そして主演はジュリエット=ビノシュだ。
講演におとずれたイギリス人作家を彼女が案内しながら、
日常生活のたまらなさに目をむけるようはなす。
はじめはおたがいに気をつかいながらのおしゃべりが、
だんだんと遠慮のない議論となっていく。
カフェの女主人がふたりを夫婦とかんちがいしたのをきっかけに
ほんとうの夫婦であるかのようにふりをはじめる。
最初のころは夫婦役と現実とがいりまじるが、
しだいに倦怠期の夫婦そのものといった会話となっていく。
英語しかはなせないはずのジェームスが、
フランス語でも議論をするようになり、
英語とフランス語、ときどきのイタリア語がいりまじって
みている側をなんだかわからない世界にひきこんでゆく。
コメディかとおもうぐらい、
そのやりとりは日常そのものであり、
ささいな気もちのすれちがいを本気でまくしたてる。
いったいこの2人はなんなんだと、
みているうちにわたしはだんだん混乱してきた。
ただ、なにがほんとうかわからなくても、
おもしろくみることができる不思議な作品だ。
ジェームズ役のウィリアム=シメルは
はじめは知的で魅力的な作家の顔だったのが、
だんだん日本のオヤジみたいにさえない男になりさがり、
おもっていることをそのままくちにだして相手をいいつのる。
見学さきでいっしょになった年配の男性から、
「あなたの奥さんがもとめているのは
議論ではなく、いっしょにならんであるき、
肩をだいてもらうことだ」
というアドバイスをうけ、
いったんはそのことばどおりに
彼女の肩をだいてレストランにはいるのに、
またどうでもいいようなこと(ワインがまずい)で
雰囲気をこわしてしまう。
上映時間の1時間46分のあいだ会話がとぎれることはなく、
ずっとなんだかんだといいあっていた。
おたがいに夫婦をえんじてはいるのだが、
はなしていることはほんとうの自分の気もちだ。
2人の関係になにをもとめるか。
お互いにちゃんとむかいあっているか。
わたしは配偶者をこの映画にさそったが、
ことわられてしまった。
ひとりでみてよかった、とはじめはおもい、
おわるころには、やっぱりみてほしかった、とおもった。
これだけ自分の感情をかくさずにことばにされると、
わたしたちの関係についてかんがえざるをえない。
ことばによる格闘になれていない日本人夫婦としても、
もうすこし本物にせまる関係をもとめたい。
わたしがえんじればいいだけなのだろうか。
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