よいがきゅうにまわって気もちわるくなる。
胃をきっているせいで、吸収がはやいのだろう。
おいしくのむことができないので、
いつしかお酒はねるまえにのむようになった。
ねるまえなら夕ご飯にたべたものが胃にあって、
きゅうにお酒を吸収することがない。
お酒のよいを、よいとしてのたのしむことができる。
冬は焼酎のお湯わりがおおく、
夏のあつい時期になると、
自然とジントニックをからだがもとめるようになる。
ときおり気分でワインものむし、
よむ本に影響をうけてウィスキーを
おいしくいただくこともある。
なんだかんだいって、日本酒以外のお酒を
意地きたなくのんでいるのがわたしだ。
いちにちのおわりのひとくぎりに、
リラックスしてのむ酒はとてもおいしい。
あたりまえすぎてかくのもバカバカしいが、
おいしくて、ついのみすぎるのが問題なのだ。
ここでやめておかないと、とわかっていても
もう1杯をグラスにいれてしまう。
寝酒をのむと、ねるまでの時間がみじかいので
夜トイレに目がさめるし、二日酔いになりやすい。
このまえジョギングをしにちかくの公園へゆき、
はしりはじめたものの、
前の晩の酒がのこっていてうまくはしれず、
あきらめて家にひきかえしてしまった。
それまでにも二日酔いのために
うごけなかったことがなんどかある。
なんでこりずにのんでしまうのだろう、とそのたびにおもう。
ひとりでのんで二日酔いをくりかえすなんて、
さすがに今回は自分がいやになった。
酒さえのまなければ夜の読書もはかどるし、
つぎの日のうごきも予定どおりすすむ。
もう酒はやめよう。
もう酒はのまない、ときめたら
ちょうど時期がボジョレーヌーボーの解禁日にあたってしまった。
配偶者がかってきたり、よそからいただいたりで、
4本のヌーボーがテーブルにならぶことになった。
欲望からはなれたとたん物があつまってくるのは
皮肉なものだ。
お金への未練をたちきったら、
こんなふうにお金があつまってくるだろうか。
せっかくもらったボジョレーを
ほっておくのはもうしわけないので、
「もう酒はのまない」を
「もう夜は酒をのまない」にきりかえて
ヌーボーをたのしんでいる。
でも、寝酒はほんとにやめるつもりだ。
コーヒーもわたしの胃にはつよすぎて、
食後にかかさずのんでいると胃がいたくなってくる。
胃にわるとわかっているのについのんでしまうのは
お酒とおなじだ。
こってりしたものをたべるとコーヒーがほしくなり、
いちどのんでしまうと
カフェインへの依存ができてやめられなくなる。
これまでなんどもおなじことをくりかえし、
そのたびに不愉快な胃のいたみを我慢してきた。
でも、もうやめた。
体調がわるくなるのがわかっているのにつづけるのは
あまりにもバカげている
(多少まちがったほうが魅力的な人間、
というかんがえ方もあるけど)。
これからのわたしはうまれかわって
寝酒とコーヒーをきっぱりとおざけるのだ。
お酒やコーヒーは、からだがもとめるだけでなく、
頭がそれをみとめてしまうからやめにくい。
きめているのは頭なので、
「もうのまない」ときめれば案外なんとかなるとおもう。
と、こうやってブログにかいておけば、
すこしは自分へのプレッシャーになってくれるだろうか。
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