こんな記述が目にとまった。
彼は若いときに自分の祖父に「友情」について尋ねてみたら、祖父は、友人とは「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人だ」と答えた、というエピソードを披露してくれた。(河合隼雄『大人の友情』)
河合さんが、ユング派の分析家、アドルフ=グッゲンビュール
の講義をきいたときのおもいでだ。
おどろいた。まるで『パルプ・フィクション』ではないか。
2人のギャング(トラボルタとサミュエル=L=ジャクソン)が、
死体の処理にこまり、しりあいのジミー(タランティーノ)に
たすけをもとめる場面がまさしくこれだ。
タランティーノは、どこかでユング派の心理学をまなんだのだろうか。
とはいえ、ジミーは親身になってふたりをたすけたりせず、
なんでこんなのをつれてきた、とひたすら悪態をつく。
小市民がギャングに説教をたれる、
というカジュアルさがなんどみてもおもしろい。
「俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てたか?出てないよな?何で俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てなかったと思う?
俺の家じゃ、ニガーの死体は預からねえからだ!!」
あなたがもしトランクにいれた死体にこまっていたら、
河合隼雄さんの本をおもいだし、しりあいにたすけをもとめるよりも、
『パルプ・フィクション』のほうが
リアルな現実だとおもいだしたほうがいいかもしれない。