2012年07月25日

老眼鏡をつくる

自分の老化はみとめたくないもので、
ちいさな字がだんだんみえにくくなっていたのに
これまでメガネをつくらずにいた。
夜でもなんとか新聞や本がよめたので、
そんなにはこまっていなかったこともたしかだ。

それが、ここ最近、
とうとうごまかしきれないほど
活字がみえにくくなってしまった。
たのしみにしている夜の読書がはかどらない。
本をかうときも、ちいさな字のものは
はじめからえらばないようになった。
おもしろそうな本でも、
活字がちいさいとよむ気になれない。
それに、むかし出版された文庫本は
活字のちいさなものがおおく、
視力の低下が再読をさまたげている。
このまま不自由をつづけるよりは、と
やっとメガネをつくる気になった。
必要にせまられると、かっこなんかつけていられない。

メガネ屋さんにいくと、すぐに視力の検査をされる。
その値からレンズの度をえらばれて、
調整用のメガネをかけてみる。
おためし用にわたされた新聞の番組らんと株式らんが、
すごくはっきりみえたのはショックだった。
眼鏡をとっておなじものをみても、
冗談みたいにぼやけてぜんぜんみえない。
視力をじゃまするメガネで、わざとみえなくしたみたいだ。
こんなにわたしの目はちいさな字がみえてなかったのか。
つよいレンズをつけると、みえすぎてつかれそうなので、
かるめのピントでレンズを調整してもらう。

これでわたしもとうとう老眼鏡使用者だ。
老化の事実をつきつけられたわびしさより、
これで不自由なく本がよめることの
安心感がつよい。
これからもそうやって
自分の老化をうけいれていくのだろう。

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posted by カルピス at 18:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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