2012年06月20日

「放課後等デイサービス開設準備」ものの存在意義とは

事業所の仕事はじめにむけて準備がつづく。
きのうはホームセンターにでかけ、
必要とおもわれる品々をかった。
かならずつかうものと、
多分つかうんじゃないか、
というものをかっていくと
ワゴン3台分の量になる。
お金がたりなかったらどうしようと
心配になってきた。
さいわい、予想していたのとぴったりおなじ5万円ほどにおさまる。

きょうはまたべつのホームセンターで、
カラーボックスや机、それに時計をかう。
こんなにたくさんかいものをしてほんとに大丈夫なのか。
かいものをしてストレス解消ということをよくきくけど、
日用品をいくら山のようにかってもつかれるだけだ。
ぜんぜん気分はよくならないし、
むしろかったあとに必要な作業が頭をかすめ
ため息がでてくる。

これまではたらいていた事業所も、
そして自分の家も、
その気になってみるとじつにたくさんのものがおいてある。
ものがあふれている光景をわたしはきらっていたけど、
ゴミ屋敷は論外として、ある程度のものにかこまれていることは
精神衛生のうえで、おちつきをあたえてくれていることに気づいた。
ひっこししたての家と、
年期のはいった家とのちがいは、
ものがいごこちよくおさまっていることと
関係しているのではないか。
人生においてむだなことはなにもないのとおなじように、
家にあるすべてのものも
存在しているだけでそれぞれのやくわりをはたしているというかんがえ方が
わたしにはしっくりくる。
こういうのもアニミズムというのだろうか。
かならずしも必要でないものが
なんとなくころがっていることは、
こころがみだされる風景ではなく、
多様性を保障しているともいえる。
断捨離ってほんとにえらいのか。

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posted by カルピス at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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