と交際しても、相手が結婚したがらなかったり子供を欲しがらなかったりすることがしばしばあるのです。だというのに、日本で晩婚化問題や少子化問題を俎上に載せる時は、ほとんど「女性の問題」としてかたられるのであり、男性をどうにかしようという視点は多くない。
でも、どうにかしようとしても、
どうにもならないかも、と酒井さんはおもう。
「自分がしたいことを邪魔されたくないので、子供はいらない」
ときっちり宣言して子供を持たない男性というのは、実は思いやりが深いのかもしれません。大好きな趣味があるのに何となく恋愛もセックスもしたくなってつい結婚し、妻に対してもいい顔をしてつい子供を作ってしまい、結局は妻がうんざり顔で一人で子育てをする、というのとどちらがよいのか。
「子ナシ族」は、子供が「授かりもの」であるということを、今も信じている人達です。タイミングがきたら、神様が授けてくださるはずだから、特にがっつかなくてもいいのではないか。・・・そんな感覚を持つ人達は、結婚に対しても妊娠に対しても、自分からアクションを起こさず、待ちの姿勢。遠くの空を眺めているうちに時が過ぎていた、ということなのではないか。
わかい世代のひとたちに、
こうした自分たちの姿を参考にしてほしい、と酒井さんはねがう。
ただまっているだけでは、結婚できないし、子どももさずからない。
とはいえ、どっちがしあわせかは、だれにもわからないから
いまのような晩婚化・少子化がすすんだわけだけど。
わたしは、成人したら結婚するもの、と
なんとなくおもっていたので、
その線にのってなんとなく結婚し、
その結果として子どもがひとりできた。
わたしがフツーだったというより、
わたしみたいな男でもいいとおもってくれた
配偶者に感謝するべきだろう。
わかい女性が、結婚したいのに、結婚しないまま
歳をとっていくのは なんとももったいない。
なんとか協力したいところだけど、
もしわたしがいま30代・独身だったとして、
結婚したがっている女性の対象になるかというと、
こんなお金のない男はあいてにされないわけで。
そこらへんの問題は、小倉千加子さんの『結婚の条件』にくわしい。
結婚の条件をかんがえるから 結婚できないのでは、
というのがわたしの意見だ。