アフガニスタンにのこっているという
モンゴル人の末裔をさがしに、京都大学の探検隊がおとずれる。
1955年におこなわれた探検なので、57年もまえのはなしだ。
ときどきこの本のもつ、地理的探検の魅力にひたりたくなって、
これまでなんどもよみかえしている。
1956年に1刷りが発行され、わたしがもっている本は
1975年に発行された第25刷りのものだ。
230円という定価がかかれている。
10年で25刷りというのだから、きっとたくさんうれたのだろう。
ふるいうえになんどもひっぱりだしているので、
今回の再読でとうとうページがバラバラにわかれてしまった。
アフガニスタンにモンゴル語をはなすひとたちがいるといっても、
はっきりした場所がわかっているわけではない。
地元のひとから情報をあつめ、おおよその目ぼしをつけて、
モゴール族(モンゴル族の現地でのよび方)がいそうな村にはいる作戦をたてる。
トラックをチャーターし、車がはいれない場所までくると、
牛や馬にのりかえて、乾燥しきった山あいの村に探検隊ははいっていく。
描写が具体的なので、探検のようすを視覚的に想像する。
わたしが探検についてイメージする風景は、
この『モゴール族探検記』からおおきな影響をうけているようだ。
この探検がおこなわれたときの梅棹さんは、若干35歳のわかさなのに、
文章のはしばしからふかい教養と冷静な判断力がうかがえる。
梅棹さんは、アフガニスタでは部族制が原理となって
社会がうごいていることを理解する。
そして、「(部族間の相互関係の)調整が、
つぎの時代のアジア史の課題になるのではないか」という予想をたてる。
日本には部族制がないのでわかりにくいけど、
アジアの国のおおくは複合民族国家であり、
それを構成する各民族の相互関係が問題となる、という指摘だ。
わたしののすきな場面に、
探検隊の荷物をまって、ある村に滞在しているときの梅棹さんのようすがある。
わたしは、何をする気もしない。したらよいと思うことはたくさんある。日記の整理も必要だ。植物採集もしなければならない。ヌリスタンへ行った北村教授から、
数すくない野帳の一冊をあずかってきた。(中略)
やればよいことはわかっている。わたしはいま、馬力がない。いまは何もしないことにきめる。みんな後まわしだ。また機会があるだろう。
わたしはこれをよんで以来、
なにかあるたびに
「いまは何もしないことにきめる。みんな後まわしだ」
とこころのなかでとなえ、自分の怠慢を肯定するようになった。
あの梅棹さんにして、そういう状況のときがあるのだから、
わたしにも当然それはゆるされる、とすぐにひらきなおる。
事実や観察の描写はもちろん大切だけれど、
こうした心理状態についても
そのときの状況をかくさずに記録してあるのが
この本の魅力となっている。
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