2012年05月29日

『対岸の彼女』(角田光代)もおすすめ

2冊目の角田光代は『対岸の彼女』(文春文庫)。
この作品は2005年に直木賞を受賞している。
直木賞に特別な敬意をはらうわけではないけど、
この作品はまちがいなく傑作だ。
『八日目の蝉』とおなじように、
わたしには「すごい」ということしかかけない。
角田光代はわたしにとって特別な作家となる。

仕事小説かとおもってよむと、
いじめ小説でもある。
現代と過去の、2つのものがたりが交互におりこまれる。
現代は、35歳の小夜子が
ちいさな会社にはいって仕事をはじめるはなし。
過去は、そこの社長である葵の、中高生時代のはなし。

葵は中学生のときにいじめにあい、
ひっこしをした町で高校生活をスタートする。
そこで葵にはなしかけてきたのがナナコだ。

ナナコは親からなんの愛情をうけず、
物質も精神も、がらんどうのような家でそだつ。
食事なんかだれもつくってくれない。
ナナコはおかしをご飯がわりにたべる。
親子関係も、妹との関係も、
徹底的に希薄な彼女の家族を、
はたして家族とよべるのだろうか。
いぜんいっしょにくらしていたおばあさんがナナコの名づけ親で、
このおばあさんが亡くなったとき、
家族のだれもかなしまない。
あいた部屋をとりあい、
おばあさんの荷物をすぐにすててしまう。
そんな家族のなかで、ナナコは
どうやったら「ふつう」にそだつことができるのだ。

「かってナナコに対して抱いた印象を葵は思い出す。
この子はきれいなものばかりを見てきたんだろう。
汚いことや醜いものを見ることなく、
大事に守られて生きてきたのだろうと、そう思ったのだ。
なんてことだ。まったく正反対じゃないか。
この子はだれにも守られず、
見る必要のないものまできっと見て、
ここでひとりで成長してきたのだ」

そんなナナコと葵は、おたがいを必要とし、
ふたりでつくる世界がだんだん強固なものとなってゆく。

そして小夜子もまた、場所ははなれているものの、
彼女たちとおなじ意識のなかで高校生活をおくっていた。
「対岸の彼女」とは、
2人だけの世界でたのしげにすごすナナコと葵が、
川の対岸にいる小夜子に気づき、
すぐ先にある橋で3人がいっしょになろうとするものがたりだ。

「なぜ私たちは年齢を重ねるのか」も、
この小説のもうひとつのテーマとなっている。

「生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、
また出会うためだ。
出会うことを選ぶためだ。
選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ」

葵の会社はいったんつぶれ、
小夜子もはなれていったものの、
この2人もまだおたがいを必要としていた。
葵と小夜子はふたりであたらしい事業にとりかかる。

ナナコはどうしているだろう。
ナナコにもいいであいがあり、
しあわせになっただろうか。
葵と小夜子のものがたりをよみながら、
気になるのはナナコのことだ。

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posted by カルピス at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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