ターペー門ちかくのボクシングスタジアムへいく。
食事をするところや旅行会社、
タイ式マッサージ店に両替所と、
なんでもそろっているので、
ターペー門のそばにホテルがあるとほんとに便利だ。
でも、そのかわり車がひっきりなしにとおるので、
すごくうるさい。
ムエタイ(タイ式ボクシング)スタジアムのいりぐちで
入場料の400バーツをはらうと
座布団つきのイスに案内された。
場内はサロメチールの強烈なにおいと、
ムエタイ独特の笛の音でみたされている。
9時にはまばらだったお客さんが、
だんだんふえてくる。
わたされたプログラムに選手の名前と
体重が紹介されている。
こうした興行をいちにちおきにしているようだ。
リングのまわりにはバーや料理をだすカウンターがあり、
トイレも便器にむかって背をむけている
姿が(男性は)客席からみえる。
地方スタジアムらしいチープな雰囲気がすごくリアルだ。
選手たちはリングにあがるとムエタイのおどりをまう。
試合がはじまっても、
そのまま笛の音でリズムをとってるかんじ。
足はそんなにうごかず、フットワークよりも
笛の音のリズムがたよりみたいだ。
女性の2試合をふくめ、全部で9試合がくまれていた。
試合がすすむにつれて迫力がでてくるが、
なかにはおなかに贅肉がついたボクサーもいる。
とちゅうにスペシャルマッチがあり、
5人のボクサーがリングにあがり、
目隠しをしてめちゃくちゃになぐりあう。
レフリーにむかうボクサーもいて、
そのパンチが妙にヒットするので
レフリーが本気でけりをいれていた。
ラストマッチはタイ人とアメリカ人のボクサーが試合をする。
両方ともからだはたいしたことないけど、
相手をなぐりたおそうとする気迫が本物なので
ストリートファイトみたいな迫力がある。
アメリカ人のボクサーが4ラウンド目にノックアウトしてかつ。
ノックアウトについては、そのほかにはもう1試合あっただけで、
クリンチみたいなことがおおく
なかなかはっきりした決着がつかない。
ノックアウトすると、
かったボクサーはたおれているボクサーにちかより、
グローブをそろえておじぎをする。
相手もそれにこたえる。
迫力のある試合をするけど、
敵ではなく「試合の相手」なのだということが
徹底されているかんじ。
相手への憎しみではなくリスペクとがある。
9時すぎにはじまった試合は
12時45分にすべておわる。
はじめてのムエタイ観戦をじゅうぶんに堪能できた。
きょうは市営バスターミナルから
公営のバスにのってファーンという町へむかう。
今回の旅行の第2段階がはじまったのだ。
ファーンはチェンマイから北に150キロいったところにあり、
とちゅうかなりの峠をこえる。
いちど15分ほどのの休憩をいれて
3時間45分でファーンについた。
バスの待合所でこの町のホテルのことをきくと、
その女性がじょうずな日本語で説明してくれた。
おしえてもらったホテルにいくと、
すごくりっぱそうにみえるのに350バーツとそうたかくない。
ネットの接続ははやいし、部屋がじゅうぶんにひろい。
シャワーのお湯の温度もブンミ・ゲストハウスよりずっとまともだ。
ファーンではオートバイをかりて
田舎道をはしろうとおもっていた。
あこがれのホンダドリーム125にのれるのをたのしみにしていたら、
ファーンにはレンタルバイクがないのだそうだ。
しかたがないので、あすはバイクをチャーターして
郊外にある温泉にいくことにする。
ファーンは、1958年におこなわれた調査で
梅棹忠夫氏たちがおとずれた町だ。
『東南アジア紀行』には、
その当時のチェンマイやファーンの様子もかたられている。
チェンマイはおちついた古都、
ファーンはかなり山の中の町として登場する。
今回の旅行では、10冊ほどの本をもってきたのに、
この『東南アジア紀行』をいれるのをわすれていた。
わたしが生まれるまえ、
いまから50年以上まえのものにもかかわらず、
正確な知識とこまやかな観察のもとにかかれているので、
なんどよんでも、そのたびにおもしろさにであうことができる。
それにしても、50年以上まえに、
この町に日本人の調査隊がはいっていたなんて
なんという行動力だろうか。
ホテルの部屋で本をよんでいると、
そとがすごくさわがしい。
カラオケか、結婚式などのパーティーかとおもったら、
道路を半分歩行者天国にして
おまつりがはじまっていた。
屋台や生活雑貨などのいろいろな出店があり
おおぜいのひとがであるいている。
「うどん」というのぼりがあるのでいってみると、
寿司だった。ちいさくてきれいにかざられた寿司が
値段にわかれてならべられている。
ターペー門の屋台でも、
この寿司屋さんが何軒もでており、
たべてみるとみごとにちゃんとした寿司の味だった。
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