公開された当時(1988年)にいちどみているのに、
大切なところをまったく理解していなかった。
ダスティン=ホフマンが自閉症の特性を
こんなにみごとにえんじていたなんて。
「レインマン」は「スノーマン」、そして
「メインマン」につうじていることなど、
重要なところをほとんどおぼえていない。
1回目にみたときの記憶は、
波止場でスーパーカーをしいれている
調子のよさそうなオープニングでのトム=クルーズであり、
ダスティン=ホフマンの記憶力をいかして
ラスべガスのカジノでおおもうけしている2人だ。
当時はまだ介護の仕事についておらず、
自閉症についてもまったく知識がなかった。
飛行機にのらないといったり、
曜日によってたべるものをきめるというこだわりを、
「おおげさな映画的やらせ」ぐらいにおもっていた。
(ダスティン=ホフマンがえんじたレイモンドとおなじ
サヴァン症候群のダニエル=タメットは、
『ぼくには数字が風景に見える』という著書のなかで
円周率を22500桁記憶したり、
外国語をすぐにおぼえてしまう能力についてかいている)
兄弟愛とかロードムービーとか、
『レインマン』について
いろんなみかたがネットにはかかれている。
わたしにとっては、
自閉症についてのえがきかただけをとっても、
これまでおもっていたよりもずっとすぐれた作品だった。
こういうことはよくある。
気にいった作品をもういちどみたりよんだりすると、
ぜんぜん印象がちがうことにおどろくことがおおい。
1回目がいかに表面的で
ごくかぎられた理解しかしていないことをおもいしらされる。
1どしかよまない本、
1回しかみない映画がほとんどだ。
わたしはどれだけそれらの作品を理解したといえるだろう。
わたしをわたしとしてなりたたせている記憶や思考のほとんどは
非常にあさい理解でしかないのかもしれない。
いったい1ど目の体験とはなんなのだ。
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