JRのやくも号(松江から岡山まで)はゆれがひどく、
よってしまうので いつものようにバスをつかう。
松江から4時間で千里ニュータウンにつく。
終点の梅田ではなく、千里ニュータウンにしたのは、
ひさしぶりの大阪だから、「みんぱく」へいきたかったからだ。
国立民族学博物館、通称みんぱくへは、
もうなんどもいったことがあるけど、
わたしが大阪でいきたいところは「みんぱく」くらいしかない。
ここは、世界中の民族にかんする研究・展示をしている機関で、
わたしにさまざまな影響をあたえてくれた
梅棹忠夫さんが初代館長をつとめられた。
みんぱくについたのが4時まえだったので、
閉館の5時まで2時間ほどしかない。
いそぎ足でまわれば、2時間でもそこそこみられるだろう、
とおもっていたけど、2時間はやはりみじかすぎた。
南アジアとかヨーロッパとか、地域を紹介する展示だけではなく、
言語・音楽など、民族の文化にかんすることを
ひろくあつかっており、2時間ではどうにもならない。
映像をつかった展示が以前よりふえており、
いろいろいじっていると、すぐに時間がすぎてしまう。
さいごはかけあしでまわり、それでも
日本についての展示は あきらめなければならなかった。
こんかい目をひいたのは、人肉をたべるときに、
フィジー諸島でつかわれていたというフォークだ。
手づかみでたべるのかとおもっていたのに、
ちゃんと道具をつかっていたのだ。
しかも、かなりややこしいつくりの。
手で直接たべると、死者の霊がこわい、というのが理由らしい。
たべたいけど、こわい。こわいけど、たべたい、という
複雑な心理がおもしろい。

みんぱくにいたる小道には、雑草がげんきよくそだっていた。
博物館がほんとに営業しているのか、心配になるようなあれかただ。
アンコールワットみたいな、自然のなかにうもれゆくうつくしさ、
という味のあるものではなく、ただ手をぬいて、
雑草をそのままにしているだけ、という印象をうける。
維持・管理にかかる予算がけずられているのだろうか。
博物館のなかにはいると、さまざまな道具や衣装が、
これでもかとゴージャスに、お金をかけて展示されており、
すたれゆく施設のにおいはしない。
いりぐちの雑草は、なぜあそこまでほっておかれているのだろう。