2012年05月30日

『マスタード・チョコレート』 つぐみはなぜかわれたのか

『マスタード・チョコレート』(冬川智子 イースト・プレス)

ぜんぜんわらわずに、
かたい殻をかぶって自分をまもっているつぐみが
すこしずつかわっていくものがたり。
作者のあとがきがいい。

「孤独な女の子が描きたかったのです。
ちょっと傷を抱えた、
まわりになじめなくて
いつもひとりでいる女の子」

この「女の子」(つぐみ)が作者の手をはなれて
ひとをすきになり、笑顔をうかべられるようになる。

「はじめてのストーリーものの連載は、
手探りでしたが、
お話を考えるのが
楽しくてしょうがなかったです」

「楽しくてしょうがなかった」という時間をもち、
ひとつの作品にしあげることができた冬川さんの
充実感をおもう。
自分のちからをだしきり、
自分のやりたい表現方法で、
ひとつの世界をつくっていくのは
どれだけしあわせな体験だったことだろう。
作中の人物が自由にうごきはじめ、
つぐみも、まわりのひとたちも、
すこしずつかわっていく。

「ひとりきりの居場所」をつくるつもりで
美大にはいったつぐみは、
「いつの間にか わたしの世界は
色で溢れていた」ことをしる。

つぐみはなぜかわることができたのだろう。

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posted by カルピス at 11:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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