2012年06月11日

はじまりの用意は、はじまりじゃない「今日のダーリン」のすてきなことば

ほぼ日の「今日のダーリン」に
「ぼくらは『はじまりを、はじめよう』な人たちです」
というのがのっていた。
どういうことかというと、
「ほぼ日」というやつも、
 よたよたとスタートして、へたくそで、でたらめで、
 恥ずかしいような歩み方をしてきたものでした。
 「ほぼ日」というものが、いまも欠点だらけなのです。
 それは知っているのですが、欠点を見つめていても、
 なんにもはじまりはしません。
 それは、はじまりの用意にしかならないですし、
 はじまりの用意は、はじまりじゃないですからね。
 はじまりの用意ばかりしていると、
 はじまらないくせがついてしまいます。

そして、「ぼくらは『はじまりを、はじめよう』な人たちです」
むすんである。

ほんとは、これよりももっとまえの文にひかれて
エバーノートにクリップしていた。

「『ほぼ日』の乗組員たち、欠点だらけの人々です」

と自分たちの不完全さについてかかれたもので、
「でも、欠点山盛りでも、いろいろできる」とつづく。
クリップしたあとでそのさきをよんでみると、
そこにも、冒頭に引用したような、
すてきなことがかかれていた。
この日(6月7日)の「今日のダーリン」は
なんだかわたしのためにかかれたみたいな気がする。
引用していたらきりがないほど全文が意味ぶかい。

「やったからできた」
というのもすきだ。
あたりまえながら、やらないと絶対にできない。
まず欠点をなおしてからと、
「はじまりの準備」ばかりしていたら、
けっきょくはうごきだせない。

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posted by カルピス at 21:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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