2022年09月20日

「GLOBE」で紹介された「耕さない農業」

朝日新聞の日曜日には、「GLOBE」という特集記事がのる。
まえは別ずりだったけど、いまは記事の一部となっている。
今回の特集は「耕さない農業」について。
アメリカのノースダコタ州の農場で、
ブラウンさんがおこなっている農法が紹介されている。
トラクターで土をたがやさなければ、
ふかふかの土ができてくるという。
ブラウンさんは、たがやさないばかりでなく、
農薬も化学肥料もつかわない。

たがやさない農業といえば、福岡正信さんの自然農法が有名だ。
福岡さんは、自然にしたがえばすべてがうまくいく、と、
たがやさず、草をぬかず、肥料もつかわない。
田うえもしない。土団子に稲の種をまぜてまく、
という直播なので、田うえの手間もかからない。
農法というよりも、ひとはなにもしなくてもいい、
ただ自然にまかせる、という哲学であり、
わたしもわかいころつよくひかれたことがある。
直播での米づくりもためしてみたけど、
うまくいかなくて、5年であきらめてしまった。

「GLOBE」では、ブラウンさんの農場だけでなく、
カンボジアでのとりくみも紹介してある。
雨があまりふらないアメリカでは、
草をとらなくても大丈夫かもしれないけど、
雨がおおいモンスーン気候のカンボジアでも、
やり方によっては草をおさえられるそうだ。

ブラウンさんによる「土の健康5原則」は
・土をかき乱さない
・土を覆う(被覆作物を植える)
・多様性を高める(数十種の野菜や穀物、花を一緒に育てる)
・土のなかに「生きた根」を維
・動物(家畜)を組み込む

農業というと、とくに日本では、汗みずたらしてはたらく勤勉さや、
骨身をおしまない道徳的な価値観とセットになっている。
土をたがやすにしても、ふかく、こまかくクワや機械をいれ、
どれだけ労力をかけたかが大切にされる。
土なんかたがやさなくてもいい、なんていうと、
なまけものによる異端な農業とみられがちだ。

『サピエンス全史』(ユヴァル=ハラリ)をよんだとき、
農業は穀物の奴隷、というとらえ方に衝撃をうけた。
農業によって文明がさかえた、ということになっているけど、
農業にたずさわるひとは、はたしてしあわせになっただろうか。
土をたがやし、草とりや水やりで、やすむ間もなくはたらきづめだ。
からだをこわしてまで作物への奉仕がもとめられる。
穀物への献身を美徳ととらえる価値観にしあわせはなく、
農業への関心が、いっきにさめたものだ。

土をたがやさない農業が、あたりまえになればいいのに。
肥料や農薬をあまりつかわずにすみ、
石油をつかってトラクターをうごかさなくてもいいし、
かわれている動物も、ひろびろとした土地ですごせる。
いいことばかりにおもえるけど、
日本人にとっての農業は、勤勉さがだいじなので、
世界でいちばんうけいれられない国なのかもしれない。

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2022年09月17日

『世界一簡単なフランス語の本』すぐに「ル・モンド」の社説がよめる

『世界一簡単なフランス語の本』
(中条省平・幻冬社新書)

わたしはわかいころ、かなりの時間とエネルギーを、
フランス語の学習にあてた時期がある。
たくさんの本やカセットをかい、コツコツと勉強をつづけた。
にもかかわらず、フランス語はわたしの手をするりとぬけ、
けっきょくはものにならなかった。

中条さんは、フランス語をものにすることが、
どれだけむつかしいかをよく理解したうえで、
「読めれば、できる」というあたらしいこころみをうちだしている。
本書をおわりまでよめば、フランス語の新聞、
「ル・モンド」の社説でもよめる、
というのが本書のセールスポイントだ。
あくまでも声にだして「よめる」であり、
よめるからといって、意味までもわかるわけではないけど。
そもそも英語のつづりがめちゃくちゃなのであり、
さらにいえば、日本語だって漢字をつかわないでかけば、
ごく初期の学習者でも、よむだけならかんたんにできる。

中条さんは、まずフランス語のアルファベットを
カタカナで「よめる」ようにする。
そのあとで、「コマンタレブー」とか「ジュテーム」とか、
だれでもきいたことのあるフランス語から
文のなりたちを説明する。
むつかしい発音記号なんて、いっさいなし。
日本語にない発音も、堂々とカタカナであらわしてくれる。
ややこしい動詞の活用も、語尾のつづりがどうあれ、
発音はどれもたいていっしょだと 大胆に整理してある。

そして、じっさいのフランス語は「ブー」とか「メルシー」
とかのばさない、ということもしっかりおさえている。
はずかしながら、わたしがしらなかったこともおおく、
この本に目をとおしたことで、
まちがいなくわたしのフランス語は上達した。

「世界一簡単」といっても、フランス語をまったくしらないひとには、
すこしこの本はしきいがたかいかもしれない。
大学の、第二外国語にフランス語をえらび、挫折したひとなどが、
この本のターゲットとなる。
わたしは、みごとにドンピシャの対象者で、
フランス語の勉強は、じつに30年ぶりだった。
そんな初心者もどきのわたしでも、さいごまで目をとおすうちに、
ちゃっかりフランス語のエッセンスを身につけたような気がする。
フランス語学習の再入門書として、本書をつよくおすすめしたい。

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2022年09月15日

ラジオ専用機をポチッとな

日ごろラジオをよくきいている。ほとんどがNHK-FMの番組で、
ききのがしたときには「聴き逃し配信」によくお世話になる。
このまえは、月にいちどの「村上レディオ」をきくために、
30年まえにかった、ふるいラジカセをひっぱりだした。
「村上レディオ」は らじるらじるではきけないし、
ラジコはスマホのバッテリーがのこりわずかで、
ああだこうだするよりも、アナログでいこう、とラジカセにした。
アンテナをのばすと、雑音もなくきれいにはいる。
村上春樹さんによる、「いかがなものか、カバー」をたのしくきいた。

仕事をやめ、家にいる時間がながくなったら、
まるますラジオとのつきあいがながくなるだろうから、
ラジカセとかCDプレーヤーではなく、
ラジオ専用の、いわゆる「ラジオ」があるのも
わるくないかも、とおもいだした。
アマゾンをみると、それこそよりどりみどりだ
(それにしても、なんで よりどりみどり、なんていうのだろう)。
ちいさくて、もちはこびに便利そうなのや、
あるていどおおきくて、でも音がよさそうなの。
災害にそなえてソーラーパネルがついていたり、
スマホの充電ができるものもある。
それぞれほしくなるポイントをもっており、
いじらしいし、いとおしくなる。
5000円もだせば、質のよいラジオが手にはいるようだ。
画面をみているうちに だんだんと、ほんとにほしくなってきた。
中国製のラジオを3000円ほどでかう。

災害時には、懐中電灯としてもつかえるし、
太陽光での充電にも対応している。
期待してなかったBluetooth機能もついている。
乾電池(単一)もつかえるので、これまた災害のときはこころづよい。
音もそこそこなので、Bluetoothのスピーカーをかうよりも、
このラジオをもっていたほうがおとくな気がする。
いかにも昭和っぽいデザインで、ツマミをひねってチューニングする。
ただ、イヤホンがつかえないので、
体育館などの、シビアな避難先での滞在をかんがえると、
じっさいにはつかいにくいのかもしれない。
とにかく、CDやカセットの付属機能ではなく、
ラジオ専用の道具を手にいれたことがうれしい。

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2022年09月14日

のどもとをすぎると、なんであんなに感染を心配していたのか不思議におもえてきた

仕事のあと、6キロコースをはしる。
日課だった「みんなで筋肉体操」のうでたてふせも、
コロナに感染するまえと、おなじくらいの回数ができるまで回復した。
のどもとすぎればなんとかで、
コロナにくるしんでるときは重病人の気分だったのに、
いったんなおってしまえば、
それほどおそれる病気ではないようにおもえてきた。
インフルエンザには、タミフルなどの特効薬があり、
かかったとしても、それほどくるしまなずにすむ。
コロナには、まだ専用の薬がないけど、
解熱剤で熱がさがるので、実感としては、
インフルエンザよりかるい症状だったといえる。
コロナに感染するのを、なんであんなにおそれていたのか、
いまとなっては不思議におもえてきた。

いったんコロナに感染すれば、あるいは濃厚接触がうたがわれれば、
なんにちも自宅にこもならければならないし、
感染がひろがらないよう、たくさんの労力とお金をつぎこんで、
消毒とソーシャルディスタンスに気をくばり、
お店にはついたてをはりめぐらかし、
競技場では声援を禁止して、マスクをつけたうえで、
拍手だけの応援をおくる。
いつまでこんなことをつづけるのか。
いぜんはともかくとして、おミクロン株になってからのコロナは、
そんなにビビりまくらなくても、共存できる病気なのではないか。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月13日

61年生まれの61歳

きょうたまたま気づいたのだけど、
わたしは1961年生まれで、61歳だ。
生まれた年の西暦と、いまの年齢がおなじ。
これは、なにを意味するのだろう。
なにか特殊な法則があるのだろうか。
あるいは、だれでもいちどは生まれた年の西暦と、
おなじ歳をむかえるのだろうか。

わたしの母は1931年生まれなので、
31歳のときは1962年だから、
かなりはやい段階で、生まれた西暦の歳をむかえたことになる。
わたしのむすこは1997年生まれなので、
97歳まで生きないといけない。かなりハードルがたかく、
だれもがかんたんに西暦の誕生年をむかえられるとはいえなくなる。

2002年生まれのひとは、2歳で誕生西暦をむかえてしまうので、
あまりありがたみがない。
いったい、生まれた年の西暦と、
おなじ数の歳をむかえるということは、
どんな秘密がかくされているのだろう。

posted by カルピス at 20:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

新型コロナウイルスに感染してしまった

新型コロナウイルスに感染してしまった。
2020年の1月に、中国での感染が
すこしずつ話題にのぼるようになり、
それ以来、なんどかの波にさらされながらも、
なんとかこれまでにげつづけてきたのに、
2年9ヶ月で、とうとうつかまってしまった。

先週の金曜日の夜(9月2日)、すこしノドに違和感がある。
カゼによくある症状だったので、気にせずにいたら、
おきてみるとあきらかになにかようすがおかしい。
熱は37.1度とひくいものの、すぐにコロナへの感染をうたがった。
かかりつけ医である近所の病院へゆくと、
病院内にははいれないので、地域検査センターで
まずPCR検査をうけるようにいわれる。
家にもどり、病院からの連絡をまつ。
病院のなかで延々とまたされるのではなく、
電話でのやりとりなので からだは楽だ。
しばらくまっていると、病院からの連絡があり、
地域センターでの受付番号と時間をしらされる。
地域センターは、家から車で5分ほどのところにあり、
ドライブスルー方式でPCR検査をうける。
2時間後に病院から結果をしらせる連絡があった。
予想どおり、陽性だった。

それでも熱は37.5度とまだひくく、
夜はJリーグ「フロンターレ対ベルマーレ」を、
前・後半ともぜんぶみるほど元気があった。
終了間際にベルマーレが勝ち越し点をきめ、
がっかりしてテレビのスイッチをきる。
おもえば、まだのんきなコロナ初日だった。

コロナの陽性について、まわりにいくらでも対象者がいるのに、
ではどんな症状になるのかについて、わたしはなにもしらなかった。
インフルエンザみたいにくるしむのだろうか。
かるい症状のまま、やるすごせるとありがたいけど。

けっかてきには、熱は2日目に38.6度まであがったものの、
3日目には37度台までさがり、そのままにどと
38度以上にあがることはなかった。
では、ぜんぜんらくだったかというと そうではない。
客観的には軽症なのだろうけど、
個人的な気もちをいえば、しっかりと生死のさかいをさまよった。
熱がこのまま39度や40度にあがったらどうなるのだろう。
保健所に連絡したところで、お医者さんにみてもらえそうにはない。
とおくで救急車のサイレンがきこえると、
あれはおれみたいな感染者が病院をたらいまわしになっているのでは、
なんておもった。

3日目に熱はさがったものの、ノドがはれて食事がとりにくい。
リンゴジュースでも、そのままではこゆすぎてとうけつけないので、
1/3にうすめたものがわたしにはちょうどよかった。
リンゴジュースでノドをいたわっておいてから、
おかゆやトーフをなんとかたべる。
4日目の午後になると、きゅうにからだがらくになり、
病気の峠をこえたのを実感した。
とはいえ、たった3日ねこんだだけなのに、
すっかりやせてしまい、鏡をみると、別人のようだった。

自宅での療養期間は、はじめ10日間といわれていたけど、
9月6日くらいに政府の発表があり、7日間とみじかくなった。
わたしには、ちょうどありがたい時期の変更で、
10日間だと来週の月曜日もやすみだったところを、
7日間になったことで、9月9日に7日目をむかえる。
県のフォローアップセンターから連絡があり、
「きょうが自宅療養の最終日です」とつたえられた。

自宅待機期間がみじかくなったのは、ひとにうつす可能性が、
7日間でじゅうぶんさがるから、というよりも、
経済をまわすための対応だ。
8日たってもまだひとにうつす可能性はまだなくなったわけではない。
仕事にはでられるけど、用心しながら、という状況はかわらない。
わたしは7日になったことですっかり安心してしまい、
家族といっしょに食事をとるようになったけど、
ほんとうは、10日までは、用心をつづけたほうがいいようだ。
さいわい、同居する家族2人への感染はなく、
なんとかはじめてのコロナをのりきることができた。

posted by カルピス at 17:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする