2012年05月25日

『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行)暑さを別にすれば「寒村」

本をよむたのしみのひとつに
比喩のたくみさに感心することがある。
辺境作家の高野秀行さんが「WEB本の雑誌」で
ソマリランドについて連載されており、
5回目となる今回は、世界一あつい町としてしられる
ベルベラをたずねている。

「食堂に行くと、毒ガスを浴びたかのように
七、八匹の猫がテーブルの下でバタバタと倒れており、
私たちが入っても動こうとしない」

写真をみると、まさに毒ガスにやられたようなかっこうで
ネコたちがあつさにのびている。

もうひとつ、これは比喩ではないけど
おもわず「うまい!」とわらったのが

「ベルベラはソマリランド経済の要をなす貿易港だと聞いていたが、
町は暑さを別にすれば『寒村』と呼ぶにふさわしい」

漢字ならではのことばあそびだ。

以前よんだ筒井康隆さんの本には、

「蜘蛛の子を散らすように
蜘蛛の子が散った」

みたいなことがかかれていた。
たしかに。
クモの子のむれがにげるさまを、
これ以外の、そしてこれ以上の表現はできないのではないか。

比喩がおもしろい作家といえば村上春樹で、

「2モデル前の中古のボルボのサイド・ブレーキを引いたまま
坂道を登っているような」(『遠い太鼓』)

なんてすごい比喩がある。
なにをそんなボルボにたとえたかというと、
フィンランドできいたモーツァルトのコンチェルトなのだから、
いったいどんな演奏だったのだろう。

「ウェイターがやってきて
宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好で
うやうやしくワインの栓をぬき、グラスにそそいでくれた」
(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』)

もすきなたとえだ。
ぜんぜんちがったことをかきながら本質をあらわすという、
比喩の役割をみごとにはたしている。

うろおぼえだけど、
「雪の上で昼寝をしている
カラスをかぞえるようなものだ」

なんていうのもなにかでよんだ。
雪のうえで昼寝をするカラスを想像するとたのしい。

児童デイをはじめようとするいまの気もちをたとえると、

「アウェーでのW杯アジア最終予選の準備をするときみたいに」

ではどうだろう。
慎重に、でもリスクをおそれず、
自分たちらしいサッカーをしよう。

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posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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