2022年04月26日

『コーダ あいのうた』音がきこえないコンサートにショックをうける

『コーダ あいのうた』
(シアン=ヘダー:監督・2021年・アメリカ・フランス・カナダ合作)

女子高校生のルビーは、両親と兄がろうあ者で、
家族のうち自分だけ耳がきこえる環境でそだった。
父・兄と漁にでかけ、「通訳」として家族をささえている。

高校の授業で、あたらしく合唱をえらんだルビーは、
担当の先生から歌の才能をみとめられ、
コンサートでのデュオにえらばれたほか、
音楽の大学へもすすむように声をかけられる。
もともとうたうのがすきだったルビーではあるものの、
「通訳」として家族とすごさなければならず、
じっくりとうたのトレーニングにとりこむだけの時間がない。

ろうあ者、そしてコーダ(親がろうあ者で、自分は聴覚のある子ども)
としてそだったルビーの気もち。
家族をほこりにおもいながらも、まわりの目を気にするルビー。
家族のなかで、自分だけがのけものな存在ともかんじている。
両親は、高校を卒業後もルビーが町にのこり、
家の仕事(漁)を手つだってくれることをのぞんでいる。
ルビーも、うたへの情熱をむりやりおしころし、
家族のために進学をあきらめようと いったんは決意する。
しかし、学校のコンサートでうたうルビーをみて、
父親は、この子がもっとかがやくためには、
家族の犠牲にしてはいけないとおもうようになる。
「ここ(陸上)でみる星は、海でみる星ほどきれいじゃない」
という、漁師らしい気づきだ。
家族は、大学にすすむためのオーディションにルビーをおくりだした。

学校でひらかれたコンサートをきいているとき、
ルビーの両親は、キョロキョロとまわりのお客さんをのぞきみる。
自分たちのむすめがうたうのを、みんな熱心にきいているようだ。
両親は、ほっとするけれど、自分の耳ではきけないので、
音楽に集中するよりも、行儀のわるいそぶりをやめられない。
しかたのないひとたちだ、とわたしは上から目線でみていたけど、
ルビーがデュオでうたい、これからが曲のクライマックス、
というときに、すべての音がとつぜんきえた。
ふつうの作品なら、ルビーの熱唱に焦点をあてる場面だろう。
ヘダー監督は、音のない世界を観客に体験させる。
音がきこえないとは、こんなにもたよりないものなのか。
わたしは、ろうあのひとたちのもどかしさを、
ほんのすこしながらしることができた。

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2022年04月13日

ブログにかいたことのおおくをわすれている

10年間つづけたブログのデーターを、
ぜんぶテキストで保存してある。
きょねんの記事を、なんとなくよみかえしてみたら、
内容をほとんどおぼえていないものがおおかった。
自分がこんなことをかいたなんて、とすごく新鮮だ。
5年くらいまえならわかるけど、
たったいちねんまえの記事なのに、
わずかいちねんでさえ、かいた自分はまるで他人だ。
よんだ本の感想にしても、よんだ事実さえわすれているのもある。
だからこそ、文章にしておく意味があるのか、
それとも、かいたことすらわすれるぐらいだから、
かかなくても、どーでもいいことばかりだったのか。

まいにち更新していたので、
よーくかんがえた内容よりも、
おもいつきをむりやりひきのばして、
くるしいまとめになっているのもおおい。
ほとんどよまれていないのも、
こういうときにはつよみとなる。
どうでもいいことを、テキトーにかく。
よく10年つづいたものだ。
いまとなっては いいおもいでになっている。
すこし形をかえて、再開する日がくるかもしれない。

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2022年04月11日

ジン=トニックと白ワインがほしくなったら夏

ジン=トニックがのみたくなったら夏、と
わたしはまえからいいつづけてきたけど、
正確には、ジントニックと白ワイン、
がただしいかった、と修正しておきたい。
わたしはたいてい寝酒にワインとウィスキーをのんでおり、
秋から春までは赤ワインだけど、
夏は、はっきり白ワインにかわる。
そして、ウィスキーはジン=トニックへ。

春にはときどきあつくなる日があるもので、
そういうときはたしかにジン=トニックがのみたくなるけど、
まだ夏ではないため、白ワインはマストではない。
2つがそろうときが、ほんとうの夏のはじまりだ。
きょうは、気温が26度まであがり、
長袖シャツ1枚でも汗がでてきた。
今夜はジン=トニックと白ワインがそろう、
今シーズンいちどめの夏日として記録しておこう。

ジン=トニックとかいてきたけど、
わたしがつくるのはジンのソーダわりであり、
ほんもののジン=トニックはのんだことがない。
このまえスーパーで「ジンソーダ」をみかけた。
サントリーがだしており、アルコールは7%。
いろいろなチューハイがありながら、
ジンベースののみものがないのはなぜだ、と
ふしぎにおもっていたけど、ちゃんと商品になっていた。
わたしがつくるなんちゃってジン=トニックと
どうちがうのか、こんどためしてみるつもり。

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2022年04月10日

土日やすみにかわり、一週間がながい

4月から勤務が土日やすみにかわる。
これまでは金・土がやすみだった。
金曜日に出勤しなければならないと、
なれないせいで、一週間がすごくながい。
火曜日から、やすみがくるのがまちどおしかった。
土日やすみよりも、平日である金曜にやすめたほうが、
プールへいくにも、病院へいくにも都合がいい。

金曜日の朝、朝日新聞に連載されている
伊藤理沙さんのコラム(隔週)を
のんびりよむのがたのしみだったのに、
金曜日が出勤になると、おちついてよめない。
これまで生きてきたのとちがう世界に
まぎれこんだみたいだ。パラレルワールド。

いいこともある。
金曜日が祝日にあたったりすると、
これまではまるまる損をしていたけど、
これからはカレンダーどおりにやすめることになる。
もうひとつは、日曜日の午後12時15分からの、
「トーキング ウィズ 松尾堂」をきけることで、
これまではとぎれとぎれにしかきけなかったたのが、
きょうは昼ごはんをたべながらゆっくりたのしめた。
けっきょくはなれの問題なのだろう。
ほかのひとからすれば「しらんがな」、だろうけど、
わたしにとっては大切なささやかなしあわせがだ。
しばらくはペースをつかむのがむつかしそうで、
5月病なんかにならないよう、しっかりやすみたい。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月08日

トランクにいれた死体をどう処理するか

友情についてかかれた河合隼雄さんの本をよんでいたら、
こんな記述が目にとまった。
彼は若いときに自分の祖父に「友情」について尋ねてみたら、祖父は、友人とは「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人だ」と答えた、というエピソードを披露してくれた。(河合隼雄『大人の友情』)

河合さんが、ユング派の分析家、アドルフ=グッゲンビュール
の講義をきいたときのおもいでだ。
おどろいた。まるで『パルプ・フィクション』ではないか。
2人のギャング(トラボルタとサミュエル=L=ジャクソン)が、
死体の処理にこまり、しりあいのジミー(タランティーノ)に
たすけをもとめる場面がまさしくこれだ。
タランティーノは、どこかでユング派の心理学をまなんだのだろうか。
とはいえ、ジミーは親身になってふたりをたすけたりせず、
なんでこんなのをつれてきた、とひたすら悪態をつく。
小市民がギャングに説教をたれる、
というカジュアルさがなんどみてもおもしろい。
「俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てたか?出てないよな?何で俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てなかったと思う?
俺の家じゃ、ニガーの死体は預からねえからだ!!」

あなたがもしトランクにいれた死体にこまっていたら、
河合隼雄さんの本をおもいだし、しりあいにたすけをもとめるよりも、
『パルプ・フィクション』のほうが
リアルな現実だとおもいだしたほうがいいかもしれない。

posted by カルピス at 21:00 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする