ずいぶんおもしろそうに紹介している。
よくよまれている作家ということをしりながら、
これまで手にしたことがなかったので、
どれどれというかんじでまえから本棚にあった
『容疑者Xの献身』をよんでみる気になった。
その年に発行された文庫本のなかから
いい作品を紹介する『おすすめ文庫王国』に
「文庫本売上げベスト100比較(ジュンク堂と丸善)」という企画があり、
毎年どういう本がうれたかについて
担当者の対談がくまれている。
それによると、ベスト100のなかにジュンク堂は11点、
丸善は6点も東野圭吾の本がはいっている。
ちなみに『容疑者Xの献身』は
2009年のジュンク堂ベスト1だ。
丸善のベスト100のなかで、東野圭吾のように
複数の本がはいっている作家は
ごくわずかしかいないし(6点というのは断トツ)、
ジュンク堂で東野圭吾のようにうれているのは
ほかに有川浩と伊坂幸太郎くらいだ。
で、『容疑者Xの献身』をよんだ感想はというと、
人気がしめすとおりに、たしかにうまくておもしろいとおもう。
この作品では、すきな女性をまもるために、
犯人(というか共犯者)がありえない手をつかうわけで、
そのありえないはなしに
どれだけリアリティをもたせるかが
この作品では重要だった。
トリックに納得がいっても、
犯行にいたった動機がよわければ
この作品は「ありえない」でおわってしまう。
天才数学者という設定もそのためだし、
人生に希望をうしない、命をたとうとしたときに、
その女性の出現によってすくわれた、
というのもリアリティのためだ。
ガリレオ博士とふかい次元で
おたがいの思考をさぐりあう記述から、
読者は「数学者ならありえるかも」、という気にさせられる。
しかし、複雑にいりくんだ状況をとっさに判断できる能力は、
ほんとうに数学と関係あるのだろうか。
数学の問題をつくることについて、
「思い込みによる盲点をついているだけです」
「盲点、ですか」
「たとえば幾何の問題に見せかけて、
じつは関数の問題であるとか」
と、この数学者はかたっている。
読者もまた、数学の天才ならこれぐらいのトリックをおもいつくのは不可能ではない、と「思い込」まされただけなのではないだろうか。
おもしろいし、トリックの意外性におどろいたけど、
動機のリアリティについて納得できたわけではない。
いくらその女性を愛していても、
だからといってあんなことができるだろうか。
ふかくかたりあい、おたがいをしりぬいてからの「献身」ならわかる。
そうではなくて、ひとめぼれにすぎない段階で
あれだけのことをするのは、
数学者の冷静で論理的な思考回路なのではなく、
ストーカーとしての一方的な「思い込み」ではないか。
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