165号が最終号となる。
『ゴーゴーインド』や『ゴーゴーアジア』をよんで蔵前仁一さんをしり、
その蔵前さんがおもしろい雑誌をだしているということで
1990年ごろによくかいもとめた。
外国旅行へいきたくてたまらなかったので、
年間購読をしていたときもあった。
その当時はたしか月刊だったとおもう。
その後季刊になり、年2回になり、そしてついに休刊のしらせだ。
出版界の不景気と、2002〜2003年のSARSによる
旅行ばなれが要因だという。
外国旅行に興味をもち、
とにかくどこでもいきたかったわたしにとって、
この雑誌はいかにもほんものの旅をあつかっているようにおもえたものだ。
「ほんものの旅」とは、わたしの単なる偏見にすぎないのだけれど、
要するに観光目的だったり自分さがしではない、
異文化にいることがとにかくすきでたまらない、という意味の旅だ。
休刊をしり感慨ぶかい、というほどのおもいいれはないにしろ、
わかいころいだいていた旅行への熱意をおもいだし、
なつかしさといっしょに休刊への残念さが頭にうかんだ。
休刊ときいて、いそいで最終号と、
バックナンバーの3冊を注文した。
とどいた雑誌はとても立派なしあがりのものだった。
立派すぎるともいえる。
これだけのものをつくるのは、
そうとうな労力がいるだろうし、
そしてそれがむくわれることはあまりないだろうとおもわせる
すごくマニアックな内容なのだ。
月刊だったころはもっとうすく、
質素といってよいつくりだった。
この堂々とした表紙は、どこかでみたことがあるとおもったら、
ある意味ではおなじ異文化をあつかう
『季刊民族学』ににているのだった。
『季刊民族学』は「民族学博物館友の会」が運営しており、
旅行人というちいさな会社がそれと肩をならべるものをつくるのは
そうとうなエネルギーが必要だったことだろう。
わたしが注文したのは最終号の『世界で唯一の、私の場所』と、
『旧ユーゴスラヴィアを歩く』・『特集コーカサス』
・『アンダーグラウンド』の4冊だ。
最終号はともかくとして、あとの3冊はいかにもマニアックで、
あまりにも「専門性」がたかく、
とてもおおくのひとがかうとはおもえない。
どれだけのひとが『旧ユーゴスラヴィアを歩く』に
関心をもつだろうか。
年2回の発行というスタイルにしたときに、
蔵前さんたちにはある程度のひらきなおりがあったのだとおもう。
それは、どうせたいしてうれないなら、
自分たちがほんとうにつくりたいものにしよう、
という事業方針ではなかっただろうか。
日航の国外線で、座席のせもたれにおいてある雑誌としてなら
ぴったりの存在だけど、
蔵前さんたちはおそらくそんなメジャーなものを
つくりたいとはおもわないだろう。
いまの時代に、旅行人が旅行人らしくあることは
すごくむつかしいことだったのだ。
おおきな変化がおきているなかの、
ひとつの典型的なあらわれだとおもう。
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