わたしは、初代館長である梅棹忠夫さんのファンなので、
ときどきここの見学がしたくなり、
これまでに10回ちかくおとずれている。
みんぱくは、オセアニア・ヨーロッパなど、12の地域にわけて
世界中の民族の生活様式が紹介されている。
農具や衣服のほかに、
おおきいものでは実物の船や自動車もあるし、
以前つかわれていたものだけでなく、
いまも現役の生活用具がならべられている。
よくかんがえると、ある民族がつかっているものを
すべて展示するということはたいへんなことだ。
できるだけその民族の特徴的な文化を
コンパクトに、ときにはぶあつく紹介できるのは、
蓄積された研究の成果なのだろう。
みんぱくの魅力は、民族の多様性を
じっさいに目にできることであり、
それぞれの民族の価値観によって、
なんといろいろな生活様式があることかと、
おとずれるたびに呆然となる。
夜空の星をながめておのれの矮小さをしるように、
膨大な展示物をまえにすると、
自分の存在を客観的にとらえられるようになる。
みんぱくの出口にある「ミュージーアム・ショップ」で
『梅棹忠夫、世界のあるきかた』ほか数点をかう。
2010年に梅棹さんが亡くなられてからも、
梅棹さんの名を冠するおおくの本が出版されつづけている。
本書は梅棹さんがとった写真と、
それをもとにかいた文章とをくみあわせ、
梅棹流の思考のプロセスを追体験したものだ。
梅棹さんは「日本探検」というシリーズのなかで
1960年に出雲大社をおとずれている。
よくしられているのは
出雲大社と東南アジアとのつながりの指摘だ。
北ラオスの村にある、たかい床の家と
出雲大社のつくりがいっしょだという。
イネつくりという共通の文化を
出雲大社の建築様式の背景にみる。
もうひとつ、考察のするどさにおどろくのは、
大和と出雲という二元的対立を、
日本に特徴的なものであるという指摘だ。
「二重構造のあらわれる原因は、
わたしは破壊の不徹底にあるとおもう。
日本においては、ふるい体制は、
根底的に破壊さえることはなく、
無害な、やや形式的な機能をあたえられて、
そのままどこかに温存されるのである。
それが、はやくも神話の時代にはじまっている」
さらに、神前結婚や地鎮祭などが、
近代化の過程で普及していることをあげ、
「科学と民主主義が、
神がみを放逐するであろうなどとかんがえるのは、
太古以来の日本文明の二元的構成を
理解しないもののかんがえといわねばならない」
とむすんでいる。
くりかえすが、これらの考察が、
いまから50年もまえにされていたことに
おどろくほかはない。
二重構造の指摘は、日本的な現象のおおくをときあかしてくれる。
おおくの土地をじっさいにおとずれ、
自分でみて、体験したことを比較検証する。
そうしたプロセスが梅棹流の思考をささえている。
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